4章の1 虎虎は王星宇と対峙する
虎虎は王府で、王星宇と対峙していた。
客舎に戻ったものの、晨風の姿が見えず、匂いをたどってきたのだ。彼の鼻は人間に比べたらずいぶん優れている。匂いで人間を見分けることや、あとを追うことも造作ないことだ。
晨風の匂いをたどって奥の方の部屋にたどり着くと、だんだんと芍薬と十郎の匂いも強くなった。部屋を覗くと、星宇の姿が見えた。
大きい方の十郎だ、と虎虎は思う。
十郎も星宇も、同じ匂いがしていた。花の匂いだけではなく、人間の匂いもそうだ。だから、同じ人間のはずなのだけれど。
「十郎、兄さんを返して」
人間の姿に戻ると、くわえていた服を素早く身につけて整えて、虎虎は星宇の部屋に入る。
寝台に腰かけた星宇の腕の中で、晨風が眠っていた。
それを見ると、虎虎は大きな声で吠えたい気分になった。虎になって吠えてもいいのだが、他人の屋敷でまた服を着たり脱いだりするのも面倒だ。
ちらりと、星宇は虎虎に目をやる。
「人虎か」
自分のことに気づいているらしい星宇の言葉に、虎虎は一瞬気圧される。だが別に、正体がわかったからといって、別に怖れるものは何もなかった。虎になれば自分の方が圧倒的にこの人間より強い。
「兄さんを村に連れて帰らせて」
「だめだ。おまえなんかに小晨はやらん」
小晨、と愛おしげに愛称で彼は呼んだ。ふたりの間の長い絆を感じさせるようなその言葉に、虎虎はまた少し鼻白むが、今までの晨風が自分に向けたまなざしを思い起こした。
兄さんが、自分のことを嫌いなわけがない。
「おまえなんかってなに。おまえだって人間じゃないだろ」
今度は、星宇が鼻白む番だった。
「私はおまえより長い間、小晨と一緒にいたんだよ」
その言葉、虎虎の胸を揺らした。
「でもここ最近一緒にいたのは僕だ。十郎は、自分から兄さんを遠ざけたんだろ。それで、今になって兄さんといたいっていうのはずるい。僕はおまえがいなくなってからずっと兄さんと一緒にいて、苦しむ兄さんを見てきた」
それから、これからも晨風と一緒にいるのは自分だ。そう思いながら、虎虎は奇余鳥が言っていたことを思い出していた。
──人虎。おまえがその人間を助けたいと思ってなんになる? 人間はどうせ、すぐに死んでしまうのだぞ。
川のそばで劉も、同じことを言っていた。人間と一緒にいても、自分たちの方が長く生きるだろう、と。劉も、昔は誰かと一緒にいたようだった。
それまで、虎虎は自分と晨風の寿命について考えたことはなかった。他の人虎に会ったことなどなかったからだ。
「人虎。おまえにわからない事情が色々あったんだ。都は戦いになって、私は晨風を守らなければいけなかったし。その後は死んでしまったのだから仕方がないだろう。こうやって会いに来られるようになるまで、簡単ではなかったんだ」
さらりと、星宇はそう言った。虎虎はしきじきと星宇を見た。死んでしまった。
気持ちを残して死んでしまった人間は鬼になるのだと、書堂でほかの子供から聞いたことがあった。星宇にも十郎にも変な感じがあったが、これが鬼というものの気配なのか。死んでしまったのにこの世界に囚われている、人間だったもの。
虎虎は、劉がそんな魂を正しい場所に還す仕事をしていると言っていたのを思い出す。彼はそうして旅立った人間の誰かに、再会しようとしている様子だった。
年をとって落ち着いてきたけれど、虎虎だって、母親や兄弟に会いたいという気持ちがないわけではない。だから、その気持ちはわからないではないけれど。
「でも兄さんは、ずっとそれで傷ついてたよ。こんなふうに騙すように勝手に連れていかないで、まずは傷つけてごめんなさいって言うほうが先だ。それからだろ」
強い口調で言いながらそっと、垂れ下がらせた片手の袖口を広げて、劉からもらった紙片を解放した。紙片は机の下を通り抜けると、ひらひらと低空を這うように移動して、扉の隙間を抜けていく。
「人虎が、生意気なことを言うな」
星宇は怒ったようだった。紙片に気づかず虎虎を睨む。
「僕が虎でも人間でも関係ない。兄さんに会わせて」
(もし兄さんが僕よりずっと先に死んでしまう生き物でも、僕は兄さんとできるだけ長く一緒にいたい。兄さんを、こんなところに置いていくわけにはいかない)
その思いが募る。虎虎は虎になって、星宇に飛びかかった。大きく吠えて威嚇する。
星宇とその腕に抱かれたままの晨風は、虎虎に押し倒されるような形になった。人間の力なんて、こんなものだ。
それと同時に、扉から奇余鳥が悠然と入ってきた。よかった、と虎虎は思う。この変な悪夢も、奇余鳥の力があればなんとかなるだろう。
奇余鳥は頭上をぐるぐると飛びながら、甲高い声で笑った。