地上・01.歪まぬ日常、軋む音
時計塔の鐘が六回鳴った。
それは、目覚めの合図。
それは、日常の始まり。
それは、変わらない朝。
わたしはベッドからゆっくりと体を起こす。軋んだ音が背骨を伝って、胸の奥まで響いた。
「……おはよう、今日も、同じ朝」
カーテンを開けても、空の色は変わらない。濃い灰色の空には太陽の輪郭さえ見えないけれど、それでもわたしたちは朝を迎える。何が「朝」なのかを、塔の鐘が決める。
歯車が回る音が、遠くから微かに聞こえる。街は今日も、動き出す。
白いワンピースを着て、扉を開ける。足元の石畳は湿っているようで、いつも乾いている。昨日も、今日も、たぶん明日も、変わらないまま。
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まず立ち寄るのはパン屋の“ミーナ”の店。
「おはよう、リリィちゃん! 今日はいい日になりそうね!」
彼女は明るく笑って、毎朝同じ言葉をくれる。
わたしは微笑みを返しながら、ミーナの顔をじっと見つめた。
「そうだね、いい日になるといいね」
耳にかけた髪、いつもと同じリボン、棚に並ぶパンも変わらない。焼きたての匂いだけが、時々微妙に違って感じられる。それは……わたしの錯覚だろうか。
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次に通るのは花屋の“ユーク”の前。
「この花、君に似てると思ったんだ」
彼はそう言って、小さな青い花を一輪差し出した。
その声も、しぐさも、毎日同じ。
「ありがとう。今日も、綺麗だね」
わたしはその花の名前を知らない。
けれど、どこか懐かしく感じて――けれど、いつまでも思い出せない。
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広場を横切ると、見張りの“ガロス”が目に入る。
「……市民、通行を確認。記録済み」
「ご苦労様、ガロスさん」
「リリィ、異常はない。今日も平和だ」
いつもと同じ冷たい声、変わらない警備。
でも今日は、わたしを見た瞬間、ほんの僅かに“間”があった。
言葉が遅れた? 動きが鈍った?
気のせい――そう思って歩き出そうとしたとき、ガロスがこちらを振り返って言った。
「……リリィ、君はどこから来た?」
「え?」
わたしが足を止めると、彼は無言で前を向いた。まるで何もなかったかのように。
わたしは、歩き出した。足元の石畳は変わらず、でも……なぜか、少しきしむ音がしたような気がした。
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最後に立ち寄るのは、カフェの“ロゼ”。
「おはよう、リリィ。今日はミルクティーにする?」
彼女の柔らかい声に、わたしは「うん」とだけ答える。
ロゼは静かにティーカップを置いたあと、ふと窓の外を見てつぶやいた。
「……昔も、この時間に来てた子がいたのよ。不思議と、似てる気がする」
「……昔?」
「ええ。でも、思い出せないの。不思議ね……」
笑ったロゼの瞳の奥が、ほんの一瞬だけ曇ったように見えた。
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変わらない日常。
変わることのない風景。
けれど、わたしの中の“何か”が軋んでいる。
それが何なのか、わたしにはまだわからない。