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死ねと命じたのは貴方なのに、何をお泣きになっているの?

作者: 宮永レン

「異端の聖女エリシアを処刑する」

 アルベルトの冷たい声が響く王宮の広間。


「死ね」

 彼の残酷な言葉が、胸に突き刺さる。


 ——ああ、やはりそうなるのね。

 跪く私は、静かに目を伏せた。


 彼は私を愛していると言ってくれたのに。私も彼を愛していたのに。心も体も求められるままに捧げたのに。


 けれども、それは脆くも崩れ去った、この国に伝わる聖女の力——「癒しの光」を持たない私が、偽聖女だと糾弾された日から。


「……アルベルト殿下、最後に一つだけお願いがございます」


「聞くまでもない。処刑は決定事項だ」


「……では、どうか処刑の前に祈らせてくださいませ」


「好きにしろ。どうせ神はお前を救わん」

 アルベルトは嘲るように笑い、私に背を向けた。


 そばにいた兵士が後ろ手に縛っていた縄を解き、私は胸の前で自由になった両手を組む。


 ——ええ、そうでしょうね。

 なぜなら、私が本当に持っていたのは、「破壊の光」なのだから。


 そしてこの瞬間、私の周囲は暴力的な光に飲まれた――。



       ※ ※ ※ ※ ※



 処刑場が崩れ落ちた日、王国は震撼した。


 聖女エリシアの処刑と同時に、王宮の一部が崩壊し、王族や貴族の多くが塵となった。生き残ったのは、運よくその場にいなかった者と、破壊の力の及ばなかった民衆のみ。


 処刑場で目撃されたのは、黒い光に包まれるエリシアの姿。

 そして、次の瞬間、すべてが崩れ去った。


 それから数年——。


 王国は衰退の一途を辿っていた。


 貴族たちの大半が消え去ったことで政治は混乱し、王の権威は大きく揺らいでいた。かつては「聖女の国」とまで呼ばれたこの国も、いまや隣国からの侵攻に怯える日々。


 そして、人々は囁き始める。


 ——聖女は、本当に死んだのか?


 そんな噂が囁かれる中、一人の女性が王都に足を踏み入れた。


 漆黒の衣に身を包み、ベールで顔を隠したその女は、どこか神秘的な雰囲気を纏っていた。


「……おい、あれを見ろ」


「黒い服……まさか……?」


「もしかして、魔女……?」


 人々の視線が集まる中、彼女はゆっくりと歩き出す。


「ごきげんよう、皆さま」

 その声は穏やかでありながら、どこか冷たい響きを持っていた。


「私は『黒き魔女』。貴方たちを救いに来ました」



       ※ ※ ※ ※ ※ ※



 王宮の奥深く、アルベルトはその報告を受け、青ざめていた。


「エリシアが…戻ってきた?」


「い、いえ、正確には『黒き魔女』と名乗る女性ですが……」



「……エリシアだ」

 アルベルトは椅子の肘掛けを握りしめる。


 彼にはわかった。あの日、自分が処刑を命じた彼女が、生きて戻ってきたのだ。


「なぜ今になって……」

 エリシアが生きているなら、なぜ今まで姿を見せなかったのか。


 いや、それよりも——。


「エリシアの目的は…?」

 彼の背筋を冷たいものが駆け抜ける。



          ※ ※ ※ ※ ※ ※



 王都に突如として現れた「黒き魔女」の噂は瞬く間に広がった。


 

 それがかつての聖女エリシアであると、人々が信じるのに時間はかからなかった。


 

「貴方たちは、いまだに苦しんでいますね」

 エリシアは王都の広場に立ち、人々の前でゆっくりと口を開く。

 静かな声だったが、その言葉は群衆の心に深く響いた。


「かつて、私はこの国の『聖女』でした。王は私を処刑し、私は死んだ——はずでした」

 エリシアが目を伏せると長い睫毛が微かに震える。


「ですが、私は今、こうしてここにいます」


 人々は息を呑んで彼女を見つめる。


「なぜでしょうか?」

 エリシアは一歩、前に出た。


「神は私を見放さなかったからです。いいえ、正しくは——」

 彼女は微笑む。


「神は貴方たちを見放さなかったから」

 エリシアはゆっくりと微笑んだ。


「王に虐げられ、貴族たちに搾取され、それでも貴方たちは生きてきた。ですが、貴方たちが尽くしてきた王族や貴族たちは、どうなりました?」

 そう言うと、人々は顔を見合わせ、ざわつく。


「彼らはあの日、神の裁きによって滅びました。そして、生き残ったのは貴方たちです」

 そう締めくくると、人々の間にどよめきが広がる。


 そうだ。


 あの日滅びたのは、王や貴族、そしてそれに仕えていた者たちだった。


 処刑場で聖女を処刑することを決め、彼女を死へ追いやった者たちが、跡形もなく消え去った。


 それに対し、貴族に虐げられていた一般の民衆は生き残った。


「神は言いました。私に、貴方たちを導けと」

 それは詭弁だったが、もはや人々の視線はエリシアにくぎ付けだ。


「ですから、私は帰ってきました」

 彼女の声が静かに響く。


「貴方たちを救うために。王の圧政を滅ぼすために」


 ——その瞬間、人々は理解した。


 これは聖女の復活ではない。

 王国に訪れた、新たな革命の始まりだと——。



          ※ ※ ※ ※ ※ ※ 




「民が……エリシアを支持している、だと……?」

 王都の報告を受けたアルベルトは、震える拳を握りしめた。

 

「彼女は『黒き魔女』として王都に現れ、たった一晩で民衆の支持を得ました。現在、王都の各地で暴動が発生し始めています!」

 緊迫した声が王宮に響いた。


「暴動……?」

 アルベルトは拳を握りしめた。


「ええ、一斉に蜂起し始めています。処刑場の崩壊によって貴族層が激減したことで、今の王都は圧力をかける存在がほとんどいません。それを見越したかのように、彼女は民衆の心を掴んだのです」


「……そんなことがあってたまるか!」

 アルベルトは椅子を蹴り飛ばし、荒々しく立ち上がる。


「エリシアは死んだはずだ! それなのに、なぜ民は彼女に靡く!?」


「陛下、民にとってエリシア様は救いだったのです。鬱屈とした生活を続けていた彼らにとって、彼女の奇跡の力は唯一の希望だった。そして、彼女を殺したのは……陛下、貴方なのです」

 宰相は苦々しい表情で答えた。


 アルベルトは言葉を失う。


 国の未来のために、偽聖女を処刑することにしたはずだった。


 エリシアの力は危険なものだったのではないのか?


「王宮の防備を強化しろ。軍を出して民衆の暴動を鎮圧しろ!」

 アルベルトの命令に、宰相は渋い顔をする。


「しかし、軍の士気が低下しています」


「何?」


「エリシア様の奇跡に何度も救われた者が多く、王宮の軍ですら動揺を隠せていません。『聖女様が戻られたのなら、我々の戦う理由はない』と……」


 それを聞いたアルベルトの顔色が変わった。


「なぜ……なぜ今なんだ、エリシア……!」

 数年間、彼はエリシアの死を夢に見た。


 あの日、彼女の瞳から光が消えた瞬間を。


 ——いや、違う。

 彼女の瞳が光を失ったのは、自分の手で処刑を命じたからではない。最後の瞬間、確かに彼女は微笑んでいた。


 あれは、何か別のことを意味していたのだろうか。


「エリシア……俺は……」

 アルベルトの手が震える。


 だが、もはや悔いても遅い。エリシアは戻ってきた。そして、王国を奪おうとしている。


 彼が、かつて愛した女の手によって——。



「……報告いたします。聖女様が、こちらに向かっております!」

 息を切らした兵士が、部屋に飛び込んできて、蒼白な顔で敬礼する。


「聖女ではない。『黒き魔女』だ」

 アルベルトは部下に冷ややかな視線を向ける。


「……はっ」

 畏まり、頭を深く下げた部下の脇を、剣を手にしたアルベルトが立ち上がって通り過ぎた。


「皆、覚悟を決めよ。あの女は恐ろしい力を使う。だが、この国を導くのは俺だ。あの女に降伏することは許さん」


「陛下……」

 宰相が一歩前に出る。


「……もし、もしも彼女が神の意思によって生かされているのだとしたら——」


「黙れ」

 アルベルトの声が低く響く。


「俺がエリシアを殺した。処刑を命じたのは俺だ。だから、あの女はあの日死んだはずなんだ……!」


 数年間も行方不明――いや、あの場にいた者は自分を残して灰になったはず。当然エリシアもその中に含まれていると思った。なのに、なぜ今になって、彼女は戻ってきたのか。


「……ああ、そうか。エリシアは俺のことが忘れられずに、戻ってきたのか……」

 ふいに思いついた結論に、アルベルトはおかしそうに肩を揺らした。


 もしかしたら何年も自分を探してほしいと、馬鹿みたいに隠れていたのかもしれない。


 ――いつまで経っても迎えに来ないから拗ねているのか?


 なんと浅はかで、幼稚な考えの女なのだろう。だが、少しばかりその茶番に付き合ってやろう。


 それで満足したエリシアを抱きしめるふりをして、背中から一撃を食らわせ、人生を終わらせてやる。


 その時、王宮の扉が震えた。


「来たか」

 そう呟いた瞬間、謁見の間の扉が吹き飛ばされた。


 黒い旋風が吹き荒れ、その中心に立つのは、漆黒の衣を纏ったエリシアだった。





        ※ ※ ※ ※ ※ ※ 





 私は王都の一角に構えた拠点の窓の外を見下ろしながら、小さく笑った。


 王都の各地で民衆が立ち上がり、貴族の館が次々と焼かれている。かつて彼女が助けた人々は、今や反乱軍の旗のもとに集い始めていた。


「……貴方の支配は、終わりますわ。アルベルト」

 私は静かに呟いた。


 その手には、かつて王宮で身につけていた聖女の証——純白の指輪があった。だが、それはもはや穢れなき神の象徴ではなく、黒き魔女の復讐の証となっていた。


「もう少しだな」

 傍らにやってきたのは、ゼルヴァ帝国の第二皇子レオンハルトだ。


 処刑場から消えたあの日、私は遠い地へ逃げた。行きついた先がゼルヴァ帝国だった。流れ着いた当初、できるだけ目立たずに暮らそうと思っていた。


 だが、結局 人の苦しみを見過ごすことができなかった。貧民街には、病に倒れる者、怪我に苦しむ者が溢れていた。『破壊の光』で病などの不調を破壊すれば、結果的に人は回復する。


 聖女と勘違いされたくなくて、自らを『黒き魔女』と名乗り、貧民街に身を潜めていた。


 風の噂で、アルベルトが王に着いたと聞いたが、その政治は怠惰なもので、民は苦しみ、あぐねいているという。


 アルベルトを残したのは、結果的には失敗だったようだ。


「……君が『黒き魔女』か?」

 ある夜、静かな声が闇の中に響いた。


 振り返ると、黒の軍服に身を包んだ男が立っていた。


 夜の闇よりもなお冷たく光る 紫紺の瞳。鋭く、迷いのない眼差し。


「ゼルヴァ帝国、第二皇子レオンハルトだ」


 その名に、私は眉をひそめた。


 ——レオンハルト皇子?


 彼は 軍略家としての才を持ち、冷徹で知られる男だと聞いたことがある。


「……皇子殿下が、何の用でしょうか?」

 警戒を隠さずに問うと、彼は「君の力に興味がある」と淡々と答えた。


「『聖女』の力ではありません。ただの『破壊』です」

 私は、くすりと笑った。


「たとえ、どんな力であろうとも、人々を助けていることには変わりない」


「つまらない噂を流す人もいらっしゃるのですね?」


「恐れる必要はない。ただ、魔女が帝国にいると聞いて、確認しにきただけだ」

 レオンハルトは静かに言った。


 ――それだけ?


 彼は聖女などと持て囃すこともなければ、奇跡を求めているわけでもなかった。ただ 魔女という存在に興味を抱き、確かめに来たというだけ。


 レオンハルトはそれからも、たびたび貧民街に現れては、私が力を使うところを眺めていたり、食べ物を配る手伝いをしてくれた。


 私は、ふと 今まで誰にも話したことのない事実を口にしてみた。


「——私は、処刑されかかったの」

 そう言うと、レオンハルトの表情が わずかに動いた気がした。


「王国の聖女と呼ばれ、王子との結婚も決まっていた。でも、『偽聖女』として処刑が決まった」


 ゼルヴァ帝国から離れた王国の名前を告げながら、私は遠くを見つめる。


「……興味深い話だな」

 彼はそれ以上は何も言わなかった。


 だからこそ、話を 続けることができた。


「私は……アルベルトが治める王国を、滅ぼしたいの」

 言葉にするのは初めてだった。きっと心のどこかでずっと思っていた。


「……でも、一人ではどうにもならない」

 いくら破壊の光をもっていても、国を動かすには人の心を動かさなければ意味がない。


「ならば、手を貸してやろうか」

 レオンハルトは、こちらをじっと見つめ、淡々と告げた。まるで手荷物を少し分けてくれと言わんばかりの軽い調子だった。


「……どうして?」


「俺はこれまで力がある者は、それを利用し、支配するべきだと教えられてきた」

 彼の答えは、冷静だった。


「だが、君は違う。その力を弱き者を助けるために揮ふるっている。他者を愛し、見返りを求めず、ただ救いたいという一心で手を伸ばす。その御心はまさに真の聖女そのものだ」

 レオンハルトは表情一つ変えない。


 黙って聞いていた私の方が、微かに動揺してしまう。


「あの王国は既に衰退の兆しを見せている。無能な王が統治する国は、いずれ崩壊する運命。ならば、一日でも早く終わらせてやった方が民への救いとなるだろう」


「私は……復讐のためにあの国を滅ぼしたいのよ」


「ならば余計に君がどこまでやれるのか、この目で見てみるのも一興かと」


 私は彼の真意を測るように見つめた。


 ——この男は、私を利用しようとしているのかもしれない。


 だが、そんなことはどうでもよかった。だったら、こちらもそれを利用すればいいだけ。


「……わかったわ。それなら、貴方と手を組みましょう」

 エリシアは差し出された彼の手を取ることを選んだ。


 

 ――そして、復讐を遂げる時はついにやってきたのだ。


 王都の空は赤く染まっていた。燃え上がる貴族の館、蜂起した民衆の怒号、王宮へと向かう長蛇の行列が見える。大聖堂の鐘が荘厳な音を響かせていた。


 私は黒き衣を纏い、静かにその光景を見下ろす。



「エリシア様、王宮の守備は崩れ始めています。貴族派の兵士たちも動揺しており、一部は降伏の意を示しました」


 レオンハルトが連れて来た精鋭部隊の他に、王国の兵も多数が私の下へと集結している。


「いい頃合いね。アルベルトはそろそろ玉座を空ける覚悟はできたかしら」

 私は口角を上げた。


「……ですが、一つ問題が」

 報告をしていた将校が、言いにくそうに口を開く。


「陛下が、『神聖騎士団』を動かしました」


「神聖騎士団……?」

 私はわずかに眉をひそめた。


「ええ。王直属の騎士団であり、王家に忠誠を誓った精鋭のみが所属しています。数は少ないですが、一人一人が並の兵士の数十倍の戦力を持つと言われています」


「……なるほどね」

 アルベルトは、最も忠誠心の高い騎士たちを最後の盾にするつもりなのだろう。


「……いいわ。私が直接出向く」

 私は黒いフードを深く被り、立ち上がる。


「これ以上の駒は動かさせないわ」

 私は帝国軍と、降伏した国軍を引き攣れ、数年ぶりの王宮へ足を踏み入れた。



       ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 

「……久しぶりね、アルベルト」

 冷たい微笑みを浮かべ、私は彼を見据えた。


「まさか、生きていたとは……」

 アルベルト王太子——いや、今や国王となった彼は、私の前で膝をつく。涙に濡れた瞳で、まるで奇跡を見たかのように私を見つめていた。


 ——死ねと命じたのは貴方なのに、何をお泣きになっているの?

 後悔に染まった彼の表情が、私には滑稽で仕方がなかった。


「私を処刑したことを後悔しておいでですか?」

 私はそっと微笑む。


「エリシア、頼む……もう一度やり直させてくれ」

 震える声で彼は言った。膝をつき、私を見上げる彼の瞳は、かつてないほどに哀願に満ちていた。


「やり直す、ですって?」

 私は微笑みながら問い返す。その声に怒気はない。だが、どこまでも冷え冷えとした響きを帯びていた。


「貴方は私に死ねと命じた。それなのに、何を今更願うのですか?」


「お前がいなくなって……初めて気づいたんだ。お前がどれほど大切だったかを」

 アルベルトの肩が震える。


「まあ、ご冗談を」

 私は小さく笑った。


 この男は、自分の手で私を殺そうとしたというのに、いざ目の前に現れれば、まるで赦しを請うような顔をしている。


「……エリシア、お前は本当に死んだのか?」

 アルベルトの声はかすかに震えていた。


「私が死んだかどうか……本当にわからないのですか?」

 私はゆっくりと彼に歩み寄る。


 すると、アルベルトはまるで亡霊を恐れるように、わずかに身を引いた。


「その手で殺そうとしたくせに?」

 私がそう囁くと、アルベルトの顔が苦しげに歪んだ。その表情を見て、私は心の奥底に小さな満足感を覚えた。


 そう、私は確かに死んだ。

 ——少なくとも、「聖女エリシア」は。


 処刑が決まったあの日。


 私は最後の祈りを捧げるふりをしながら、自らの持つ「破壊の光」を解放した。


 かつて生まれ育った村で流行っていた病、その病魔を「破壊の光」で消し去ってから、それを「癒しの光」と勘違いした者たちによって、私は聖女と祀り上げられ、王都にある大神殿に遣わされた。


 戦地へも派遣され、そこに魔獣の毒で瀕死になっていたアルベルトがいた。その毒を「破壊の光」で消滅させると、彼はたちまち回復し、私を命の恩人だと言って、求婚までしてくれた。


 これは「破壊の光」なのだと告げても、アルベルトは信じなかった。いや、彼は自分が見たいものしか目に映らない人だったのだ。


 それでも、このまま時が過ぎればいいと思っていた。もう少しで結婚式という中、人目を忍んで彼は私を求めた。その頃は彼の為ならなんでも差し出せた。


 だが、結婚式の前日、大神殿にいた神官が私の力は紛い物だと言い出したのだ。それは本当のことだったが、その男は私の力を、王国を破滅に追いやる恐ろしい力だと糾弾してきた。


 私はそんなことには力を使わないと大きな声で言った。愛する彼なら私を信じて守ってくれるはず。


 だが、その願いは薄氷のごとく砕け散った――。


 あの日、処刑場にいた者たちは、アルベルトを残してすべて灰となった。


 そして私は、聖女としての名を捨て、この国を去ったのだ。それから数年、私は遠い地で新たな名を得て、聖女ではなく「黒き魔女」として生き、戻ってきた。


「エリシア、お前が生きていたなら、俺は——」

 アルベルトの言葉を遮るように、私は彼の顎を指先で持ち上げる。


「アルベルト陛下。私を処刑したことを、どれほど後悔しても、過去は変わりませんよ?」


「……」


「でも、どうしても償いたいとおっしゃるのなら、方法が一つだけあります」


「そ、それは?」

 アルベルトの目が希望の光を帯びる。


 私はゆっくりと、彼の耳元に口を寄せた。


「——この国を、私に捧げなさい」

 私は、微笑みながら告げた。


「貴方のすべてを奪って差し上げますわ、陛下」


「な……何をふざけたことを……!」

 アルベルトはカッと目を見開く。


「わかっているぞ、そうやって気を引きたいのだろう? あの日、俺だけを殺さなかったのも未練があったからだ!」

 彼はなぜか勝ち誇ったかのように、笑みを浮かべた。


「……ふっ、あはは……っ」

 私は一拍置いて、見当違いの答えに堪えきれず声を上げて笑う。


 アルベルトは馬鹿にされていることに気づいたのか、むっと唇を曲げた。


「私が貴方を殺さなかったのは、絶望を感じてほしかったからですわ」


 信じていたものが一瞬で崩れ、独り残された気分はどうだったのか、尋ねようとしたが、それ以前の問題だった。


「どこまでも俺をコケにするか――」

 アルベルトが剣を抜き、こちらを睨みつける。彼の前に神聖騎士団がやってきて、王を守る盾となる。


「どちらが正しいのかしらね?」

 私は淡く微笑んだ。その瞬間、黒き魔力が王宮全体に広がる。柱が軋み、床が揺れ、天井に亀裂が走る。


「うわぁっ……!」

 王宮の兵士たちは怯えながら後ずさるが、さすがというべきか、神聖騎士団の者たちは一歩も退かなかった。


「……神聖騎士団まで動かして私を迎え撃つなんて……ふふ、随分と仰々しい歓迎ですのね、陛下」

 私は目を細めた。


「歓迎など……するか!」

 アルベルトは嘲笑しながら剣を構えた。


「貴様のような化け物を野放しにはしない! 偽聖女め!」


 その言葉に、私は笑みを消した。


「偽聖女、ね……。そう呼んだのは、あの時の神官たちだったかしら?」


 玉座の周囲にいた神官たちはびくりと震える。


「そうとも!」

 その中から一人、神官長が一歩前に出た。


「お前の力は神聖なるものではなく、破壊の光! 神の教えに反する邪悪な力だ! あの日犠牲になった者たちへ、その薄汚い命を持って謝罪せよ!」


「薄汚い?」

 私は、片眉を吊り上げ、静かに首を傾げた。


「では、問うわ。あの日、貴方たちは 『神の意思』として、私を処刑しようとした。 それなのに、なぜ私は今もこうして生きているのかしら?」


「そ、それは……!」


「神が本当に私を見捨てたのなら、どうして私は力を失うことなく、こうしてここにいるのかしら?」


「……っ!」

 神官たちは口を噤んだ。


「神の意思とやらが、あの場にいた者たちを見捨てたのではなくて?」


 私が一歩前に出て、手を前に翳すと彼らの足元には黒い亀裂が走り、そのまま魔力が絡みつく。


「や、やめろ——」


「私を裁こうとした貴方たちに、 同じ審判を与えてあげるわ」


 その瞬間、黒い魔力が神官たちの身体を縛りつけた。すると突然彼らの法衣が燃え上がる。


「ぎゃああああ! 私たちは……神に仕える者なのに……!」


 その叫びに目を眇めながら、私はふいに手を下ろした。暗黒の焔は消え、神聖騎士団の一部が彼らの治療にあたるため、数人が退く。


「それは呪いよ。破壊の光でなければ完全に回復することはできない」

 私は冷ややかに笑った。


「……私は神の代行者などではない。でも、これだけは言えるわ」

 復讐の光を宿した瞳が、未だ驚愕に染まる神聖騎士団へと向けられる。


「この世に裁く資格がある者は、罪なき者だけよ」


 アルベルトの盾となっている神聖騎士団の騎士たちは、一様に剣を握る手を震わせていた。


「そんなまやかしが通じると思うか?」

 アルベルトは鼻を鳴らす。


「まやかし……。だったら、お試しになりますか?」

 私は小首をかしげてにこりと笑ってみせた。


「エリシアァッ!」

 眉間に青筋を立てたアルベルトが剣を振り上げ、騎士団を押しのけ斬りかかってくる。しかし、その刃が私に届くことはなかった。


「……愚王め」

 冷ややかな声が、私とアルベルトの間に響く。


 次の瞬間、 銀色の光が舞い、アルベルトの剣が弾き飛ばされて床に刺さった。


「……何?」

 アルベルトが反射的に飛び退(ずさ)るのが、漆黒の背中の向こうに見えた。


「貴様……その紋章はゼルヴァ帝国の……!? エリシアの味方をするというのか!」


「当然だ」

 レオンハルトは微かに眉をひそめた。


「エリシアは、俺が選んだ女性(ひと)だ」


 その言葉に、アルベルトは愕然とした表情を浮かべる。


「貴様ら……!」


 その時、私は静かに口を開いた。


「……ねえ、レオン」


「なんだ?」


「私が何もしないってわかっていたの?」


「ああ。まるでそのつもりがないように見えた」


「レオンに嘘はつけないわね」

 胸がくすぐったくなって、私は目を細める。


「貴方なら、私を助けてくれると思っていたわ」


「……まったく、油断しすぎだ」

 そう言いながらも、レオンハルトの口元にはわずかな微笑が浮かんでいた。


 そのやり取りを見ていたアルベルトの顔がますます歪み、憤怒の色に染まる。


「貴様……貴様ァ……!」


 怒りに身を震わせる彼を、私は冷ややかな瞳で見つめ返した。


「貴方はもう、王ではありません」

 私は手を払い、黒き魔力でアルベルトを拘束する。


「アルベルト。王の名を剥奪し、この国から追放いたします。以後、二度とこの地を踏むことは許しません」


 兵士たちや騎士団、神官たちがどよめく。


「処刑ではなく、追放……?」


「ええ」

 私は静かに微笑んだ。


「死ぬことなど、許しませんわ。何もかも失った人生を、()(つくば)ってでも生き抜くのです。その惨めさを噛みしめながら、己の行いを永遠に後悔し続けなさいませ」

 私はにっこりと笑顔の花を咲かせる。


 項垂れるアルベルトを、兵士たちが連れていった。


「これで、終わりね……」

 私は、ふらふらと王座へと歩み寄る。


「よくやったな、エリシア」

 すぐそばで静かな声がした。


「レオン……ありがとう」


「これからは、君の未来を考えてもいいのでは?」


「……私の未来?」


「ああ。もし君が望むなら、俺はどこまでもついていく」

 琥珀の瞳が、まっすぐに私を見つめている。


 その柔らかな光に、泥濘に沈んでいた心が、ふっと軽くなったような気がした。


「……私は」


 最後に泣いたのはいつだったか思い出せない。それなのに、温かな言葉が胸の奥に染み渡り、張り詰めていたものがゆっくりとほどけていく。


「レオン……」

 震える声が漏れた瞬間、瞳から熱い雫がこぼれ落ちた。


「こんなにも涙が温かかったなんて……」


 レオンハルトは何も言わず、ただ静かにそばにいてくれた。それが、たまらなく心地よくて——私はただ、声を殺して泣き続けた。


「この国を導く姿を、特等席で見せてあげるわね」

 ひとしきり泣いた後、私は目元を拭って立ち上がると、にっこりと笑った。


 聖女でも魔女でもない――私の新たな人生がここから始まる。


 近い将来に夫君となるレオンハルトから、溢れるほどの愛を与えられるなんて、この時の自分はまったく想像もしていなかったのだけれど。


 大地が花と緑で彩られ、穏やかな治世が千年先まで続きますように――。



 ―了ー





最後までお読みいただき、ありがとうございます。


初めて復讐物を書きました。


もしよろしければ、評価、ブクマ、感想をお待ちしています!

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