後の祭り
屋敷に着いたら自室へ一直線へ戻った。馬車から降りたって涙は止まらず、シャルルは誰からも私の顔が見えないようにジャケットを頭にかけてくれて、そのまま自室まで付き添ってくれた。
それでは僕はこれで。失礼します
離れていく手を反射的につかんでしまった。
「だめ。もうちょっと一緒にいて」
筋肉量のあるシャルルが抵抗すれば、私の手くらい簡単に振り払えるくせに、彼はそんなことはしない。優しい性格をしている彼はそんなことできないんだろう。
なんて、シャルルの優しさを利用するような形で部屋に連れ込んでしまった。まぁ、どうせ私を貰ってくれる人はいないし、別に問題ないはず。いや、シャルルの方は問題かもしれない。私は一生独身貴族でもいいけれど、シャルルは嫁を取る予定があるかもしれない。私は急いでシャルルの腕を離した。
「あっ、ごめんなさい。困っちゃったよね」
帰ってもいいよ。本当にごめんなさい。と伝えてジャケットを返そうとする。でもシャルルはジャケットを受け取らずにそのまま立ったまま。もしかして、嫌われちゃったかな。
私は何も言えなくなって、また俯いてしまった。本当に駄目だなぁ。私。これだから婚約破棄なんてされるんだ。
そんな私を見て何を思ったのか、シャルルは失礼します。と言って私を抱きかかえ、椅子に座らせた。
こんなふうに抱きかかえられたのはお父様以外は初めてだった、はず。だって、殿下はそんなことしてくれなかったし、そもそも手を取ってくれたことがあるかどうか。
なんで、この人は私なんかに優しくしてくれるんだろう。一応長い付き合いではあるけれど、そのうちのほとんどは主従として過ごしてきた。そこに特別な感情なんてないし、そんなものを持ってはいけなかった。だって、私があのまま殿下に嫁いだら、その感情も虚しく散ってしまったのだから。
タオルをもらって、背をさすられながら涙を拭っていると、不意に扉の開く音がした。きっと、お父様が私を呼んだんだ。もうお父様の耳にも婚約破棄の話は入っているだろうし、今後のことを考えないと……。
「お嬢様。ご主人様がお呼びです」
私専属のメイドのオフィーリアが私の前に立ち、何も言わずに涙を拭うのを手伝ってくれた。本当に、私はいつも誰かに助けてもらってばっかりだ。
泣き止んでから私はお父様の待つ書斎に向かった。先に部屋を出て行ったシャルルと入れ違いで書斎に入ると、正面で書類を片付けていたお父様と、お母様が私の方を向いた。
座りなさい。とソファに誘導され、座ると、向かい合うようにお父様とお母様も座られた。
「……ごめんなさい、お父様」
謝らなきゃいけない気がしたと思えば、すでに私はお父様に頭を下げていた。
「なぜおまえが謝る。お前はちっとも悪くないだろう?」
そんなことはない。私がせっかく王族と縁を持つチャンスを水の泡にしてしまった。引き止めれなかった私が駄目なんだ。
「お父様とお母様がかけてくださった10年間分のお金も、時間も何もかも無駄にしてしまいました。本当に申し訳ございません」
「……カルミア、辛かったでしょう。今日はいくらでも泣いて、吐き出してもいいのよ」
さっきまで何も言わなかったお母様がそんなことを言った。
捨てられたことが悔しくて、奪ったアルメーヌと、それに奪われたシリル様が憎くて。でも、簡単に奪わせてしまった私が一番憎い。政略結婚に近い形だったとはいえ、10年間も婚約者として一緒にいたはずなのに、あっけなく捨てられた自分が惨めで愚かで。もし、私にアルメーヌのような可愛げがあったなら、あの人の隣に立っていたのは私だったのだろうか。
あぁ、今になってこんなこと思うなんて、私は本当はあの人のことが好きだったんだ。
「私の、どこが駄目だったんだろう……。あの人のために10年全部捧げたっていうのに……」
視界がまた滲んで、それを見られないようにまた俯いた。なんで、なんでシリル殿下は私じゃなくて、アルメーヌの方を選んだんだろう。可愛いから?か弱くて守ってあげたくなるから?それとも……。
そういえば、ちょうど1年前、妃教育で登城した日、庭であの2人を見た。木の陰に隠れてよく見えなかったけれど、今思えば、あのとき密会していたんだ。あんな真昼間から、婚約者だった私の目に入る可能性のある場所で。あの密会は何回目だったんだろう。きっと、それ以前も以降も2人は密会している。そんな前から私から離れていってたんだ。
滲んだ視界には強く握ったせいでできたドレスの皺がぼやけて映る。嗚咽にかき消されてもう何も言えなくなった私をお母様は抱きしめてくれて、さらに息が詰まった。
……今回の件で私はしばらく休養を取ることになった。部屋に戻るとすぐに風呂に入らせてもらって、いつもよりも随分と長風呂をした。夕食はいつもの半分も食べられなかった。
夜もなかなか寝れなかったから、少し前の誕生日に女王陛下から頂いた小説を読んだ。義理の母になるはずだった女王陛下には良くしてもらった。もう登城できないだろうから、せめて手紙で挨拶だけでも済ませなきゃ。
まだ眠くならないから。と、私はペンを取って手紙を書き始めた。
手紙を書き終わったのは日が昇り始めたころだった。