第一幕 城塞都市 ①
〈ライヤ視点〉
ガタン、ゴトンと、不規則な振動に揺さぶられて。
追憶の水底に沈んでいた意識が、
ゆっくりと浮上していく……
「……お目覚めですか?」
耳をくすぐる鈴色の声音。
瞼を開けば、瞳に映るのは絶世の美貌。
均整のとれた鼻梁。雪花石膏の柔肌。薄い唇。細い顎。精人特有の、細笹じみた長耳。
形の良い扁桃型の瞳に収まるのは、慈しみを湛えた翡翠の瞳。しかし美しき緑月はひとつだけで、反対側は黒の眼帯で覆われており、そこにライヅ一門であることを示す、稲妻家紋が埋め込まれていた。
頭の左右で結えられた黄金稲穂の長髪がサラサラと揺れて、身に纏う、神樹教の神官服に映えている。
「……ぬ、エルか。すまん寝ておった」
「いいえ兄さん、問題ありません」
微睡ながら呟いたのは、般若面にて顔の下半分を覆い隠す、和装の大男――ライヤ。
見上げる視点から、どうやら自分は船を漕いで、膝枕をされているらしい。
起きあがろうとする身体を、彼を兄と呼ぶ精人の少年――エルクリフが、そっと押し留めた。
「まだ寝ていても大丈夫ですよ。もうしばし、お休みを」
「ぬう……しかし、重くはないか?」
「いいえ、むしろ心地いいくらいです。弟冥利に尽きます」
そんなことを言って。
本当に嬉しそうに、
ニコニコと微笑む美貌の少年。
世の女たちの理想を凝縮したような傾国の笑みが注がれるものの、すでに慣れきっているライヤは「そうか」と脱力し、あっさりと瞼を閉じてしまった。
「……すう」
義弟のことを信じきっているため、
穏やかな顔つきの義兄を……
「…………」
翡翠の瞳が、瞬きもせずに見つめている。
鑑賞するように。
観察するように。
監視するように。
「……夢を、見ていた」
そうした視線を気にした訳ではないが、
ぽつりと、ライヤが呟いた。
「懐かしい、夢でござった」
「というと、もしかして、僕たちが出会ったときの夢でしょうか?」
「いいや違う。我が主君の夢だ」
「……」
周囲の気温が低下する。
原因は光の消失した、
氷点下の隻眼から発せられる『圧』だ。
魔力的な干渉さえ伴うそれはふたりを乗せた幌馬車をギシギシと軋ませ、牽引する馬たちを『『ブヒヒヒイインッ!』』と怯えさせる。
気にも留めていないのは、魔力抵抗が凄まじく高いライヤのみ。
「……いや、そうだな。しかし最後に、オヌシのことも出てきたぞ。そうだ、確かにあれは、我らの出会いの日でもあったな」
「……そう、ですか。うん、やっぱりそうですよね。僕と兄さんの、大切な思い出の地ですものね!」
翡翠にふたたび温度が宿る。
馬車も安定を取り戻した。
そこで閉じていた幌の出入り口が揺れて、
ふたりぶんの顔が内側を覗き込んでくる。
「……あ、あの、何か、問題でもあったのでしょうか?」
一方は、額から鬼角を生やす鬼人だ。
二メートル近い背丈。相応に肉のついた身体が纏うのは、東方伝来の和装であり、大きく実った胸元を、サラシでぎゅうぎゅうに引き締めている。
両腕にはそれぞれ、肘先から手の甲までを覆う、黒鋼に金と銀で装飾を施した籠手。手の甲で輝く宝珠が、それらが魔導具であることを主張していた。
大柄な肉体に相反して顔つきはまだ幼く、
少女であることが見てとれる。
やや丸みを帯びた太眉の下、気弱そうな紫苑の瞳が、忙しなく左右に泳いでいた。
後ろで結えられた若草色の癖毛が、風に吹かれた新緑のようにゆらゆらと揺れる。
そうした新芽に埋もれるようにして、頭部で鈍く輝くのは、ライヅの家紋を模した髪飾りだ。
「あはは、だから言ったじゃないっスかー。気にするだけ損だって」
不安げな表情を浮かべる鬼人の顎下から響く笑声は、皮肉の笑みを浮かべる、小柄な暗褐色肌の精人のものだった。
肌面積の大部分を男物の和装で覆い隠した鬼人と対照的に、こちらは身軽さを重視して、要所のみを革鎧で覆った軽装である。
紅玉の瞳。形の良い柳眉。小ぶりな鼻筋に、薄紫の紅を塗った唇。短く切り揃えられた、月光の光沢を放つ銀髪。そこから伸びる笹耳の左側には、稲妻家紋を模していた耳飾りが垂れていた。
また種族特有の整った顔だちの左側面には、瞳と蛇を模した、白線の刺青が刻まれている。
それを悪戯童女めいた笑みが歪めており、鬼人の血が混じっているのか、口元から覗く鬼牙めいた八重歯が、そうした少女の無邪気な印象を強めていた。
「どーせまたオジサンが、どうでもいい癇癪を起こしただけっスよ」
「……」(ピクっ)
「だ、ダメだよう、クロちゃん! エル兄様に、そんな口の利き方しちゃあ!」
無礼な物言いに、白精人の隻眼が細まる。
翡翠の瞳から放たれる、射殺すような視線。
巻き添えを食らった大鬼人の男装和服少女が慌てふためくが、当人である黒精人の少女はむしろ、挑発の笑みを深めた。
「いやだってえ? 事実は事実ですしい? まだ二十代のジブンからしたら、四十超えたオトコなんてみんなオジサンっスよお。……あ、トーゼンですけど、お館サマは別っスよ? むしろその熟したダンディーさがそそるっス! 是非ヤらせてください!」
「……あまり調子に乗ると、仕置きですよ?」
「ははっ、上等っス。返り討ちにして、次からお館サマの膝枕係はジブンのものっスよお!」
「あわわ、エル兄様落ち着いてえ! クロちゃんも、煽らないでえ!」
長命種として知られる精人は、その外見年齢が、他の人族と一致しない。しかし同種族においては魔力量などから、相手の年齢を正確に推し測れるようであり、只人からすればまだ十代前半にしか見えない精人たちの舌戦に、巻き込まれた鬼人があわあわと慌てふためいた。
「……騒々しい」
だがそれも、鶴の一声にて一転。
今度こそライヤが身を起こすと、白と黒の精人が浮かべていた絶対零度と小悪魔の笑みは、瞬く間に朗らかな太陽へと転じた。
「兄さん、もう起きられるのですか? まだ寝ていても大丈夫ですよ?」
「お館サマ! おはようございます!」
「え、ええ……ええええ〜……」
取り残された鬼人の少女だけが、
渋面を浮かべている。
「ん、もう十分に寝た。それにクロとハルよ、周囲の警戒は良いのか?」
「ハイですお館サマ! ついさっき、魔獣が出る地域は抜けたっス!」
「あ、あとは、街道沿いに進むだけなので、もう四刻もすれば、ブルタンク領に到着するかと」
「うむ、見張りの任、ご苦労であったな。褒めて遣わす」
そう言ってライヤは、いそいそと幌馬車の中に入り込んできた二人組――黒精人の少女クロイアの銀髪と、大鬼人の少女ハルジオの癖毛を、節くれだった左右の手でわしわしと撫でる。
「えへへへへ〜」
「んふっ、ふふふふふっ」
ふにゃふにゃと相好を崩して、
だらしなく笑う少女たち。
ライヤの脳裏に、
在りし日の主君が浮かんだ。
――いいか、ライヤ。とにかく女の子は褒めろ。
――あと子どもは、褒めて伸ばせ。
――頭とか撫でてもいいから、言葉と態度で示すんだよ。
やはりその玉言に間違いはない。絶対の真理を噛み締めるライヤの背後で、放置されたエルクリフだけが、不満そうに頬を膨らませていた。
(しかし、ブルタンク領……あれからもう、十五年も経つのか)
目を細め、過去を懐かしむ。
なにせつい先ほど、過去夢で最後に出てきた場所。義弟が『思い出の地』と称した城塞都市、ブルタンク領。それは十五年前、ライヤが今世において、前世の記憶を取り戻した場所であった。
【作者の呟き】
ようやく登場した男の娘!
精人種、白精人の少年、エルクリフ。
金髪ツインテ眼帯ヤンデレ義弟属性で神官服を装備と、作者の癖を過剰搭載しましたが、後悔はしていません。