第一幕 泡沫の追憶 ②
〈ライヤ視点〉
「えっ!? はっ!? 熊を、こ、殺した!? グロいしクサッ……じゃなくて、うええ、なんでサムライ!? コスプレ!? まさかこれ、盛大なドッキリだったのおおお!?」
「なんじゃなんじゃ、こやつ、何を申しておる?」
「聞き慣れぬ言葉……もしや、渡来の者か?」
「なれば此度の変事、異国の間諜どもによる策謀に相違なし」
「良し分かった、ならばチェストじゃ不届者め! そっ首叩き落としてくれようぞ!」
「はあ!? お、おサムライさんたち!? め、目が怖いですよ!? お願いだからカタナをしまってええええ!」
この後に及んでなお、腰を抜かして右往左往する不審者を、即断即決を是とするライヅの武士たちが刀を構えて包囲する。
瞳には冷静な殺意が満ちており、間も無く異国の間諜と思わしき少年の首は、胴から離れて地面に転がり落ちる筈であった。
「……待て、皆の衆」
寸前で静止をかけたのは、それまで事の成り行きを見届けていたライヤである。
その眼に見切れぬ技は無しと評された天才剣士の視線は、先ほど熊型妖魔を両断し、待機していた調査隊の面々がこうして少年を取り囲むまでのあいだ、その姿を、機微を、一挙一動を、具に観察していた。
そして結論。
「少なくともこの者の怯えは、本物でござる。そしてこの醜態も、まあ、演技ではなかろうて」
流石に如何な芸達者とて、
演技で糞便を漏らしはしまい。
仮にこれが皆の目を欺くための擬態なら、
天晴れなものだと感心すらする。
「なればこの場は一時その身柄を捕縛して、お上に献上するのが、上策であろうよ」
「そんな! そのような悠長な一手間、ライヅのサムライらしからぬぞ!」
「そうじゃそうじゃ! 何かが起きてからでは遅い!」
「疑わしきはチェストせねば!」
「応とも! 悪、即、チェストじゃ!」
とはいえ、いかに正論を述べたところで、一度火のついたライヅ武士を治めることは容易ではない。
さりとてライヤも、ライヅのサムライ。
扱い方は心得ている。
「ふむ……ということは、オヌシらはこう言いたいわけだ」
「「「「 …………ッ!? 」」」」
次の瞬間、この場において最も若輩であるはずの少年から、数々の妖魔を討ち取ってきた強兵たちをして言葉を詰まらせるほどの、ビリビリと肌を突き刺すが如き濃密な殺気が放出された。
「万が一にも……雷刃衆がひとり、このライヅ・ライヤが、この程度の者に遅れをとるとでも?」
「そ、そんな……っ!」
「我らライヅのサムライに、雷刃衆の御技を疑う故無し!」
「そこな牛蒡など百人束になったところで、ライヤ殿に指一本触れられぬわ!」
「そうじゃ! このような糞漏らし、チェストする価値も無し!」
「ならば結構」
そこでライヤは氣を織り交ぜた殺気を納め、
代わりに、人好きのする笑みを貼り付けた。
「それに心配はご無用。お上に引き渡すまでの間、此奴の身柄は某が見張る由」
「おお、それなら安心じゃあ!」
「それよりも先ほどの殺気……お見事! 噂に違わぬ剣鬼の冴えよ!」
「まさしくまさしく! ワシなどは、金玉が縮み上がってしもうたわい!」
「ふはは、実はワシもじゃ! 見よ、まだ肌が粟立っておる!」
退魔武家において、
武力とは最も尊ばれるもの。
とくに戦場での手柄を至上の誉れとするライヅ家にとっては、強者の意思は自然の摂理に等しく、この場においてもっとも上位者であることを示した若武者に、逆らう者はいなかった。
どころか「ワシは糞を漏らしそうじゃったぞ!」「がはは、やめておけい!」「これ以上は臭うて敵わん!」「糞漏らしはひとりで十分じゃ!」などと上機嫌にはしゃぎながら、退魔武士たちはそれぞれ刀を納めていく。
「……」
ライヤはそうした遣り取りを横目に、ポカンと間抜けに口を開く、少年のもとへ足を向けた。
「……と、いう訳だ。オヌシの身柄は一時、某が預かる。異論はないな?」
「へ? あ、うん。どうぞ、よろしくお願いします……?」
現状を理解しているのか、いないのか。
明らかに流されるままに口にしたとわかる、
なんとも気の抜けた返答だ。
毒気を抜かれてしまうが、そこでふと、
ライヤはあることに気がついた。
「オヌシ……某のことを、畏れておらぬな?」
「ふえ?」
ライヤにとってはほんの小手先とはいえ、死線に慣れた退魔武士が慄くほどの殺気となれば、免疫のない民草などはその場で卒倒してもおかしくはない。それなのにこの少年は、混乱こそしているものの、ライヤの瞳を正面から見つめ返しており、そこに怯えの色は読み取れなかった。
(意外と図太いのか、底抜けに鈍感なのか……)
どちらにせよ、稀有な性質ではある。
そして……この時点においては、
本人すら自覚していないものの。
人との付き合いに長らく倦んでいたライヤにしては珍しく、僅かとはいえ、他人に興味を覚えた瞬間であった。
「俺が、キミのことが、怖いかって?」
そうした天才剣士の機微など梅雨知らず。
覚束ない足取りで、少年が立ち上がる。
「そりゃあまあ、あんな怪物を真っ二つにしちゃうし、あんな強面なおサムライたちを相手に意見を通しちゃうくらいだから、ものすごーく強い人間なんだろうけど……」
少年は尻部の異物を気にしてか、極端に腰を引いた姿勢をとっていた。
そのため自分よりもやや背の低いライヤと目線を合わせる形となりながら、にっこりと、屈託のない笑みを浮かべる。
「……これでも一応、年上の男だからさ。あんまり年下に、情けない姿は見せたくないんだよね」
「……は?」
告げられた言葉に、ポカンと、
今度はライヤが口を開いた。
たとえ目前に死が差し迫っても、眉ひとつ動かす事のない剣鬼をして、じつに数年ぶりの変事である。
「い、今、なんと? オヌシが、某よりも、年上……?」
「え? いやだってキミ、妙に迫力あるし、ビビるほどのイケメンだけど、まだ十代の半ばくらいでしょ? こう見えても俺、今年で二十歳の大学生だからさ。確実に俺のほうが年上じゃん? 昔からチビたちの世話してるから、そういうのわかっちゃうんだよねー、俺」
「……」
はたしてこの少年……否、当人の言葉を信じるならこの青年は、いったい何を言っているのだろうか。
この場において、年齢の上下など関係ない。
仮に年齢が上でも、彼を敬う道理はない。
そもそも糞を漏らした時点で、威厳もクソもない。
それでもこの青年は、彼の中の常識に従って、
年下であるライヤの前で、懸命に見栄を張ってる。
それが年長者の、義務であるとでもいうように。
「……ぶふっ」
「……おい」
「ぶはっ、ふはははははははははっ!」
「おいおいおいおいおーいきみーい、なーに大爆笑してくれちゃってんですかねえ!? 本人を前に失礼すぎない!?」
面白い。
余りに支離滅裂が過ぎて愉快に過ぎる。
たとえ都の狂言でも、これほど無茶苦茶な演目はあるまいて。
(ま、まるで、ここではないどこかに生まれ落ちたかの如き、頓狂な御仁でござるな!)
妖魔が蔓延り、常に命の危険に晒され、何よりも武が尊ばれる現世にて、如何にしてこのような珍妙な感性の持ち主が生まれ育ったのか、ライヤには皆目見当がつかない。まだ狂人の類であれば納得できるが、彼ら独特の危うい気配を、青年からは感じられない。
つまり正気のまま狂っている。
それこそ、ときに死狂いなどと呼ばれる、自分たち《サムライ》のように。
「し、してオヌシ、名は?」
「……ジュリだよ。オワリ・ジュリ」
「ん……ジュリ、ジュリか。確と覚えた。某はライヅ・ライヤ。以後よしなに」
「ライヤくん、ねえ……まあ、よろしく」
そう言ってジュリと名乗った青年は、
差し出されたライヤの手を握り返す。
「「「「 ……っ!? 」」」」
その所業に、二人の遣り取りを見守っていた周囲の対魔武士たちが、一斉に目を剥いた。
何せ武士にとって面子とは、
命よりも重く置かれるもの。
ゆえに名門武家の神童であり、超一流の退魔武士としても名を馳せるライヤに対して、今すぐその首を斬り落とされても文句の言えない立場の不審者が、無礼極まる言動をとりまくったうえに不承不承といった態度で握手を交わす光景は、勇猛と名高いライヅ武士でも絶句してしまう他ない。
怒り狂う虎の口に頭を突っ込んで、
尾を踏みつけるようなものだ。
命知らずにも程がある。
愉快そうに目を細めるのは、今度は演技ではなく本心からの笑みを浮かべる、当の天才剣士のみ。
「……あー、それでライヤくんよ」
「ん、なんだジュリ」
「いい加減……ガマンの限界なんで、そろそろ下着、洗いに行かせてもらってもいいかな?」
「…………ぶっ」
そして今度こそ、ライヤの腹筋は崩壊した。
【作者の呟き】
ライヤくんはチョロイン属性でした。