第三幕 悪食姉妹 ①
〈トルクト視点〉
「んー、でもこれからは、『皮剥ぎ』と呼んでほしいねえ。『悪食姉妹』の姉のほう、『皮剥ぎ』ベロアさんだよ。よろしくねえ」
そのような自己紹介を口にする間にも。
寸前まで彼女が纏っていた犬人騎士の特徴――髪色や肌質、声音や体臭、体型や犬耳といった要素が、見る間に『剥がれ落ちて』いく。
髪が抜け、背が縮み、肌色が変わって、最後に残ったのは、獣人の特徴など全く持ち合わせていない、只人の女であった。
魔法による変身。
だが見た目だけでなく体臭や魔力まで対象に似せる変身など、精人が操る高度な変化魔法でも不可能だ。
しかもそれを行ったのが生来の能力値で他人種に劣る只人であるのなら、答えは明白。
「クソッタレが。てめえ〈祝福〉持ちだな?」
「お〜、ぱちぱちぱち。だいせいかあ〜いっ」
精人と比しては魔力。
獣人と比しては筋力。
鬼人と比しては魂力。
そのいずれもが他人種に劣る只人にだけ、
ごく稀に与えられる特別な才能。
それが〈祝福〉。
個人特有の才能である固有魔法であるため、他者に伝授することは難しいが、それゆえに他の魔法体系を凌駕するとされる、極めて強力な魔法が、あの変化魔法の正体だ。
「アタイの〈祝福〉お……〈呪貌貼付〉って呼んでるのだけれどお、すごいだろお? ただ見た目が変わるだけならフツーの変化魔法だけどお、アタイの〈貌呪貼付〉は相手の体格や体臭、魔力に魂力、記憶の一部まで真似できちまうのさあ」
「はっ。その代わりに必要になるのが、悪趣味な触媒ってわけか?」
状況は、待ち伏せをされていたこちら側が不利だ。
ならばまずは時間を稼ぎ、情報を集める。
幸いにしてあちらは自らの優位性を確信しているのか、お喋りに興じてくれるようだ。
それならばこちらの利となると踏んで、会話に応じたトルクトであるが、直後に『顔剥ぎ』を名乗る女の顔が、ニイイ……と邪悪に歪んだ。
「うん、うん、うん、そうだよねえ、やっぱりそう思うよねえ。こんな『ブッサイク』な顔、見ていて気持ち悪いよねえ。ごめんねえ。相手のあらゆる特徴を複製できるアタイの〈貌呪貼付〉だけどお、面倒なことに、その触媒には『本人の顔』を剥いで使わなきゃいけないんだよお」
「……あ゛?」
「どうせ化けるんなら、ブスよりも美人のほうが気分いいよねえ」
吐き捨てて。
つい先程まで友の顔を貼り付けていた女は、地面に落ちたそれを、汚物のように踏み躙る。
彼女の言を信ずるなら、本人の顔から剥いだそれを、心底気持ち悪そうに、唾棄する。
「ああ。イヤだイヤだ。ほんと、ブスやブサイクに生きてる価値はないよお。そういう連中に限って、ちょっと褒めそやしてやれば、すぐに調子に乗るんだから笑えるよねえ。このブスもさあ、アンタの妹を探すためだっけ? 街に降りてきたところをうちの男娼どもが色仕掛けしたら、ホイホイと尻尾振りながらついてきて――」
「――テメエえええええっ!」
気づけば視界が真っ赤に染まり、
駆け出していた。
喉の奥から込み上げる怒りが、
咆哮となって迸る。
怒りに身を任せて前に出るなどと、部隊を預かる者としては失格だろう。だがそれでいい。構わない。騎士である前に、自分はあいつの友人だ。友達なんだ。くだらないことで諍い、笑い、泣いた、大切な仲間なんだ。
それをああも侮辱されて黙っていられるほど、ブルタンク家の女はお行儀良くない。
そんな領主の元に集った騎士たちもまた、似たり寄ったりの性格であった。
「テメエ、ブッ殺してやるにゃ!」
この、自分と同時に飛び出した、
副官のように。
いや、彼女だけではなく獣人騎士の全員が、仲間の仇を討たんと駆け出していた。
「っ!」「トルクト隊長に続けえ!」「猛牛の陣だ、皆、突げ――」「――うおらあああいっ! 邪魔すんなザコどもおおおおっ!」
けれど、その足並みが揃う前に。
ビリビリと大気を震わせる雌叫びが、
森の空き地に轟いた。
「――っ!」
「にゃっ!?」
「ガハハ、テメエらの相手は、このオレサマだあ!」
鼓膜に衝撃を与えるほどの大音量を伴って、トルクトとネルコの行手を遮ったのは、両手に大刃の曲刀を備えた虎人の大女である。
獣人らしくほとんどの素肌を露わとした軽鎧姿で、身の丈は百八十センチといったところ。種族特徴である虎耳と虎尾が、血気盛んに逆立っていた。
「どおっせい!」
勢いのままに大柄の両刀使いは左右の刃を振り抜き、それぞれの武器で一撃を防いだ獣人騎士らを、尋常ならざる膂力を以て弾き飛ばす。
「……くっ、そが、なんつー馬鹿力だよ!」
「邪魔すんにゃ、空気読めない雌虎!」
悪態を吐きながら即座に体勢を立て直しつつ、周囲を確認すると、自分たちの後方で出遅れた騎士たちと、足止めの闇ギルド構成員が交戦していた。
(クソッ、分断されちまった……っ)
瞬間的に沸いた熱が引いて、
冷静な思考で判断する。
だが友を辱められた激情は未だ熱く煮えたぎっており、このまま一旦退却などはあり得ない。
あいつは必ず、この手でぶちのめす。
そうした気概を、視線を交わした猫人騎士からも感じ取った。
よろしい。ならば目の前の邪魔者は二人で蹴散らそうと、戦意を漲らせて睨みつけるが――
「――おいおい。空気を読んでねえのは、テメエらのほうじゃねえか?」
騎士たちの視線を受ける虎人は、
余裕の態度。
獣人特有の鋭い犬歯を覗かせる口元には、
嘲笑すら浮かべている。
「だってほら、あれだよ、あれ。こういう時はさあ、ほら、えっと、騎士サマはまずは互いに名乗りをあげて、武威を誇って、経歴を自慢して、それから……姐御お、そのあとどうすんだっけ?」
「知るかいお馬鹿。アンタは脳みそまで筋肉なんだから、難しいことは考えるんじゃないよお」
「おお、それもそうだな! さっすが姐御お! アっタマ良いな!」
「……はあ。アンタに褒められても、ぜんぜん嬉しくないねえ」
「なんでだよっ!?」
振り向いて、驚きの表情を浮かべる虎人。
その隙を見逃してやる道理などない。
獣人騎士たちが再び地を蹴る。
「でもよお、姐御お!」
完全に死角をついた奇襲を苦もなく、視線を背後に向けたままの虎人は、易々と弾き飛ばした。
「「 ……っ!? 」」
間髪入れずにトルクトは戦斧を用いた重量のある攻撃を、ネルコは両手の双短剣による速度を乗せた攻撃を繰り出すが、それら質の異なる斬撃を、両刀使いの剣士は目視もしないまま、左右で見事に捌いてしまう。
(っ! コイツ、めちゃくちゃ強ええ……っ!)
牛人騎士の胸中に初めて、
怒り以外の感情が滲んだ。
一方で虎人の双剣士は余裕を崩さぬまま、
姉妹間での会話を続けている。
「こいつら、マジで、弱いぜえ? 本当に、こんなのが、領主んトコの、騎士サマ、なのかよお?」
「おいこら、ご本人サマを前に、そう言ってやりんさんなよお。失礼じゃないかあ。それにここは、アタイらが暴れていた王都とは違うんだあ。田舎の地方領地でイキってる騎士サマにしちゃあ、上等ってもんさねえ」
「ガハハハ! それ、姐御の方が、絶対バカにしてるよなあ!」
「あ、わかるう?」
「……ちいっ!」
「……コイツ、にゃっ!」
ギイインと大きく刃を弾かれたのを機に、猫人騎士と足並みを揃えて後ろに下がる。双剣士の間合いから抜けたことを確認して、トルクトは目配らせ。ネルコもすぐに頷き返してくれた。
(……ムカつくが、地力はあっちのほうが上。なら短期戦で、一気にケリをつける!)
大きく息を吸い、
鋭く深く吐き出して。
呼吸を整え、魔力を練る。
体内を血流が巡り、体内魔力が行き渡って、発動させるのは、魔力操作を苦手とする獣人が例外として用いる種族魔法。
変化魔法に分類される〈細胞変化〉だ。
「「 ……っ! 」」
個体差はあるものの、使用した獣人の『獣としての特性』を強化する魔法によって、トルクトの場合は全身と頭部の牛角がひとまわり以上も肥大化。
身体を覆う伸縮性のある白布地が、
ミチミチと悲鳴をあげる。
ネルコの場合は全身の獣毛が伸びて、骨格も変化。
顔の造形が猫のそれに近くなり、だらんと両手を脱力させた前傾姿勢は、まさしく獲物に飛び掛からんとする大型猫獣であった。
「……ん、おお、ようやく本気を出しやがったか!」
そうした変化魔法を使用する、
騎士たちに呼応して。
相対する虎人が発動させた魔法は、
さらにその一段上である。
「そんじゃこっちもいくぜえ、〈細胞変化・戦虎武人〉っ!」
魔獣討伐などによる経験値を得た超人が使用するという、〈細胞変化〉の上位互換。
使用者の『獣としての特性』をより強く、濃く、増幅させる魔法によって、虎人の顔は完全に猛虎へと変化。
身体中を獣毛が覆い、筋肉が膨れ上がり、胸部に巻いていた布が引き絞られて紐のようになる。手と足の先には、分厚い鋭利な五爪が生えていた。
お互いに変化魔法を使用して、変化した肉体に意識が馴染むまで、およそ三秒ほど。
突如として発生した暴風のような魔力圧に、後方で戦闘していた騎士団と闇ギルドも手を止めて、事態の推移を窺っていた。
数多の視線が集中するなか、
先手を取ったのは、虎人の双剣士だ。
「いくぜいくぜいくぜえっ、悪食姉妹の妹分、『骨喰み』ゴルディ様のお通りだああああッ!」
地を蹴り、一足にて距離を詰めてきた猛虎が、左右の曲刀を乱舞させる。
速く、重く、鋭い刃の嵐が、
咄嗟に得物を構えた騎士たちを襲った。
ギギギギギギギンッと、途切れることない金属の悲鳴に圧されて、僅かに、トルクトの体幹が乱れてしまう。
「よいしょおッ!」
すかさず刃を交わす三名の中でもっとも巨躯を誇る虎人が、もっとも体重の軽い猫人を、防御の上から埒外の膂力を以て弾き飛ばした。
両手の短剣で受けたものの、たまらず後ろに吹き飛んだネルコから視線を外した猛虎の瞳は、獲物を狩る、狩人の嗜虐に染まっている。
(やっ、べ……ッ!)
脊髄を特大の悪寒が貫くが、全力で戦斧を振り回していた身体の慣性と、ほんの僅かな重心のズレが、それに応えることを許してくれない。
発汗に冷や汗が混じるよりも早くに、目の前にいてなお見失うほどの速さで身を下屈めた虎人が戦斧の刃を掻い潜ると同時に、ガラ空きとなった牛人騎士の足を払う。丸太で振り抜かれたような衝撃。骨が軋み、姿勢が崩れる。慣性が暴れ、乱れた体幹では、振り抜いた戦斧を引き戻すことができない。
そうしてできた隙間に悠々と、
血を欲する双剣士の刃が滑り込んで――
「ちぇすとお!」
漆黒に染められた手甲が、
その刃先を弾き飛ばした。
【作者の呟き】
〈細胞変化・戦虎武人〉
拙作では悪役ですが、見た目は某国民的プロレスラー的なアレです。




