第三幕 討伐任務 ③
〈トルクト視点〉
一瞬の交錯にて、
熊型魔獣を圧倒した少女は。
「…………」
残心の姿勢を保ったまま、表情だけは気弱そうに、沈黙した魔獣を見下ろしている。
「「「 ………… 」」」
異様なその光景を。
絶句する獣人騎士たちはおろか、
『『『 ………… 』』』
周辺に控えていた魔獣たちでさえ、
ただ呆然と見つめていた。
「……んー、ハル、ちょっと技のキレが落ちてないっスか? もしかして太った?」
「……っ!? ふ、太ってないよ! 太ってないから!」
「お、自爆。さては自覚アリっスね」
「い、いやいや、たしかに、街のご飯は美味しかったけど! でも食べたあとにちゃんと、運動したもん! ライ兄様にいっぱい稽古つけてもらったもん! だから絶対、太ってないから! ね、ライ兄様!? ねっ!?」
そんな凍りついた空気の中で、ライヅ一門だけが、能天気な会話を交わしている。
まるでこれが、
日常風景だとでもいうように。
(……いやいや、おかしいだろ、コレ? え、なにこれ現実っ!?)
猪型や蜘蛛型といった、中位の魔獣が相手なら、百歩譲ってまだ許容できる。
しかし上位の魔獣である巨熊までをも、ああもあっさり屠ってしまってはダメだろう。
それは駄目だ。
理解の外だ。
もしそんなものを認めてしまえば、それらに対して複数名で挑み、命を賭して勝敗を争っている冒険者や自分達の、立つ背がない。存在が、努力が、過去が、矜持が、全否定されてしまう。
(いや、それよりも……怖いっ!)
武人として、根本的に。
人間として、根幹的に。
生物として、根源的に。
自分たちと異なる存在が、恐ろしい。
自分たちを否定する強者が、怖ろしい。
自分たちの生殺を握る上位者が、畏ろしい。
(こんなのが普通にいる領地とか、控え目に言っても地獄だろ!?)
生まれてこのかた、ほとんど故郷である地方領地から出たことのないトルクトであるが、少なくとも今後、可能な限りは、魔境である辺境領地には近づかまいと、心に固く誓った。
「……いやさ申し訳ない、トルクト殿。久々の腕鳴らしとあって、皆少々、浮ついているようで御座る」
とはいえ、いくらこちらが気をつけても。
向こうからやってきてしまっては、
どうしようもないのだが……。
「……っ!」
当人としてはそのつもりはないのだろうが、ほとんど気配を感じさせず、いつの間にか傍に並んでいた蛮族一味の首魁に対して、咄嗟に悲鳴を飲み込んだ自分を褒めてやりたい牛人騎士である。
「……? トルクト殿?」
「い、いや、さすが、魔獣が跋扈する辺境領地にて名を馳せる、ライヅの門弟。見事なお手前ですな!」
「ふふっ。そのように仰っていただけると、おもはかゆい限りですな」
トルクトの見栄を気にした様子もなく、
ぞりっと、般若面の下の顎先を撫でる大男。
「所詮、拙者らは刃を振るうことしか脳のない、戦狂いにて。過分な評価は、痛み入りまする」
そのような社交辞令を口にする大男の背景では、彼の門下生たちが、硬直から復帰した魔獣を次々と狩っていた。
いかに実力差を思い知らされたとしても、母樹が文字通りの生命線である以上、子である魔獣たちに撤退の選択肢はない。
それを理解している少女たちに容赦はなく、あるいはそれこそがせめてもの救いであるとでもいうように、一方的な虐殺が展開されていた。
(とにかく、彼らの機嫌を損ねることだけは避けよう。そして協力的なうちに、できるだけ魔生樹を討伐して――)
と、不意に血生臭い風が吹いて。
(――むっ)
嗅覚に優れた獣人の思考が中断。
ふと、誘うように揺れる、
艶やかな黒髪に目が惹きつけられた。
そして気付く。
(……え? わ、笑ってる……?)
顔の下半分を覆い隠す般若面のもと、
ライヤは――微笑んでいた。
(……っ!)
血飛沫が舞い、悲鳴が満ちて、
死が量産される地獄絵図。
その只中にあって朗らかな笑みを浮かべる偉丈夫は、確かに、戦に、死に、狂っているのだろう。
そこには『美』が存在していた。
死を日常に置き、血を流すことを厭わず、
傷つき傷つけることで形作られた、
倒錯的で蠱惑的な華があった。
(……成程)
たしかにこれは、美しい――
「――ですが兄さん」
そうした牛人騎士の思考を、
遮るようにして。
冷ややかな声音が、
男女の間に割り込んだ。
(え、エルクリフくんっ!?)
視線を向ければ、そこには絶世と称して過分ない、神樹教の神官服に身を包む、美少年の姿がある。
「今回の討伐は、騎士団の皆さんの訓練も兼ねているのです。なので部外者があまりに出張るのは、慎むべきかと」
「……むう。それもそうか」
ただしその隻眼は、あくまで大男にのみ向けられている。
傍に存在している牛人騎士のことなど、
欠片も眼中に入れてくれない。
そこがいい。
(そ、その、クールでツンツンした態度……たまらないっ!)
彼と知り合ってからの一週間ほどで、
トルクトに、新たな性癖が芽生えつつあった。
「……んふーっ、んふーっ」
「……?」
急に鼻息を昂らせ始めた牛人騎士に首を傾げつつも、エルクリフに諭されたライヤが、とある提案を持ちかけてくる。
「とはいえ、番魔獣まで倒したあとに交代というのも、些かに味気ありますまい。よってあの魔生樹までは我らが担当して、次の樹から手番を交代という段取りで、よろしいか?」
「え、ええ、こちらとしてはそれでも、問題はありません」
「結構。それでは――」
まず、瞬き未満の閃光を感じた。
直後に『ヂッ』と、聞き慣れない異音。
それから何か、
焦げたような臭いが鼻をついて。
最後にフワリと、春風に舞うように、
和服の小袖がはためいた。
「――エルよ。魔晶石の回収を」
「了解です、兄さん」
トルクトがそれらに気づく前に、
全ては終わっていた。
トルクトが気づいたのは、それがゆっくりと、動き始めてからのことだった。
ズッ……ズズッ……
「……おいおい」「なんだよアレ」「はあああああっ!?」
悲鳴のような、不気味な鳴動に気づいた、一部の獣人騎士たちが愕然とする。
「ちょっ」「えっ!?」「マジっ!?」「なんでっ!?」「おいおい嘘だろっ!?」「魔生樹が、ぶった斬られてるうううっ!?」
距離にしておよそ三百メートルほど、
皆が見つめる視線の先で。
直径三メートルを超える魔生樹の幹が半ばで『ズレ』て、そこから徐々に傾斜していた。
異変に気付いた他の騎士たちからも悲鳴や困惑の声が上がるが、一方で、ライヅの面々だけは無反応。
むしろ誇らしげですらある。
(うええっ!? ま、まさか――っ!)
そこでようやく、遅ればせながら、
トルクトは全てを理解した。
「あ、あのお……今もしかして、あの樹を、斬りました?」
「然り」
震える声音に、大男は首肯。
「そのように、申しあげたつもりで御座ったが……?」
いや確かに、
魔生樹の処理を任せるとは言ったけれど。
でも絶対に、
一歩も動かず一刀両断しろとは言ってない。
そんなの狂人の発想だ。
「……ち、ちなみに、お伺いしますが、あれを斬ったのはその木刀ですか? もしかして、すごい魔道具だったりします?」
「いや、ただの訓練用の木刀にございますれば。拙者の武具は一通り、この機会に、修繕に出しておりますゆえ」
「……そうですか」
そっかー。蛮族を率いる達人ともなれば、ただの木刀で魔生樹をぶった斬れるのかー。すごいなーと、トルクトは馬鹿になることで思考を放棄した。
これ以上、常識を壊されないために、
精神の自衛が働いた結果である。
【作者の呟き】
ライヅ一味「「「 ドヤあ…… 」」」




