第二幕 討伐任務 ②
〈トルクト視点〉
記憶を少し、遡って。
トルクトの率いる討伐部隊が、夜も明けぬ早朝に城塞都市を発ち、魔樹区域のある西の森へと到着したのが、昨日の正午前である。
それから簡単な昼食を済ませ、森へと立ち入った彼女たちが小一時間後、魔生樹の気配を嗅ぎ取った瞬間に、道中それまでなりを潜めていた蛮族が、本性を露わとした。
「ひゃっほー! 久々の狩りっス!」
切り揃えられた銀髪を揺らして。
まずは整った顔に喜色を浮かべた黒精人が、
両手に短剣を構えて駆け出した。
整備などされていない起伏に富んだ森の地面を、滑るように移動する小柄な影は、速度を落とすことなく、踊るように両手の刃を一閃。
左右の刃を振るい、茂みから飛び出してきた狼型魔獣や、頭上から降ってきた猿型魔獣を、一息の間に斬り刻む。
『ギッ!』『ギャウッ!?』『ギャッ!』
「あははははーっ! すっトロいっスよ、テメエらーっ!」
無音の影が駆け抜けたのちに、
血を噴き出して崩れ落ちる魔獣たち。
その後も返り血の一滴すら浴びず、正確無比な早技にて次々と魔獣の命を刈り取っていく狩人に、恐れるどころか憤ったのは、遅れて飛び出した大鬼人の少女だ。
「あ、ま、待ってよクロちゃん! ズルいズルいっ!」
「ははっ、ハルう! どっちが多く狩れるか競争っスよ!」
地を滑る影を追いかけて。
若草色の髪束を揺らす少女は、トトンッ。
軽やかに地面を踏んで、前方に跳んだ。
『ブオオオオオッ!』
その道中で襲いかかってきた猪型魔獣に、
「んもう!」
頬を膨らせ、軽く振った拳を見舞う。
『ブモ……ッ!?』
するとどのような力の流れが働いたのか、少女の拳が触れるなり、金砕棒で殴打されたかの如く、猪型の大型魔獣が歪に凹み、悲鳴を漏らして絶命した。
ズウン……と。
巨体が重量感のある響きを伴って崩れるが、
少女はそれに一瞥もしない。
前だけを見ている。
「じゃ、まっ!」
続いて襲いかかってくる魔獣も、その次の魔獣も、男装少女は一撃にて沈めていくが、その間にも無数の魔獣を屠ったクロイアが、ハルジオの視線の先で、意地の悪い笑みを浮かべていた。
「や〜い、ハルのノロマ〜。鈍足〜。足くさ〜。デカ乳オバケ〜」
「く、臭くないもん! それにおっぱいは、関係ないし!」
「悔しかったら、武功で証明することっスね! それがライヅ流っス!」
「むうううううっ!」
不満そうに頬を膨らませるハルジオであるが、直後に拾い上げた岩を、前方に向かって投擲。
「んもう、クロちゃんの、い、イジワ、ルっ!」
「おっと」
高速で飛来した岩塊を、
驚いた様子もなく回避したクロイア。
『ギシャアッ!?』
背後で、彼女に忍び寄っていた蛇型魔樹の頭部が弾けた。
「んよっと」
それを見ることもなく、今度は褐色肌の少女が手にした短剣を投擲すると、着弾点で悲鳴が上がる。
男装少女の頭上から、
巨大な蜘蛛型魔獣が落下した。
『ギイイイイイ……ッ!』
最期の足掻きとばかりに吐き出された毒粘液を躱しつつ、和装の袖を翻したハルジオは致命の一撃を叩き込み、ついでに魔獣の頭部に突き刺さっていた短剣を回収。
ニヤニヤと、左頬の白蛇を歪ませたクロイアへと投げ返す。
「……べ、べつに、ちゃんと気づいていたもん! クロちゃんのお節介っ!」
「ハルの分際でジブンの世話焼きとか、百万年早いっスよ〜。身の程を知るっス〜」
「む、むむ、むっかあーっ!」
「あはははハルが怒ったあーっ。なっまいきーっ!」
そうした軽口を交わしながらも、
両者による魔獣の殲滅は途切れない。
あたかも羽虫を払うような気安さで、刃や拳を振るう少女たちであるが、それが如何に卓越した技量を伴っているのか、同じく『武』の世界に身を置く騎士団の面々には理解できる。
理解、できてしまう。
(いやいやストンプボアも、ヘルスパイダーも、そんな簡単に片付けていい魔獣じゃないだろ!?)
常識で考えるならば。
それなりの経験を積んだ騎士や冒険者が、
数名がかりで相手取る魔獣である。
だがそうした一般的な脅威が、この二人の前では、歯牙にもかけられない。
しかも彼女たちが撃退した魔獣は全て、死骸から重要な素材が回収できるようにと、攻撃部位に配慮までが成されていた。
おかげでここまで同伴している獣人騎士は、ほとんど戦闘に参加することなく、せっせと魔獣を解体して素材を荷車に詰め込む補助人と化している。
(いや確かに! 大事な資源である魔獣素材を融通してくれるのは有り難いんだけど! でも魔獣と一緒に、オレたちのプライドも容赦なく叩き折るのはやめてくれませんかねえ!?)
おそらく彼女たちに、
そのような意図はない。
けれども一端の武人として、
こうも明確な力量差を見せつけられては、
心に負荷がかからないはずがない。
(うわっ、そういう言ってる間にもう魔生樹のとこまで来ちゃったよ……っ!)
魔樹区域に突入してさらに一時間ほど。
鬱蒼とした緑が生い茂る森の奥。
もとよりこの森は、地脈の関係で、周辺地形よりも魔力密度が高い。その中でも特に濃度の高い、魔素溜まりと呼ばれる場所に、その悍ましくもどこか神々しい、奇異なる樹は存在していた。
臣下に平伏される、王が如く。
周囲の木々から距離を置いて、ぽっかりとあいた森の空白地帯の中心に、全長十メートルを超える大樹が聳え立っている。
傘上に広がる枝葉から垂れるのは、通常の果実ではなく、淡く明滅する奇怪な繭。
半透明な皮膜が形作る縦長楕円の内部は、琥珀色の液体で満たされており、その中でトクン、トクンと、繭の明滅と同期した鼓動を刻みながら、これから産み出される魔獣たちが微睡に浸っていた。
魔獣を産み出す母体――魔生樹と、
その子宮である、魔卵繭と称される果実である。
魔を擁する繭が無数に垂れ下がり、
仄かに発光することで。
陽の届かない世界の片隅に、
妖艶な明かりを灯していた。
『グルルルッ……』
そうした母なる樹に身を寄せて、血のように幹から垂れる樹液を一心不乱に舐め啜っていたのは、明らかに他の魔獣たちとは一線を画す、巨大な熊型魔獣である。
目算二メートルを超える巨躯を包むのは、ゴツゴツとした硬質な白亜。体外にまで溢れ出した骨格の一部が、鎧のように獣毛を覆っていた。
太い手足に備わった爪は分厚く、鋭利であり、巨躯が纏う魔力は、抑えきれない暴力性を匂わせている。
おそらくあれが、この魔生樹の番魔獣、ボーンナイトベアーだ。
(ちっ、もうこのレベルの番魔獣が、産まれてやがったのかよ……っ!)
ジュルジュルと樹液を啜る、
熊型魔獣のように。
魔生樹から産み出される魔獣とは、経口摂取する栄養の他にも、母体樹が生成する特殊な樹液を摂取しなければ、生きていけない。
それゆえに子である魔獣たちは、母である樹のために獲物を狩り、贄として貢ぐ。それを糧として樹は成長し、新たな魔獣を産み増やすことで、その成長速度を増してゆく。
そうした循環のなかで、一定以上の規模にまで育った魔生樹は、自らの身を守るために、強力な魔獣を産み出すことを常としていた。それこそが番魔獣と呼ばれる魔獣であり、実質的な魔生樹討伐の最難関である。
ボーンナイトベアーは、
討伐危険度でいえば中の上。
冒険者ならBランク以上からが適正とされる、上級の討伐対象、即ち極めて危険な魔獣である。
「「「 ……っ! 」」」
自然と、騎士団の表情が、
緊張味を帯びた。
各々が得物を握り締めて、
ゴクリと、喉が鳴る。
(……幸いヤツはまだ、メシに夢中だ。今のうちに距離を詰めて、陣形を組む!)
ボーンナイトベアーの姿を視認しているため、当然こちらのこともあちらの視界に入ってはいるのだろうが、今のところ、食事中の熊型魔獣が動き出す様子はない。
舐められている。
基本的に活動可能な成体として出産される魔獣は、それゆえに、産まれながらに捕食者である。あの巨大な熊型魔獣はこれまで、敗北という経験を積んでこなかったのだろう。
樹液を啜りつつ、こちらに向けられる魔獣の瞳には、強者特有の驕りがあった。
(オーケい、オーケい、いいだろう。だったらオレたちがそれを、教えてやるよ!)
密かに戦意を燃やすトルクトは無言のまま、手信号で指示を送り、騎士団による包囲陣を形成しようとして……
「……なんだ、カチカチ熊っスか。ハズレっスね」
「ん、んふふふ。クロちゃんああいう、硬くて大きい魔獣は、に、苦手だもんね」
それなのに。
「ふんっ。苦手っつーか、単純に面倒なんスよ。ああいう刃が通りにくい、デカくてカタいウスノロは。というわけでトクベツに、今回はハルに譲ってやるっスよ。ほら感謝。感謝の言葉は?」
「うえ? え、う、あ、ありがとう、ございます……?」
いや、待って待って。
お願いだから空気を読んで。
(ちょっとあの二人、なんで構わず番魔獣に直進してくれちゃってるのおおおおおっ!?)
緊迫感を漂わせる騎士団を、
まるで無視して。
あたかも日常の一幕であるような、
気軽さで。
気負いなく、周囲の魔獣を捌きながら、番魔獣へと突貫していく二人組。
『グルルル……グルルッアアアアッ!』
そうした無遠慮な侵入者は、
番魔獣も癇に障ったようだ。
食事を中断して威嚇の咆哮をあげ、ミチミチと筋肉の詰まった手足を用いて、爆ぜるように地を駆ける。
速度を備えた質量とは、
それだけで十分な脅威だ。
さらに魔獣の筋力が上乗せされて、全長二メートルを超える巨躯が、砲弾の勢いで迫ってくる。
数百メートルあった距離が見る間に削られ、
接敵まで残り五秒足らず。
目前に迫った魔獣の正面にて、
相対する男装少女が呟いた。
「ハルジオ・ライヅ……参ります!」
これから摘み取る命に対して。
手向のように、そう宣言して。
両手に籠手を備えたライヅ一門の流拳士は、両足を肩幅に開いて、重心を降ろした。
この森に突入してから、彼女が初めて見せた、武人としての構えである。
また、この後に同門である超絶美少年から受けた説明によると、様々な理由から命を奪う、奪われる間柄とはいえ、ライヅ流の門下生は、魔獣の命を軽視しない。
流石に全ての魔獣に対してそれを行うわけにはいかないが、せめて番魔獣クラスの敵に対しては、ああして名乗りを上げるのが、一門の習慣になっているのだという。
道中で彼女たちが魔獣を可能な限り最小限の傷で仕留めているのは、無為な苦痛を与えず、またその血肉を余すことなく頂戴させていただくという、一派の教えからくる行為であった。
よって、
『グオオオオオ――ッ!』
勇ましく咆哮する魔獣には申し訳ないが。
この後の出来事は、もはや結末の決まった、陳腐な予定調和である。
「……んっ」
まずはズドオオオオンッ……と。
轟音と共に、両者が衝突。
がっぷりと組み合った大鬼人の足首までが地面に沈み、膨大な破壊力を伴っていたはずの熊型魔獣が、完全に停止した。
『グッ……ガッ? ガウッ!?』
自らの勢いを『受けられた』のではなく『散らされた』のは、初めての経験なのだろう。
動揺を隠せない魔獣に対して、
流拳士は淡々と次の一手を打つ。
「ん、よいっしょっと」
そんな、気の抜けた掛け声とともに。
軽く二百キロはある巨躯が、
他愛なく宙に浮いた。
『ッ!?』
正面で組み合った姿勢から、
身体を入れ替えての背負い投げ。
ズゴオオオオオンっと、もはや混乱の極みにある番魔獣は、為す術なく背中から地面に叩きつけられて、その無防備な姿を、敵対者の眼下に晒したのだった。
「ちぇすと」
苦悶に歪む獣面に振り下ろされたのは、
岩をも容易く砕く剛拳。
ぐちゃり、と鈍い音を伴って。
頭部を粉砕された熊型魔獣は、
最期にビクッと大きく痙攣したのち、
その後、二度と動き出すことはなかった。
【作者の呟き】
ボーンナイトベアーさん『うせやろっ!?』




