第二幕 見習い騎士の受難 ④
〈クロイア視点〉
(うっわあ……タチ悪う)
種族特徴の細長耳からもわかるように、
精人の聴覚は、人間種のなかでも鋭い。
二人の少女が睨み合う訓練場から距離を置いた観覧席でも、黒精人の少女――クロイアには、両者の発言を余すことなく聴き取ることができていた。
(これだからド天然は、相手にすると面倒なんっスよね)
同門の配慮を欠いた呟きによって獣人特有の瞳孔をガン開きにした騎士見習いの少女に、クロイアは心の中で合掌した。
(申し訳ないっスねえ、牛のお嬢サマ。ハルはべつに、弱い者を甚振って悦に浸るような異常者じゃないんっスよ。ただ単純に、おそろしく、空気の読めないコミュ障なんっス)
彼女が相対する男装少女――ハルジオは。
生来の心の有り様から、周囲の理解を得られない半生を送ってきた。
そのため紆余曲折を経てライヅの家人となり、自分たちのような知己を得るまでは、人との関わりを避けるどころか、それを恐れるようにして生きてきた過去を持つ。
根が深い彼女の悪癖は、近頃では矯正されてきたとはいえ、完治に至るまでは程遠い。
今回はそれが裏目に出ていた。
(でもまあ、戦場で相手の言葉をいちいち間に受けてるようじゃあ、戦士としては落第点っス。いかにも世間知らずっぽいお嬢サマには、これもいい経験っスよねえ〜)
だからこそ、両名のやり取りを観戦している者たちは誰も、口を挟まないのだろう。
激昂し、戦斧を振り回しては無様に地面を転がされる少女を、身内である獣人騎士たちが、顔を顰めながら見守っている。
「ふうん。なんともまあ、器用なもんだねえ」
この場で内心を漏らさず観戦しているのは、
彼女の身内では領主くらいのものだ。
流石は内心を隠すことに長けた貴族……と言いたいところだが、そんな彼女の膝上には、娘の有り様を涙目で見つめる愛夫がある。
彼を優しく撫でる手つきが、
母親の心情を物語っていた。
「あれはたしか……『シントウケー』とかいう、東の武術だろ? あの若さであれだけ使えるなんて、たいしたもんじゃないか」
「ご慧眼ですな。確かにあれは我がライヅ流における『山』式、名を『避雷拳』と申しまする」
ブルクトの推測を肯定した般若面の大男、ライヤが門下生に手解きする流派には、基盤として速度の『風』式、隠密の『林』式、攻撃の『火』式、防御の『山』式が存在する。
なにせかの流派の背景にあるのは、
何百年と人魔が鎬を削る戦乱の世。
生き抜くにはあらゆる武芸に精通し、あらゆる局面に対応する武術が求められた。
そのためライヤ自身も、好んで刀を得物とするものの、その他にも槍や弓、無手での組み手や格闘術などにも、一通り精通している。
彼が技を教える際には、まずその者に適性のある武具を見繕い、それからライヅ流『風林火山』式のいずれかを伝授するのが、常であった。
ハルジオはそうした『山』式においては、
ライヤから皆伝を認められている。
(ただ実際、ハルの避雷拳は、領主サマの考えている浸透勁よりもうちょい高度なワザなんスけどね〜)
東方出身の戦士が用いる武術、浸透勁は、生物が体表に纏う魔力の膜……練精魔力や、その下にある筋肉の鎧を貫いて、内部に直接衝撃を与えることを目的としている。
その真髄は、己の魔力と、対象の魔力との、中和。
生物が意図的に、あるいは無意識に展開している魔力障壁を破壊するのではなく、己の魔力波長を相手に同調させることで、対象の魔力抵抗を突破して、衝撃を直接内部に伝播させるという術理だ。
だがそうした力の伝導に加えて、ハルジオの技はさらに、外部からの力を『受け流す』ことを肝要としている。
口伝によれば、天からの落雷を受けてなお、
生き永らえた武術家が、祖とされる避雷拳。
達人であるハルジオであれば外部からの衝撃を吸収し、受け流して、それが内部で爆発する前に、足裏から地面に分散させることは容易い。
(まあお館サマぐらいの攻撃力だと、ちょいとミスるだけで足首ぐらいまで地面に沈んじゃうんスけどね〜)
とはいえ本来であれば大岩を爆散させるライヤの一撃を受けて、その程度で受け切れる技巧は、彼女に対して辛口なクロイアであっても見事と認めざるを得ない。いわんや、その何十段も劣る仔牛の打撃など、仁王立ちしたまま受け流せて当然である。
(んでもってそうした受け流す力の半分くらいを、ハルは『相手に』流してる)
避雷拳を極めた達人は、受け入れた衝撃を地面に接する足裏だけでなく、対象に触れて、送り返すことさえ可能としていた。
さらにハルジオの場合は両手に備えた漆黒の籠手、魔道具『吸魔金角』と『放魔銀角』によって、接触した対象の魔力を強引に奪い取り、それを反撃時に塗膜することで、己の魔力を相手に同調させる浸透勁と同じ原理を成立させている。
(牛のお嬢サマも思ったよりはちゃんと鍛えていたっスけど、その程度で土をつけられるほど、ライヅ一門はヌルくないっスよ)
基本的にライヤとその周囲以外に関心の薄いクロイアの紅瞳の先では、すでに十を超えて地面を無様に舐めた見習い騎士が、戦斧を杖にして、なんとか立ち上がろうとしていた。
小さな身体は痙攣気味に震え。
瞳に宿る覇気は乏しく。
白と銀と基調する獣人鎧は、
見る影もなく土と血反吐で汚れている。
「こっ……のおっ」
最早、吐き出される罵声すら弱々しい。
なんとか怒りの表情だけは保って、
騎士見習いの少女は眼前を睨みつける。
そうした泥塗れの牛人に対して、
「あ、あの……もうそろそろ、お、終わりに、しませんか? あなたでは、たぶんボクには届きませんし……」
「んな……っ!」
汚れひとつ見受けられないハルジオは、
やはり他人の機微に疎い様子で、
そんな事実を口にした。
(う〜ん。これはもう、ハルのやつ、飽きちゃってるっスね〜)
そうしたハルジオの内心を、皮肉にも、
騎士見習いの少女のほうは察したようだ。
「〜〜〜ッ!」
ぎりりと、悔しげに歯を食いしばるが、
続く言葉が出てこない。
どころか相も変わらず気弱げに眉尻を下げ、
けれど威風堂々佇む鬼人の姿に……じわり。
幼さを残す少女の目元に、
涙が溜まっていく。
「な、なんなんですの、お前え! そ、そんな、男みたいな、格好をしているクセに! 男女のクセにいっ!」
彼女自身、もはや勝機がないことを、
頭では認めてしまっているのだろう。
己の振るう刃は届かず、されど認め難い激情を言葉にして吐き出す見習い騎士の少女に、もとから薄いクロイアの興味は急速に失せていった。
(あ〜あ、負け犬がキャンキャン吠え始めたら、もう終わりっスね〜)
もはや雌雄は決した。
観戦者たちも同じ気持ちのようで、領主の背後に控える騎士たちからは、重苦しい雰囲気が漂っている。
この後あちら側は荒れるだろうなと一瞬だけ考えて、しかしクロイアの思考はすぐにそんなことよりも今晩、ああして戦果を上げた以上はライヤからお褒めの言葉を授かって、浮かれるであろうハルジオをどうやって速やかに黙らせるかに切り替わった。
それゆえに、である。
「それだけ、恵まれた身体に生まれておきながら! そのような、軟弱な男みたいな格好をして!」
滅多に生じない、気の緩み。
「その『変な髪飾り』だって、全然似合っていませんの! 見苦しいですわ!」
それがクロイアに、
ほんの一瞬の『遅れ』を生じさせた。
(……っ!? あの馬鹿!)
すぐに身体が動き出す準備を始めるが、それとほぼ同時に精人特有の細長耳が、瞳から一切の温度を消失させた大鬼人の呟きを聴き取ってしまう。
「……ちぇすと」
何せそれは、ハルジオが、心の恩人でもあるライヤから贈られた、大切な家人の証。
ライヤはかねてより、身内として迎え入れた者には、記念品として、家紋を模した手製の飾りを贈ることを習慣としていた。
当然ながらそれを贈られた側は、なんらかの加工をしたうえで……ハルジオであれば髪飾り、クロイアであれば耳飾り、エルクリフであれば眼帯といった具合に……家人の証明を、肌身離さず身につけている。
そのような大事なものを、
何も知らない小娘に貶された。
殺意を擁する激昂は、当然である。
(だけど今、そいつを殺るのはマズいっス!)
自分たちのように、直接目の届かないところで暗躍するのならともかく、こうして目の前で身内に不幸が起きれば、良好であった城塞都市領主との関係に亀裂が入ることは必定。
それはダメだ。
自分が、自分たちが、家長であり恩人であり師であり想い人である男に、そんな恥をかかせるわけにはいかない。
(間に合えええええっ!)
いくら頭でブチキレようとも、自分や狡猾な白精人ならそれを一時的に呑み込むことができるが、良くも悪くも素直で実直なハルジオに、そうした理性は望めない。
実際にその足は地を蹴り、握り込まれた鬼人の拳が、未だ自分の失態を理解していない牛人に肉薄している。
魔境の魔獣でさえ怯む苛烈な殺意に、
免疫のない少女は硬直していた。
唖然とした顔が潰れた柘榴に転じるまで、
もう1秒の猶予すらない。
(……あ、これムリかも)
直後に……ドンッ!
轟音を後ろに残した颶風が、
クロイアの横を駆け抜けた。
【作者の呟き】
はたして、ロリ巨乳の命運は如何に……っ!?(すっとぼけ)




