第二幕 見習い騎士の受難 ③
〈従業員視点〉
当然ながら、辺境領地への中継地でもある地方領地には旅人や商人、冒険者や傭兵などが数多く訪れるため、彼らの需要に応じた様々な宿屋が存在する。
例えば懐に余裕のない駆け出し冒険者などを客層とした、雑魚寝するだけの格安宿。
金払いの良い貴族や商人を客層に見据えた、食や住に税を凝らした上級宿。
割高な料金を払って腹を満たし、上手くいけば給仕を寝床まで連れ込める娼夫宿。
といった具合に、客層に応えた宿の種類は、辺境領地とは比べ物にならない。
そんな、特定の需要に特化した宿のひとつ。
城塞都市においては中層階級の人間たちが住む区域に存在する、金銭に余裕のある傭兵や冒険者などを対象とした宿があり、名を『闘士の泡沫亭』という。
この宿泊施設の特徴は、大食漢で知られる冒険者たちの胃袋を十全に満たす品質の食事と、各部屋ごとに用意された簡易浴室。そして地下に存在する、訓練施設である。
かつてはとある貴族の所有する、違法賭博の地下闘技場であったというこの施設は、持ち主が検挙されて領主に接収されたのち、競売にかけられて、今の所有者の手に渡った。その際に地下の闘技場が、そのまま宿泊者たちの訓練施設に転じたという遍歴である。
なにせ訓練施設付きの宿泊施設には、
一定の需要が見込められる。
利用者は、ゆえあってギルドやクランに所属していない冒険者や、この土地に伝手を持たない旅人たち。
宿泊客が肉体を錆びつかせないため、
訓練の場を欲することは珍しくない。
他にも技術や素性を秘匿するため、
秘密裏に鍛錬をしたい者もいるだろう。
そういった客層に対して、この泡沫亭は安定した需要があった。
また金額は嵩むが、使用料さえ払えばこの地下施設の一部を貸切にできるというオプションも、宿が売りにしているサービスである。事実この三日間ほどは、他領からの宿泊客によって、このサービスが利用されていた。
「……何だい、こりゃ?」
というわけで、三日ぶりに。
利用していた客が宿を離れたため、従業員が整備のため、地下訓練場を訪れてみると――
「――人の、足跡?」
仮にも訓練場と銘打っているため、
相応に整備されされていたはずの床面。
たとえ強化魔法を用いた戦士が大槌を振り下ろした所で、凹みはしても亀裂までは生じないはずの床面が、人間の足跡状に『陥没』していた。
野に咲く花のように。
訓練場のあちこちに。
無数に。点々と。刻み込まれていた。
「おいおい、いったいどうやったらこんな、器用な凹まし方できるんだよ……?」
使用料には修繕費も含まれているため、
宿側としてさして問題はない。
これまでにも何度か、修繕や修理を必要とする訓練の跡は、目の当たりにしてきた。
しかしこうした破損の仕方は、長年この宿に勤めている従業員をして見覚えがない。それほどまでに器用で奇妙な、力の加えられ方である。
「……うん、深いねえ。だいたい深さニ十センチ前後ってところか。足の大きさからして、小柄な人族じゃないねえ。大型の鬼人? 獣人? でもただの踏み込みだと、こんな足跡になるはずがないし……んー、気になるう!」
よって、好奇心を刺激された従業員が施設の修繕を手配したのちに、使用者名簿から当時に訓練場を貸し切っていた宿泊客の名前を確認したことは、ごく自然な流れであった。
「えっと、この三日間の貸切使用者は……ライヅ御一行様?」
聞き覚えのないその名前に、
従業員は首を傾げた。
⚫︎
〈ミルクト視点〉
『やーい、やーい、ちびミルクト』『胸と尻と、態度ばかりでっかいおチビちゃん』『ほ〜らほら、もっと背伸びして!』『がんばれがんばれ!』『そんなんじゃ、ここまで届かないぞ〜?』『きゃははははっ!』
『んもー! んもー! か、返してくださいましお姉様〜! それは、楽しみにとっておいた最後のクッキーですの〜!』
『は、ダメだね!』『そうやって甘いもんばっかり食べてるから、ブクブクと余計なとこばっかり太るんだよ!』『というわけでこのお菓子は没収です!』『ウチらが責任を持って処理してあげます』『悔しかったら背え伸ばして、出直してきな!』
『も、も〜! お、お父様あああ! お姉様たちが、ミルにイジワルするううう〜!』
『うわ、泣いた!』『すぐそうやって、お父様に泣きつく!』『泣き虫ミル!』『弱虫ミル!』『根性なし!』『アンタそれでも本当に、この誇り高きブルタンク家の女ですの!?』
『ひっぐ! み、ミルは、ミルだってえ……っ!』
罵声。嘲笑。込み上げる恥辱。
幼い頃から刷り込まれてきた負の感情が、
コンプレックスである大きな胸で渦を巻く。
「……ミルだってえ、ブルタンクの女ですのおおおお!」
そして覚醒。
積年の恨みに対する叫び声が、目の前に広がる青空に吸い込まれていった。
(……空?)
束の間の空白。
停止していた思考に火が灯り、
血が巡り、遅れて痛みがやってくる。
「……っ! かはっ! いっつ……な、何事ですのっ!?」
熱の発生源は腹部だった。
獣人騎士特製の白布の上から手を当てると、痛い。だが折れてはいない。でもこのあともっと酷くなる、そういう痛みだ。
(なん、で……というかワタクシ、どうしてこんなところに……ここは……騎士団の、訓練場? それに鎧まで着て……ということは、今は訓練中? 訓練中にまた、意識を失ってしまいましたの? いや……今はたしか――っ!?)
ようやくそこで。
混濁していた意識が現実に追いついた。
慌てて身を起こし、身構えると、
目の前には人影がひとつ。
「……あ。よ、良かったあ。目え、覚ましてくれたあ……」
やや大股で、腰を落として。
前後にずらした両手を正眼に構えて、残心の姿勢でこちらを見下ろすのは、身の丈二メートル近い大鬼人の男装少女だった。
「……ほっ」
気弱そうな少女の顔には、
心からの安堵が広がっている。
一方で、そうした立ち姿に隙はなく、表情とは裏腹に少女の肉体は、臨戦態勢を維持している。
(そうだ、ワタクシ、この大女と決闘を――)
たしか先程まで、こちらが一方的に攻めていたはずなのだ。
しかし状況から察するに、何からしらの反撃を受けて、不甲斐ないことに、意識を手放してしまったらしい。
(――ッ!)
瞬時に、頬が熱くなる。
情けない。悔しい。恥ずかしい。
怖くて確認できないが、
横顔に視線を感じる。
父と母と、そして実姉と先輩がたが、
息を呑む気配が伝わってくる。
(ま、まだですの! まだ終わっていませんわ!)
微かに震える膝に喝を入れて、
立ち上がる。
幸いにも手放してしまった戦斧は、すぐ近くに落ちていた。
拾って、構える。
深く息を吐いて、呼吸を整える。
乱れていた体内魔力を掌握して、強化魔法と練精魔力を再び身に纏う。
「……」
それら十秒に満たない間、
眼前の少女に動きはない。
ただ困ったように太眉を寄せて、
見下ろしてくる。
(……っ!)
実践ならば勝敗が決する、
致命的な数秒間だった。
見逃された。見下された。舐められた。
そうした負の感情を呑み込んで、
ミルクトは地を蹴り、突進。
闘志を焚べて前に出る。
「こんのおおおおおおっ!」
消化しきれなかった感情を口から迸らせて、騎士見習いの少女は、豪快な風切り音とともに戦斧を振るった。
避けられる。構わない。戦斧の質量と遠心力、小柄な肉体と強化魔法による膂力を活かして、止まることなく踊るように旋回乱舞を繰り出し続ける。
それら全てが憎たらしいほど正確に、至近距離で躱されてしまうが、もはや直撃など望んではいない。
それよりも今は、先ほど己の意識を刈り取った攻撃の正体を確かめなければならない。
目的のため、被弾を覚悟して連撃を続けるミルクトに、間を置かずに答えは与えられた。
(っ!? 当たっ――)
呼吸を止めて。
上下左右から繰り出される、
戦斧による怒涛の連続攻撃。
そのうちのひとつがようやく、
大鬼人の右腕を捉えた。
(――いや、違いますわ! これはっ!?)
極限まで集中力を高めているために、何倍にも引き延ばされた体感時間の中で……
ミルクトの眼は確かに、男装少女の腕に接触した己の戦斧を視認した。
しかし感触がおかしい。彼女の両腕に備わる籠手と、鈍器と化した訓練用の刃が衝突したにしては、衝撃が小さすぎる。というより、ほとんどない。
これではまるで、
力が『吸い込まれている』のような――
「んっ!」
――ほぼ同時に、大鬼人の口から微かな呼気が漏れた。
大柄な少女の身体が震え、
戦斧を防御した右腕の反対側。
長くしなやかな左腕が伸びてきて、掌底が、白布に包まれた腹部に触れる。
直後に――ズドンと。
内臓が掻き混ぜられるような衝撃を受けた。
「ブッ!」
咄嗟に練精魔力を腹部に集中したものの、岩石程度の強度を自負する肉体の壁を超えて、衝撃が、内部に貫通してきた。
小柄な肉体が三メートルほど吹き飛び、
武器を手放してゴロゴロと地面を転がる。
反射的に受け身を取れたが、そうした外傷とは異なる、体内に残留した衝撃によって、ミルクトは涙目になって何度も血混じりの咳を吐き出した。
(なん、ですの……これは……カウンター?)
分類はそれで、正解のはずだ。
しかし正確ではない。
先ほどの感触、そして今まさにミルクトが感じている打痛は、いままで訓練で味わされてきた相手の攻撃を躱しての迎撃、もしくは相手の攻撃を受け止めてからの反撃、そのどちらとも違う。
そう……あくまで。
実際に受けた直感で例えるなら。
相手の力を『吸収』して、『反射』させたような、初めて経験する反射であった。
(そん、なこと、可能ですの……っ!?)
確証はない。
けれども確信がある。
たった二度の被弾でそこに至ったのは、間違いなく、ミルクトに並外れた武才があったから。
その才覚ゆえに、少女は理解する。
理解させられてしまう。
あの大鬼人が、
どれほど卓越した技量を有しているのか。
自分と彼女に、
いったいどれほどの力量差があるのかを。
そんな彼女の背景にある、研鑽を。経験を。戦歴を。天凛を。
「……っ!」
ブルリと、身体が震えた。
それでもなお、奮い立とうとする見習い騎士の牛耳に、間の抜けた少女の呟きが滑り込む。
「……ふ、ふう、よかった、ちゃんと意識がある。今度はちゃんと、『手加減』できたあ」
「……あ゙?」
プツンと、頭の中で。
何かが弾ける音が聴こえた。
【作者の呟き】
テッケンな奥義、『通⚪︎拳』っ!
小さい頃に練習しましたが、非才な作者には無理でしたね。




