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第二幕 見習い騎士の受難 ①

〈領主視点〉


「……さあーいしょーはグー、じゃあーんけーん……ぽんっ!」


 領主邸の来賓室における騒動から、

 およそ二刻後。


 屋敷内に存在する、騎士団用の訓練場にて。

 聞き慣れない、少年少女の声が響いていた。


「……っ! や、やった! ボクの勝ち、ですよね! ねっ!?」

 

「〜〜〜っ、くっ、しつこいオジサンが、無駄に粘るせいで……っ!」


「……それはこちらの台詞ですよ。貴方が執拗に、心理戦など仕掛けてくるから……っ!」


 やがて、広場の片隅で『じゃんけん』なる遊戯を行なっていた三名のうちで、勝敗が決したようだ。


 勝者は無邪気に笑う、男装をした大鬼人(オーガ)の少女。


 どうやら対戦相手である精人(アルヴ)の少年と少女が、互いに心理戦を仕掛けている間に、漁夫の利を得たらしい。


「……ふん、まあいいっス。どうせ余興っス。でもハル、やるならしっかり叩きのめしてくるっスよ!」


「わかっていると思いますが、ハルジオさん。家名を背負う以上、無様は許しませんよ?」


「ま、任せてください、クロちゃん、エル兄様! しっかりと仕置きして参ります!」


「〜〜〜〜ッ!」


 そうした三名のやり取りを、眉根を吊り上げて凝視する、小柄な人影があった。


 伸縮性のある白布と、局部装甲にて構成された獣人鎧に身を包む牛人(ブルマン)の少女、ミルクトである。


 百四十センチ程度という小柄な身長相応に、まだ少女としての幼さが残る顔つき。


 可愛らしいと表現できる面頬が、今は怒りで歪んでいる。


 当然だ。なし崩し的に決まった模擬戦とはいえ、訓練用の刃を潰した戦斧(ハルバード)までを持ち出したミルクトに対して、なにをトチ狂ったのか、あちらは今さら、子どもの手遊びで対戦相手を決めていたのだから。


 しかも本人の目の前で。

 

 完全に舐められている。


「もーっ、んもーっ!」


 騎士見習いの少女が鼻息荒く地団駄を踏み、

 身長に相反した豊かな胸部を揺らすのも、

 致し方のないことであった。


「……チッ。あの馬鹿。戦う前から呑まれてやがる」


 そうした訓練場の光景を眺めて舌打ちをするのは、ミルクトの母親である、ブルクト・ラオ・ブルタンクである。


 訓練場を一望できる観覧席には現在、複数の人影があり、彼女はそのうちの一人だった。


 領主の膝上には愛夫たるアレックスがお行儀よく乗せられており、彼女の豊満に過ぎる胸部に半ば埋もれるようにして、後頭部を預けている。


「まあまあ、ブルちゃん。素直なのは、ミルちゃんの良いところなんだから、あんまりキツく言ったら可哀想だよ」

 

「そうは言ってもな、アレク。仮にも騎士たるもの、あの程度の挑発に乗せられてるようじゃダメなんだよ。……アンタもそう思うだろ?」


「然り」


 領主の問いに頷くのは、距離を置いて同じく観覧席に腰掛ける般若面の大男、ライヤ。


「舌戦という言葉もあるように、戦とは武のみによらず、言の葉を用いるものも含まれます。ゆえに武人を志すならば、敵の罵詈罵倒に動じぬ心の強さや、逆に敵の心を削ぐ機転も必要かと」


「ハッ。さすが、実戦に生きてる人間の言葉は違うねえ。ということはやっぱりあの物言いも、アンタら流の仕込みなのかい?」


「……ぬう」


 続いたブルクトの質問に、

 珍しく、ライヤが唸った。


「……それはちと、正直なところ、拙者にも判断がつきかねまする。いや、おそらくエルやクロならばそうした駆け引きも含んでいるので御座ろうが、あやつの場合ですと――」

 

「――まあ、素でしょうね。ハルジオさんのあれは」


「天然であれだけ煽り適正高いとか、ある意味才能っスよ?」


 言い淀む大男に代わって答えたのは、訓練場から戻ってきた白と黒の精人(アルヴ)、エルクリフとクロイアである。


 両名はそれぞれ、ライヤを挟んだ左右の客席に腰を下ろすが、ちょうどブルクトの隣に座るかたちとなった神官服の美少年が、彼女の膝上に座るアレックスの姿に目を細めた。


「兄さん、あれは……」


「……うむ、いやなに、如何に催し事とはいえ、戦いの最中には何が起こるかわからないからのう。ゆえに観戦の間はああして、身を守る術の薄いアレックス殿をブルクト殿がお守りするのだと、仰っておるのだ。実に気配りのできる、御仁ではないか」


「……そうですか」


 そして何を思ったのか、物欲しそうに、

 大男の膝上などをじっと見つめている。


「……」


「……ん? なんだ、どうした?」


「………………いえ、何も」


 そうした義弟の想いを、唐変木らしい義兄が察してくれることはなかった。


「……ひひ、ざまあっ」


「……っ!」


 代わりに目敏い黒精人(オルヴ)の少女が左頬の白蛇を歪めおり、そちらには、温度の消えた翡翠の隻眼から絶対零度の視線が放たれている。


「それでぶっちゃけ、トールよ。姉としては、ミル嬢に勝ち目はあると思ってるのかい?」


 そうしたライヅ一門の不毛な遣り取りの反対側では、領主の護衛でもあるブルタンク領の騎士たちによる、妹分の試合前寸評が行われていた。


 片目を覆う前髪を弄りつつ、

 トルクトを愛称で呼ぶ犬人(ワンダ)騎士に対して。


 とくに考える間も置かずに、

 ミルクトの実姉である牛人(ブルマン)騎士が答える。


「ん〜、まあ普通に、無理じゃないかな?」


「にゃにゃ、酷いお姉ちゃんにゃ! 血も涙もにゃいやつにゃのにゃ!」


 つれない同僚の返答に、

 すかさず猫人(キャーティア)騎士が茶々を入れてきた。


 それでもトルクトの意見は変わらない。


「……いやだって、あの辺境領地(オリガミエ)で叩き上げられたマジモンの武人だよ? 安全な城塞都市(ブルタンク)でぬくぬくと育ったウチのワガママおチビちゃんじゃ、勝ち目はないって」


 実のところそれは、

 皆の共通認識であった。


 生まれ育った環境は仕方のないこととはいえ、それほどまでに魔境として知られる、辺境領地で叩き上げられたという実績は大きい。


 これはそんな実践豊富な猛者に、せいぜい騎士団で揉まれた程度の騎士見習いが、どこまで喰らいつけるのか。


 そういう勝負だと、当人以外の皆が理解しているのだが……


「いやでもさあ、アンタ日頃から行ってるじゃん。ミル嬢は精神面はお子さまだけど、姉妹のなかでは一番伸び代があるって」


「そうにゃのにゃ! 実際、見にゃらいとはいえあの歳で騎士ににゃったのは、立派なもんにゃ!」


 ……それはまあ、それとして。


 彼女たちは、仲間意識の強い獣人(ライカン)である。

 

 身内が一方的に貶されるのは、

 どうにも許容できないようだ。


 同僚から吐き出される擁護の言葉に、ミルクトの姉であるトルクトは、面倒臭いが満更でもないという、奇妙な表情を浮かべた。


「ま、まあね? そりゃ身内としての贔屓目を抜きにしても、ミルには才能があると思うよ? でもあの甘ったれたビビり癖がある限りには、なんとも、ねえ……?」


「そりゃ半分以上は、アンタら姉妹の責任でしょうが」


「物心つく頃からイジられ続けてきた、末っ子の悲しい性にゃのにゃ」


「……ぐっ!」


 唐突に己に向けられた矛先に、自覚のあるらしい五人姉妹の次女は言い返せない。

 

 本格的な糾弾が始まる前に、

 大声で話を有耶無耶にした。


「だあーっ! もーっ! うっさいなあーっ! と、とにかく、ミルには勝てないにしても、うちの騎士団の末席として、少しは爪痕を残して欲しいわけよ! ……おいこらミルー! お前から啖呵切ったんだから、無様な姿なんざ晒すんじゃねーぞーっ!」


 そうした獣人騎士たちによる寸評を耳にしつつ、護衛である彼女らを背後に控えたブルクトは、内心で独言る。


(……たしかにミルは、甘ったれのクソガキだ。胸とか尻とかばかりがオレサマに似て一向に背は伸びないし、そのせいで変に性格を拗らせてやがる。そのうえ上の姉どもからいびられ続けたせいで本当は臆病なくせに、外様に対しては無駄に虚勢を張って、自分を大きく見せようとする。そうすることで舐められたくない、イジられたくないっていう、無自覚な防衛行動なんだろうけど……まあ、実力が伴っていないんじゃ逆効果だわな)


 現に今もこうして、

 悪癖が自らの首を絞めている。

 

 実のところ、彼女が今回の討伐任務から外されたのは、実力云々よりも、そうした非協調的な性格によるところが大きい。

 

(だけどミルには、武の天凛がある)


 それでも、親の欲目と言われればそれまでだが、ブルクトはミルクトに期待していた。

 

(おそらく姉妹の中で、オレサマの血をもっとも濃く受け継いでいるのは、あいつだ)


 だからこそ、厳しく鍛えている。


 しかしどうしても、肉親や身内である騎士団においては、情というものが介在してしまう。


 それが彼女の成長の妨げになっているのは明白であった。


 よって此度の模擬戦は、想定外のものだったとはいえ、実際のところブルクト側としては好都合だった。


 外の世界に触れて、身内に弱く外様には自分を強く見せようとする悪癖が、少しは改善されるのではないかと、そんな打算がある。


(それに……色々と情報は仕入れているとはいえ、どれも胡散臭すぎてなあ。実際にライヅ一門の力を見るのはこれが初めてなんだ。精々、オレサマとアレクの期待を裏切らないでおくれよ?)


 

【作者の呟き】


 裏話として、領主代行の愛夫アレックスが何度かオリガミエを訪れている間、実娘を含めた近衛騎士団を彼の護衛につけるものの、ブルクトは頑なに領地から離れませんでした。


 なにせ四六時中ライヤにキャーキャーと黄色い声援を贈る愛夫を見守り続ける拷問なんて、彼女の脳が耐えられませんからね!


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