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第一幕 路地裏にて ①

〈クロイア視点〉


「……くちゅんっ」


 薄雲をまとう上弦の月が輝く星空の下。

 夜の灯火に彩られた城塞都市において。

 

 自ら闇に沈むことを選んだ者たちの住まう区画に、可愛らしい、少年の声が響き渡った。


「……うっわ。きっも」

 

 上品な仕草で口元を抑える白精人(エルフ)の少年の隣では、両手を頭の後ろに組んだ黒精人(オルヴ)の少女が、顔の左側に刻まれた白蛇を歪ませている。


「くしゃみまであざといとかホント、オジサンまじキモいっスねー」


 ベーっと舌を覗かせる銀髪の少女に、

 神官服を着た白眉の少年が眉根を寄せた。


「……たんなる生理現象にそこまで過剰反応するあたり、いかにも処女臭いですね。臭くて鼻が曲がります」


「はは、それはしゃーないっス。ジブン、お館サマ以外で処女捨てるつもりないんで」


「……」

 

 傍で冷気を増す視線にも臆さず、そんなことを堂々と宣う少女は、確かに美しい容姿をしていた。

 

 月光を浴びて滑らかに煌めく、銀糸の短髪。

 左耳で揺れる、稲妻家紋の耳飾り。

 闇の中で輝く紅玉の瞳。


 要所のみを革鎧で覆った軽装に身を包み、鍛えられた健康的な暗褐色肌を晒す黒精人(オルヴ)の少女ーークロイアは、なるほど、たしかに種族的に整った容姿を有する精人(アルヴ)においても、秀でた容姿を誇っていた。


 そんな彼女は当然ながら、モテる。


 街を歩けば男衆の視線を集め、飯を頼めば給仕が群がり、剣を握ればその雌々(めめ)しさに、見物する男性が下半身を膨らませるのは日常茶飯事。


 それでも彼女が未だ処女を捨てていないのは、一重(ひとえ)に、その想い人に操を捧げたい一心であった。


(あー、マジでお館サマと、一発でいいからヤリてーっス)


 けれども想い人の貞操は、なかなかに固い。


 少なくとも自分の幼い容姿では、

 彼の食指を動かせない。

 

 そうしてあちらに気がない以上、実力行使は難しかった。実際に何度襲っても、簡単に取り押さえられてしまっている。


 それでも旅先ならあわよくばと、淡い期待を抱いていたのだが……


(……いつも以上に、オジサンのガードが堅いんスよねえ)


 蛇の道は蛇。


 同じ男に想いを寄せる恋敵に先回りされて、(ことごと)く機会を潰されてしまっていた。


 今もこうして、今晩の宿には護衛としてハルジオだけを残し、クロイアは夜の街に連れ出されていた。建前としてはエルクリフの護衛であるが、この見目麗しい美少年にそのようなものは必要ないことは、ライヅ一門の者なら誰でも知っている。


(まあ、今回は『それ以外の目的』もあるから、しゃーないっちゃあしゃーないんスけど)


 とはいえふつふつと不満は湧き上がる。

 自然と口先は尖り、愚痴が止まらない。

  

「あーあ、あーあ、いーないーな。今ごろハルは、宿でお館様のお背中を流してるんでしょ? それに比べてジブンはオジサンのお供とか、格差激しすぎません? マジ交代希望なんっスけど」


「貴方のような飢えた処女と、兄さんとの同室を認めるわけないでしょうが」


「あ、ズルいっス! 処女差別っス! っていうか、それならハルだって処女じゃないっスか!」


「あの子は心が男だからいいのです。それに――」


 眼帯に覆われていない翡翠の瞳が、

 クロイアに向けられる。

 

 宝石の碧眼は、虫ケラを見つめるように冷ややかだった。


「――仮に、貴方が裸身の兄さんを目の前にして、襲いかからない自信がありますか?」


「いやぜってー無理っス。秒で襲うっス」


「そして兄さんに、返り討ちにされないとでも?」


「……今はまだ、無理っスねー」


 むしろあの逞しい肉体に組み伏せられて、

 また惨めに股を濡らす自信しかない。

 

「ならば諦めなさい。適材適所です」


「……ぐう」


 論破され、悔しそうに根を上げる少女の尻を、

 少年の握る魔杖がグイグイと押し上げてくる。


「それよりも、案内に集中してください。目的の場所はまだですか?」


「……ちょうど、いま着いたところっスよ」


 先導していたクロイアが足を止めると、仄暗い雰囲気を漂わせる路地裏において、珍しく人の気配に満ちる酒場があった。


 とはいえ漏れ聞こえる騒音と、品のない野次や笑い声から、その場所が表通りの世界とは一線を画す、裏の住人たちの巣窟であることは想像に難くない。


「それじゃあとっとと、片付けるっス〜」


 だというのに。


 気負いなく少女が扉を開けば……案の定。

 酒場にいた客の視線が、一斉に群がった。


「……あ?」「誰だよあのガキ」「新入り?」「っていうかめっちゃ美形! タイプですう!」「おいおい後ろの坊ちゃん、めちゃくちゃ可愛くね?」


 胡乱げな表情を浮かべる傭兵。新入りを見つけて喜色ばむ冒険者崩れ。頬を染めて好色の視線を送ってくる男給仕など、おおよそ予想通りの顔ぶれだ。それらを歯牙にもかけず室内を見渡すと、すぐに目的の人物を発見した。クロイアが足を進める。


「うすうす、お二方。昼間ぶりっスね!」


「……んあ? 誰だよテメエ……って、あああっ!」


「お、お前ら! あのときの!」


「おいなんだよテメエら、知り合いかい?」


「ち、違いますよボス! あ、いえ、違わないけど、ウチらの身内じゃなくて、さっき話してたヤバいメスガキの片割れっス!」


 声をかけられ、泡を飛ばして目を剥くのは、昼間に検問所近くでエルクリフに絡んできた女の二人組であった。


 二人の尋常でない様子から、同じ卓を囲んでいた女たちが暴力の気配を匂わせ始めるが、それらを一切合切無視した態度で、クロイアは会話を続ける。


「て、テメエ、一体何の様だ!?」


「っていうかどうやってウチらの居場所を!? まさか尾けていたのかい!?」


「んー、まあそんなとこっスねー」


 女たちの疑念に答えるように、

 視線をその足元に向けると――ズズズッ。


「「 ……っ!? 」」


 二人の影から『蛇の様な影』が這い出して、

 床を滑り、クロイアの影に吸い込まれていった。


「……そいつは、使い魔かい。昼間のときに、この馬鹿どもに仕込んだんだね」


「お、ご明察っス」


「それに、顔に白蛇のある闇精人っていやあ……アンタ、リディア族か」


「おおお、またまた御名答っス! 小悪党のクセに物知りっスね!」


「フン、こんな稼業だ、危険人物の特徴くらいは頭に入れてるさ」


「さっすがガルマさん! 伊達にこのあたりを仕切ってないっスねえ!」


「……チッ。本当に、可愛げのないメスガキだね」


 あくまでこの場にそぐわない、陽気な態度を崩さないクロイアに、ガルマと呼ばれた妙齢の只人(ヒューム)の眉尻が吊り上がる。


「あ、あの、ガルマさん、お知り合いで……?」


「んなわけあるか大マヌケ。アンタがアタイの情報を、『読み取られた』んだよ」


 叱責とともに頭を叩かれて、昼間クロイアに取り押さえられていた女が、怪訝な表情を浮かべる。


 そんな要領の悪い子分の態度に頭領であるガルマは不機嫌そうだが、これ以上の情報漏洩はまずいと判断したのか、目の前のリディア族から視線を離すことなく話を続けた。


「リディア族っていうのは、王国の端っこにコソコソ住まう、黒精人オルヴの少数民族だよ」


 別にそれ事態は、何ら不思議な話ではない。


 王国の領土に住みながらも独自性を保ち、王政を迎合しない代わりに、対価を払って居場所を守る閉鎖的な少数民族は、王家にも認められている。


 それらは普通の人間が忌避する仕事……危険な地域の治安維持や開墾、魔獣の討伐などに従事する、使い勝手のいい資源だ。


 問題なのは、そうでない場合。

 

「そいつらは代々、生まれながらに『他者の心を読み取る』っていうクソみたいな血統魔法を持っていてな。その危険性から、人里離れた僻地に隔離されて、街に降りる場合はああやって、そうと分かるよう顔に白蛇の刺青を入れる慣わしがあるんだよ」


 自ら望んだのではなく、生まれ持った素養から、危険と判断されて排他的に隔離されている者たち。


 彼らはその生活を制限され、管理されて、ときには秘密裏にその能力を、王国のために強制されることすらある。


 クロイアが生まれ育ったのは、

 そうした影の一族であった。

 

「ついでに言っておくと、その中でも瞳の刺青が許されているのは、族長筋のエリートだけなんスよ? 勉強になったっスね!」


「……フン。強がるなよ、メスガキ」


 口角を上げたガルマの瞳には、嘲笑の色。

 

 当初の動揺はすでになく、

 自ら優位を確信している。


「お前らがなんでそんな目立つ刺青を目立つ場所に入れてるのかってーと、それは人様の心を勝手に盗み見しないよう、周知させるためだ。ゆえにそれを相手に無断で使用した場合は、悪質な精神魔法の行使と同義であると、王国法には定められている。つまり今回の情報抜き取りは、完全に違法! 訴えられた時点でテメエは豚箱行きなんだよ、マヌケめ!」


「おお〜、マジで博識っスねえ。その知識量、オバサンもしかして、イイトコの出だったりします?」


「ハッ、だから見栄を張るなって。大方そこの馬鹿どもの言動から、読心魔法を使っても自分の正体がバレやしないと踏んだんだろうが、お生憎様、テメエはマヌケに弱点を晒しただけだ。今なら泣いて謝って金を積めば、ちょいと苛めるだけで許してやるぜ?」


「あはは、そっちこそ、馬鹿言わないでくださいよ! それだけ物知りならジブンらが『どういう存在』なのか、よ〜くわかっているはずでしょ?」


「……っ!」


 黙り込むガルマに、やはり馬鹿ではないとクロイアは内心で評価する。


 何故ならリディア族はその力の危険性から、人里離れた森で隠遁するよう王国に『表向き』は規制されている一方で、その有用性から、王国の『裏側』においては諜報人材として、密かに重用されている。


 つまりはガルマたちと同じ、

 裏の世界の住人。


 表側の常識など通用しない。


「……ひひっ。お察しの通り、死人に口無し。いくら魔法を使ったところで、バレなきゃいーんっスよ。バレなきゃ」


「ガキのくせに清々しい悪党ぶりだね。キモも太いし、気に入ったよ。どうだいアンタ、アタイらの下につかないかい?」


「それは御免被るっス。ジブンはもう、仕えるべき主人を定めるんで」


 代々受け継ぐ読心魔法により迫害され、利用されて、日陰のなかで生きることを強いられてきた自分たち一族に、あの人は、あの人だけが、迷うことなく手を差し伸ばしてくれた。


 薄っぺらい口先の言葉などではなく、実際に手で触れて、心を晒して、信頼を態度で示してくれた。


 今でも事あるごとに、こんな自分などの頭を撫でてくれる男のことを、クロイアは心の底から敬愛し、崇拝して、依存している。そんな彼のためならば、この手を汚すことに躊躇いはない。むしろ誇らしくすらある。


(ジブンたち一族は、お館サマの影。僅かでも逆らう者には容赦しないっスよ〜)


 酷薄な笑みを浮かべる黒精人に、

 交渉を諦めたのか。


 女頭領が目配らせをすると、酒場の扉が閉じる。


「ん、もう時間稼ぎは終わりっスか?」


「ああ、もうアンタらは袋のネズミだよ」


 席から立ち上がるガルマに同調して、酒場に屯していた同業者たちが腰を上げる。ドタドタと忙しく駆ける頭上の足音から、宿屋も兼ねている二階からも援軍が駆けつける算段のようだ。


 周囲を囲まれ、四方から、敵意と嘲笑、それに興奮の入り混じった視線が群がる。


「へへ、調子に乗ったメスガキが。世間の厳しさを教えてやるぜ」「少数民族っつーんなら、いい金になりそうだね」「ねえねえハニー、あのイケメン、奴隷商に売る前にボクたちでも少し遊ぼうよ〜」「ならウチは、あのお坊ちゃんのお相手をしようかねえ」「うはっ、やっぱすっげえ上玉!」「こりゃ今晩は寝られねえぞ〜っ!」


 数の優位と、場の勢いから、

 自らの欲望を隠そうとしない無法者たち。

 

 それらを背景に、この場において一目置かれている女頭領が、最後通告を口にした。


「観念して床に跪きな。話はそれからだ」


「そうすれば、見逃してくれるんスか?」


「さあね。そりゃアンタらの、態度次第さ」


 威圧をかけながら――ちらりと。

 ガルマの視線が、クロイアの背後に逸れる。


「へへ。ウチらも鬼じゃない。誠意っつーもんを見せてくれれば、それなりに優しくしてやろうってもんさね」


 余裕ができたためか、情欲に濁り始めた瞳には、先ほどから押し黙っている美少年の姿が映っていた。


「……あ〜。ジブンが言うのもなんですけど、そのオジサンだけは、やめといた方がいいっスよ? 絶対に後悔するっス」


「はは、心配すんなメスガキ。ここには穴も(ヤク)も、たっぷりあるんだ。どんだけそこのお坊ちゃんが不感症でも、朝までには自分から腰を振りたくる淫乱に調教してやるぜ!」


「……はあ」


 そんな、熱く滾る女頭領の情欲に対して。

 吐き出されたエルクリフの嘆息は、

 どこまでも冷たい。


「もう、いいですよクロイアさん。……時間稼ぎは、結構です」


「……っ!?」


 次の瞬間、神樹教の神官服を纏う美少年から、膨大な魔力が噴出した。


【作者の呟き】


 クロイアちゃんには、撫ポ特攻が有効です。

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