第一幕 番兵 ②
〈ウール視点〉
時間は数分ほど前後する。
「ウール班長、揉め事発生です! 列待ちの超絶美少年に、馬鹿どもが絡んでいるとのこと!」
「美少年は国の宝、これは捨ておけません! 鎮圧の許可を!」
「あわよくば我らに今晩のワンチャンス、是非ともお願いいたします……っ!」
「……落ち着け馬鹿ども」
城塞都市が誇る、四方を囲う都市城壁。
東西南北に設けられた検問所のひとつにて。
あきらかにおこぼれ狙いで鼻息を荒くする部下たちの前で、この道十五年を超える経歴を持つ只人の女番兵、ウールが疲れたように嘆息した。
「……お前たちのワンチャンスはともかく、検問所付近の治安維持は私たちの仕事だ。行くぞ」
「ヒュー、さっすがウール隊長、ハナシのわかるイイ女あ!」
「男日照りに訪れたこのビッグチャンス……絶対に逃さないっ!」
「待っててねカワイコちゃん! 今オネーサンが、悪女どもを成敗しに行くからネ!」
いや、絡まられている子からしたら、お前たちも大差ないから……などと内心では思いつつも、まあ張り切っているのに水を差す必要はないかと半ば諦め気味の部隊長が、部下を連れて検問所を出る。
問題の発生現場は目と鼻の先で、検問所付近では定期的に発生する、待ち時間に焦れた馬鹿どものいざこざだろうと、ウールは当初、そんな風に考えていた。
(……ん? なんだあれは)
違和感を覚えたのは、
事件現場に到着する直前のこと。
(え……何あれ? セイザ? ザゼーン?)
野次馬の人垣を掻き分けることで見えてきた光景は、ウールの十五年に及ぶ門番経歴を鑑みても、とんと目にしたことのない類のものであった。
(というかあの大女……いや、大男? は、いったいナニをしようとしているんだ!?)
この辺りでは馴染みのない、
東方の座り方を強制させられた女たちと。
彼女らを見下ろして木刀を掲げる、
常識外れの大男。
(なんだかわからないけど、あれはマズい……っ!)
状況を呑み込むよりも先に、兵士としての直感が、口から警告を放っていた。
「お、お前たち、そこでいったい何をしている!?」
意図して荒げたウールの声に、
ピクリと大男が反応した。
顔の下半分を覆う、
般若を模した面がぬらりと、
こちらを向いて――息が詰まる。
(……っ! 何だ、これは……っ!?)
般若面の大男からは敵意を感じない。
害意はない。
悪意はない。
ただこちらを、一瞥しただけ。
たったそれだけのことで、生物としての本能が、絶対強者を前に萎縮してしまったのだ。
(や、ヤバい! ヤバいヤバいヤバいっ、あ、これ死んだかも……っ!?)
時間にして一秒未満の間に、死までを幻視させられた番兵に対して、般若面の大男が口にした言葉は……
「……おお。これはこれは、ウール殿では御座いませんか!」
「……ん、んん?」
脳裏の警鐘からはほど遠い、
親しみすら覚えるものであった。
「ご無沙汰しております。御壮健そうで、何より」
ウールの困惑を無視して、
木刀を納めた大男は、スタスタ。
ごく自然な足取りで――言い換えるなら。
腕に覚えがある女番兵が『反応できない』ほどに高度な技術を用いて、距離を詰め、般若面の上、目元だけで朗らかな笑みを浮かべてくる。
(……え? 何これ、いったいどういう状況……?)
心境は捕食者に頬を舐められる、
被捕食者のそれだ。
まるで生きた心地がしない。
「「「 …… 」」」(じー)
加えて彼の背後から注がれる、
三つの視線。
無言でこちらを見つめる少女たちには、
何故か、眼前の男以上に恐怖を覚えた。
(と、とにかく、このままではマズいっ!)
とはいえウールもまた、長年番兵を務め、
伊達に隊長職に就いてはいない。
速やかに気持ちを立て直し、意味不明な状況の把握と、打開に努める。
「え、えっと……貴様、いや、貴殿は、私のことを、ご存知で……?」
「無論、このライヅ・ライヤ。恩人の顔を忘れるほど、呆けてはおりませぬ。その節はどうも、お世話になり申した」
「「「 ……っ! 」」」
「……ひっ」
恭しく大男が頭を下げるなり……クワッ!
彼の背後から放たれる重圧が強まって、
情けない悲鳴が漏れた。
「……なんスかあのオンナ。お館サマに頭下げさせるとか、ちょっと有り得なくないっスか?」
「……ちぇ、ちぇすと、しちゃいますか?」
「……待ちなさい貴方たち。今は『まだ』、兄さんがお話の途中です」
漏れ聞こえる不穏な会話に、
冷や汗が止まらない。
(お、お話が終わったら、私はどうなってしまうのだ……!?)
すでに脇下は、
びちょびちょに湿っていた。
若干、尿も漏れているかもしれない。
「え、隊長、この狂人の知り合いなんですか?」
「いやウール隊長の、顔が広いのは知ってましたけど……」
「……犯罪者は、流石にやばいっすよー」
ウールが女の尊厳を決壊させかけているというのに、視線の集中砲火を浴びていない部下たちは、呑気なものだ。物珍しい大男を囲み、好き勝手なことをほざいている。心臓が口から飛び出るかと思った。
「ば、馬鹿を言うな! お前たち、口を慎め! ろくな確認も取らずに犯罪者扱いなど、あってはならぬことだぞ!」
「えー。こんなの、状況証拠でほぼ確定だと思いますけどねえ……」
「まあ隊長がそう言うなら……なあ、只人のお兄さんよ。ここで何をしていたんだい?」
「うむ、今し方、無礼者の首を刎ねようとしていたところだ」
「はい自供を確認。とりあえず詰所にぶち込みますか?」
「「「 ……あ゛? 」」」
「……ひいいいいっ!」
更に視線の凄みが増して、
敬虔な神樹教徒であるウールは問う。
神樹様よ何故、私に斯様な試練をお与えになされるのか――と。
(どうして私が、このような目に……っ!)
極度の負荷からか。
はたまた生物としての本能か。
あるいは積み重ねてきた兵士の経験則か。
齢三十を迎えた番兵の脳裏を、
無数の記憶が駆け巡った。
辛い記憶。苦しい記憶。嫌な記憶。ちょっぴり恥ずかしい記憶。それら様々な困難を、ウールはなんとか乗り越えてきた。
そして思い出す。
そうだ自分は、これよりももっと、酷い局面を打破してきたではないか。これほどの窮地であっても、『あの時』には及ばない。『あの時』の死地に比べれば、この状況には、幾分も救いがあるはずだ。多分。
(……ん?)
などと、ウールが現実逃避気味に人生の窮地を思い返していると……
ふと、脳裏に。
引っ掛かるものがあった。
(ん? んんん? いや、そんなまさか……)
記憶の焦点が定まりそうな感覚。
不思議な引力に誘引され、
目の前の大男をじっと見つめる。
「……すまないが、貴殿。その仮面、外してもらうことは可能だろうか?」
「問題ありませぬ」
つい口から溢れた言葉を、
大男は快諾。
顔の下半分を覆う般若面を手にして、露わとなった素顔に……ウールを含む、番兵たちが一斉に息を呑んだ。
「……っ!」
「……これは酷い」
「ああ、男の顔に、なんてことを……っ」
何せ隠されていた大男の素肌に刻まれていたのは、見るからに悍ましい呪印。
余りに複雑で難解な術式であるため、傍目からその効果を読み解くことはできないが、しかし生物の本能として、それが不吉であることだけは理解できる。させられてしまう。そのような邪悪なものが、大男とはいえ、美醜に重きを置く男の顔に刻まれている。
自らの迂闊さを、ウールは悔いた。
「も、申し訳ない。仮面はそのままで構わない。そしてこちらの、非礼を詫びよう」
「いえ、お気になさらず。顔をあげてくだされい」
「むう……しかし、女が男に恥をかかせるとはこのウール、なんと浅慮な振る舞いを――」
「――ふっ。相も変わらずウール殿は、お堅い御仁で御座るな」
恐縮する女兵士に向けられる、
大男の眼差しは柔らかい。
静かに、穏やかに、しかし力強く輝く黒曜石の瞳に、ウールは今度こそ、確かな既視感を覚えた。
鼓動が跳ねる。
(……そうだ。私は確かに、この瞳を何処かで――)
急速に記憶の断片が掘り起こされて、
過去と現在が連結していく。
(――ま、まさか、いやしかし、でもたしかに、面影があるような……?)
脳裏を埋め尽くす期待と疑念。
過去と現在における認識の齟齬。
情報が刷新され、
記憶の靄が晴れていく。
(……この男は本当に、あのときの『彼』なのか?)
胸中に湧いた疑問。
それを確かめようと、
無意識のうちに右手が伸びて――
「――まあ、あれから十五年が経っていますからね。彼女が混乱するのも、無理はありません」
シャラリ、と。
風に靡く黄金稲穂のツインテールが、
行手を遮った。
「……っ!」
「あと兄さん。近づき過ぎですよ。離れてください」
「ん? おお、そうか」
「ええ。適切な距離感は、男性としての大事な節度ですから」
側から見れば、
至近距離で見つめ合っていた二人。
そこに割り込んできたのは、
先ほどウールに向けられていた視線のひとつ。
傾国と呼ぶに相応しい美貌を誇る、
白精人の少年だった。
「ウールさんもそう思いますよね? ……ね?」
「んひっ!?」
ただしこちらに向けられた翡翠の瞳は重く、湿っている。
ぐるぐると渦を巻き、どこまでも深く続く、底の見えない奈落の黒穴。
これまで取り締まってきた犯罪者が赤子に思えるほどの『闇』が、そこに沈殿していた。
「そうか。それにしても拙者、それほど変わっただろうか?」
一方で、少年の情念に無頓着な大男は、
てんで的外れな疑問を抱いている様子だ。
無責任にも程がある。
「存外自分ではわからぬものだが……ふむ。老いたか?」
「そんな! 兄さんはむしろ、歳を重ねるごとに魅力を増しております! 老いるなど、決してそのようなことは!」
だがそうした能天気さが、
この場では吉と出てくれた。
闇を霧散させ、あわあわと狼狽する少年。
瞳には最早、ウールなど映ってはいない。
「……可愛い」
「……可憐だ」
「……守りたい」
彼の粘着質な視線を浴びていない部下たちが骨抜きにされている横で、部隊長は密かに胸を撫で下ろした。
(た、助かった……)
気持ちとしては今のうちに、
この場を離れたい。
さりとて――隊長という立場もあるが、個人的にもこのまま、無責任に立ち去るわけにはいかない。
心中に湧いたこの疑念の、
答え合わせをしなくては。
「……すう」
一呼吸置いて。
再度、気持ちを落ち着かせたのちに。
ウールは改めて、般若面の大男に……十五年ぶりに再開したかつての『少年』に、確信の声音で語りかける。
「それにしても大きくなったな、『首狩り童子』よ」
【作者の呟き】
妖怪『首狩り童子』。
別名『クビオイテケ』とも言います。




