5.美談を基にした舞台
それから数日。
私は自分の侍女のほか、妹の侍女迄駆り出され、窮屈なコルセットとともに一張羅のドレスを着せられ、クリーナさんを待っていました。
今日は、舞台「アゼリアのほほえみ」を私とクリーナさんが観劇に行く日です。
「お嬢様、王弟殿下がいらっしゃいましたよ。
「…わかったわ」
窮屈なドレスに着られながら、履きなれない高めのピンヒールを履いて、外に出ると、そこにはいつもと違いいかにも王子様然としたクリーナさんが待っていました。
「見違えましたね、ヴィッツ嬢。
さ、行きましょうか」
「はい、宜しくお願いいたします」
クリーナさん、普段はさえない風貌をされていますが、洗練された装いになるとやっぱり王子様の教育を受けた方なんだなと実感しました。
舞台「アゼリアのほほえみ」はこの国でも人気のある演目の一つで、いくつかのバージョンが存在する。
今回見たのはオリジナルからあまり手が加えられていないもの、と言われています。
しかし、実はこの劇団の「アゼリアのほほえみ」は、「男爵令嬢視点」と「公爵令嬢視点」を両方一回の舞台で演じる方法をとっており、男爵令嬢視点はオリジナルに忠実で、舞台としては短いバージョンを踏襲しています。
しかし、男爵令嬢視点で当初進んだ後、クライマックスの王太子刺殺事件の前に、通常はアレンジ版として単体で長めの上演時間で演じられる「公爵令嬢視点」のショート版を上演するいう、両方の視点が楽しめるというのをコンセプトとする舞台でした。
したがって従来男爵令嬢役だけだったヒロインを、公爵令嬢役にも「悪役令嬢」という二人目のヒロインという形で二大看板として押し出せるという舞台構成になっているため好評を博していました。
舞台の流れとしては、男爵令嬢の生い立ちに始まり、王子と出会い、楽しい学園生活を送ります。
しかしある日を境に、王子と親しくしていると、婚約者の公爵令嬢が「男爵令嬢ごときが」と態度が変わり、最終的には教科書を破られる、階段から突き落とされる、友人の子爵令嬢に危害を加えるといったいじめを行うようになります。
男爵令嬢が王子と知り合った当初は、むしろ好意的に接してくれた公爵令嬢が、王子と仲がいいというだけで危害を加えるようになったという信じられない状態になりながら、その豹変は王子にも影響を与え、王子はむしろ男爵令嬢に依存し始めます。
そして王城で行われるパーティーに王子がエスコートするという文言付きで招待された後、公爵令嬢視点に変わります。
公爵令嬢視点では、王子とはうまくいっていましたが、流行り病で彼女の母が亡くなり、しばらくふさぎ込んでいた後から、王子と男爵令嬢が仲良くしているシーンを見てしまうと、無性に腹が立つという自分に驚きます。
「私は母が亡くなったというのに、婚約者はほかの女と仲良くしている」
…という嫉妬がその原因である、と舞台では説明されていました。
その後、王子にも当たり散らすようになった公爵令嬢から、王子の心が離れていくと思ったとたんに、公爵令嬢は男爵令嬢に危害を加え始めます。
とある王城でのパーティーの際、王子が公爵令嬢には招待状を渡さず、男爵令嬢をエスコートすると知った公爵令嬢はそのまま懐に小刀をしまい込み、王城のパーティーに潜入。
それを王子に見つけられるとそれを咎められ、ほぼクライマックス。
「君はアベリア(男爵令嬢)を執拗に追いかけまわし、危害を加え続けた!
そんな人物を王妃にするわけにはいかない!
君との婚約を破棄する!」
と王子が公爵令嬢への婚約破棄を発表すると、そこで糸が切れてしまった公爵令嬢は、懐に持っていた小刀で王太子と自分を刺し、こと切れてしまいます。
男爵令嬢はそれを見て恐怖を覚え、男爵家から勘当してもらい、地方の修道院へ入って二人のために祈って一生を過ごすというストーリーになっていました。
舞台が終わり、クリーナさんと食事を終えて帰宅すると、何か言いたそうな母や妹の視線をしり目に湯あみをし、自室へと戻りました。
侍女を下がらせ、王太子刺殺事件について考え始めました。
舞台の公爵令嬢視点のストーリーがほぼ実話であるという仮定の下、私は一つの仮説を立てました。
それまでいわば才媛だった公爵令嬢は、母の死をきっかけに何かにとりつかれたように男爵令嬢に嫌がらせを始めます。
王太后様のお母様の話も含めると、それは男爵令嬢だけでなく当時の王太子様にも同じようにきつい言葉をかけたりしたのでしょう。
男爵令嬢視点では、単に「元平民の女性が、王子に見初められる」というありがちなストーリーなのですが、クライマックスでその王子が婚約者に刺されて死んでしまい、方や公爵令嬢視点では王子を男爵令嬢に寝取られ、それによって精神を病んでしまった彼女が婚約者を殺してしまうという、どちら視点でも悲劇、というお話になります。
そこまで考えて、ふと私は思い当たりました。
瘴気は魔力を奪った後体力と精神力を削るので、弱ったところからダメになっていく…そして、母を亡くした公爵令嬢が精神を弱らせているところに、瘴気が作用して、精神力を削られた結果、あのような強行に及んだとしたら…。
そう思った私は、翌日、クリーナさんにその話をしました。
「なるほど、公爵令嬢は瘴気の影響で凶行に及んだのではないか、と」
「ええ…お芝居ではつじつまを合わせてきていましたが、王太后様のお話を聞いた限り、その公爵令嬢様は高々浮気をされた程度でその相手を刺し殺してしまうような激情を持った方には思えないのです。
ですから、お母様をなくした精神が弱っているときに、瘴気で精神力を削られて、強行に及んだのではないかと…」
「なるほど、そういう考えならわかります」
「そして…例の部屋、なんですが」
「ええ」
そこで私は、あの部屋のこともあるような気がしてならなかったので、それについても考えていました。
「あの屋敷、郊外とはいえ王都から近い場所にあるのに、あんなに広い屋敷が建つほどの敷地がありました。
ですから、あの辺、瘴気が発生しやすい場所なのではないかと思いまして」
「…続けて」
クリーナさんはその話を聞いてふっとまじめな顔になりました。
「70年前と言えば、魔物が跋扈していたころから間が経ってませんから、瘴気も強かったでしょうし…」
そこで私は言葉を切りました。
「あの部屋のある場所で、大きな魔物が倒されて瘴気が残った、のではないかと」
ヒュー…とクリーナさんは口笛を吹きました。
「言いたいことはわかりました。
実はね僕も少し調べてみたんですよ…あの部屋について」
そういうとクリーナさんは一息おいて説明を始めました。
「あの部屋の裏の森は確かに魔物の巣がありました…ただかなり奥の方だった上、当時としては珍しく聖職者にお祓いをしてもらってほとんどの瘴気が消えていたそうです。
そしてヴィッツ嬢の仮説ですが、あの部屋でもし大きな魔物が倒され瘴気がばらまかれたとしたら、数十年経った程度で人間が住める程度まで瘴気がなくなることはありません。
なので、あの部屋の直下で魔物が倒されたということはないでしょう」
「…そう、ですか…」
「しかし、この国は前にも言いましたが、ほかの国に比べて魔物が多く発生した時期があり、空気中の瘴気は濃い傾向があります。
そして、瘴気は空気の流れで運ばれ、空気を遮断する無機物の間を通り抜けられません。
なので瘴気の発生源に屋敷を立てるということは考えにくいですね」
「…なるほど」
私が昨日寝る間を惜しんで考えた案は不発だったようです。
「…しかし、瘴気についてはおそらく関係しているでしょう。
あとはなぜ、公爵令嬢が凶行に及んだか、ですね」
「…」
その時、私はとある人物を思いつきました。