表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愛は殉ず  作者: 真直 尊心
1/2

追憶

――2014年、夏。私は戦争を知った。


きっかけは何だったろう。よく覚えていない。

ただ怖かった。眼前を埋め尽くす恐怖の感情が、私の脳を嫌というほど支配した。


それは今も消えてくれない


鮮やかな、皮肉めいた風景。


「――お客さん、どちらから?」

「北陸から来ました、旅行に」

ちょうど今から70年前、広島に原子爆弾が投下されたその日を選んだことに、特に理由はなかったと両親は言う。

「遠かったでしょう。お疲れさまです」

「いえいえそんな。広島にはいつか来たいと思ってたんです、子どもたちを連れて」


――小学校3年生の夏である。広島へ家族で旅行にでかけていた。

母は広島の出身だった。私は、まだ9歳だった。


「へえ。奥さんが広島出身で」

「そうなんです。もう両親は他界しているので実家もありませんが」

「どこの出身で?」

「廿日市です」

「あら、うちも廿日市なんだよ」

「ええ、運転手さんも広島ですか?」

「んーにゃ。あたし自身は関東の方で、奥さんの療養で広島に越してきたんだよ。奥さんの地元がそのあたりで」


男の人なのにどうして“あたし”だなんて一人称を使うんだろう。

“んーにゃ”ってなんだろう。

はつかいちってどこだろう。


分からなかった。9歳の私にはまだ何も。

無知は罪だということも。


「タクシーの運転手なんてやってるとね、色んなお客さんが乗ってくるんだけど」

前方からはずんだ調子の声が飛ぶ。今度は父が身を乗り出した。

「皆さん口を揃えて言われるんですよ。『いい天気で良かった』って」

「へえー」

「そうなんです。広島は晴れるんですよ、8月6日だけ、絶対に」

「そうなんですか」

「見せつけるような青空が、少しうざったいくらいにね」

運転手さんが笑って言った。父も呼応するように笑った。


どうして、晴れがウザいんだろう。


呆ける私の横で、兄がきゃっきゃと笑っていた。


「そろそろ着きますよ」

「はい」

「平和記念公園で良かったね?」

「あってます」


――広島市、平和記念公園。

3階建ての資料館が仰々しくそびえ立つ。私は何となく身のすくむ思いがした。


足元をひゅっと掬われたような

風に頬を、優しく叩かれたような。

そんな気がして、膝が笑った。


「ありがとうございましたー」

「はい、丁度頂きますありがとうございました」


私が閉めようとタクシーのドアに手を掛けると

「お嬢ちゃん、勝手に閉まるから大丈夫だよ。ありがとう」

運転手さんの禿げ頭が私へと顔を覗かせた。


私はペコリと頭を下げ、母を追った。


――これは後に知ったことだが

あの日運転手さんが言っていた『必ず晴れる』という根拠の欠片もないセオリーは、強ち間違いというわけでも無かったようであった。

晴れが6割以上、曇りと雨が2割ずつ。

無論、雪は降らない。


私はそれを面白いと思った。純粋に。

だから余計、あの青空が頭を離れてくれなかったのかもしれないが。


白々しい興味が湧いたのである。

この人はどのようにして亡くなったのだろう。敵はどうしてこの街を襲ったんだろう。

どうして日本は戦争をしようなんて言い出したのだろう。

どうして見えなかったのだろう。こういう風になる少し先の未来が。

終戦記念日は、どうして“終戦”なのだろう。

どうして“敗戦記念日”じゃ駄目だったんだろう。


…それじゃあ、記念日に出来ないか。


可哀想。可哀想だな。皆、皆。

この人なんてまだ若いのに。この子なんて、まだ子供なのに。


可哀想。とても。


私は良かった。この時代に生まれて良かった。


知っていた。

こういう気持ちを、“白々しい”と言うことくらい。


私はしばらく前に立って見つめていた。

――『被爆者再現人形』

水ヲクダサイと書かれたあの絵を思い出しながら。


「蛍ー、行くよー」

「…」


彼等の声に耳を傾けて。可哀想、とひたすらに呟いていた。

私の、人生最大の汚行である。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ