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#2 鏡(3)



定休日。お客様の姿もなく、軽快なジャズやボサノバのBGMの消えた静かなカフェ『小庭園(プチ・トリアノン)』。


それでもいつもの穏和で毅然とした清水店長の姿が店内にあった。



彼はイスから離れるとカウンターへ向かった。対話に訪れた舞花のために水を用意する。


彼女のためだけに差し出す、他ではまず入手困難な魔界産の特殊な粉末入りの水を。



「お水をどうぞ。たくさんお話しさせてしまい疲れたのでは?」


「大丈夫、若いから。水ありがと!ね、涼真にはぜんぶ内緒ね。なんかアイツいい子だし健全な仕事して頑張ってるからわたしの汚い仕事とか知られたくないんだよね」



性行為なしとはいえパパ活が健全かと問われたら自信はなく、堂々と語れる活動ではない。


従業員の人柄や雰囲気の心地よいカフェ。何度でも来たいから涼真にバレて軽蔑されたら来づらいし、そうなった場合すごくヘコんでしばらく立ち直れそうにないと想像し秘密と頼んだのだ。



特別キレイでメニューが豊富なわけじゃない。けれど舞花は会話や相談など何でもできるアットホームなこのカフェが好きだ。


だから今日も店に来たかった。電話でも良かった今回の話もここが好きだから、家はつまらないから来たかった。


パパ活の件も親しい友人2人以外、大人には初めて打ち明けた。清水を信頼して。だから尚更気になるのが……。



「ね、店長はわたしのこと軽蔑する?」


「私は個人の行動に偏見は持ちません。ご本人が決めたことです。責任もご本人が取ると覚悟してのことでしょうし」


「やんわりだけど厳しいなあ。でも親より教師の言葉より響いた。ハメ外さないよう気をつけまーす!また来るので人生の勉強お願いします、センセ」



冗談めかして、でも本心からの言葉。


新たな肩書きを清水に授けた女子高生はグラスの水を飲み干すと、涼真と鉢合わせては大変と雑談は避けて帰宅の準備。


新任教師に手を振って来店時とは比べものにならぬ華やかな笑顔を見せカフェを退いた。





「あれ店長洗い物ですか?まさか広瀬さん来たんですか!?」



おつかいから戻った涼真と愛犬ゴジラ。


シンク前の店長におっかなびっくりの質問だ。



これには清水も苦笑い。神経質に広瀬を気にしてしまう涼真と、何でも自分のせいにされてしまう広瀬。どちらが可哀相なのか。



しかしながら今回本当に広瀬は無関係。舞花の使用したグラスを洗っていただけだ。


だがそれを涼真に言えるはずもなく、でたらめを並べた。



「違いますよ。ふとグラスを見たら指紋のような跡が残っていたものでして」


「すみません。ボクの拭き方が悪かったんだと思います」


「私かもしれませんよ?ここは両成敗です。お互い気をつけましょうね」



この優しさは己の罪を隠すため。後の残酷な結末を見越し隠すため。


何も知らず、知れば悲しむであろう涼真に与えた最大の善意と疑わない。けれど自分が善人だとは少しも思わぬ清水先生であった。





翌、木曜日。プロローグは終わり、新章となる悲劇の幕開けの日。



一戸建てマイホームの自室で舞花は早起きをし機嫌が悪かった。手元のスマホは5時。最悪だ。



7月の朝は早い。カーテンを閉めていても明るい室内のせいなのか、二度寝をしても30分もたたぬうちに目覚めた。


仕方がないのでスマホで適当に動画を眺めてから起床。


学校は面倒。なんかダルいなあ、腰が痛いなあとボヤく。


階段も腰の痛みと、膝のガクガクした震えのせいでゆっくり下りた。「うちのババみたい」と重い息を吐く。




洗面台の鏡。いつもの鏡。昨夜と同じ場所にある鏡。ただの鏡。


何気なく、事前の心構えもなく覗いて、当たり前の若々しい姿しか予想せぬそこに映ったのは……。



「ひいぃっ!」



目の前には老婆。見知らぬシワシワの顔。半ば白髪の、彼女にとっての化け物が鏡に。


もちろん背後に人はいない。鏡の中の老婆は舞花と同じ服を着て同じ動作をし、彼女を睨むように見ていた。



「んぎゃあああっ!」



若者らしからぬ悲鳴を上げて舞花はパニック。


「誰、誰、誰なのよ!?」と鏡の中の誰かへ恐怖に戦きながら問いかけた。



「舞花どうしたの!?」



悲鳴に驚いた母親がキッチンから駆けつけた。


日頃はグチばかりの舞花もこの時ばかりはさすがに頼りにし、半泣きで喚いた。



「お母さん!わたしおかしい!?鏡に変な年寄りが見えるの!わたしの顔平気だよね!?普通だよね!?」


「落ち着きなさい舞花。大丈夫、あんたの顔だから。腫れてもいないし怪我もしてない」


「本当!?いつものわたし!?」


「鏡もいつも通りでしょ。ほらあんたしか映ってないから見てみなさい?」



いくらか安心し、舞花は再び鏡と向きあう。その瞳に映るは隣の見慣れた母親と、やはり、意地の悪そうな……。



「ぎゃああっ!お母さん!わたし変なの見える!わたしじゃない年寄りがいる!」


「舞花、舞花!お父さん舞花が!来て!」



娘を抱きかかえ母親は夫を呼ぶも、彼は慌てることもなく歩いての登場。娘の悲鳴もずっと聞こえていたであろうに。



「どうしたんだ朝から」


「舞花が鏡におかしな人が見えるって言うのよ」


「熱でもあるんじゃないのか?病院にでも行っとけ」



投げやりに言い放ち、見るからに気難しそうな父親は朝食をとりに回れ右。


食べ終わると出勤。満員電車が待っている。自宅にいるときから疲れるのは真っ平とばかり、さっさと食卓テーブルへ向かった。




頼りにならない甲斐性なし男を女ふたりは冷ややかに見送り、それなりに心配する母親が異変を指摘した。



「腰が曲がってるわよ?それこそ年寄りみたいに。痛いの?お父さんが言うように風邪の前兆で幻覚や関節が痛いのかもよ?」


「膝も変なの。力が入らない」


「病院に行く?お母さんも仕事があるから保険証と前に熱出た時に行った所の診察券出しておくから」


「いい。家にいる。学校休むから電話だけしといて。わたし部屋に行く。ごはんもいらない」


「いつもの時間にお母さんもお父さんも仕事出るから、具合が悪くなったらおじいちゃんたちに言うのよ?」


「はーい」



つまらなそうに返事をし舞花は時おり腰をさすって自室に上がった。




父母は娘より仕事が大事。仕事が優先。そして土日は疲れているからと家から出ようともしない。


昔からそう。舞花が幼いときから。旅行も遊園地も、彼女には涼真の家のようにキャンプやスキーなど遠くに連れていってもらった記憶がない。


両親からの愛情に飢え、かまってもらえぬ寂しさ故か、他と比較しては悲観ばかり。




こんな家なんか嫌いだ。大嫌いだ。あとでカフェに行こう。清水店長や涼真にグチ聞いてもらおう。



ダルい体を動かして、でも彼らのことを考えていると穏やかになれる舞花であった。





鏡の中の化け物を目の当たりにするのが怖くて、メイクはリップだけ。髪も毛先を整える程度。


屋外でも周囲の目に自分がどのように映っているのか老婆でないことを祈り、全身の痛みに泣かされながら舞花はようやくカフェに到着した。



「いらっしゃいませ」


「っしゃいませ」



登校しているはずの平日にも関わらず、怪訝な表情は微塵も見せないふたり。穏やかな雰囲気。


特に清水とは昨日の今日で気まずかったが、彼や涼真の通常通りの声を聞いたとき、舞花はこのカフェの居心地の良さを再認識した。



加えて店に入ったとたんこれまでのダルさも足腰の違和感もピタリと消えた。


精神的ストレスが原因と勝手に決めつけ、すっきりした笑顔で涼真に近寄る。



「朝食べてないんだ。今日のオススメ何?」


「フルーツサンドとハニートースト。どっちにも野菜サラダと好きな飲み物が選べるセットがある」


「うわタメ口ぃ。わたしお客様。先輩。……ま、全然いいけどさ」



ウザイ女と思いつつ、やはり相手はお客様。そもそも働き始めた2ヶ月の間お客様相手に失礼な態度をとった覚えはない。


今日はどうしたのか、調子の狂う女だなと自身を顧み、涼真は猫以上に猫を被って注文を促す。



「どうなさいますか?」


「ならね……フルーツサンドのセット!飲み物はオレンジで」


「かしこまりました。軽食セットのサンドにサラダ、ドリンクはオレンジですね?お待ちください」



注文の復唱をすませると涼真はいったん退き、とたんに退屈になった舞花。


まだまだ馴染めない周囲に漂うコーヒーの香りに酔いそうになりながら、涼真手描きのポップが可愛い店内を見回す。


一瞬ウィンドウのガラスに映る自分にドキリとするも、いつもの高2の若い姿。


やっぱり今朝は疲れていたんだと己に言い聞かせ、奥のシートに店の看板犬を抱っこするイケメンを発見。テンションを上げる。


パパ活相手もこんなイケメンならやる気でるんだけど、と50歳以上の相手ばかりではたまには欲も出てしまう。




その黒髪ショートのイケメンの方でも舞花に注目していた。


パグ犬を隣に座らせ、スーツ姿でコーヒーを飲む広瀬と呼ばれる男は、舞花が訪れたときから人間とは違う匂いに気づいていた。彼自身がそうであるから。



匂いの大元に覚えがあった。清水店長にプレゼントした薬のひとつだ。


このカフェは広瀬が作った結界で常に守られており、内部では禍々しい効力は切れてしまう。


故にいまは効力が抑えられているにすぎず、でもあの少女は間違いなく薬を飲まされた。


原因はひとつ。何らかの事情で清水店長の逆鱗に触れたのだろう。



おもしろそうと判断し、秀でた顔をニヤニヤさせて広瀬は片腕をあげ店長を呼んだ。





すっかりなついている涼真の愛犬を撫でながら、広瀬は傍らに立つ店長を見上げた。



「やったのかい?」



いきなりの一言に初めは意味を解せずにいた清水も、広瀬の視線の先の少女を見て瞬時に納得した。


暗に示された発言の意味を理解した彼はわざとらしくとぼける。



「何のことでしょう」


「君の歪な正義感は恐ろしいね」


「私は自分が正義だなんて思ったことはありませんよ?今回はお年寄りに対する彼女の言動を容認できなかった。高齢者を大切にとの思いが強かっただけです」



10年近いつきあいだ。嘘は通じない。白旗の清水は事実を認め、開き直りの笑みすら浮かべて事の発端を明かす。




それだけの理由で必要以上のお仕置きを受けては、被害者はたまったものではないだろう。


状況知らずの被害者に代わり理不尽と思いつつも、咎め立ては一切しない広瀬。


ここでもうひとつ、害はなさそうなので無視してきたが、いつか問いたいとしていた話題を思い出した。



「ついでに。このカフェのどこかに禍々しい物が存在する。心当たりは?」


「肉体は消えても体臭か何かが染み付いているのでしょうか。あの時の妖怪が着ていたダウンコートです。いずれ必要になる日が来るかもしれませんので」



すまして語る店長に、背景を知る質問者は頷いただけ。


信念を貫くためなら危険も恐れぬ姿を見るに、何を忠告しても無駄と心得ている。


逆鱗の理由が判明し、もう満足の魔界のプリンスなのであった。



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