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#5 シンデレラ(5)



常連と呼ばれていても毎週来ることの少ない広瀬が先週に続き来店。


カフェ『小庭園(プチ・トリアノン)』内の人々に文句のつけようのない秀でた顔を見せていた。



11月の終わりを翌日に控えた晴天の月曜日。しかしどんなに青空が広がっていようと冬の入口はすぐそこまで来ており、日中でも防寒着は必須アイテム。


とは言うものの店内は暖房の行き届いた快適な空間。広瀬もコートを脱いでいつもと同じコーヒーを注文し、体の内外から温もりを得ていた。




そんな彼、来店して早々この世界では稀な空気を感じたようで、ようやく追及に動き出す。


コーヒーのお代わりを運んできた清水店長へ、事もなげな様子で話しかけた。



「店長から禍々しい臭いがする。珍しい。トラブルかい?」



オブラートに包んだが、臭いの正体は『薬』。


断定理由は、悪魔のプリンスである広瀬自身が店長にプレゼントした魔界産の薬物だから。種類は豊富で不思議な効果を生む。


これまで清水は主に自分の信念に反する者へ懲罰として服用させており、わざわざ指摘したように自らへ用いた彼を広瀬は数年ぶりに目撃した。




さて当人はごまかしもせず、かといって詳細は明かさず、眼前のスーツ青年同様の涼しい顔を浮かべ続けた。



「今のところ悪意ある動きは何もありませんが、私は小心者でして痛い思いをするのは嫌なんです」



知る人ぞ知る特技のひとつ、清水健一の予言。的中率の高さには定評がある。


広瀬も認識のうえで結果がどうあれ店長を支持し、そこそこのトラブルが生じていると察した。



けれども正直な話、彼が危惧したのは顔も名も知らぬ相手の方。


清水に近寄るべきではないのだ。倍以上もの反撃をくらい、泣きを見ること間違いなしだから。


今のセリフからも「肉体的苦痛より精神的苦痛を被る方が遥かに屈辱」との負けん気の強さを感じてしまった。



「まあ気を付けてよ。それと手加減を忘れずに」



このように諌めるのみの薄情な対応を見せた広瀬も、実はちょっぴり遠慮していた。


店員・涼真のメンタル観察と、その涼真の異変の原因を店長に教えるため来店したわけだが、彼は彼でトラブルを抱えている様子。薬を利用したとなればそれなりに厄介な事情なのだろう。



悩める悪魔の出した結論。清水には涼真の件はまだ内緒にし、トラブルとやらも自分で解決してもらう。広瀬自身は涼真の警護に専念とした。




そしてこの食い逃げ王子様、コーヒーを美味しく頂いたあと店長に一時外出を告げる。



「ハッピーと空中散歩の約束をしてたんだけど、急用ができてしまった。店の前に来てるから時間変更を伝えてくるよ」



こうして店から堂々と退去。それきり戻らず今日もしっかり極悪な特技を決行。


勝手に名前を借用され悪事に利用された鴉のハッピーは後日「オイラは無関係ス。最悪ス」と黒い羽をばたつかせて憤慨したのだった。





清水店長が服用した薬は無痛薬。文字通り痛みをなくす効果を持つ。


しかし清水に薬を必要とするような激痛を伴う病はなく、この薬で傷や病が消滅することはないと把握もしている。



店長はなぜ無痛薬を飲んだのか。ヒントとなるのは広瀬との会話だが、本人は『相手』に動きなしと話していたはず。


答えは単純、性格だ。疑り深い彼は「薬に副作用はありませんし、無駄と思わず万が一に」と、2週間前のある情報をきっかけに用心のため飲み始めた。



対象相手は原田志穂という女。これまでの言動に危険な部分は見当たらないが、「何となく」という曖昧な、でも自分の直感を信じての判断。


そして決断を後押ししたのが信頼する人物からの情報だった。




志穂との会話から同じ大学出身との事実が発覚し、清水はそれも含め話を交わすうちに不信感を覚えた。


そこで彼女と同じ学年の先輩・福山努に在籍の有無を電話で尋ねてみた。


福山は清水が入部した軽音楽サークルの先輩。親しくしてもらった頼れるバンドリーダーだ。



結論から言うと原田志穂は確かに同じ大学の卒業生。


卒業から4年も経ってなぜ福山が知人でもない彼女を記憶していたかというと……。



「原田志穂?ああ、いたなあ懐かしい。たらしで有名な女だったっけ。金さえ払えばすぐヤらせてくれるらしい。ホステスのバイトしててかなり客に貢がせてたと聞いてる。ってか原田がどうかしたのか?」



適当にごまかし、謝意を最後に清水はスマホを置いた。そして2週間前のこの有力情報をきっかけに更に不信感を強めていったのだ。


普段ホステスや肉食系に偏見は皆無でも、自分が関わるとなれば話は別。用心深くもなってしまう。


目的が滞ってヤケを起こし暴力に訴えられてはたまらない。そんな時のため、電話のあと無痛薬を服用した次第だ。



けれどもこの清水健一、何だかんだいって彼だって志穂の肉体を貪り共に一夜を明かした男。特別女好きでなくとも誘われたら断らない一面を持つ。


視野は広く神経の太いしたたかなタイプ。小心者と本人が語った時、同席していた広瀬は「ん?」と悩んだものだった。


そんな清水でも全てを把握するのは時に探偵まがいの仕事をしていてもさすがに困難なようで、彼女が近づいてきた理由を一部誤った。




志穂の来店は意図的。初めから男女の仲になることが目的と推理をし、カフェ経営者ということで金があると思われたらしい。つまり『金品目当て』とした。結果、清水の予想は外れた。



彼女の真の狙いはカフェなんて小さな規模では収まらなかった。清水健一の実家である清純化粧品がターゲット。大企業のお坊ちゃんを脅迫し金を巻き上げようとしていた。


清水店長、あまり実家の会社とは縁がなく、愛する清水家の一員であっても華麗なる一族の一員である自覚は薄いため、志穂のより大きな目的に気づけなかったのだった。




先日清水が涼真に依頼したおつかいの品はかぼちゃと大根。使い道を問われ、返答は「夢を運ぶかぼちゃの馬車」。


少年店員は首を傾げたものだが清水店長に肩透かしを食らわせたつもりはなく、馬車は比喩だとしても説明としては8割がた使い道に合致する。涼真はただ詳細な現状を知らないだけ。



そのかぼちゃと大根、とうとう使用する時が来た。


無痛薬同様こちらも憶測でしかないが、使用せず後悔するより余程いい。


そう、ごく普通の野菜と思うなかれ。この世でただひとり魔界産の薬を使用する清水の手によってそれらは利用価値ある重要な道具へ生まれ変わるのだ。




過去にも薬を使用してその都度異なる効果を発生させてきたが、今回の能力は事件性を感知しそれにのみ発動するスケープゴート。本体に起こる災厄の身代わりとなる第三者を生み出す。


効果を出すには手順が必要で、実のところ野菜でなくても複数でなくてもよかったのだが、清水は形が適しているとあえてかぼちゃと大根を用意。



まず各野菜に小さな穴を開ける。次に身代わり本体の、今回は清水の血液を少量だけ使用する薬に塗り、1錠穴に入れる。これでふたつの野菜は清水の忠実な身代わりに。


その他時間制限など実は数々の制約が存在する。取説を読むのも面倒な、多くの使用上の注意があるのだ。



これらの作業を行ったのは本日。ハッピーを悪用して広瀬が食い逃げした後。


3日前に再び泊まりに来るとの連絡を原田志穂より貰った。今日が来訪当日だった。




涼真が落胆を見せてから2週間が経過したかしないかというこの日。ここのところ彼の笑顔も増えて清水店長も胸を撫で下ろす。


少年店員は閉店後の片づけをすませるとサンタ衣装を脱いだ愛犬と帰宅。


優しい言葉で送り出した店長は15分後別の相手を迎え入れた。性別は女。約束を交わしていた深い関係にある相手だ。



「こんばんは志穂さん。すっかり寒くなりましたね?」



真冬のような厚手のコート姿に店長は外の寒さを想像し、コートを脱ぎながら女も同意する。



「ほんと、マフラーと手袋しないと凍死しちゃう。健一くん新しいの買って!」


「クリスマス前に一緒に見に行きましょうか。さて寒いならコーヒーにしますか?」


「え、ダメー、寒くてもビール!じゃんっ!6缶パック買ってきたの!」」



袋を差し出す元気な様に清水はクスッと笑い、前回と同じようにグラスを用意。


異なるのは窓側のブラインドを下ろしていること。何をしようとこれで外から見られる心配はない。前回より激しいキスも可能だ。




本日も貸し切り状態で、バーと化した店内はふたりの声や食器のみ響き渡る。


互いにビールとピザを飲食。女は職場や親のグチをこぼし、職場である雑貨売場で起こった客同士の心温まるエピソードなども語った。


今日はボックスシートの隣同士。やがて志穂は恋人同然の隣人に身を委ねた。



「健一くん……寒くなってきたから温めて?」



何を意味する言葉か清水はすぐに察して、ふと広瀬のことを考えた。


もし同じセリフを妻の美羽さんに言われたなら、果たして彼は理解し望みを叶えてあげられるのか。


ブランケットを持ってきたりストーブの前に誘導したりの姿を想像し、食器を片づけながら薄笑い。居ずしてほっこりさせてくれる愛すべき常連客であった。





カフェ店長と客の関係から短期間のうちに肌を重ねて甘い声を漏らす一線を越えた仲へ。


店舗2階の清水の自宅でふたりは今夜も情事に興奮し、温もりどころか暑さすら感じて、それでもかたく抱きしめあう。



ふたりには清水が言い出したルールが存在する。


スタッフの少ない自営業ゆえ店長は毎日勤務。なので睡眠時間は大事にしたいと0時までには就寝とし、志穂の了承を得ていた。


それを踏まえ清水は官能的な吐息の漏れる女の唇や首筋にキスを落として後戯とし、今夜の余韻に浸る。この時23時50分。



「0時までの夢物語とはシンデレラみたいですね?」


「うわダサッ。……健一くんディズニー好きなの?」


「今は見なくなりましたが子供の頃プーさんやアラジンなどアニメ映画は楽しく見ましたよ?シンデレラは姉と。ただ、私の言うシンデレラとはあなたのことです」



覆い被さる男へおかしそうに笑う志穂。先に劣らずこちらもクサいセリフだが、まんざらでもない様子。


しかし『シンデレラ』の恐ろしい真意を彼女は知らない。知っていればこの場にいない。




スケープゴートの発動は0時から5時まで。この効率の悪さをカバーするため清水はピンポイントの時刻を彼女に提示し何度も語ることで脳に刷り込ませた。誘導のためだった。


0時は通称シンデレラタイム。いまシンデレラは口説き文句なんかではなく鍵となるワード。



能力自体は便利でもこの時間設定、清水にも相当のリスクが伴う。


例えば毒を盛られたりナイフで刺されたりした場合、0時前なら死も覚悟。そこでジ・エンドだ。


0時後ならスケープゴートが身代わりとなってくれる。めった刺しにされても事件性を認識したスケープゴートが痛みも傷も請け負ってくれる。


不死身の相手を目の当たりにし加害者は仰天。粉々の大根がキッチン以外の場所で散乱…などのシュールな場面に遭遇もあり得なくはない話だ。



志穂が黒で悪事を働くなら寝静まった0時以降。清水はこちらが有利になると同時に隙を与えたのだ。面倒な人物か確かめるために。


そして発動時間の終わる5時には起床し、日中はなるべくふたりきりにならないよう注意。隙を見せるのはスケープゴートの発動時間内だけなのだ。



「健一くん、いい?ちょっと飲んで来るね?」



バサッと掛け布団をまくってベッドから裸の身を下ろし壁側の棚へ。置時計は0時を示す。室内は薄暗いが目はとっくに慣れている。



口に含んだのは避妊薬。彼女の希望で男側が避妊していないのでこうして自ら体を守っているのだ。


次いで冷静な動作でスマホを手に取り、カメラレンズをベッドに向けた。何度か指が動く。シャッター音はオフだ。



「健一くん、ふたりで写真撮ろ!思いっきりラブラブなやつ」



白々しく語り、またベッドへ。清水にべったり寄り添い自撮りの開始。満面の笑みを浮かべた。


何枚か撮って画像のチェック。志穂にとって色々な意味で重要な作業だ。



「どれどれ、きゃーっ接近してる。家でもニヤニヤしそう」


「ああ、いい写真ですね」



頬をくっ付けあっての仲睦まじい写真に覗き込んだ清水も絶賛する。


思わず男の顔に視線を向けた志穂。彼の瞳に自分が映る。優しい眼差しで見つめてくる。



「健一くん……好き!」



バッと飛び付いて抱きしめた。間違いなく人間。清水健一という男を。




原田志穂の穏やかな日々はもしかするとこの瞬間がピークであり、最後だったのかもしれない。


このあと彼女は現実なのか虚構なのか、何がなんだかわからぬ世界の住人へと少しずつ少しずつ誘われてゆく。


自分や他人を認識できる日々も、残りわずか。





原田志穂がカフェを出たのは朝8時。前回は電車に乗ろうと徒歩で最寄り駅まで向かったが、通勤ラッシュとぶつかりうんざりしたため今日はタクシーを拾った。


しかし地元以外の道路に疎いせいか知らず渋滞に巻き込まれた。カフェ通りは空いていても周囲は住宅街。大きな道路に出ると混雑が激しくなるのだ。



内心グチを漏らしつつ、車内でスマホをいじる。昨夜清水と撮った写真を何気なく眺め、思わず「ええっ!?」と声を上げた。同時にズドーンと腹にこたえる轟音。


まるでショックの効果音のように偶然にも志穂の声と重なった音は、徐行中の車外から聞こえてきたもの。



「お客さん大丈夫ですか?どこかで事故…でもないし、いまの雷ですかね?苦手ですか?それとも私、方向間違えてますかね?」


「あ、え、大丈夫。あ、やっぱり変更。近くの駅で降ります!」



おじさん運転手とバックミラーで対話をして、満員や雷なんてどうでもいいから自宅に着く最速手段を告げる。薄気味悪くて早く家で落ち着きたかった。




嘘でしょ、なによこれ!


ちゃんと確かめたのに何よこれ!


ナニヨ、ナニヨコレーーーッ!!




利発そうな顔は徐々にかたく強ばり、呪文のように自問を繰り返す。


握るスマホの画面には志穂の頬に寄り添う清水健一……ではなく、正体不明のかぼちゃがバーンと我がもの顔で写っていた。




そして違う場所でも一難。


少し遡り、恐怖体験するなんて露ほども思わず26歳の女がタクシーに乗車した頃、ちょうど10歳下の少年は頭から離れかけていた時に訪れた災難に愕然としていた。


あの石の化け物が涼真とゴジラの前に再び現れたのだ。



ピンチを救ってくれたのはどこからともなく飛んできた見覚えある槍の持ち主。



「広瀬さんっ!?」


「涼真君、ゴジ君、危ないからもう少し下がってなよ」



相変わらず緊張感のない口調で危険を促す。それでも涼真に脱力感はなく、いつも通りの広瀬だからこそ余裕を感じ信頼も生まれた。何より落ち着くことができた。



確かに広瀬には恐怖も焦りもなかった。真っ直ぐ相手を見つめて静かに言い聞かせる。



「さて岩男(いわお)君、善良な少年をいじめるのは許せないな。次は僕が相手をするよ?」



12月目前のこの日、雪のように白い肌と黒髪、黒い瞳を持つ王子様は、美しい顔に戦闘前とは思えぬ大胆不敵な笑みを滲ませた。



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