#5 シンデレラ(4)
先週の金曜日の事。カフェ『小庭園』では些細な事件が起きていた。
些細と言っても当事者には巨大なものかもしれず、悩みを抱えた感のある店員を店長の清水は本人が話してくれる時を待ちなから、それ以後ずっと気にかけていた。
本日は水曜日。カフェは定休日でもなんでも屋は営業日とあって2名のみのスタッフはいつも通り出勤。
今日の依頼内容はお寺の枯れ葉清掃と、以前捜索依頼を受けた脱走白ウサギ・スマイルの、今度は弟・ラフの捜索だった。
「店長、スマイルちゃんは自宅の庭にいましたし、ラフ君も似た習性を持ってるかもしれません」
カフェ出発後、店員の涼真はだいぶ元気の戻った声で説明し、飼い主の自宅庭を捜索。
姿が見えなかったので、その足で隣家の庭にお邪魔してこれまた捜索。
雑草をのんびり食べているラフ君を発見。ビンゴであった。
このような作業で一日を終え、戻った店内で清水は有能な店員を呼び止めた。
月に数日は休みや早退を与えているが今週は毎日定時勤務。10日以上でずっぱりではプライベートもなく疲労もたまるだろう。
閉店時間より2時間早い15時をメドに、久々の早退を言いつけた。
普段なら「平気です」と遠慮からではなく、仕事や店長が好きだから残業だって喜んでこなす涼真。
だがその時間であれば夕闇迫る前に家に着けると考え、否定しなかった。
先週の夜に出会った化け物との遭遇率を少しでも減らすためだった。
こうして帰宅した涼真。ただし命じた側には純粋な優しさ以外に明確な理由が何点か存在した。
学生時代に面識はなかったが、お客様として来店した同じ大学の先輩・原田志穂。彼女と閉店後にこのカフェで会う約束をしていたのだ。
涼真がいようといまいと店長とお客様、あるいは先輩と後輩の関係に変わりはない。帰宅させた店長にやましい意図もない。
女側が「ふたりきりで」と注文をつけ、実行したまでだ。
そしてもう一点、姉の五月が持つ霊感に似た、言葉で具体的にどうとは表しづらい『何か』を感じていた。
「姉は霊感。弟は予知。的中率も抜群だしすごい姉弟だ」
常連客の広瀬が状況を把握していたなら、本気か冗談かわからぬ口調でこう述べたことだろう。
そんな夢幻の身勝手な戯言はさておき、用心深い清水は志穂との約束について「何事もなく、冗談レベルの行いですめばいいのですが」と真摯に願う。
とにかく清水と涼真の利害が一致し、閉店時間の17時には店内に店長ひとり。
そこへ遠慮なくドアを開けて来店してきた人物が。清水の予想より30分は早い。
利害の件は知るわけなくとも、閉店時間は存じているはず。なのに涼真が残っている可能性の高い時間に原田志穂は現れた。
彼女の方でも「ふたりきり」にさほど拘りはなかったようだ。もしくは涼真が帰宅してからが本番と、長い目で見ているのかもしれない。
*
「こんにちは!」
「待っていました。どうぞ」
微笑の交換をして、女はBGMの消えた店内を興味深く見回した。少年店員の不在についてはお休みの日なんだろうと気楽に考える。
「わあ、カフェ貸し切り!何か外国のワンルームって感じで、広いしお金持ちになった気分」
「嬉しいですね。どうぞそのままリラックスして下さい。飲み物の希望はありますか?」
「んー、アルコールと言いたいけど、置いてないよね?」
「ビールはありますよ?缶ですが、構いませんか?」
「全然OK!やったー!」
パチパチと拍手までして喜びを表現。そうして対面で落ち着いた会話のできるボックス席へ移動する。
普段自分が飲んでいる缶ビールをグラスに注いで運んできた清水もようやく着席。
お摘まみはフライドポテト。ほくほく感と揚げ物独特の香りがたまらない。冷凍食品のレンチンであるが。
「かんぱーい!」
カチンとグラスがぶつかりあい、飲食の開始。そして楽しいおしゃべりも。同年代、同じ大学出身とあって話は弾む。
「アルコールは強い方ですか?」
自分より先に2杯目に手を付ける先輩へ、清水は好奇心から問いかける。
顔色や口調にまだ変化はなく、原田志穂は相手を見つめて潤った赤い唇を開いた。
「普通じゃないかな。ビール5本とかワイン1本開けたとか、飲み過ぎたら酔うし。健一くんは?」
「先輩と同じです。お酒はどれも好きですが、適量を越すと酔いますね」
街へ飲みに出る日もあるが、実はこのカフェでもワインや酎ハイをストックしている。しかし姉や広瀬との身内用なので他への提供はしない。
ちなみにこのメンバーで最も酒に強いのは広瀬。酔った姿を誰も見たことがない。百年以上もワインを嗜んでいては強いのも当然だ。
志穂はポテトを摘まんで、清水を突然名前で呼んだようにさり気なさを装い、初対面のときから興味津々だったあるジャンルについて質した。
「ねえズバリ聞くけど恋人いるの?」
「ひとり身ですよ。冬に…2月にフラれました」
「えーーっ!理由知りたーい!もう引きずってないでしょ?聞かせてー!」
失恋した本人には申し訳ないが、興味はさらに増して首を突っ込む。
清水は苦笑するも確かに過去のすでに立ち直った恋愛。グラス片手に、さすがに陽気とは異なる口調で語りだした。
バレンタイン一週間前の出来事。全く予期しておらず、対面で別れを告げられたとき清水はその場で茫然と聞いていたが静かに承諾。自宅に戻りひとり反省会を開いた。
「自業自得です。私が気づけずにいたんです。彼女はもっとデートやSNSなどでメッセージが欲しかったようで、寂しい思いをさせてしまいました」
「ふーん。ねえさっきわたしのこと『待ってた』って言ってたけど、あれ本気?お世辞?わたしは健一くんに会いたかったよ?」
照れもなくはっきり思いを告げる。感情はどんどん盛り上がっていき、この際だからと心の内を明かすことにした。
「わたし駆け引きとか嫌いなの。健一くんの元カノみたいに我慢もしない。健一くんのこと気に入ったみたい。遊びからでいいから付き合おうよ」
交際の有無に関わらず、清水の知る女たちの中でも一、二を争う大胆さ。気の強さもかなりのものと推察した。
けれどこんな性格嫌いではない。交際も早ければ別れも早そうだが、ダラダラ続くよりよほどいい。似た臭いもするし、さてどちらが先に飽きるか。
物騒な思考を抱きつつ、とりあえず清水は良い答えを返してあげた。
「お客様とのお付き合いは初めてですね。お友だちから始めましようか」
「やったね!嬉しい!ね、キスしよ?友だち同士がしたってアリだよね?」
返事を待たず彼女はスッと立ち上がって相手の座る対面側へ。
テーブルとシートの狭い空間で強引に男の膝の上に対面してまたがる。息が顔にかかるくらいの至近距離だ。
どちらが先に動いたか、衣ずれと備品の音を伴わせて唇は重なった。
押し付け引き寄せの行為に発展するも、舌を絡めるような特別激しいキスではない。ただ、長い。
「ぷはぁっ!」と女は息継ぎをし、次にはもう重なっている。それの繰り返し。
窓のブラインドも下ろさずに始まったキス。外の通行人に見られたら一大事なシチュエーションだ。けれどそんなスリルに興奮すら感じるふたり。
唇を離したあとも体勢は変わらず、志穂は清水の耳や鼻を甘噛みして誘惑する。彼の腕が腰に回っていて、もっときつく抱きしめてほしいとさえ願った。
「外から見たけど2階あるの?カフェ?」
「上は自宅です」
「やっぱり!泊まっていい?てか泊まりに来たの。一緒に寝よ?たくさんキスして?」
最後の一言は男の耳元で。アルコール臭の微かに漏れる息で甘く囁いた。
*
「うわ、片付いてるー。キッチンもピカピカ!」
カフェ2階の清水健一の自宅は2LKの快適空間。独身とあって誰の目も気にせず好きなように暮らしている。
とはいえ性格なのか散らかしたり埃まみれとは無縁の、新居のように整理整頓の行き届いた住まい。
生活感のない空間は人により殺風景との意見も出るだろう。
清水も彼女の発言を誉め言葉とは捉えず、それを内面に秘めてやんわり答えた。
「家具を置くのは嫌いなので最低限のものだけです。料理も下で作るので、置いてあるだけのお飾りキッチンです…っと!」
背中に衝撃を受けた。志穂が腕にしがみつき抱きついてきたのだ。
「ね、年上と寝たことある?」
「大学のとき。交際していた先輩と」
その返答を真実と受け止めた志穂は、バカ正直ともとれる発言にクスと笑う。
けれど追及はしなかった。一時の興味本意。この男が誰と寝ていようと構わない。
「ねえ、避妊のアレ付けないで。感触嫌いなの」
「いいんですか?何が起こるかわかりませんよ?」
「わたしが避妊するから大丈夫。終わったらすぐ薬飲むから」
こんな調子で話は進み、ふたりが向かったのは寝室。会話なら下ですませた。ここではもう会話はいらない。
薄暗い部屋で肌を重ねて抱きあった。ベッドも腰も揺れた。女が望んだたくさんのキスを全身に落としてやった。
年上といってもやはり女。嬌声を上げて淫らな快楽に震えた。敏感で大胆な女だった。
志穂の絶頂後に休憩。清水は横たわる女の小麦色した滑らかな肌を指で愛撫しながら要望を伝えた。
「お願いがあります。私は自営業ですし睡眠不足では困るので、夜中の0時には就寝とさせてもらえますか?」
「いいよ、大変だもんね」
「それと明日の朝は8時半にはここを出て頂けますか?店員が9時前には出勤してくるものですから」
「OK!わたしは遅番だから。あ、わたしデパート内の雑貨屋でバイトしてるの。教えたっけ?」
「初耳です。お互い接客業ですね。志穂さんも頑張って下さい」
「あ、名前……。健一くん、続きしよ!体冷えちゃった!」
「先輩」の取れた呼びかけによほど感激したらしい。志穂は男にキスをし、清水は女に覆い被さって再び体を繋げた。
◆
カフェ『小庭園』でお泊まりした原田志穂が、店長に見送られて裏口からそっと出たのは朝8時のこと。彼女はまっすぐ自宅マンションへ向かった。
玄関の鍵は開いていた。それに対し驚きはなかった。中に人がいると知っているから。
そうして話したくてウズウズしていた内容を同居人に向けまくしたてた。
「ちょっとちょっと!やっぱりあいつ遊び人よ!いきなりキスよ!寝るのよ!」
「突然うるせーぞ。すぐヤるのはオマエも一緒だろ」
「わたしはいーの!それより次からさっそく作戦にうつろ!?金持ち企業の息子から口止め料と慰謝料踏んだくってやる!優男のお坊ちゃんに世間の厳しさを教えてあげなきゃ」
作戦などという物騒なアイデアが生まれたのは2ヶ月前。
客として来店した大学時代の女友達とバイト先でたまたま再会したときだった。
懐かしい話を様々して、そこに清水健一の名前が上がった。「後輩に清純化粧品のご子息がいてカフェ経営してるらしいよ」と。
友人はネタのつもりだったが志穂は在学中に清水健一と知りあえなかったことを悔やみ、けれど知ったからには利用してやろうと大企業の親族を脅迫しての金儲けを企てた。
具体的にはリベンジポルノの男バージョン。裸の写真を内緒で撮り、拡散されて実家に迷惑をかけたくなければ金をよこせ。
数ヶ月後にまた会いに行き、妊娠したから中絶費用と慰謝料をよこせと嘘を並べて脅迫するというもの。
昨夜一夜を共にして予行練習とした。清水健一は熟睡タイプ。午前0時には静かな寝息を立てていた。
このタイミングが全裸写真または動画を撮るチャンスと見た。
数週間前の偶然の出会いは偶然なんかではなく意図的。
清水健一と知って来店し、二度目で同じ大学と明かす慎重な段取りを踏んで計画を進めていった。
ハニートラップを仕掛けて見事に成功。キスもセックスも当たり前のようにしてきた。先輩であり、来店したお客様だというのに。
「あいつ今までも家の金で女買ったりして遊んでたに違いない。んーっ楽しみ!いくら貰おっか!?雅斗はいくら欲しい?」
高野雅斗は志穂のヒモだ。大学生だった彼女が飲み屋でバイトしていた時の客で、自然と同棲が始まり今年で6年になる。出会った当初も今も無職の33歳だ。
「そうだな……数回に分けるか。月に30万指定の口座に振り込めとか脅してよ。ま、最初は300万くらい貰っとくか」
意外に少ない、と同棲相手の善人ぶりに驚きつつ、まだ確定ではないので再度の話し合いを志穂は熱望した。
とりあえず外出準備。さっきは電車で次はバス。これからデパートでのバイトであった。
*
「おはようございます、店長」
「ばう!」
「はい、ふたりともおはようございます」
志穂と雅斗が危険な会話で盛り上っている頃と時を同じくして、店員・涼真と看板犬・ゴジラはカフェへ出勤。
涼真の最初の仕事は愛犬の飲み水とトイレのセッティング。これをすませなければ落ち着いて他の仕事に専念できない。
テキパキ動き、店の赤いエプロンを身に付けた店員へ店長は優しく話しかけた。
「涼真君、来て早々申し訳ないのですが、おつかい頼みます」
「はい、何ですか?」
「通りの青果店からかぼちゃと大根をひとつずつお願いします」
「わかりました。新しいメニューに使うんですか?」
疑問を素直に投げかけるも、清水店長の不思議な返答は涼真に更なる疑問を与えた。
「いいえ、夢を運ぶかぼちゃの馬車です」
「それシンデレラでしたっけ?……ではいってきます。ゴジラをお願いします」
頷いてみるも、ゴジラは飼い主そっくりの手のかからない良い子なので清水は大助かりだ。
そうして買い物代の千円札を手渡し笑顔を作った。涼真の態度も日に日に元の明朗なものに戻ってきており、店長の笑顔も自然だ。
「いってらっしゃい、気を付けて」
清水健一。表と裏を器用に使い分ける男。
心を許した者にはどこまでも優しく、敵意を抱いた者には全く容赦しない。
野菜はスケープゴート。そして『敵』にどんな夢を運ぶ気なのか、疑惑の段階で手加減なく動き出した。
これが不思議な薬の置かれたカフェの悪魔より悪魔のような心を持つ男の裏の姿。
一方で笑顔を振り撒くことができ、お客様からの評判も良い見た目は普通の愛され店長であった。