#4 百鬼夜行(6)
ハロウィンが過ぎ、カフェ『小庭園』内を目で楽しませてくれた関連オーナメントも綺麗に片づいた11月上旬。
あと半月もすれば店内はクリスマス一色に様変わりするものの、現在は店員の涼真が作成したイラストつき手書きPOPが至るところを彩る通常モード。
今日はカフェ定休日の水曜日。店内には店長と常連の特権か、ひとりの男性客の姿。
カウンターで対面し、気心の知れた仲ならではの会話を楽しむ。
話に区切りがついたのか、広瀬と呼ばれる客は2杯目のコーヒーに手を伸ばした。
ふた口飲んでカップを下ろすと、ひと呼吸置いてエプロン姿の人物を少し見上げる。
先ほどまでの世間話の時と何ら変わらぬ柔らかな口ぶりで話しかけた。
「さて店長、妖怪たちを誘い出したからくりを教えてもらってもいいかな?」
清水店長が何かを企んでいることは知っていた。そして第三者より妖怪の出現を聞いていた。
これらを合わせると黒幕はひとり。当然清水店長だ。迷いなく決めつけてズバリ質した。
カウンター席の秀でた顔を内側から見下ろして、このとき初めて店長は計画通りに妖怪が現れた事実を知った。
出現から退散までどのような事が起きたのか、興味はあるが知る術はない。騒動になっていないところを見ると目撃者や負傷者は皆無であった模様。
計画実行時からそこを危惧していた身として安心するも、まずは返答だ。
相手も存じている曰くつきのアイテムを口にし潔く種を明かした。
「あのダウンコートを使用しました。半信半疑でしたが役に立つものですね」
そうして「妖怪を誘き出すなら怨恨が一番」とのヒントを授けてくれた眼前の恩人へ計画の始終を淡々と説明した。
「妖怪が着ていた物ですからね、まあ試験的でしたが臭いの染み付いたそのコートを誘き寄せるエサにしました。あのコートを燃やせば化け物たちは仲間を殺されたと勘違いして現れるはずと予想したんです」
後村伸二がこの場で話を聞いていたなら、血湧き肉躍るワクワクの展開にさぞかし喜んだだろう。
だがその後村少年をターゲットとして起こした行動。清水は同情ではなく嫌悪を滲ませる。
「妖怪なんかを神格化する必要はありませんし、見える必要もない。見たいのならどうぞ眺めるといいんです。百鬼夜行を目撃した者の末路は……さてどうなったのでしょうかね」
現役悪魔の広瀬は「相変わらず古代悪魔の血縁みたいな人だなあ」と該当者を瞳に映し内心呟く。
続いて両手で頬杖をつき、やんちゃ過ぎるその困ったさんへ「怖い怖い」と苦笑した。
店長自身のセリフが物語るように、彼は百鬼夜行の結末を知らない。心の内にあるのは妖怪出現を把握したが故の悪意に満ちた期待だ。
この通り発言は辛辣であっても清水に確実にターゲットを仕留める気はなかった。
同時に命の灯が消えようと何ら心痛める義理も持ち合わせていなかった。
全ては広瀬や涼真やハッピーのため。良心なんて始めに捨てた。そんなもの抱えては計画に遠慮や躊躇いが生じるだけだ。
とある話が存在する。すっかり忘れさられた記憶だ。
計画の結末、ターゲットの最後とおぼしき情報を、実はハロウィン当日に涼真がネットニュースから仕入れ店長に聞かせていたのだ。
とは言っても涼真も店長も自分たちには無関係と他人事としか捉えておらず、そのせいか一時の恐怖で終わったのも当然の話だった。
いつもの時間に出勤して開店準備に取りかかる涼真は、客用テーブルを拭きながらこう話し出したのだ。
「店長、また怖いニュースを見ました。住宅街の市道で若い男が倒れていたそうです。息はすでにしていなかったみたいで顔には爪痕らしき引っ掻き傷があり、何かに上から圧迫されたかのように肋骨や腕の骨は折れ内蔵も破裂していたそうです。冬眠前の熊じゃないかと書かれていましたが、近所なので怖いです」
「そんなことがありましたか。熊さんも食料を求めて人里まで来たのでしょうが、事実なら確かに怖い事件ですね」
信憑性に乏しいこの内容から後村伸二を連想するのは不可能で、現在に時を戻しても店長も広瀬も妖怪騒動の結末は不明。
最近あの少年を見なくなったなあ、受験勉強のせいかなと想像した程度。
ただし百鬼夜行は現実に起こったらしく、情報源である第三者の意見を少し違う形で広瀬が紹介した。
「ドリームが店長に文句があると、僕に伝言を頼んだんだ」
「ドリームさんが?何でしょうか」
「先日大量の妖怪の気配を感じたので班員総出でパトロールに行ったらしいんだけど」
臭いの大元らしき住宅街へ辿り着いた蝙蝠のドリームたち。
涼真一家の時より妖怪側の憎悪の力が弱かったためか姿は見えなかったが、地上からはあやかし共の臭いがプンプン。
住民に被害は無さそうなので放っておこうとしたとき、功を焦った新入りのジュエルが臭いの中心へ急降下していった。
自分の身を守るため妖怪たちは思わず反撃。ジュエルは鋭い爪に引っ掛かれて負傷した。
これを受けて昨夜ドリームは無表情のまま声のみ苦々しさを込めて、上空から夜景を見下ろしつつ共に飛翔する広瀬に伝言を頼んだ。
「命令無視し単身で猛進したジュエルが悪いのは確か。本人も反省しているが、ただ悪戯に妖怪を呼んだ店長さんもなあ。ジュエルはウチの班の紅一点で負傷だけはさせたくなかったんだ。まあ次からは事前に教えてくれ」
ここでドアのカウベルがカランコロン。このタイミングで涼真が愛犬と一緒に業務スーパーでの買い物から帰ってきた。
「戻りました。あ、広瀬さん、いらっしゃいませ。おふたりとも真剣な表情でしたけどどうしたんですか?」
都合の悪い部分には蓋をして、清水は涼真とも話題の共有。
それから広瀬へと向き直って中断前、涼真にとっては直近からの話を再開させた。
「そうでしたか。申し訳ないことをしてしまいましたね。ジュエルさんは大丈夫でしょうか。女性ですしお顔でなければよいのですが」
「翼らしいよ。飛べるし大丈夫なようだ。片思い相手の右翼長ホープの前で活躍ぶりを見せたかったらしいよ」
「健気ですね。いつか恋が実るといいですね。何かお詫びの品を差し上げたいのですがコウモリは何を好むのでしょうか」
「それについてドリームから提案を預かってきたよ。えーと『義理堅い店長さんのことだから謝罪の品を用意したがるだろうな。ただしメスだからといってリボンなんか貰っても飛行の邪魔なだけでそんなものは却下だぜ?礼なら食い物。虫や肉でいい。今夜涼真の家のパトロールに行くからその時に置いといてくれ』。はい、以上。ふう疲れた」
長い伝言に吐息を漏らすも、ドリームに「妖怪出現の黒幕は清水店長の疑いアリ」と告げ口したのはこの魔界の王子様。
まったく悪気なく、いつものふわふわな雰囲気を漂わせての何気ない流れからであった。
清水もどこからリークされたかなんて気にも留めず、蝙蝠の班長殿にひたすら敬服だ。
「さすがですねドリームさんは。賢くてこちらの思考をすぐに読む。その上でアドバイスまでして頂き頭が下がります」
「なら帰りにボクが生肉を買って、家の庭に置いておきます」
自宅が舞台とあって涼真が役目を名乗り出る。
彼もドリームや20匹の仲間たちが大好き。それに毎夜パトロールまでしてもらい、謝礼がしたいと常々考えていたのだ。
「手間をかけてしまいますがお願いします。お金は後で渡しますね?」
店長よりこのように提示され涼真は従順に頷くも、翌日からは自費で生肉を買い庭へ置いた。
2匹で一組。20匹の班員が日替わりで交代し、毎夜一組がパトロールに来てくれる蝙蝠たち全員へ謝礼を振る舞ってあげたかったのだった。
*
おしぼりや伝票用紙など、買ってきた品を隣のバックヤードに片づけ、戻るなり店員はふとクエスチョンマークを頭上に浮かべた。
「そういえば広瀬さん、水曜日の来店は珍しいですね?」
「今日はここで待ち合わせなんだ。涼真君も一度会ったことのある女性だよ」
「女の人ですか?五月さんとはたくさん会ってるし……実里さんですか?」
清水家長男の嫁で、人気女優の芸名・柿本実里の名を挙げる。
このカフェで開いた次男夫婦の双子の息子たちの誕生日パーティーで一度会ったきりなのだ。
それに彼女が好きなスマホゲームの推しキャラが涼真にそっくりらしく、三次元の方も気に入ってくれていると聞いていたから。
ちなみに実里の1歳になる双子の娘たちはパーティーの際に涼真の愛犬ゴジラに一目惚れしている。
「涼真君、対面してのお楽しみです。私も久しぶりなので楽しみなんですよ」
広瀬にしばしば同行を訴えていたが中々実現せず、清水家三男・健一にとって数年越しの成就。
心待ちにしていた再会とあって、話に加わる表情には微笑が絶えない。
ほどなくして現れた人物はブロンドの長い髪と透けるような青い瞳のスレンダーな女性。
涼真の脳裏にすぐさま先月の記憶が甦った。
欧米系の外見に反して日本語ペラペラな事や線の細い美人だからではなく、彼女が起こした数々の不思議な言動の印象が強くて。
「あ、ウサギ捜索の時の」
「覚えていてくれたの?ありがとう。美羽といいます。美羽・プラウド・広瀬です」
「松原涼真です。こちらこそあの時はありがとうございました。えっと…広瀬って、もしかして」
「うん、妻だよ。僕の愛する奥さん」
彼女の腰を抱き寄せ、愛の告白付きで補足したのは一足先に来ていた旦那さま。
結婚して30年になるというのに愛情表現を欠かさない、常に新婚当時の真摯な気持ちを保持し続ける人物だ。
余談だがこの夫婦、容姿も当時から変わっていない。
かねてより話題に上がっていた噂の奥さんに会えて嬉しいが、少年の頭の中ではいまだあの強烈すぎた記憶が占拠する。
しかし素性が判明したことでようやく納得だ。鳩やウサギといった白色動物との意思疎通を窺わせる不思議な光景は夢ではなく現実。
悪魔である夫が黒色動物と会話ができるように、天使である彼女もまた同種の能力を持っていたのだ。
さて人数も増えて横一列のカウンター席では会話が遠いと清水店長は判断。提案を発表する。
「場所を移しましょうか。皆で対面して座りましょう。涼真君、ボックス席に移動するのでおしぼりの準備をお願いします」
「はい店長。ゴジラは美羽さんにはじめましてのご挨拶だよ?」
「ばう!」
「あら、返事ができるのね。お利口な子。ゴジラちゃん、隣にどうぞ」
「ばう!」
本日水曜日。なんでも屋をお休みにして店を貸し切りに。
カフェだけどカフェだけではない、不気味な薬を駆使して何かを起こす不思議なお店。
けれど恐ろしい結末をもたらすことの多いホラー要素とは今日は無縁。楽しさだけが店内を満たす。
「にゃーん」
ピクピク揺れる可愛いおヒゲで会合を捉えたのか、ひょっこりドアの前に現れたのは黒猫ラッキー。彼女も笑顔の集団に仲間入りだ。
「店中いい香りで、店長さんの淹れるコーヒーやっぱりおいしい。お芋のタルトもいい甘さね?」
「美羽の料理も美味しいよ?僕は君のすべての手料理が好きだよ」
「広瀬さん本当に奥さんが好きなんですね」
「以前からこんな調子で、私はふたりのノロケ話を聞くのが楽しみなんです」
「にゃにゃ!(私と涼真の関係と同じだわ!私も涼真の手料理が大好き。愛し愛されてるからなんだわ!)」
「ばぅばぅ(涼真パパはボクにも毎日美味しいゴハンを作ってくれる。ボク残したことないよ!)」
広瀬とラッキーが通訳にまわり、更に賑やかな空間に。
温かいコーヒーや動物たちにはミルク。スイーツをお供に、4人と2匹による談笑やノロケ話に花が咲く、お昼前のひと時。
窓際で秋の陽射しを浴びながら、その温もりに負けず劣らず今日もアットホームなカフェ『小庭園』。
明日も明後日も、お客様は変わろうと今後も今日のような癒しの場を提供しようと、自然と心に刻む店長たちであった。