#4 百鬼夜行(2)
営業中のカフェ『小庭園』の店内は、お化けやお菓子など幾つものオーナメントが吊るされハロウィンの装い。
たくさんのお化けに囲まれ、店の看板犬ゴジラは臆病な性格もあって毎日ビクビク。
窓際に置かれたジャック・オー・ランタンの不気味に笑うかぼちゃは特に怖いらしく、近寄ろうともしない。
初対面のときには飛び上がった末に別室へ逃げ出し、飼い主の涼真や清水店長、装飾の手伝いに来ていた清水の兄嫁と双子の息子たちに笑われたものである。
先日のそんな和やかさとは一転、現在の店内はどこかピリピリムード。
きっかけは広瀬を追って来店した男子中学生の発言だった。
「オレ妖怪とか超常現象とか大好きなんだよ!カッコいいよな!」
誰を傷つけるつもりもなく無邪気に語ったわけだが、知らずふたりの人物に衝撃を与えた。
この学生へ店員として水を届けにきた涼真。彼は妖怪に両親を殺された過去を持つ。
過去といっても忘れるにはまだまだ早い、半年前でしかない。
よってカタキである妖怪をカッコいいと形容する学生に対し、気持ちをどうぶつけるべきか、憤怒ではなく「あいつらの本性を知ってるか!?知らないだろ!?」と問いつめたい衝動に駆られた。
偶然にもハロウィン期間中。これもある意味で妖怪のお祭り。ハロウィンを楽しむように別物として捉え接するべきであった。
けれどあの日の記憶が鮮明に蘇った今の涼真に割り切ることはできず、憮然とした顔つきをさせ珍しく感情を露にした。
16歳の少年の唇を噛みしめ抑制を貫こうとする悲愴な姿。隣に佇む清水は心の内を察し胸を痛めた。
10近く年下の少年が一時の感情に流されず、年を重ねた大人のように我慢している。それを台無しにする振る舞いは避けたい。
とはいえ子供らしく感情に任せて動いてほしいとも思う。協調も必要だが我が儘は若いうち。我慢は大人になり広い世界に出てからでいいのだ。
口頭でしかないが親代わりになると約束した。辛いことが起こったときは守り救うが役目だ。
違和感あるタイミングと承知で雑用をそっと依頼した。
「涼真君はカウンターで備品の在庫チェックをお願いします」
「……はい」
精彩を欠いた返事をひとつ。店長の気遣いと感じ取る余裕もなく、涼真は静かに場を離れた。
事情を知るゴジラ以外の面々は肩を落とす涼真の背中に同情の視線を送る。黒猫が「にゃあ」と悲しそうに鳴いた。
一方で一店員の過去を知るはずもなく、どんよりした雰囲気にも全く気づかぬ学生は、眼前の広瀬に興味津々。
「あんた黒魔法使ったんだろ!?他にどんな魔法使えるの!?……あれ?これさっきの猫?もしかして使い魔!?やっぱ黒猫なんだな!」
黒猫ラッキーの存在も彼には魔法関連の一部らしい。
当のラッキーは『使い魔』の響きに「悪くないかも」と、いじめられた恨みも涼真への同情も忘れてひとりご満悦だ。
何でも都合よく関連付けされ周囲は半ば呆れてしまったが、鈍感な広瀬もさすがに煩わしさを感じたか説得を始めた。
「この黒猫と僕は顔見知りなだけで飼い主でもないし、魔法なんていうへんてこな話も信じてない人間だよ?」
「へんてこなんて言うなよ。スゲーことなんだぞ。あんたが『風』とか『刃』とか呟いた後に渉が顔に怪我したんだ。オレあんたの声聞いたんだからな!?」
「確かに言ったよ?でもそれは秋なのに優しい風が吹いたから「ああ春風のようだなあ」と呟いたまでで、だか…」
「やっぱ言ったんじゃねーかよ!?あんたイケメンだし魔界の王子や冥界の死神、異世界の魔法使いとかだろ!?」
食い逃げのため嘘は上達しているが、コーヒーを飲んでいたなら広瀬は隠しきれず吹き出していたかもしれない。
清水店長も学生の聞く耳持たぬところや強引な解釈はともかく「なかなか鋭い」と感心した。
紛れもなく広瀬は魔界のプリンス。数々の呪文を操る悪魔だ。
ただし一般のイメージとは相反する穏和で争いを好まぬ平和主義者。攻撃魔法もささやかだ。
この学生含む3人組にいじめられたラッキーの報復に風を使ったまじないで少し懲らしめたのだが、まさかこんな面倒を生むとは。
次からは水にしよう、とどこか天然な王子様は秀麗な顔を頷かせて今後の教訓とした。
このふわふわな性格は魔王譲りと広瀬自身は他人事のように語る。
事実頼りないところのある悪魔なので、10年近い付き合いをもつ清水は彼が自滅せぬうちにと話題をすり替えた。
「今日は下校早いですね?」
「テスト期間なんだよ。明日まで。かったりー」
「おやおやそれなら帰宅して明日の勉強ですね」
「オレそこそこできるから夜に復習すればいい。受験生だからそれなりにやってるし」
「受験生ですか。頑張って下さい」
「ま、でもほんと帰るか。なあイケメン、名前ある?ルシファー?メフィスト?アモンとかテュポンとか?」
「僕は日本人だよ?広瀬っていうんだ」
「広瀬!?うわ普通。ガチつまんね。オレ後村伸二。また来るから一緒に話そうな!よろしく!」
本音を言えば誰も再会を望んではいない。なので皆が無言。本人だけがウキウキ気分で帰宅していった。
終始ペースを握られ、大人たちの方が後手に回っていた印象。
大胆不敵な清水も素直にそれを認めて息を吐いた。
「疲れましたね」
「うん。嫌な汗をかいた。しばらく僕は閉店後に来るよ。あの子は苦手だ」
「そうですね。いつでもお待ちしております」
常連客に微笑み、そして別の常連客であるママ友グループの会計のため場を離れた。
置物のような黒猫ラッキーが座席シートから隣人を見上げる。
「王子様ごめんなさい。私のために攻撃呪文を使ったんでしょ?」
「ささやかな反撃のつもりだったんだけど。僕なら何もダメージはないから心配いらないよ。隠し通せばいい。ただ涼真君に悪いことをしてしまった」
「涼真落ち込んでたわ。ゴジちゃん、おうちに帰ったら涼真をたくさん慰めてあげてね?」
「うん、ボク涼真パパのために頑張る!」
涼真の飼い犬としてくりくりの瞳を煌めかせ努力を誓うパグ犬だが、何を理由に慰めるのか、難しいことはまだまだ理解不足の仔犬であった。
*
動物や一部の人間、悪魔にとって様々起こった昼下がりであったが、閉店間際のカフェで最後の騒動が勃発した。
10月の日暮れは早く、飼い主のユキヒロが心配するからとラッキーが帰宅を訴えた。
勤務中の店長たちに代わり広瀬がドアを開ける役目を担うも、チャンスと見たか彼はラッキーと一緒に退いてしまった。食い逃げである。
肩をすくめる清水と涼真だが、犯人の使用した食器を片づけていたテーブルには小銭が残されていた。
まさかあの広瀬が。天地を揺るがす一大事である。
突然の改善理由をふたりは予想してみる。落ち込んでいた涼真を気遣い悪事は控えたのだろうと同じ意見にまとまり、善意に感心したのだが……。
小銭は100円硬貨一枚。コーヒーとモンブランをしっかり食べておいて支払いは100円。
それでも涼真は小銭を握りしめてフッと笑った。
慰められた気がして嬉しかったし、広瀬ならではのピントの外れた行為にだんだんニヤニヤが止まらなくなった。
みんな優しくていい人たちばかり。自分の身勝手で心配をかけてしまった。もちろん店長にも。
閉店後の店内で涼真は改めて清水店長に向き直った。
「すみませんでした。営業中だったのに不機嫌な態度を見せてしまって」
「構いません。涼真君の不機嫌な顔は滅多に拝めませんし貴重でした。怒った顔も可愛らしくて常連客の皆様にも喜んでいただけたのでは?」
冗談めかして場を和ませた清水。いまだ硬い表情の少年を見つめ、自身もスッと顔を引き締めた。
「涼真君、時には肩の力を抜いて下さい。気を張りすぎず、弱音もドシドシ吐いて下さい。そして早く笑顔を戻して下さい。ゴジラさんも気がかりなのか涼真君の後ばかり追ってますよ?」
足元から人間たちの様子を窺っていたゴジラ。
ラッキーの言いつけを早くも実行しようとしていたのだが、飼い主と視線が交わると嬉しそうにパタパタ短いしっぽを振った。
意気込んでいたわりに涼真への慰めより自分の喜びが優先らしい。
「本当だ。ありがとゴジラ。ボクは大丈夫だからね?」
しゃがみこんで愛犬の頭をよしよしと撫でる。
愛情たっぷりに手を動かすその顔には笑みが浮かび、内容はどうあれゴジラは涼真パパの気持ちをほぐすことに成功したようだ。
腰をあげて涼真はゴジラを両腕に抱き、素敵な言葉を送ってくれた恩人をいつもの澄んだ瞳に映した。
「店長もありがとうございます。広瀬さんやラッキーたちや清水家の皆さんにはお世話になりっ放しですね。たぶん今後も。恩返しだけでなく迷惑もかけると思いますが、よろしくお願いします」
少年はちょこんと頭を下げ、理解しきれぬまま仔犬もおもしろそうだとマネをした。
*
涼真の帰宅後、清水は2階の自宅には戻らず、案の定カフェに居座っていた。
まるでバーであるかのようにカウンターでアルコールとおつまみ。
とはいえ洒落たものが出てくるわけでもなく、缶ビールと焼きそば。
ひとり寂しく夕食をとりながら、午後の騒動をきっかけに忘れたくても忘れられない、涼真と出会い、そして化け物と遭遇した事件を思い起こした。
忌まわしい化け物は広瀬が退治したものの、傷を負った涼真の両親はかえらぬ人となり、生存した涼真はいまなお妖怪へのトラウマを抱えて生きている。
あんな事件さえなければ涼真は泣かずにすんだと清水の表情に険しさが滲む。5か月前の、ある初夏の一日を追想した。
*
事件直後の別れ際に貰った名刺をもとに、お悔やみ返しのお茶を持参してカフェを訪れた涼真。
返礼はついで。真の目的は気分転換だ。住宅ローンが残っていて自宅売却の選択に悩み、精神的疲労に参っていた時期だった。
事件当日と変わらぬ店長の優しさに迎えられ、改めて互いに自己紹介をしドリンクをごちそうになりながら、会話は涼真が抱える葛藤に及んだ。
「今のボクにローンが払えるはずないし、今後の生活費の工面のためにも売却は必要だってわかってる。でも両親との思い出のつまった家で、ふたりが使ってた食器とか服とか靴とか……ボクは……本当は、売却なんか、したくなくて、思い出の品に囲まれて、そうじゃないと、この先ひとりで生活なんか……」
行政が様々援助してくれるらしい。家を売却した後は父方の祖父母が自分を引き取ってくれるそうだ。
けれど涼真の心はまだ父や母、愛着ある家から離れられず。
通夜でも葬式でも泣かなかった。でも涼真は火葬以来やっとこのカフェで嗚咽を漏らした。
店長から手渡されたティッシュを握り締め、ボロボロ涙を落とし、鼻をグズグズさせ肩を震わせて泣いた。
清水は16歳になったばかりという少年の話を静かに聞き、内心では己を責めた。
自分がもう少し早く現場に着いていれば母親だけでも助けられたかもしれなかった。
あの日、姉の霊感をきっかけとし町内巡回へ出ていた途中、現場へ向かっていたコウモリのドリームたちとの合流が奇跡的に実現した。
彼らが警戒レベルを引き上げ動いたのは、隣町でのパトロール中に邪気を感じた時だという。
カフェを出て真っ先に彼らの森へ行くべきであったのだ。パトロール前のドリームと会えたなら彼に。留守なら待機部隊に合同パトロールを頼めた。
会話はできずとも賢いドリームなら危機と察したはずだ。
実現できていたなら町内にとどまり隣町より近い場所で邪気を感知し、現場到着も早まった可能性は高かった。
加えてもっと早くドリームに広瀬を呼んでもらえば……。
果たして『たら・れば』の行方はどうであったのか。成功の保証はない。
何せ妖怪の出現なんてあの時点で誰も知るはずがなかったのだ。危機感と緊張感の乏しい雰囲気でどこまでの行動パターンか思考できたか。
それでも実行していれば、と清水の後悔は事件が始まる以前の己の判断ミスを起点とする。
そして事件から半年以上が経過した現在も、責任とは無縁にも関わらず後悔を引きずる。
トラウマを抱えているのは涼真よりも自分なのでは、とビールを飲みつつ自己分析。
とにかく大切な店員であり家族のような涼真をもう泣かせたくも、妖怪なんかのために落胆させたくもない。
後村とかいう中学生には自制を願うが、接した限り期待は薄い。
チャンスは与えるが領域を侵したときは報復も辞さない構え。これが広瀬の語る清水の「歪んだ正義感」。
領域というものが店長の私的範囲にすぎないことを悪魔のプリンスは存じている。
店長本人は秀でた顔した友人の発言を苦笑して否定するも、エゴは確かに存在しているのだ。
己の信念のため、大切な者たちを守るためなら非情になる男。意志が固く仲間思いと表向きには聞こえはいいが、やっていることは身勝手なうえに冷酷そのもの。
ターゲット候補は中学生。それでも容赦なしに動こうとするカフェ兼なんでも屋店長・清水健一であった。