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#1 ハチミツ(2)



「宮崎さん、LINEでもお伝えしましたが、アカリさんの調査が終わりました。結果はどうなさいますか?お教えしてもよろしいですか?」



現在地はカフェ『小庭園(プチ・トリアノン)』。駐車場のない点は不便だが、それでも週別来客数は上出来の老舗店だ。



なおこのお店、カフェ以外にももうひとつの顔を持ち、ご近所の雑用を主に探偵業など様々こなす『なんでも屋』も営んでいる。




本日水曜日はカフェの定休日。入れ替わりになんでも屋の営業日。


来客はほぼ皆無のこの日を利用して、先日依頼に訪れた宮崎祐希へ『恋人の浮気調査』の結果報告だ。



しかし店長の清水健一は本人に『聞く・聞かない』の二択を提示した。


勇気があるなら聞けばいい。嫌なら拒めばいい。それだけのこと。




カウンター席の宮崎祐希は決断力とメンタルの強い男のようだ。キッパリ言い切る。



「聞きます。どうせ依頼した時から覚悟はできてました。清水店長、話して下さい」



再度の問いで気持ちを揺さぶるような真似はしない。依頼主の決断を尊重し、清水は一度で頷いた。



「わかりました。報告します。ではこちらの写真に目を通して下さい」


「これは……」


「彼女を尾行して盗撮した写真です。アカリさんで間違いありませんか?」



このときの宮崎に店長の最後の言葉が届いていたかどうか。


カウンターテーブルに置かれたスマホの画面を食い入るように見つめていた。




さすがの宮崎も証拠写真を前にしては絶句するしかない。


以前から、先ほど清水店長に問われた時から察していたはずなのに声も出ない。今は裏切られた怒りより、寂寥感の方が遥かに大きかった。




宮崎は自らスマホを操作して写真をスライドさせる。


指でめくってもめくっても、出てくるのはアカリと知らない男との路上での密着写真。


ホテルに入る時、そして出てきた時の物まである。画像のアカリは宮崎の前でも見せていた明るい笑顔。


しかも対象は複数。今回だけで男は3人。黒、緑、茶と髪の色も様々だ。




落胆の察しはつく。清水店長は依頼主の手元へ控えめに水を置き、沈黙する彼を励ますつもりで声をかけた。



「宮崎さん大丈夫ですか?」


「……あ、はあ大丈夫ですけど、大丈夫じゃないかも」



肩を落として宮崎は複雑な胸の内を明かし、手元のグラスに口をつけた。



困惑は一目瞭然。清水は依頼料の話題は避け、金額の記された振り込み用紙を相手の胸元にそっと置いた。





「店長、あの人落ち込んでましたね?」



愛犬ゴジラと共に隣室から覗き見していた涼真少年が、同情を込めて口にする。


清水店長も異論はないようで、かわいい顔した店員に同意を示した。



「そうですね。アカリさんと違って彼は真剣に交際していたのでしょうね」


「写真の3人のうち、ひとりは店長の変装だと知ったら怒るだろうな」



そう、宮崎祐希に見せた写真の黒髪の男は、ネット通販で購入したカツラをつけた清水の変装。


そして全ての写真を撮っていたのは涼真だ。




ふたりは愉快犯ではない。宮崎には必要以上の落胆を与えてしまい申し訳ないが、目的は過去・現在・おそらく未来と浮気するアカリを懲らしめること。


手間をかけているのだ。彼女の肉体を貪ろうと手間賃の一部にすぎないと清水は思っている。


そろそろ懲罰の開始時期。すでにホテルでの次の会合も決まっており、その時が実行日といま確定させた。



持参品はカツラと涼真が買ってきてくれた、やっと登場のビン詰のハチミツ。


そうして最重要なのが常連客の広瀬から貰った『あの薬』。




使用に至るシチュエーションや薬の種類は毎回違えど、これまでも複数の人物へこの不思議な効果を生む薬を使っての懲罰行為を実行してきた。


それらの行為を広瀬は常々「店長の歪んだ正義感」と本人の前ではっきり語るも、止めるでもなく毎度見て見ぬフリなのだ。



当の清水に歪は認めても正義の自覚はなく、広瀬の発言を聞くたびに否定のように苦笑する。


かといって悪と思うわけでもなく、信念に基づいて薬を使用し懲罰を続けるだけ。


今回もエンディングを目指し話を進めてゆく。



「涼真君、大詰めです。また君に手伝ってもらうのでよろしく頼みます」


「了解です店長!」



一見普通のカフェ内で、穏やかに処罰を企むふたりの若者。


この様子を彼らの足もとから「楽しそう」と羨ましげに見上げるパグ犬ゴジラ。


雰囲気だけで判断してしまう、まだまだ未熟な仔犬であった。





本日もホテルのデイユースプランを利用して16時にチェックインした健一とアカリ。


ベッドで男女は身を寄せあい横たわる。


セックスを終えたばかりの赤みの残る顔で、女は同じ時を過ごすのは3度目となる相手に語りかけた。



「ねえ健一、あたしカレシに浮気がバレてフラれたんだ。でも寂しくないの。健一がいてくれるからだよ?」



恋人の祐希が浮気調査を依頼していたなんて知らなかった。


けれど浮気を理由に別れを告げられたとき、アカリに寂しさや未練はなかった。


すぐに健一の優しい顔と声が浮かんで、彼だけの女になれると嬉しくなった。他2名のセフレは脳裏の片隅にもいなかった。


祐希とはその場で破局を迎えた。いま目の前にいる男が涼しい顔で主導した悪夢の前触れとも知らずに。



「セフレでもいい。これからも健一といたい。大好き。健一、大好き」



思いを告白し、アカリは彼の唇にキスをした。


すぐに身体は彼の腕の中。肌の露出する背中を愛撫され、今後の逢瀬を認められた気がしてハッピーだった。




祐希よりひとつ年上でしかないのにミステリアスな大人の魅力を醸し出す健一。


25歳とは思えないクールな瞳に見つめられるとドキドキして、そのくせ笑顔は幼く、眺めていると優しい気持ちになれる。


会話していて楽しいし、セックスも激しくて、恥ずかしい格好もたくさんさせられるけれど、だんだん気持ち良くなり今では快感で。



彼にはたぶん女がいる。それでもいい。こうして会えて抱かれて、それ以上は望まない。次の約束が実れば満足だ。




いまや健一の虜と化したアカリ。彼女は浮気したり不倫相手となる以外は悪い女ではない。むしろ本命には尽くす健気なタイプ。


将来的には誰かの良い妻になれたかもしれない。ここで23歳の短い生涯を終えさえしなければ。




健一は許可を取るように小さく笑って女から身を離した。


ベッドを下りてバッグから小物を何点か取り出す。


そうしてベッドに腰を落とすと、手のひらの真っ黒な錠剤を差し出した。



「これを飲んで下さい」


「え、ヤバいやつ?ドラッグ?」


「いえ避妊薬です」



アカリは一瞬言葉を失い、即座にプッと吹き出した。



「準備いいなあ。遊び人?ま、いいや。コンドームだけじゃ怪しいし。お互い子供できても困るしね」



2錠を指でつまみ、これまた準備のいいことに用意されたペットボトルの水まで貰ってまた笑った。




人間らしさに満ち溢れたアカリの、これが最後の笑顔。まともな姿。


ゴクンと飲んだ直後に彼女は異変を感じた。気分は悪くない。ただ一秒ごとに視界が変わる。



天井はどんどん高さを増し、健一は大男になり、先ほどまで枕だったものはベッドサイズに変化した。


これらの原因は相手ではない。信じがたいが『不思議の国のアリス』が現実に。自身が縮んだ、15センチくらいまで小さくなったのだと自覚した。



「なっ、何なの‼嘘でしょ!こんなのあり得ないっ!健一なのっ、もとに戻してっ‼」



全裸の彼女は乳首や陰毛まである、リアルすぎる着せ替え人形のよう。


ただし自らの意思で全身が動き、発声も可能。間違いなく彼女は人間。だから正確な判断ができる。様々な恐怖も抱く。



逃げようとしてベッドの端まで何歩か小走り。下を覗きこんで絶句した。


高い。ベッドから床までの高さが身長の3倍はある。


通常サイズで2階から地上を見下ろしているときのような光景。飛び下りるのは不可能だ。




ちょこちょこ動き回るアカリを無視して、男は彼女の衣服をバッグに詰め、変装用カツラを装着した。



そうしていまや彼女には巨人でしかない身で穏やかに見下ろす。手にはガラス瓶が握られていた。



健一は『お人形さん』を空いた手で軽々と持ち上げると瓶の中にためらいなく放った。



「きゃっ!」



着地に失敗したアカリは深さ2センチほどの琥珀色したゼリーのような物体の中へ。しりもちをついて上部の穴を見上げる。



蓋の部分は丸型。まるで天窓のよう。内部は狭くて助走もできず、立ち上がってジャンプしただけでは手は穴の縁に届きそうにない。脱出は無理だ。


まず第一に足もとの物質のせいで足場が悪い。全身も……。



「何よこれ!ベタベタじゃない!キモいっ!」


「それハチミツです」



一言をあっさり口にすると、健一は部屋の片づけを始めた。


すぐに作業は終わり、最後にうるさい瓶をバッグにしまうと消灯して部屋を後にした。終始事もなげな様子であった。





1階のエレベーター前で女装の涼真少年と合流。彼はアカリの身代わりだ。


トイレを借りるフリをしてホテルを訪問。トイレ内で変装開始。


彼女と同じ長さのカツラ、それから目深にハットを被って女になりすます。


本人は反発必至だが元々かわいい顔なので上出来すぎる仕上がりだ。



「君も指紋を消す薬は飲んで来ましたか?」


「はい。それよりカツラが肌にあわないのか頬が痒くて早く取りたいです」


「おや大変だ。会計してきますね」



そうしてなに食わぬ顔でチェックアウトをすませると、ふたりはホテルを退いたのだった。



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