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#3 無痛(1)



比較的新しい住宅が広がる地区の商店街通りに、『小庭園(プチ・トリアノン)』という老舗のカフェが存在する。



なんでも屋としても知られており、カフェの定休日である水曜が営業の日。


カフェ営業中の9:30~17:00までが電話や来店での予約受付時間。依頼が入っていなければ内容によりアポ無しでも当日対応可だ。。



なんでも屋の仕事は名前の通り様々。庭掃除やペットの散歩、自転車のパンク修理や浮気調査など、可能範囲ならジャンル問わず依頼に応じる。




さて本日はその水曜日。カランコロンと真夏には風鈴のような涼を感じさせるカウベル音を響かせてドアを開けるお客様が一名。



「いらっしゃいませ」



毎度のこと惜しげなく披露される清水店長の癒しの笑顔。


しかし来店した女は不安そうな表情を崩さず、発言は見る者の予想を裏切らない小さな声だった。



「あの……依頼を。地方から来たんです。エリア内でなくても大丈夫ですか?私の個人情報は漏れませんよね?」


「はい。守秘義務違反はしませんし、お住まいはどちらでも構いません。お座り下さい」



30代半ばだろうか。女はカウンター内に佇む人物の穏やかな口調に安心したか、強張る顔を徐々に緩めた。


香水臭を飛散させて周囲を見回し、席に悩むも結局は彼の正面のカウンター席を選択。人生初のカウンターに少し緊張を見せた。



「私はカフェのマスター・清水です。なんでも屋も私が担当しております。お名前とご用件を伺ってもよろしいですか?」



ワケありなのは最初の発言からも察しがついた。


けれど清水は嫌な素振りも見せず依頼内容を促す。質問用紙も存在したが、あえて対話とした。




女は過去の依頼者と同様、清水のどこか頼りなさそうな優しい容姿と、何よりどう見ても20代の若者では期待薄と疑問視。安心と信頼は別物なのだ。


それでもせっかく来たのだから、と折り合いが悪ければ素早い帰宅も視野に事を進めた。



「下の名前だけ。由里子といいます。夫の暴力に悩んでいるんです」



それきり口をつぐんで視線を落とした由里子。店長は表情から胸の内を探る。



本名かどうか疑わしいが、現時点で確認の術はない。困るわけでもない。


依頼主本人が例えば番号で呼べと命じてきても、受け入れ態勢は整っている。


まあ人権問題もあろうから、偽名であっても名前の方がありがたいのは確かだが。


……などと幾らか思考を脱線させつつ、そっと背を見せて移動した。




現在午前10時。本日のなんでも屋のスケジュールは、午後から野菜農園で出荷作業のお手伝い。


店員の涼真も出発30分前を目安にここへ出勤。合流してから一緒に出発だ。



というわけで現在店内にいて仕事のできる者は店長の清水だけ。


緊張や葛藤をほぐしてあげようと、カフェならではのサービス、当店で一番高価なコーヒーを提供した。




由里子はカップを手に取り「いい香り」と呟いて赤い唇をつける。


半歩前進程度には落ち着いたのか、再び口を開いた。



「ここは被害者センターでもシェルターでもない。暴力から救ってもらうために来たんじゃないんです。ただ私の話を……グチを聞いてほしくて」



体面を気にして友人にも隠し通してきた。役所や親兄弟へも、彼らの口から夫の耳に入った場合を考えると……。


その後には報復が待っている。殴る蹴るの暴力が始まる。痛みに耐えるだけの空虚な時間が。



夫に怯え、話し相手もなくストレスはたまる一方。このままではメンタルが崩壊してしまう。人間不振や笑顔のない鉄仮面になってしまう。


葛藤に苦しむ日々のなか、ネットで偶然見かけたのがこの『小庭園』。


ただしなんでも屋といえど「グチだけ聞いてほしい」との依頼を受け入れてくれるかどうか。




清水店長はすべてを見通しているかのように、相手を安心させる柔和な表情で頷いた。



「よろしいですよ?あなたの気が晴れるまでお話し下さい」



少しだけ驚いて、けれど希望の叶った由里子は何から話そうかと思案し、定まるとどこかしら嬉しそうに改めて店長の顔を見つめた。




落ち着いているようでストレスは相当たまっていたのか、話に時系列や起承転結はなく、会話はあちらこちら飛び回った。


しかし内容はどれも夫の暴力や監視されているかのような息苦しい日常生活など一貫性を持った。



具体的には夫によるスマホのあらゆる履歴チェック。職場での昼休みにはGPSを使った妻の現在地確認など。


もし怪しい部分が出てくると自宅でネチネチ追求され、納得させられなければ手元の物を投げつけられる。容赦なく手や足が飛ぶ。



これらに対し由里子は「そこまでするものか?」と、デリカシーもなく人の痛みにも気づかぬ夫の異常な言動に腕をさすって抗議の言葉を吐き捨てる。


もちろん夫の前ではあり得ず、いまここでのみ許された行為だ。




彼女の動きを瞳で追い、清水は長袖の服は日焼け予防以外の目的だろうと推測。


そんな彼は話に耳を傾けるだけ。感想や時おり繰り返される同じ話への指摘など何ひとつ言葉を挟まない。


だだ内心では感想を抱き、夫とやらは束縛や独占、支配への欲望にまみれた人物。


まるで子供のように感情のコントロールができず、弱きに当たり散らすことでしか満足のできない身勝手な男……。




思考を重ねて清水は自らを笑う。


ひとつはカウンセラーでもない自分がありきたりの分析をしたところで、何の解決にも繋がらないのでは。そもそも解決など頼まれてもいないのに。


いまひとつは、話を聞くだけでいいのだから思考行為そのものが実は不要なのではないか。



意外に『いい人』な自分に笑いたくなったが、もちろんただの善人ではなく、夫の主張は別にあるはずと由里子ひとりに同情はしない。


常連客の広瀬なら「その方が清水店長らしくていい」と褒めたつもりで語るのだろう。





一時間近くをほとんどひとりで話していた由里子は、コーヒーのお代わりを用意する店長に気づくとまずそれを制した。


おしゃべりな自分を恥じらいつつ、改めて本音を漏らす。



「いっときであっても話せてすっきりしました」


「それは良かった。ストレスが原因で病にかかるケースもありますからね。ためない方がよいでしょう」


「あの…聞いてもらった料金はおいくらに?」


「話を聞いただけですからね。今回はお試しということで無料。ですが2回目以降も、となるとこちらも商売なものでして困ってしまいます。ですから次回からは頂きたいと思います」


「また来てもいいんですか?話聞いてもらえるんですか!?」



頷いた清水を直視する由里子の反応は、自分の内だけで感激を噛みしめるように沈黙。



熱が冷めるとそっと立ち上がり、背中まである長い髪を垂らして深々頭を下げた。



「ありがとうございました。コーヒーごちそうさま、美味しかったです。では失礼します」



淑やかに微笑んで店を出ていった由里子。


清水店長は香水の匂いに満ちたフロアに回ってカップを片づけ、そこにくっきり残る真っ赤な口紅の痕を含み笑いを浮かべて眺めたのだった。





「おはようございます店長」


「ぱう!」


「おはようございます涼真君。おやゴジラさんも出勤ですか」



正午を過ぎた時刻だが朝の出勤時と同じ挨拶を交わすふたり。


清水にとって予想と異なったのは自宅待機だと思っていたパグ犬の存在だ。



「はぃ。出荷作業の終了時間が見当もつかないので。冷房のある広い空間に置いておきたかったんです」


「そうですね。仔犬のゴジラさんは体温調整がまだ難しいかもしれませんしね。ただ広いとはいえ冷えないよう温度調整は必要ですね」



そうして愛犬の飲み水やトイレをセットしながら、涼真は恒例の質問。常習の食い逃げ犯についてだ。



「今日は広瀬さん来ましたか?」


「いいえ、これからかもしれませんね。その代わりお客様が来ました」


「予約ですか?」


「実行しつつ予約も取りつつ。依頼内容が『グチを聞くこと』だったもので、すぐに動いたんです」


「おかしな依頼ですね。酔払いですか?」


「素面ですよ。DVの被害にあわれていて、我慢していたのでしょうね。たくさん話してすっきりした顔で帰っていかれました。日時は未定ですがまた来ると思います。35歳前後の由里子さんです。警戒心の強い方なのでもしお会いしたら個人情報の強引な聴取は避けて下さい」


「わかりました。けど正直関わりたくないです。境遇上適当なこと言えませんし……扱いが難しそうです」


「深刻になる必要はありません。言い方は悪いですがここでの一時的な付き合いです。親身に、でものめり込み過ぎずでいいんですよ。それに……」


「どうかしたんですか?」


「調査してから話します。彼女、話題豊富な女性かもしれません」



数々の痕跡を思い出し不敵に笑う清水。


騙すのは淡白にこなすが騙されるのは嫌いな勝ち気な一面が滲み出た。



このようにアグレッシブな男であるも、表面に乗るのは例外時を除きもの柔らかな表情だけ。


実はもっとも恐ろしいタイプの男であった。





お裾分けの野菜と共に15時に農園からカフェへふたりで帰宅。


現在は涼真とゴジラも自宅へ帰った閉店後の夜である。



清水健一の自宅はカフェ店舗の2階部分。一人暮らしには十分な2LKだ。


けれど店舗の方が居心地がいいらしく、閉店時をとうに過ぎても居座ることが多い。


涼真の家庭教師となったり、常連客の広瀬や姉の五月と酒を飲みつつ雑談したり。理由は様々だ。



兄夫婦の子供たちの誕生日の際には身内だけのパーティ会場にもなる。


大手化粧品会社を創立させたセレブ一族のプライベートは意外に質素なのだ。



ちなみに長男夫婦には女、次男夫婦には男の双子の子供が存在し、三男でまだ未婚の健一の時には「男女の双子かも!?」と、気の早い者揃いの清水家とあって今から盛り上がっている。


不思議というべきか暗黙の了解か、独身の長女・五月(35)の名前は誰も出さないのだった。




今夜も店舗に居座って休憩室でパソコンをいじる清水店長。


備品発注やHPの更新ではなく、午前中店を訪れた女の素性調査のためだ。



とはいえ明らかなのは由里子という偽名かもしれぬ名前とDV被害に苦しむ実情のみ。


名字も連絡先も不明。そんな人物の何が疑問で何を発端に何を調べようとしているのか。




きっかけは彼女のメイクとアクセサリー。


すべて夫の趣味でそうしなければ被害にあうからとも考えられるが、とにかくメイクが濃いのだ。


真っ赤な口紅。マスカラまで付け香水もキツめ。DV被害者が外出する際にここまで自己主張するだろうか。世間から怪しまれないための逆アピール?


極めつけは指輪。左手薬指に結婚指輪はなかった。昨今珍しくもないが、指輪の跡は残っていた。日常的、もしかしたら外出前までつけていたのかもしれない。




これらから清水は偏見と重々承知で身元調査に乗り出した。


言動からは嘘を滲ませるものは感じられなかったが、被害の傷を見たわけでもない。


果たして長袖衣装は傷を隠すためか、それを装うためか。DV被害者を騙る詐欺師の可能性もあるのだ。




キーワードを何点か絞って検索し、めぼしい見出しが画面に出てくるかどうか。


空振りならそれでも構わない。自分の行動や猜疑心を恥じるまでだ。ただしビンゴなら……。



『由里子』『DV』『ストレス』『相談』『自殺』『愉快犯』『夫』『ストーカー』『離婚』『金』『慰謝料』『被害者』『詐欺』『不倫』



物騒な単語をなるべく並べ、何を期待してなのか、これらのワードで検索した。


すると意外と多くの関連項目が表示された。全国には由里子という名のDV被害者が大勢いるようだ。


載っているのは氷山の一角。トータルではどこまで膨らむのか、気の毒なことである。




なかなか面倒で地道な作業になりそうだ。それでも明らかに無関係な見出しは除き、ひとつひとつ開いていった。


生々しい暴力の痕をアップしていたりと、それにより様々な被害の現状を知ったものの、清水の目的は同情や実態調査ではない。


そうして飽きるより前の短時間のうちに、それらしい記事を発見した。




作成者は由里子。誰でも閲覧できる無料のHPで、ブログにはDVや料理の話がほぼ毎日書き込まれていた。


閲覧数は多い。人気のHPのようだ。被害者同士が共感できる楽園のようなコミュニティサイトなのかもしれない。




ディープな話は外部サイトに移動し有料らしい。動画ということで興味を持った清水。


わざわざ会員登録をしネームも考えて会員となる。『愉快な食い逃げ犯』というネームにした。



そしてこのHPの実態は、閲覧数の多さも納得の男にとっての楽園。清水の予想を遥かに上回る衝撃。


『由里子』が体当たりで実践するアダルトサイトのような過激な映像だった。



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