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サンドイッチ戦争

作者: 村崎羯諦

 クラスメイトの福永真希に自分の腕を噛まれる夢を見て、僕は人を好きになるという感情を知った。だけど、今この瞬間も世界のどこかでは誰かが死んでいて、それなのに僕たちはというと、時間が経てばお腹が空くし、夢を見るだけで簡単に恋に落ちてしまう。悲しいことは尽きないけれど、それでも世界は今日も回ってます。僕は、毎週聴いているラジオにそのことについて述べたメールを投稿した。だけど、いつまでたっても僕が送ったメールが読み上げられることはなくて、僕も僕で、いつしか自分がそんなメールを送ったこと自体忘れていった。


「ねえ、人間とサンドイッチの戦争って本当に起こると思う?」


 ここ最近のクラスの休み時間には、みんながみんなその話題について話し合う。以下、僕が聞いたクラスメイトの会話。


山中くん「絶対に起こるね。だって、あれだけ人類がバカにされてるんだからさ、アメリカも中国も黙っちゃいないよ」

榊さん「でも、国連の事務総長は、必死に戦争を回避しようと頑張ってるじゃん。それに、昔じゃないんだから、世界規模の戦争なんて起こるわけないよ」

田中くん「〇〇〇(これは上手く聞き取れなかった。なんかの専門用語?)じゃね。それに、相手はサンドイッチだぜ。人間がそんなもん負けるはずがないっしょ」


 僕は教室の隅にいた、福永真希へと視線を向ける。休み時間だと言うのに、福永さんは誰ともおしゃべりせず、イヤホンを耳にはめたまま携帯をいじっていた。彼女の口元をじっと見つめていると、夢の中で噛まれた右腕が疼く。いや、夢の中で噛まれたのは左腕だったかもしれないけど、そんなことはどうでも良かった。夢の中で僕と福永さんは海底人を探すための小さな深海探査機に二人っきりで搭乗していた。球体の狭い空間の中で身体をくっつけ合い、円窓から覗く暗くてじめじめした深海の様子を眺めていた。


福永さん「ねえ、知ってる? この探査機だけどね、艦内のありとあらゆるところに監視カメラがついていて、24時間体制で本部にいる誰かが私たちを監視してるの。ここの映像は1秒残らず保存されていて、週に一度の定例会議で、私たちの上司がそのダイジェストを鑑賞することになってるんだって」

僕「じゃあ、僕たちが何をしてるのかとか、何を喋ってるのかが全部丸わかりってことなんだね」

福永さん「ねえ、岡本くんの腕、噛んでいい?」

僕「もちろん」


 それから僕は服の袖を捲り上げ、福永さんは剥き出しになった僕の腕にガブリと噛み付いた。ふと円窓へと目をやると、窓の向こうには海底探索チームのリーダーであるデイビットが外から僕たちの様子をじっと見つめていた。そして、デイビットが気まずそうにこちらへ微笑みかけてきたタイミングで僕は夢から覚める。福永さんとは別に接点があったわけではないし、事務的なやりとりを除けば、ほとんど喋ったことすらない。それなのになんで福永さんの夢を見て、そして恋に落ちたのかはわからなかった。だけど、気がつけば僕は立ち上がっていて、福永さんの元へと歩き出していた。携帯に夢中で僕のことにまだ気がついていない福永さんに、僕は勇気を振り絞って語りかける。


「ねえ、今日の放課後、一緒に帰らない?」


 福永さんが顔をあげる。そして、困ったような表情を浮かべて、右のイヤホンを外し、「何て言ったの?」と訊ね返してくる。


「一緒に帰らない?」


 福永さんが僕の目をじっと見つめ返す。


「聞き間違ってたら申し訳ないんだけど、『一生、ラララライ』って言った?」


 滑舌が悪くてごめんね。僕は福永さんにそう謝った後で、改めて一緒に帰ろうと言った。喋ったことなんてないのにと福永さんが笑って、それから良いよと返事をする。そのタイミングで休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴る。サンドイッチ戦争反対! 隣のクラスから誰かがそう叫ぶ声が聞こえてきた。教室の扉に一番近い席の太田さんが立ち上がり、それからピシャリと音を立てて扉を閉める。サンドイッチ戦争反対。もう一度聞こえてきたその声は、さっきよりもくぐもって聞こえた。




****




 放課後。僕と福永さんは約束した通り、一緒に帰った。女の子と二人っきりで下校するなんてこれが初めてだったけれど、不思議と緊張感はなくて、街頭でやってるサンドイッチ戦争への抗議デモの声がいつもよりもくっきりと聞き取ることができた。そして、僕の感じた限りではそれは福永さんも同じだった。彼女は教室の隅っこにいる時みたいな自然体で、まるで僕たちは毎日のようにこうして一緒に帰ってるみたいにお喋りをした。こんな風に。


福永さん「ねえ、岡本くんは子供は何人くらい欲しい?」

僕「決めてないけど、なんで?」

福永さん「私はね、大家族? みたいなものに憧れてるの。自分の子供たちだけで野球のチームを作ることが夢。だからね、子供は最低でも11人は欲しいの」

僕「9人じゃなくて?」

福永さん「スタメンの9人に加えて、中継ぎの投手と抑えの投手が必要でしょ? チームは作って終わりじゃないの。チームを作ったからにはきちんと勝ちにいかないとダメだと思うの」

僕「確かに11人いたら、サッカーチームだって作れるしね?」

福永さん「サッカー? サッカーって何?」

僕「サッカーは野球じゃないスポーツだよ」

福永さん「野球じゃないスポーツがあるなんて知らなかった」

僕「サンドイッチ戦争って始まると思う?」

福永さん「私は政治家じゃないからわからないけど、戦争なんて起きない方がずっといいわ」

僕「相手がサンドイッチでも?」

福永さん「それは戦争からは遠い場所にいるからそう思えるんでしょ? 戦争なんて言葉で丸められてるけど、結局そこでは誰かが傷ついたり、死んだりする。何も失うものがないあなたが、それに対して責任を持てるの?」


 福永さんがそこでふと立ち止まる。僕も一緒に立ち止まり、通学路の真ん中で二人がそのまま棒立ちの状態になる。ところでこれから家にくる? 福永さんがおもむろに尋ねてきた。そんな問いかけが来るだなんて思ってもいなかったから、僕は少しだけ狼狽えてしまう。そしてそれから僕は、頭に思い浮かんだ言葉を反射的に口にしてしまう。


「どうして?」


 だけど、福永さんは答えを返してくれることはなく、黙って歩き出す。僕も黙って彼女の後ろについていく。十分くらい歩いて、三階建てのアパートにたどり着く。ここが私の家だと福永さんが教えてくれて、そのまま僕は促されるがまま家の中へと入っていく。両親は共働きらしく、家には誰もいない。そのまま僕は福永さんの部屋へと案内される。同級生の女の子の部屋なんて見たこともなかったけれど、福永さんの部屋は多分、一般的な女の子の部屋とは違って、すごくシンプルで生活味みたいなものを感じないような不思議な空間だった。


「岡本くんが私に何か大事なことを言おうとしてると思ったの」


 どうして家に呼んでくれたのと僕が聞くと、福永さんは部屋のソファの上に腰掛けながらそう答えた。


「元々そんなものがなかったとしたら、今から考えてもいいんだよ?」


 元々大事なことを伝えようとしていたわけではなかった僕は、彼女に伝えるべき大事なことを考え始める。数分くらい悩みに悩んで、僕は彼女にこう伝える。


「結婚してください」


 福永さんがそれに答える。


「別に良いけど」


 だけど、条件があるの。福永さんが言葉を続ける。


「何?」

「サンドイッチ戦争。サンドイッチ戦争が起きなかったら結婚してあげる」


 どうしてサンドイッチ戦争が起きるか次第なのか聞いてみる。誰にも話してないんだけど。福永さんはそう前置きを入れた後で、教えてくれる。


「実は私ね、国連軍が秘密裏に開発した対サンドイッチ用の改造人間なの」



*****



 それから一ヶ月後に、人間とサンドイッチとの戦争が勃発した。そして、戦争が始まると同時に福永さんは戦場へと派遣され、クラスから彼女の姿が消えた。福永さんが対サンドイッチ用の改造人間だと知って、みんな驚いていたけど、それでも日常は続いていって、みんなの頭の中から少しずつ彼女の存在は薄くなっていった。


 ちなみに人間とサンドイッチの戦争は、当初の想定通り人間側の圧倒的有利に進んだ。だけど、世の中そんな上手いことばかりではなく、このサンドイッチ戦争にも一部誤算があった。それは、追い込まれたサンドイッチ側が少しでも人間に損害を与えようと、非戦闘地域においてテロや人間の拉致を起こすようになったこと。それはまるで、一人でも多くの人間を殺したり傷つけたりすることで、戦場で殺されているたくさんのサンドイッチの無念を晴らそうとしているかのようだった。


 そんな中でも僕は福永さんがいう通り、サンドイッチ戦争は自分が住んでいる世界とは全く別の世界の話だと思っていた。戦争だって終盤になって、テレビでも戦争について取り上げられることが少なくなっていた。だからこそ、下校中に突然サンドイッチのゲリラ軍に囲まれ、そのまま捕虜にされてしまったときも、僕は自分が夢を見ているんだと思った。福永さんから腕を噛まれた、あの時の夢のように。


 僕はサンドイッチたちの捕虜となり、怪しい薬を嗅がされて眠らされた。そして、激しい音がして、目覚めた時には、どこかの知らないビルの一室に他の捕虜たちと一緒に閉じ込められていた。そしてそれから自分の左半身へと目を向けると、目覚める前まではあったはずの左腕がなくなっていた。サンドイッチたちは捕まえた人間たちの色んなパーツを奪い取っているということを知っていたから、これがサンドイッチたちの仕業なんだということをすぐに理解できた。


 僕が閉じ込められていた隣の部屋で激しい爆発音がする。それから何かと何かがぶつかる音や、けたたましい銃声が聞こえてくる。閉じ込められていた僕たちは何もできず、待つことしかできなかった。しばらくしてようやく音が止み、ゆっくりと部屋の扉が開く。扉から救助に駆けつけた国連軍の人たちが入ってきて、次々に捕らえられていた僕たちの保護を始めていった。


「あらあら、大丈夫? 岡本くん」


 その声に僕が振り返ると、そこには軍服と火薬の匂いを身に纏った福永さんがいた。奇遇だねと僕が聞くと、そうだねと福永さんが答える。彼女の身体越しに、開かれた扉からさっきまで戦闘が起きていた部屋の様子がちょっとだけ見えた。部屋の天井には黒い煙が充満していて、床には僕たちを捕まえたサンドイッチたちの死骸が散らばっていた。


「ねえ、もうこんなところから逃げ出しちゃいたいって思わない?」


 僕に手を伸ばしながら福永さんが聞いてくる。思うよ。僕は答える。そして、僕は左腕を伸ばそうとしたが、そういえば左腕はもうないということを思い出す。


「だったら、一緒に逃げ出しちゃいましょうよ。戦争なんてない場所にさ」


 僕は右腕を伸ばす。そして、差し伸べられた彼女の手を僕はぎゅっと握りしめた。


****



 そのまま僕たちは逃避行を行なった。目的地として彼女が望んだのは、戦争のなくて、それからできるだけ暖かい場所。幸いなことに戦争が終結に近づいていたし、地球は温暖化し続けているから、そういう場所はすぐに見つかりそうだった。


福永さん「そういえば、なんでサンドイッチたちは捕まえた人間のどこかのパーツを奪っているのか知ってる?」

僕「うーん、知らないな」

福永さん「どうしても欲しいけど、どんなに頑張っても手に入れられないものってあるでしょ? そんな時はね、そんな絶対に手に入れられないものを持ってる誰かを見つけて、それを奪ってやると、ちょっとだけ満足するの。いわゆる、あれね。ほら、なんとかが下がるってやつ」

僕「溜飲が下がるってやつかな?」


 目的地を探す途中、僕たち二人にもう一人新しいメンバーが加わった。彼はデイビットという名前のイギリス人で、福永さんとは戦争中に偶然知り合ったらしい。そして、福永さんいわく、デイビットはそれまで国連にある深海探査チームの隊長を務めていたらしい。


「始めてあった気がしませんね」


 始めてデイビットと出会った時、そんな言葉を言った。僕は福永さんに恋をするきっかけになった夢の内容なんてすっかり忘れていたから、その夢の中で彼そっくりの人間が出てきていたことなんて覚えていなかった。


 デイビットは僕の言葉にこくりと頷き、それから持ち歩いているスケッチブックに文字を書き始める。デイビットも僕と同じように戦争中にサンドイッチたちの捕虜になって、彼らから声帯を奪われていた。だからこうやって、彼とはスケッチブックに書かれた言葉で意思疎通をしなければならない。少し待った後でデイビットがスケッチブックに返事を書きおえ、それを僕に見せてくれる。スケッチブックには英語の言葉が書かれていて、日本語に訳すとこんな意味だった。


『私も始めて会った気がしませんでした』


 僕と福永さんとデイビットは、地中海のとある無人島へと辿り着き、そこで生活を始めることになった。そして、そこで僕たちは家族として仲睦まじく暮らした。戦争はもちろんなかったし、僕たち三人が仲違いをするということもなかった。一年経ち、三年が経ち、そして数十年が経つ。福永さんが望んていた通り、僕たち三人の間には11人の子供が産まれた。僕との間にできた子供は4人で、デイビットとの間にできた子供は7人。男の子は6人で、女の子は5人。そして11人いる中で、左利きの子供は一人だけだった。


「そろそろ野球の練習を始めましょう」


 末っ子が二足歩行を始め、それから元気にはしゃぎまわるようになったタイミングで福永さんはそう言った。それから福永さんはこっそりと書き溜めていたメモを取り出し、僕たち家族のポジションを発表していく。一番ファーストはスージー、二番レフトは武郎……。子供たちにはそれぞれポジションが与えられ、福永さんは監督、僕は打撃コーチ、そして言葉を話せないデイビットは走塁コーチに任命された。


 それから僕たちはバットとグローブを持って外へ出る。地中海の太陽の光は強く、そして眩しい。僕はバットとボールを持ったまま、きちんとそれぞれのポジションに散らばった子供たちの姿を眺めた。少し離れた場所から福永さんが子供たちに指示を出す声が聞こえてくる。視界の隅ではデイビットが、両手を膝に置いて、いつでも反応できるように構えていた。


 こんな幸せな生活を送っていると、僕は時々自分が夢を見ているんじゃないかと思うことがある。でも、これは確かに現実だったし、それに夢だったら夢で、こんな素敵な夢を見られたんだからあんまり文句は言っちゃいけないと思う。そして、僕たちがこうして野球をしている間も、世界のどこかでは誰かが傷ついて、誰かが帰らぬ人になっている。僕はありがとうとごめんなさいと心の中で呟いた。


 なかなかノックを始めない僕に、ファーストのスージーがヤジを飛ばし始める。僕は子供たちに大きな声で掛け声をかけた。福永さんの方へと目を向けると、彼女はこちらをじっと見つめたまま、穏やかに微笑んでいた。


 僕も福永さんに微笑み返す。それから右手に持ったボールをふわりと上に投げ、僕は勢いよくバットを振る。カキンという乾いた音が、僕たちがいるこの場所に、響き渡った。

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