02 始業式の朝
4月7日、水曜日。短い春休みも終わり、峻佑たちは今日から高校3年生になる。
「峻佑くん、朝だよ。今日から学校始まるから起きないと遅刻するよ」
ちひろが峻佑の部屋の扉をノックして呼びかけるが、例によって反応がない。
峻佑が両親を亡くしたあの事故からおよそ1ヶ月。ショックで2年生の終業式まで引きこもっていた峻佑だが、ちひろとみちる、それとジェンのおかげでどうにか立ち直れていた。
「もう、峻佑くん! 入るわよ!」
そう言いながらドアを開けたちひろの目に映ったものは――上半身裸の峻佑だった。
「きゃっ! お、起きてるなら起きてるって言ってよ!」
一瞬とはいえちひろはしっかり峻佑の裸を見てしまい、顔を真っ赤にさせてくるっと後ろを向いた。
「あはは、寝起き“逆”ドッキリ成功〜。これは裸に見せかけた肌色のボディースーツだよ。今まではたまにオレが早く起きたときに2人を起こしに行くと驚かされてばっかりだったから、1回はやってみ――」
「ふぅん、寝起き逆ドッキリ、ねぇ……」
ちひろは笑っている峻佑の言葉を遮るようにポツリとつぶやくと、ゆっくりと再び峻佑のほうを向いた。その手に、魔法で作り出した光るモノを携えて。
「って、あれ? ちひろ、その手に光るモノはなに……?」
峻佑は笑うのをやめて1歩後ずさるが、ちひろは1歩前進して2人の距離を一定に保つ。
「せっかく起こしに来てあげたのに、何考えてんのよっ! 天誅――っ!」
ちひろは叫ぶと、手に携えていた光るモノ――雷球を天井に向けて投げつけた。投げられた雷球は峻佑の頭上で止まると、激しい音と光を放ちながら峻佑の頭に雷を落とした。
「ぎゃああああああ!」
峻佑はとっさに障壁を張ろうとしたが、その反応速度すら上回る速さで落とされた雷に貫かれ、悲鳴を上げた。普通は雷に打たれれば即死ないしは重傷になるだろうが、魔法の雷なので、殺傷力はコントロールできるらしく、威力は気絶しない程度に抑えていた。もちろん、それでも雷なので痛いものは痛いのだが、気を失うほどではないので、峻佑は痛みと戦いながら、ちひろをからかったことを後悔していた。
数分後、様子を見に来たみちるが止めに入り、事なきを得たが、峻佑が着ていたボディースーツは黒コゲになって、あちこち破れてしまっていた。
「いてて……ちょっと調子に乗りすぎたか」
登校の途中、峻佑はまだ痛むのかうめき声をあげた。
「まったく、自業自得だよ。あんな手の込んだイタズラ仕込むなんて……。でも、あそこまで精巧なボディースーツ、どこで手に入れたの?」
ちひろは呆れたように言うと、峻佑に訊ねた。
「ん? 父さんの遺品から出てきたんだよ。たぶん、そこにあった写真から察するに、父さんが学生時代に使ったものじゃないかな?」
峻佑が両親の死から立ち直り、両親の部屋で2人の遺品を整理していた時に、そのスーツを見つけたらしい。また、部屋の棚に入っていたアルバムには、優佑がそれを着てステージに立っている写真が残っていた。写真の横にあった走り書きには、“優佑 高校3年 文化祭にて”と記されていた。
「そうなんだ……。今朝の騒動で結構破れちゃったけど、直せるかな? おじさまの遺品なら、残しておいた方が……」
ちひろがそうつぶやいた。直接破いたわけではないが、ちひろの魔法で破れたことは確かなので、後ろめたさを感じているらしい。
「いいよ、直さなくて。写真の内容からしてさほど思い入れのある品ってわけでもなさそうだし」
峻佑はあっけらかんと言い放った。
「よう、峻佑。その様子なら、もう心配はいらないんだな?」
そこへ後ろから耕太郎が自転車で走ってきて合流した。
「おう、コータロー。心配かけて済まん。もう大丈夫だ。ところでお前、去年も一昨年も最初だけ遅刻なしで頑張ってたけど、2年連続で5月のゴールデンウィーク終わると同時に遅刻魔に戻ってただろ? 3年連続で同じことを繰り返すのか?」
峻佑は耕太郎に心配をかけたことを謝ると、話を変えて耕太郎に訊ねた。
「ああ、去年も結局ダメだったんだよな。今年こそはちゃんとしないと、内申とかにも響くだろうしな。一応、俺も進学するつもりでいるし」
耕太郎は自身の生活を改める意欲はあるが、うまく行ってないことに危機感だけはあるらしかった。
「コーくんも進学希望なの? 志望大学とかもう決めた?」
付き合いだしてから耕太郎を“コーくん”と呼ぶようになったみちるが耕太郎の“進学”という単語に反応して彼に訊ねた。
「んー、うちから通える範囲で、今の俺の学力で行けるとこって言ったら、明正大くらいしかないだろうな。2駅しか離れてないから余裕で通えるし」
耕太郎は少し考えるそぶりをしてから、彼らにとって一番近くにある大学の名前を挙げた。
「じゃあ、私もそこに行く。コーくん、一緒に勉強して2人で合格しようね」
みちるは何のためらいもなく自分も明正大に行くと言い放った。
「えっ? 正気か、みちる。明正大はみちるの成績からしたらかなりランク落ちるだろ? みちるだったら、武蔵文理とか狙えるはずだろうに」
耕太郎は驚いて聞き返した。2ヶ月ほど前に行われた模試で、みちるは偏差値60、耕太郎は偏差値43という判定が出ていた。明正大は偏差値42と耕太郎にとってはちょうどいいレベルだが、みちるが行くには低いのは確かである。ちなみに耕太郎が引き合いに出した武蔵文理大学は偏差値58でみちるにちょうどよく、なおかつ彼らの住む竹崎からは電車で明正大とは逆方向へ4駅という、それなりに近い場所にある大学である。
「もう……コーくん、私たち付き合って1年以上経つんだから、わかってよね。成績なんてどうでもいいの。私は耕太郎くんと一緒にいたいんだから」
みちるは鈍い耕太郎の胸をコツンと叩きながら言った。
「いや……でもよぅ……そうか、逆にすればいいんだ! オレがこれから猛勉強して武蔵文理を目指せば何の問題もないな。なぁ、そうだろ?」
なおも渋る耕太郎だったが、何かいい案が浮かんだのか、急に叫ぶと、目を輝かせて3人に話した。だが、これには3人とも驚くほかなかった。
「いや、オマエ簡単に言うけど、武蔵文理は厳しいだろ……」
「仮にこれから猛勉強して成績はカバーできても、沢田くんは遅刻魔っていう内申のマイナスがあるから、かなり厳しい戦いになると思うわよ?」
「そうだよ、そんな無茶なことしないでも、私が明正大に進学すれば万事オッケーじゃない。私のために無理なんてしないで」
三者三様の言い回しではあったが、全員耕太郎の武蔵文理志望を止める気持ちは一緒だった。
「うわ、俺の一大決心を3人そろって否定するか。わかった、じゃあ確か近いうちに模試があったよな。それの結果で最終的に決める。俺は志望大学に武蔵文理と明正の2つを入れておく。武蔵文理の判定が下層のCやDだったらもう間に合わないと素直に認めて諦める。それでどうだ?」
普段の耕太郎らしくない、自信にあふれた物言いにもはや3人は何も返せず、無言で頷くと、その後は無言のまま学校へ向かうのだった。