つゆなし蕎麦
腹が減ったな、と思いながら歩いていると、蕎麦屋を発見した。そういえば、最近、蕎麦を食べていなかったな。久しぶりに蕎麦でも食べるか。
そう思った僕は、その蕎麦屋に入った。
「いらっしゃい」
小さな店だ。客はいない。閑古鳥が鳴いている、というよりは、中途半端な時間だからだろう。もうすぐ、おやつの時間である。昼飯を食べるのは12時から2時の間が多いだろう。僕もいつもはそれくらいに昼食を食べる。しかし、今日は諸々の事情があって、少し遅れてしまったというわけだ。
メニュー表を開く。蕎麦屋なので蕎麦しか置いていない。ラーメンやパスタやうどんといった麺仲間は提供していないようだ。当たり前か。
蕎麦はいくつか種類があった。といっても、そんな何十種類もあるわけではない。1ページ一品。筆ででかでかと書かれている。達筆だ。主人が書いたものだろう。達筆すぎて逆に読みにくいのはご愛敬。
「ざるそばを」僕は言った。
「へい」とだけ主人は答えた。
しばし待つ。
やることがないので、店の内装を特に意味もなく眺めていた。決して綺麗ではない。全体的に年季が入っている。一人で経営してるのだろうか。店を開いてから何十年経ったのか。主人の年齢からして20年は経っていると思う。
それにしても、蕎麦というのはなかなか高級だ、なんて思った。千円を超えてくる。やはり、蕎麦粉が高いのだろう。この店は何割蕎麦なのだろうか。きちんとした蕎麦屋なので、蕎麦粉の比率は高いだろう。10割か9割か8割か……。
「おまちどお」
冷たい蕎麦の載ったせいろが運ばれてきた。お盆の上につゆはなかった。蕎麦というのは、つゆにつけてズルズルと食べるものだと認識している。
……はて?
主人を呼ぼうとしたが、そこではたと気づいた。つゆがないのは主人がお盆に載せ忘れたからではない。この店の蕎麦は、つゆなしで食べる――つまり、蕎麦本来の味を味わうものなのだ。どっぷりとつゆに浸すと、蕎麦の味は消え、つゆの味のみが口内に広がってしまう。それでは蕎麦を食べる意味がなくなってしまう。
だからこそのつゆなし蕎麦なのだ。
僕は箸で蕎麦を持ち上げると、じっくりとそれを観察した後、すすり食べた。蕎麦やラーメンは通常の料理とは違ってすすり食べるものなのだ。
口の中で蕎麦の味がふわりと広がる。うまい蕎麦だ。つゆをダボダボつけていたら、この味を認識することはなかった。
主人と目が合った。
僕は無言で頷いた。あなたは蕎麦本来の味を味わってほしいのですね。その気持ち、しかと理解しましたぞ。
「すみません。つゆをお出しするの、忘れてました」
…………やれやれ。