09
ふと、何かに気付いたようにエンデは顔を上げた。
「誰か来たみたいだぞ」
「え。こんな時間に……あ!」
ルウィーシアは自分が失念していたことに気付き、慌てて居間を出ていった。玄関ではすでにベネットが戸を開けて立っていた。彼は非常に不愉快そうな表情で玄関先に置かれたエンデの荷物と靴を見ていた。その姿を見るだけで、ルウィーシアの身体は強張った。
「すみません。忘れていて……」
「ずいぶん良い匂いさせている。知らない靴もある……客人か」
「そうです。すみません。今日は……」
「どういうつもりだ。帰ってもらえ。それとも、やはり本当に売女になったのか。それは天職だな。この阿婆擦れめ。いくらだ。いくら貰ったんだ。ええ?」
ベネットは怒りに任せてルウィーシアに掴みかかり罵った。あまりの言い草だったが、下手なことをして刺激したくはないし、今はエンデもいるので事を荒立てたくない。気付かれたくない。
だが、ベネットの声は居間まで届いていたようで、エンデは何事かと心配になり、玄関に顔を出してしまっていた。
掴み上げられているルウィーシアを見ると、エンデはすぐさまベネットの手を捻り上げた。さほど力が入ったようには見えなかったが、すんなりベネットの手はルウィーシアから離れた。
エンデがベネットの手を離すと、彼はエンデを睨み据えた。先に口を開いたのはエンデだった。
「事情は知りませんが、あまり感心しませんので」
「生意気な若造め」
ベネットはそれだけ返し、黙ったままのルウィーシアにまた目を向けた。侮蔑的な目だった。
「……随分、いい男を捕まえたじゃないか。金は持っていなさそうだがな。逆に金を渡したのかな」
吐き捨てるように言い、ベネットはエンデの荷物を蹴り飛ばし、出て行った。
エンデはルウィーシアを呆れたように見る。
「……島で客を取っていたのか?」
「そんなわけないでしょう……」
ルウィーシアはそのまま壁に寄りかかり、力なく床に座り込んだ。なんて最低なところを見せてしまったのだろうか。惨めさを押し隠して、ルウィーシアは笑ってエンデを見た。
「あの人、さっき話に出た、ロザリアの父親よ。おかしいでしょう」
「……ロザリアって、今日葬儀だった親友の……」
「そうよ。私は親友の父親と、そういう関係なの。お金も貰ってね。呆れた?」
「……」
エンデは何も答えなかった。
ルウィーシアは床に座ったまま、エンデに向かって片方の手を伸ばして言った。
「あの地図欲しかったら、私と一緒に宝島行こう? それ以外の望みはないわ」
笑っているが必死さが伺える表情だった。エンデはすぐに頷くことが出来ずに、盛大にため息をついた。蹴られた荷物を見て、暫く考え込む。ルウィーシアは膝に顔を埋めて、エンデの言葉を待っていた。
「……いいよ」
ルウィーシアは跳ねるように顔を上げてエンデを見た。その目が爛々と輝くのを見て、エンデは苦笑した。
「明日の朝には出るから、早く支度するんだ」
ルウィーシアは慌てて食事の片付けをして、すぐさま旅支度を始めた。彼女にとっては初めてのことだったが、ルウィーシアが元々持ち物が少なかったこともあり、すんなりと荷造りは済んだ。
ただ唯一ルウィーシアがこだわって引かなかったのが、パウゴだった。彼女はどうしても旅先でも美味しいパウゴを食べたいようだった。
「ルウィーシア、どうしてもパウゴ持って行きたいのか?」
「当たり前でしょう。生でもしばらく持つし、あと干したやつ持って行くから」
単なる食い意地なのか、ルウィーシアは絶対に譲らなかった。
そうしてようやく出発の準備が整い、二人は手早く湯浴みも終え、寝る支度をし始めた。まだやや湿る髪を編みながら、ルウィーシアは窓から外を眺めていた。その目は天に輝く星々を映したかのようにきらきらと輝き、遠く海の果てを見ているようだった。
「楽しみだわ。ようやく、この島を出られる」
エンデはその背に問いかけた。
「どうして今まで島を出なかったんだ? 幼馴染が出ていってしまった後からでも、いくらでも機会はあっただろう」
ルウィーシアは外を見たまま答えた。
「私まだぎりぎり成人扱いじゃないの、この島では。船に乗るには成人の承認が必要だったのよ。だから出られなかったの」
そういうものだろうか。エンデは首を傾げるが、ルウィーシアには見えてはいなかった。