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ルウィーシアと祝福の島  作者: 雨天然
7/27

07

 ルウィーシアはせっつくようなことはしなかった。せっついては、嘘を教えられてしまう気がしたからだ。

 しばらく面をいじっていたがエンデは観念したのか、事も無げに答えた。


「レアンだ」

「レアン……? え?」


 エンデの答えにルウィーシアは不満げに唇を尖らせた。


「私を馬鹿だと思っているのね。それはおとぎ話の世界だって、いくら本が読めない私でも知っているわ」


 レアンというのは、有名な神話に出てくる、人類発祥の大地のことだった。永遠の命を持つ古代人たちが住んでいる世界であり、多くの民話や物語の舞台にもなっている。本を読めないルウィーシアでさえ、幼い頃に両親から聞かされたり、ロザリアに読んでもらって、よく知っていた。


「あなたがレアンの……レアン人様なら、神様のようなものよ」


 するとエンデは苦笑した。


「信じなくてもいい」


 あっさりとした返答は、ルウィーシアには嘘を言っているように聞こえず、更に困惑した。


「……本当なの?」

「真実なんだけどね。無理に信じろとは言わないよ」

「レアンってあるの?」

「あるよ。きっと誰も辿り着けないけど」

「貴女、神様なの?」

「違う。れっきとした人だよ。怪我もすれば病気にだってなる」

「でも永遠の命を持っているのではなくて?」

「私は持っていないよ。死んだらそれきり」


 ルウィーシアは自分自身で真偽をはかりきれず、眉を寄せたまま首を傾げた。疑問は尽きず、矢継ぎ早に質問を投げかける。


「なんでレアンから出たの? 神様ばかりで不自由だったの?」

「面白いこと言うね。そうだったのかもしれない」

「悪い神様の話も読んだわ。それのせい?」

「かもしれない」

「はっきりしないわね。家出の理由はなによ」


 エンデはおかしそうに笑った。そんな無遠慮なまでに直球に聞いてくるとは思わなかった。しかし、悪い気はしなかった。何か内省を促されている気がして、すがすがしい気分だった。少しだけ考え、エンデは改めて自分の中にある旅の理由を口にした。


「小さい頃の夢だったから。それでは駄目かな?」

「駄目かなって聞いている時点で、嘘のようなものじゃない」

「嘘ではないよ。全部ではないけれど」

「話したくないのね」

「君もどうしてそんなに旅人に興味を持つ?」

「小さい頃の夢だからよ」


 つんと澄ませて言うルウィーシアに、エンデは肩を竦めた。


「わかった、話すから。その代わりに君も話すように。これだけもてなされて、理由がわからなくて、心から落ち着けないんだ」


 エンデは崩して座りながらそう言う。ルウィーシアはくすくす笑ってエンデに酒を注いだ。飲ませて不覚にさせようと言う気はない。本当に旅人をもてなしたかった。色々と旅の話を聞きたかったのだ。


「どこから話すか。こんな話、あまりしたことないんだ」

「どこからでも」

「……本当に小さい頃からの夢だったんだ。私たちレアンの者達はその大地から海に飛び出ることは禁忌だった。だからこそ、海の先を妄想した。子供の頃に誰もが夢見る話さ。私と幼馴染の少年もそうだった。だがね、そいつの家には一つの地図があった。外の世界が記された地図が。それにはレアンが小さく記され、もっと大きな外の世界が沢山描かれ、その中に『楽園』も記されていた。それは他の子供達よりもずっと明確に、私たちの妄想を強くさせていったものさ。何度もその地図を見あって、誓い合ったさ。『楽園』に行こうって。――でも、その地図は本当は持ち出すことを禁じられていたものだった」


 おとぎ話を聞かせるにゆっくりとした口調でエンデは語る。


「幼馴染の家は古くからある家でね。あいつは絶対に入るなと言われた宝物庫からそれを持ってきてしまっていたんだ。そして、それは子供の悪戯とか、叱られるだとか、そんな話では終わらなかった」

「そうなの? 罰を与えられたの?」

「ああ、そうさ。あいつは自分の家の宝物庫から一枚の地図を出した罪で、筏に縛りつけられて海へ流されたんだ」

「え?」


 あまりの話にルウィーシアは目を丸くした。理解できずにエンデを見るが、彼女も苦笑していた。これも信じられないだろうと言いたげに。


「冗談でしょう? ……それに、海に出てはいけないのではなくて?」

「もちろん。でもそんな状態で海を越えて外にいけると思うか?」


 行けるわけがない。抗うことも出来ずに転覆して溺死するか、飢えや渇きに苦しむか、ルウィーシアが想像出来るだけでも残酷な死刑にも程がある。ルウィーシアは口元を押さえた。そんな刑罰が神話の世界に存在しているだなんて、にわかには信じられなかったが、エンデの笑みや口調にはそれらを真実だと思わせる何かがあった。


「漂流刑、大犯罪者に課せられる最も重い刑。生き残れる可能性が殆どない中で、あとは神にすべてを委ねるのさ。神の御業によって許されたなんて聞こえはいいけど、単に運任せの腐った処刑方法さ。おまけに、地図まで流されたよ。持ち出してはいけないはずのものだったが、要はこの問題を起こしたものはすべて海に流された。本当に必要なものなら、神がきっとまたレアンに戻してくれる、と」

「めちゃくちゃね。幼馴染の家はきっとおかしいのよ」

「さぁ、どうだろう。あいつの家だけではないよ。私も、おかしかった。庇ったり、怒ったり、もっと色々すべきだったかもしれない。でもあの頃の私には世の中――レアンが恐ろしく思えて、大人達に裁かれるあいつをただ見ているしかなかった」

「そうね。子供が大人の判決を覆せるわけないわ」


 ルウィーシアは知っている。子供は大人に逆らえないことを。しかしエンデは首を振った。


「結果じゃない。私は殺される友を目の前に、動くことすら出来なかったことを後悔したんだ。逆らうことはいくらでも出来た。結局はあいつを見殺しにした他のレアン人たちと一緒さ」


 エンデはそう自嘲した。ルウィーシアは何も言えなかった。


「……辛気くさくなったな。……それから私は絶対この間違えた大陸の外へ出ると決意した。今思うとよく出られたかと思う。色んな人たちを振り切って、初めての海で何度も危うい目に遭いながら運良く生き延びて、たまたま外の世界へ出られて、そして今ここにいる。驚くほどの強運に恵まれているよ」

「きっとその、レアンの神様が生きろと仰ったのよ。それで貴女は旅をしているのね」

「ああ。おかげで今は世界中を旅できて楽しいさ。あいつとしたかったことを、しようと思って。行くところ行くところ、とても刺激的だ」


 ずっといじっていた面を被ってみせて、エンデは言葉通り楽しそうに笑った。ルウィーシアには想像もつかない旅の果てで笑っている女性が美しくてたまらなかった。面から覗くぎらつく目も強さ所以だろう。

 どうしてこんなにも色々語ってしまったのか。酒の力か少女のせいか、エンデは饒舌になってしまっていた。嘘や過剰な表現は一切なかったつもりだが、旅人に憧れる少女の目に見合うように映りたいと思ってしまった。

 気恥ずかしさを感じたのか、照れを隠すように、次はルウィーシアの番だと首をしゃくった。


「それで? 君はなんでそんなに旅人に興味を持つ?」


 ルウィーシアは柔らかく微笑んだ。


「貴女が幼馴染に似ていたから」

「そんな理由か」

「いいじゃない。それに元々旅人には興味があったのよ」


 ルウィーシアは自分の湯呑みに入った茶を飲んで、口を湿らせた。


「今の話も、すごく運命的ね。私も似たようなものなのよ。この島から出て旅をするのが小さい頃の夢だったの。幼馴染が拾った宝の地図を持って、彼女と二人でこの島から出て、宝島に行くって約束をしていたの」


 ルウィーシアにとってロザリアは大事な友達だった。


「二人ならどこへだって行けるって思えたから」

「それなら行けばいいじゃないか」


 エンデは容易く言う。ルウィーシアは首を振った。


「幼馴染、行方不明になったの。つい最近」

「行方不明? この小さな島で?」

「まさか。それならすぐに見つかるわ。彼女は島の小舟を使って、勝手に海へ出てしまったの。でも帰ってきたのは小舟だけ」


 小舟が発見された時のこともルウィーシアはよく知らなかった。あの頃は急に自分の近くからいなくなってしまったロザリアに衝撃を受けて、自失呆然としていた。


「……今日は彼女の葬儀だったの」

「見つかったのか?」

「いいえ。でも見つからないから、葬儀が行われたの。いなくなってたった三ヶ月よ? おかしいでしょう」


 ルウィーシアは本当に冗談を話すかのように笑った。エンデにはそれが歪に感じられた。


「どうしてみんな彼女を死なせるのかしら。ロザリアは今きっと途中なのよ、宝島に行く旅の。とても好奇心旺盛だから、きっと外の世界に夢中で手紙出したりするの忘れてしまっているのよ」

「そうか」


 エンデは相槌を打つしか出来なかった。ルウィーシアの口振りではそう信じたいというよりも、本当に幼馴染は旅に出たと信じているようにしか聞こえなかった。しかし、幼い子供というわけでもないのだから、本当にわからないわけでもないはずだ。ただ一つの望みに賭けているのだと、エンデは納得した。窓際で頬杖をつきながら窓の外を見て、ルウィーシアは切なげに嘆息した。


「どうして私はロザリアに置いて行かれてしまったのかしらね……一緒に、絶対と言ったのに」


 ぼんやりとした目つきの少女が窓硝子に映る。硝子越しに、二人の目が合った。ルウィーシアは我に返って振り返り、慌てた。


「ごめんなさい。辛気くさくなったわ」

「お互い様だろ」


 エンデは気にするなと手を振る。しかし、ルウィーシアは気にしたらしく、努めて明るく話題を変えようとした。


「でもね、宝の地図は忘れていったのよ、彼女。でもきっと、なくても行けるほどしっかり覚えたのよね」


 立ち上がり、ルウィーシアの父親が生前使っていた小さな書き物机の引き出しを開けた。ロザリアがいなくなった後、何度も彼女の家に訪れる機会があり、何度も彼女の痕跡を探した。その際にルウィーシアが見つけたのは、あの小さな木箱に入った宝の地図だった。それを持って行かなかったことを知って、ルウィーシアはひどく驚いたし、落胆したものだ。宝島に行く夢は自分だけのものだったのだろうか、と。

 小さく首を振り、木箱を食卓の上に置く。するとエンデは切れ長い目を丸くして見開いた。何事だろうかとルウィーシアは小首を傾げるも、エンデは何も言わずにいた。仕方なく、話を続ける。


「意外と記憶力良いのよ、ロザリア。この地図のことも――」

「……それだ」

「え?」


 掠れたエンデの声はさして大きくなかったが、ルウィーシアは言葉を止めた。エンデは不思議な文字が書かれた小さな木箱に目を奪われていた。


「それが十年前の……だってその文字は……」


 エンデは小さな木箱に手を伸ばした。その手は震え、指さそうとしている人差し指はおぼつかない様子だった。


「それは、レアンの……」


 指は木箱の文字を指し示した。ルウィーシアもロザリアも読めなかった文字だ。


「忘れるものか。その文字、その小さな木箱、その地図……どんなになってもわかる」


 手同様に震え出す身体を押さえて、エンデは止めることなく涙を流した。

 ルウィーシアはたまらず、その身体を抱きしめた。

 真実がどうであれ、泣いているエンデを抱きしめたくなったからだ。

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