04
事の始まりは、十年ほど前にルウィーシアの父親が漁の事故で命を落としたことからだった。
その後母親と二人だけで暮らしていたある日の夜、当時八歳だったルウィーシアはたまたま見てしまったのだ。真夜中に声を押し殺しながら情を交わす母とベネットを。
夫の死を悲しんでいたはずの美しかった母は、ひどくだらしのない表情で時折苦しんでは悦んでいた。ベネットはまるで母を虐めて愉しんでいるかのようだった。
あまりに異様なそれに、まだ何かも理解できない幼すぎたルウィーシアは重なり合う二人に声をかけてしまった。
その頃から、それは母親とベネットだけのものではなく、三人のものとなった。逃れる術はなかった。助けになるはずの母は、最早ルウィーシアの敵でしかなかった。
『ロザリアを悲しませたくないだろう?』
そう言われる度に、ルウィーシアは彼女を悲しませないようにと、ひたすら一人で耐え忍び、すべてを押し隠してきた。
その後、ルウィーシアの母親は父の後を追うかのように他界した。しかし、亡くなってからもベネットとの関係は続いてしまっていた。もう嫌だと声を上げたのは、何年前だっただろうか。無駄に抵抗すれば、翌々日まで残るような痛みとも戦わなければならなかったし、その上でロザリアと会うのはルウィーシアには心苦しかった。いつしか、それを仕事と思うことにしようと、彼女はベネットに金を要求した。
それがまた間違いだった。
金が支払われる以上、拒否することが出来なくなってしまった。そして、ロザリアがいなくなった。あの日以来、ベネットは今まで以上に、ルウィーシアに迫るようになったのだった。
ベネットの残り香が薄らいだ頃、ルウィーシアは再び縁側へ戻った。機織り機の横に置いてあったパウゴは鳥たちに少し突っつかれており、彼女が近付くと、慌てて飛び去り、近くの止まり木で素知らぬ顔で小首を傾げて見せた。潮風が吹く。波の音が心地よく聞こえ、ルウィーシアは苦笑した。
「知らんぷりしても見ていたわよ」
ルウィーシアは歌を歌いながらパウゴを食べた。時折、果汁を布巾で拭いて、機織りを続けるも、大して織らずに食べたり歌ったりだった。どうせ他の村人達はここへはあまり来ない。この仕事はしてもしなくても大して変わらない。金は腐るほどあったし、この村にいる限り、食べるに困ることもない。自然の恵み豊かなロナ島。退屈だが楽園と思う者達も少なくない。
しかし、ルウィーシアにとっては地獄そのものだった。
そんな地獄からルウィーシアは抜け出したかった。ロザリアとの約束通りに。
母が死に、十歳になり、地獄は続き――ルウィーシアは無気力に過ごしていた。唯一楽しい時間はロザリアと二人だけの秘密の場所で遊べる時だけだった。
ロザリアが浜辺で拾った小さな木箱を持って二人だけの場所にやってきた。見たこともない文字の書かれた小さな木箱の中には地図が入っていた。彼女はそれを宝の地図と言っていた。まるでそれが宝物のように大事に、誰にも言わずに、でも自慢げに、それをルウィーシアにだけ見せた。
何故それが宝の地図だとわかるのかと、ルウィーシアが聞けば、ロザリアは得意げな顔でもう一つ、別の地図を取り出して見せた。その地図は『ポートマンの地図』と呼ばれる王政府認定の世界地図だった。この島では村長宅であるロザリアの家にだけあるもので、初めて見る世界地図にルウィーシアは目を丸めた。
「ロナ島はどれ?」
「これよ!」
一番大きな大陸の左下の方にあった小さな粒を指さして言われ、初めて知る世界の大きさに圧倒された。食い入るように粒と世界を見比べているルウィーシアの肩をロザリアは興奮気味に揺さぶった。
「それでね」
ロザリアは二つの地図を並べた。
小さな木箱に入っていた地図は、ポートマンの地図とは違っていた。しかし、どことなく形は似ているような気がして、ルウィーシアは唯一わかるロナ島をその地図から探そうとした。しかし小さな島は、その地図に載っていなかった。
「ロナ島ないよ?」
「そんなのはいいんだよ」
「ふたつの地図、なんかちがうよ」
「うん」
「王様の地図と違うなら、それは偽物なんじゃないの?」
「どうだろう、わからない! でも……」
ロザリアは小さな木箱の地図に描かれた一つの島を指さした。小さいが形をはっきりと描かれ、印までついている島だった。
「この島は、ポートマンの地図にも、こっちにも、同じ場所、同じ形でのっているんだよ!」
「あ、ほんとうだ!」
ルウィーシアは食い入るように地図を覗き込んだ。ロザリアは自信満々に頷いた。
「だから、ここ、きっと宝島だよ!」
「宝島……なにがあるんだろう。パウゴたくさんあるかな」
「そんなのこの島にたくさんあるよ。きっと……『きんぎんざいほう』だよ」
「ふーん。よくわからないや。パウゴあるといいな」
ルウィーシアはベネットのいない世界を想像してぽつりと呟いた。
「そしたらここに住みたい」
「……ねぇ、ルウィーシア」
ロザリアはルウィーシアの顔を覗き込んだ。笑っているはずなのにその目には燃える炎が映っているようだと、ルウィーシアは感じた。
「いつかこんな島を出て、冒険しよう」
「冒険?」
「うん、宝島にいくの。二人で、宝島行って幸せに暮らそう」
宝島とやらがどういうものかわからないし、そこに何があるのかまるで想像がつかなかったが、ロザリアの申し出はルウィーシアにとって夢のように幸せな話だった。ルウィーシアは目を輝かせ、大きく頷いた。
「行く。暮らす。ロザリアと二人で」
「やった。絶対だよ」
「うん」
「大人になったら二人で船に乗れる。そしたら行こう、ルウィーシア。絶対。二人で」
「うん、ロザリア。ぜったい。二人で」