03
葬儀が終わり、村はすぐに日常に戻った。家に戻ったルウィーシアも同じだった。幼い頃に両親を亡くした少女は、村人たちから機織りの仕事を請け負って生きてきた。
海が見える縁側に置いた機織り機の前に座り、小さく鼻歌を歌いながら織る。時折、この島で良く採れる果実、パウゴ――橙色の厚めの皮に覆われ、乳白色の実を持つ――を口にし、海を眺める。それが日常だった。
ここから見える浜辺は、船の出入りがある島の北側と違って人影もなくひっそりとし、海鳥たちの休憩所のようになっていた。勝手知ったる鳥達は、自分たちの敷地に住まうルウィーシアの元へやってきては、パウゴのおこぼれを貰ったりして、自由気ままに過ごしていた。
この場所をルウィーシアは愛していた。両親が残した物の中で一番良い物はこの家だと感じていた。それ以外は彼女にとってどうでもよいものか、もしくは負の遺産としか思えないものだった。思い出し、顔をしかめた。
同時に、足音が近づいてきていたことに気付いた。玄関口から声がする。
「ルウィーシア、いるかい?」
「……」
気付かないをふりしても、きっと彼は無断で真っ直ぐにここまで来るだろう。まるで、自分の家かのように。
「はい、村長」
彼が望む正しい返事ではないが、ルウィーシアは機織り機の前から立ち上がって、少しだけ聞こえる程度の声をあげた。縁側にいた鳥達が飛び立ち、近くの木々に身を潜めた。波の音だけが嫌に強くなったように聞こえた。
男が縁側に顔を出す前に、ルウィーシアは部屋の方に向かった。
部屋の中には、先ほどの茶番で大泣きしていた男、つまりロザリアの父親がいた。服は礼装のままだが、顔でも洗ってきたのか、目の充血も涙の痕もさっぱりなくなっていた。絶望と孤独に打ちひしがれて泣いていたのが嘘かのように、彼はルウィーシアを愛おしそうに眺めて、微笑んだ。
「ああ、ルウィーシア。もう仕事をしていたんだね。えらい子だ」
「必要なことですから」
「この島でそれを必要と言えることもえらいよ。葬儀の時も落ち着いていたし、君は強い子だね」
ロザリアの父親は、ルウィーシアに無遠慮なまで近付いていた。もし他の村人が見れば、その異様さにぎょっとしたことだろう。彼はまるで恋人や夫婦のような距離感でルウィーシアの顔をのぞき込み、髪を触りながら、もう片方の手は彼女の腰に伸ばしていた。
ルウィーシアは、努めて無表情を貫いた。それはあの葬儀の時以上に虚ろな目だった。
「泣く必要がなかったので」
「そんなこと言わないでくれ。私の娘は今日、亡くなったのだから」
頭に血が上る。腕を払い、男の太い首を渾身の力で絞めたくなるのを賢明に堪え、ルウィーシアは頭を下げてロザリアの父親の胸に顔をつけた。甘えたのではなく、思いの外、無表情が貫けなかった。怒りを見せてはならない。だから、きっとこうすれば、この男は自分の良い方に取ってくれるだろう。それがルウィーシアなりに出来た我慢だった。
ロザリアの父親は小さく笑い、彼女を抱きすくめた。それがまた隠れたルウィーシアの表情を嫌悪一色にさせる。ただひたすらに耐えるしかなかった。
男はルウィーシアの髪を撫でながら、顔を覗き込もうとした。
「やはり悲しみがあるのかな」
そう言われ、ルウィーシアは表情を仮面のような表情に戻した。もしここに第三者がいたとすれば、その壮絶なまでに凍り付いた表情に、ただ悲しみを耐えているのではないとすぐにわかるだろう。
「……いえ、悲しくなど、ありませんでしたから」
その気持ちだけは間違えられたくない。ルウィーシアは強い力を込めて男の身体を押し戻した。男はすんなり身体を離した。
「ふふ、君も十八になるか。段々、お母さんに似てきたな。美しいルウィーシア……」
「……」
「ああ、勘違いしないでくれ。褒めているんだよ。エリーシアよりはやや色は濃いが、絹のような美しい髪、抜けるように白い肌。ここの者たちと全然違う。まるで死の女神のような」
「ちっとも褒められている気がしませんね」
「すまないね。詩人のように明媚な言葉が思い浮かばないのだ。そう君のお母さんを怒らせてしまっていたことも何度かあったか。……本当によく似て……美しいルウィーシア……」
熱に浮かされただけの醜い視線がルウィーシアの顔を舐めるように這い回った。最後の方は囁かれながら無遠慮な口が、ルウィーシアの小さな唇に近付いてきた。顔色一つ変えることなく、それを受け止め、ルウィーシアはただ突っ立っていた。
「さぁ。二人の時はなんて呼ぶんだったか、何度も教えたな? あまり長居する訳にはいかないんだ。いい子だ、ルウィーシア、さぁ」
「失礼しました。ベネット」
ルウィーシアは凍ったままの声でロザリアの父親、ベネットに応えた。途端に彼は眉をひそめ、大きな拳を固く握った。ルウィーシアは不穏なそれを視界の端に入れながら、固唾を飲んだ。ベネットは血走った目でルウィーシアを睨んでいた。
「……いい子だと、褒めたのに」
ルウィーシアは黙っていた。反抗的と取られない瀬戸際で綱渡りするかのような感覚だった。
「まぁ、仕方がない。葬儀の後だからな。君も思うところがあるだろう」
ベネットは大きく息を吐いた。途端に表情は柔らかくなり、何事もなかったかのように、ルウィーシアの肩に手を置いた。
「では今夜はうちに来なさい。……わかるね?」
「…………葬儀の後ですから」
「だからこそだよ。お互い、一人で食事をするのは寂しいだろう。だから、来るんだ。一緒に食事をしよう。わかったね」
両親を亡くして長くなるのに、今更一人の食事が寂しいなどなかった。それどころか、今は一人の食事であって欲しいと、ルウィーシアは願っている。
ベネットは目を細めて、再びルウィーシアの顔をのぞき込んだ。その顔はルウィーシアにはわからない感情で歪んでいた。
「……悲しくなど、ないのだろう?」
「はい」
「では来るように。ちゃんと約束通り、金も用意してある」
「お金はもう結構です」
「はは、何を今更」
ベネットは笑った。
「君が最初に言い出したことだろう。約束だ」
嘲るようにそう言い残し、ベネットは去っていった。ルウィーシアはその場で暫く立ち尽くした。彼女はこの状況に嘆きも悲しみも、とうに湧かなくなっていた。