16
その日の夜は結局、研究所に泊まることになった。泊まるというよりは潜伏のようなものだった。ルウィーシアは動けるような精神状態ではなかったし、あの騒ぎで名前を呼ばれたエンデも、この内壁内で下手に動くわけにはいかなかった。
長椅子で沈鬱とした表情で座っていたルウィーシアは、深夜に差し掛かった頃、ようやくひとつ言葉を呟いた。
「……ロザリアはやっぱり旅に出ていたのね」
「……そうだな」
吐息のように漏れたルウィーシアの呟きに、エンデは頷いてやった。
小さな灯りの中に浮かぶルウィーシアの表情は、憔悴しているようで、涙の跡が残る小さな顔は日中に見た時よりやつれていた。食事も取らず、いつもならば口にしている干したパウゴも一度も齧ることはなかった
もし本当に話に聞いた通り、あの島から夜のうちに小舟で海に出て、そしてこの大陸まで辿り着いたのならば、ロザリアと言う女性も相当の強運の持ち主なのかもしれない。あり得ないと言えないのは、エンデ自身がもっとあり得ない航海をしたからだ。
しかし、いくらルウィーシアとエンデが考えてみても、その彼女がポートマン邸にいて、そしてエンデの名を知っていたことは強運だけでは済まされない話だった。
ほのかな灯りに照らされて、ルウィーシアの影が揺れる。ようやく彼女は顔を上げ、エンデを見た。
「明日、またロザリアに会いに行くわ」
「……状況次第だ」
「いやよ、絶対会いに行くわ」
エンデは嘆息した。
「いい加減にしろ」
「どうしてよ!」
「島に行きたいんだろう! だったら状況がわかるまで大人しくしていろ!」
「いやよ! ロザリアに会いたい!」
「お前が言ったんだぞ。あの島に行きたいと!」
ルウィーシアは手で顔を覆った。エンデはため息をつく。
「……島に行くためには、ポートマン邸にはまた行かなければならない。そしたらロザリアのこともわかる。だから、状況がわかるまでは少しだけ我慢してくれ。わかるな?」
しばらくして、ルウィーシアは頷いた。
翌朝。ポートマン邸から使いが来たらしく、ロルフが言伝を受けていた。
「ポートマンが昨日の使いをまたよこすように、だそうだ」
「それ以外は?」
「ない。だからどういう理由で呼び出されるのかはわからない。でも警邏が来たわけでもないのだから、昨日の進入について法的に処置しようってわけでもないんだろう」
結局、相手の真意がつかめずに、二人は再びポートマン邸に行くしかなかった。
門番は昨日と変わらずだったが、やや胡散臭そうな目で見られている辺り、エンデたちが侵入者であることはわかっているようだった。
屋敷の中に通される。華美な調度品もなく、がらんとした内部は、人が住んでいるのかと不安になるほどだった。やはり召使いたちも数は少なく、閑散としていた。
ここで待つように、と二人は飾り気のない応接間に通された。
緊張の面もちで座っていると、ようやく扉が開かれた。
「大丈夫だから。下がって」
そう命じる声とそれを案じる声。昨日の女性がエンデとルウィーシアが待つ室内に入ってきた。ルウィーシアは立ち上がり、感極まった様子で女性に抱きついた。
「ロザリア! ああ、ロザリア!」
抱きしめているルウィーシアには見えてはいないが、女性は複雑そうな表情でルウィーシアを一瞥した。その目線はすぐにエンデに注がれた。
「……エンデ」
女性が呼んだ名前を聞くと、ルウィーシアの固まる気配をエンデははっきりと感じた。エンデは警戒心を露わに、名を呼ぶ女性に問いかける。それと同時にルウィーシアは涙声で嘆いた。
「私はお前を知らない。誰だ。気安く名前を呼ぶな」
「どうしてよ、ロザリア。どうして私の名前を呼んでくれないの」
女性が答えたのは、エンデに対してだった。
「……ごめんね、エンデ。わからないよね」
女性の答えにルウィーシアは泣き崩れた。
それを尻目に、女性とエンデは向かい合った。女性はじっとエンデを見つめ、表情を崩していった。泣きそうな嬉しそうな、何とも言えない表情だった。
「僕も、まさか、外で、またこうして、会えるなんて……夢にも思わなかった」
「……わけのわからないことを」
「僕だよ、エンデ。ヴィントだ」
エンデの息が詰まった。そして顔が険しくなる。
「ふざけるな。どこでその名前を知った。それは――」
「君の幼馴染だ。僕は家から持ち出した地図のせいで流された、君の幼馴染。それが僕」
世迷い言だ。
しかし、そうはっきり否定することができない。エンデは震えてきた。姿は決定的に違うが、話し方や所作は確かにエンデの知るにヴィントのものだった。
エンデはまやかしを振り払うかのように、頭を振った。
「そんなわけあるか。あいつは男だ。第一、あんな状況で、ここまで来られるわけ……」
ヴィントと名乗った女性は悲しげに小さく笑った。
「あの日――」




