13
王立文化研究所。それは研究所と名はついていたが、ルウィーシアの目にはまるで子供の頃にロザリアの家で見た絵本に出てきたお城のように映った。王城はこれより大きくて煌びやかというのだ。
ルウィーシアはロナ島の自分の家を思い出そうとした。今まで暮らしていた世界とは一体なんだったのだろうか。十数年かけて積み上げた価値観がたった一日で崩れてしまいそうだった。
エンデについて行き、恐る恐る研究所内に入る。
勝手知ったる場所なのだろう。エンデは更に遠慮なく奥へ進んで行った。周りの者達もエンデを知っているようで声をかけたり、少なくともよそ者として扱わない。
しかし、やはりここでもルウィーシアは異物だった。縮こまってエンデの後について行くしかないことに、少なからず惨めさを感じて始めていた。
小太りの青年が後ろからエンデに話しかけてきた。
「あれ? エンデじゃないか! 久しぶりだね!」
気さくに話かける青年は、清潔そうな白く長めの上衣を羽織り、重たそうに分厚い本を数冊抱えていた。エンデは立ち止まり、表情を和らげて男に向き直った。
「ロルフ。久しぶりだ。ちょうどお前の部屋に行こうとしていた」
「そうだったんだ。……あ! も、もしかして、この子も――」
そこまで言いかけ、ロルフは慌てた様子で一度言葉を止め、エンデにこっそりと耳打ちした。目がルウィーシアに向く。
「この子も君と同じ? レアン人かい?」
ロルフと呼ばれた青年は興味津々にルウィーシアを眺めた。学者の目にどう映るのかわからず、ルウィーシアはただ困惑していた。
エンデは首を横に振った。
「いいや、違う。西方諸島の子だよ」
「あれ、そうなのか。ま、随分と可愛い子連れているから驚いたよ。今回はどこを回ってきたの? 一年は戻らないって言っていたのに」
ロルフは本を抱え直し、二人の先を歩く。もう彼の目にはルウィーシアは映っていないようで、エンデを見ながら話していた。
中庭に面している廊下の窓から日の光が差し込む。中庭は庭園になっているようで、手入れされた緑の下で寛ぎながら本を読んでいたり、談笑している学者たちが目に入った。それをちらりとだけ見て、ルウィーシアは小さくため息をついた。
エンデの声が耳に入る。
「地図が見つかったんだ」
ロルフは足を止め、素っ頓狂な声を上げてエンデを見た。
「えぇ? 地図って、あの話の? 見つかったの? 嘘だろ?」
「この子が持っていた」
エンデはルウィーシアを指し示した。すると、またロルフの興味がルウィーシアに移った。ルウィーシアはどうしていいかわからず、頭を下げた。挨拶もしたが、その言葉が訛っていなかったかどうか、ひどく気になって仕方がなかった。
ロルフはまじまじとルウィーシアを見つめた。
「へぇ。まさか見つかるなんて思わなかったよ。ああ、見てみたいなぁ。いつか見せてくれるかい、その地図」
「いつかな。こればかりはすぐに研究所に差し出したくない」
「ま、そうだよね。それで? 今日はどうしてここへ?」
「実はポートマンの私設捜索隊の船に乗りたいんだ。どうしたらいい?」
「君はすぐそう無茶を言う……」
ロルフは呆れたようにため息をつき、目の前の立派な扉を開けて入っていった。
表札には、何やら難しい言葉が書かれている。聞けば、古民族学研究室と読むらしい。ルウィーシアにとっては聞いたことすらない言葉だった。知らないものがあるのは構わないが、どことなく面白くなかった。
案内された研究室は窓掛けが締め切られており、あかりはそこから漏れる陽光だけで薄暗かった。
その中で真っ先にルウィーシアの目に飛び込んできたのは、異様な存在感を放つ、見たこともない量の本で埋まっている壁だった。また、机や棚の至る所に本や紙が散乱し、あまつさえ椅子の上にまで本が積んであった。
ルウィーシアは呆れて顔をしかめた。窓も締め切っているのか、部屋中には埃っぽい空気が漂っていた。
ロルフは机の上に散らかしっぱなしの物を大雑把に片付け、席をあけた。エンデが座るのを見てから、ルウィーシアも遠慮がちに浅く腰掛けた。
落ち着いてくると、乱雑した部屋よりも、やはりその本の多さにルウィーシアは改めて居心地の悪さを感じた。茶が用意されている間、たまらなくなり、小声でエンデに聞いた。
「一体どうしてこんなところに縁があるの?」
「私はロルフに助けられてね。そしてここでこの世界の言語を習ったのさ」
「え? 言語? 今喋っている言葉のこと?」
「そうだよ。私はレアンから来た。最初は皆が何を言っているのか全くわからなかったんだよ。今となっては文法的に似ている部分があるのはわかったが」
「そうだったの」
「彼は命の恩人さ」
するとちょうどそこに茶を淹れたロルフが戻ってきた。
「大袈裟じゃないからね。彼女、すごいよ」
彼は途中から話を聞いていたようで笑っていた。銀の盆に乗せられた陶製の茶器が彼の動きに合わせてがちゃがちゃと音を鳴らす。同時に香しい茶の芳香が、埃と古紙と墨の匂いを割ってやってきた。ルウィーシアはほっと息をついた。
ロルフは茶を机の上に置き、にやにやとしてエンデを見た。悪戯をしようとしている子供のような笑みにエンデは顔をしかめた。
「エンデはねぇ……なんと、小舟で外洋から大東海までやってきたんだ」
二人はロルフに詰め寄った。
「なにそれ。どういうこと、教えてロルフさん」
「ああ、やっぱり余計なことを言う。ロルフ、やめてくれ、その話は」
ロルフはエンデに構わず話を続けた。
「俺もどうやって彼女がレアンから大東海まで出られたのかはわからないけど、彼女が沖で立ち往生しているところを、たまたま俺が乗っていた船が見つけて引き上げたんだよ。ちょうど東方の旅を終えた帰り道でね。さっさと港に戻りたかったのもあって、最初は面倒だなと思ったけど、彼女の話す言葉を聞いて鳥肌が立ったね。古文書にしかないようなレアンの言葉を生で喋られたんだから。最初は耳を疑ったし、詐欺師かなとも思ったよ。でもそんなちんけなもんじゃない。これは知っている者だけが理解出来る。俺は確信持ったよ。興奮したよ。それで詳しく話しを聞けば、レアンから小舟を漕いでここまでやってきたって言うんだから、とんだ馬鹿でめちゃくちゃな運の持ち主だよ。おかしくて仕方なかったし、なんだか一発で彼女を気に入ったよ」
話を聞いて、ルウィーシアは今日一番の唖然とした顔をしてエンデを見た。エンデは目をそらしてむっつりとした。
「エンデ、あなた頭おかしいの? それともそういうところまでロザリアそっくりなんて、私へのご褒美なの?」
「うるさい。そして何を言っているんだ。頭がおかしいのはお前だ。そもそも海なんて出たことなかったんだから仕方ないだろう」
それだと言うのにこうして外界に辿り着いたという。エンデにもレアンの正確な位置はわからないらしい。無我夢中で漕いで漕いで流されて、ようやく夢見た大陸に辿り着いたのだそうだ。
ロルフは茶を啜りながら、当時を思い出してしみじみと語った。
「エンデは非常に頭のいい子だよ。すぐに語学も覚えて、こっちの文化と歴史も学んでいった。そして、エンデは俺にレアンの文化や技術や伝統を教えてくれた。最初は、彼女がレアン人であることを公表しようかと思ったんだけどね。でも俺の教え子たちよりも断然意欲的だったし、そんな彼女が尋問を受けるのも嫌だし、俺の知らないところでレアンについて解き明かされるって思ったら、なんだか癪に障ってね。そんなこんなで、今じゃ俺の研究分野は専らレアンになったものさ。勿論、エンデの正体は内緒でね」
おかげで出世も出来た、と冗談めかしてロルフは笑う。
ルウィーシアにはエンデが勉学を学んでいたことが信じられなかった。レアンから来たと言うよりも何故か嘘のように感じてしまった。
しかし、ルウィーシアが何も口を挟めないまま、エンデとロルフは本を捲りながら、難しい言葉を交わし合っていた。詳しくはわからないが、宝島やポートマンに関することでないように思えた。ルウィーシアは茶に口を付けながらそれをむっつりとして見ていた。
ここに来てから――いや、王都内壁に入ってからルウィーシアはずっと置いてけぼりだった。何もわからない場所に一人でぽつんと待たされているのは不満だった。室内が暗いので徐々に暗澹たる気分になってくる。
景色でも眺めようとルウィーシアが窓掛けを開けようとすれば、ロルフだけでなくエンデにまで止められた。本が傷むからだそうだ。これだけ散らかして置きながら何を言っているのだろうかと思ったが、言うことを聞かざるを得なかった。
ぼんやりと座って話の終わりを待てば、ようやくルウィーシアの知っている言葉がエンデの口から出てきた。
「それより、さっき言ったこと頼まれないか。ポートマンの船に乗りたいんだ」
ロルフはため息を付き、参ったように頭を掻いた。
「エンデ、君は本当に無茶を言うね。確かにここはポートマンとの繋がりあるし、彼の屋敷だってわかるけど、知り合いでもないのにいきなり船に乗せろっていうのは難しいよ。腕の立つ船乗りか、王に任命されるかならまだわかるけど。どのみち、今の君がすぐに乗れるようなものじゃない。ましてや、そっちのその女の子も一緒となると、どんどん話が拗れるぞ」
ルウィーシアは自分がひどく苛立ってくるのを感じた。頭の良い学者とやらは人の名前も覚えない。内壁内に入ってからそういった扱いばかりで頭に来る。
そんなルウィーシアをよそに、エンデはロルフに交渉し続けた。
「ああ。だが私と彼女は絶対にポートマンの船に乗って、彼が行こうとしている島に行きたい」
エンデはロルフを真正面から見据えて言い放った。ロルフは瞬き一つするかしないかの内に、うなだれて笑みを浮かべた。諦めたようでありながら、何処となく嬉しそうな苦笑だった。
「その目は反則だよ。本当に、なんでもやっちゃうんだろうなぁって……」
聞こえるか聞こえないかの独り言を呟き、彼はしばらく待つように言うと、部屋から出ていった。
ルウィーシアは黙ったままだった。
エンデは声をかけた。
「すまなかった、ルウィーシア。暫くほったらかしで」
その言葉を聞き、ルウィーシアはようやく深めの息を吐き、とうに冷めてしまった茶が残ったエンデの茶器を見て、首を振った。ルウィーシアはそっぽを向き、拗ねたようにしてみせた。
「ここ、よくわからないし、何も興味持てなくてつまらなかったわ」
「そうだな、パウゴ狂いのお前の興味をひくようなものはなかったからな」
からかうようなエンデの言葉に、ルウィーシアはすぐさまムッとして顔を向けた。エンデは笑っていた。
「冗談だよ」
そう笑って相手をしてもらえて、ルウィーシアの気分は少しだけ晴れたのだった。




