10
澄み切った朝の風が、家を出るルウィーシアを迎えた。胸一杯に吸い込む。これが最後のロナの朝だ。
ルウィーシアの乗船手続きがあった為、商船の乗船開始時刻よりも早く、二人は荷物を背負い、北の船着き場に向かった。
二人が乗る予定の商船は、この世界では一般的な大型帆船だった。舟形はずんぐりとして丸みを帯びており、三つの大きな帆柱とその先に備わった横帆と縦帆が特徴的だった。この種の帆船の中ではさほど大きくはないはずであったが、初めて間近で見たルウィーシアにとってはいつも以上に大きく見えていた。
文字を書くことに不慣れなルウィーシアにとって乗船手続きはとても難解なものだった。また、この島においての成人とは十八と半年であったが、国の定めでは十八ちょうどで成人と見なされる為、実はルウィーシア本人だけの意志で乗れることが途中でわかったのだった。手続きが手間取り、終わった頃には出港時間が迫ろうとしていた。
乗組員が鐘を打ち鳴らす。まだ荷を積みきれていない者たちは鐘の音に急かされるように運搬を急いだ。
風に髪を揺らされながら、ルウィーシアはロナから見る海を眺めていた。口元が緩み、笑みが溢れた。
エンデに促され、いそいそと商船に乗り込もうとすると、突然船着き場にがなり立てる男の声が響いた。焦燥したベネットだった。彼は、舷梯の途中で足を止めたルウィーシアを見ると、憤怒の形相で喚き散らした。
「どういうことだ! まさか船に乗ると言うのか! 行くな! おい、行かせないでくれ! あの女はまだ未成年だ! ルウィーシア、待て! この阿婆擦れの売女め!」
叫びながら駆け寄り、乗り場へ行こうとするが、乗船審査をしていた乗組員にすぐに止められた。
「あの子は船に乗れないはずだ! 誰の許可を得て乗せている!」
「いいや、彼女は国の法律上は成人だよ。確認もとった。本人の意志さえあれば――」
「ふざけるな! この島では未成年なんだ! いいから止めろ!」
「無理言わないでくれ。手続きも済んだし、もう出港だ。頼むからこれ以上手間取らせないでくれ」
乗組員では話にならないと思ったのか、ベネットは足を止めたままのルウィーシアを見上げて懇願した。
「行くな、行かないでくれ、ルウィーシア!」
無様に騒ぎ、船乗りに止められるベネットをルウィーシアは見下した。あれだけ威圧的に支配していた男が惨めな姿を晒している。なんと気持ち悪い。それと同時に得も言われぬ愉悦を感じた。
ベネットは制止を無理矢理かいくぐり、なんとか彼女の元まで行こうとしたが、すぐに乗組員たちに取り押さえられてしまった。地べたに四肢を縫い付けられたかのように引き倒されたベネットは、辛うじて動く首だけを必死にルウィーシアの方に向けて、泣き叫んだ。
「お願いだ! 行かないでくれ、ルウィーシア! 俺の愛おしい人! 頼むから! いい子だから!」
これ以上、輝かしい旅の始まりを汚されたくない。そう思ったルウィーシアは船着き場で泣いて痴態を晒す男から目を背けた。
後に続く乗客たちから早く乗船するように急かされる。ルウィーシアは頷いて、舷梯を登った。
船着き場からは相変わらず感情的で不愉快な声がルウィーシアを責め立ててきた。
「今更俺を裏切るのか! どうしてだ、ルウィーシア! お前の為にあんなにまでしたのに!」
ルウィーシアはもう一度だけ、ロナの船着き場で押さえつけられているベネットを侮蔑の目で見下して叫んだ。
「あんたのことなんて……ずっと大嫌いだったのよ!」
それだけ言うと、ルウィーシアは船に乗り込んだ。波止場ではベネットは乗組員たちにロナへ戻されようとしていた。引きずられながらも、彼は感情的に叫び続けた。
「裏切りやがって! なんてひどい女だ! ちがう! すまない、ルウィーシア! すまない! 俺が悪かった! 戻ってきてくれ!」
その声も徐々に遠ざかる。船は再度鐘を鳴らした。出港の合図だ。我が物顔で檣楼に止まっていたロナの海鳥たちが、出港の気配に慌ただしく飛び立つ。ルウィーシアとエンデを乗せた商船はゆっくりとロナの港を離れ、王都に向けて旅立った。
あれだけ派手な痴話喧嘩を見せて乗ってきたルウィーシアは他の乗員たちから注目の的であったが、ルウィーシアはさほど気にしていない様子だった。そんなことよりも、夢にまでみた冒険の世界に向かうことに清々しさを感じているようだった。
エンデは船べりで海を見ているルウィーシアの元まで行くと、彼女と並んで大海原を見た。眩しさに目が眩むほどの海と空はどこまでも広がっていた。
「今はあそこから逃げ出せただけでも嬉しいの」
「そうか」
「連れ出してくれてありがとう」
エンデは複雑な表情を浮かべた。




