第9話:マスター・シバ
パンダールの酒場。
最近、王国からの仕事を請けるものを、『冒険者』と呼ぶようになった。
今までは、特別な呼称はなかったのだが、誰が言い出したとも知れず、すっかり定着してきている。
そんな冒険者達の中でも、異質な存在として注目を浴びるのが、フラム=ボアンであった。
フラムは23歳と若いが、剣技においては、王都随一との呼び声も高い。そして、元王国兵士という経歴を持つ、唯一の冒険者である。
すらりと伸びた長身。腰まである長い黒髪を頭の後ろで束ね、常に黒い細身の鎧を身にまとっている。
冒険者たちは、何人かで行動する事がほとんどであったが、フラムだけはたった一人で動いていた。
そして何より目を引くのが、美形と言ってもいい程の、その整った顔立ちであった。
そんなフラムは、酒場の受付嬢にも抜群の人気がある。
「フラムさぁん! 今日もいい仕事入ってますよぉ! これなんかどうですかぁ!?」
「あ、ああ。いつもありがとう。……そうだなあ……」
フラムは受付嬢の勢いに押されつつ、受け取った『フラム専用特選リスト』に目を通す。
細い指がパラパラとページをめくっていく。
「あ」
ふと、あるページで手が止まる。
受付嬢が、リストを覗き込んだ。
「さっすが、フラムさん! それ、特にオススメなんですよぉ。人探しだけで、賞金たっぷりなんですから」
そんな受付嬢の嬌声が聞こえないかのように、じっとその仕事内容を見るフラム。
「これ、もう何人か引き受けたのか!?」
珍しく大きな声で聞いてくるフラムに、受付嬢は少し驚く。
「え? ええ。既に何人かは。でも、これはこの前来たばかりの仕事だから、フラムさんなら、ぜんぜん間に合うと思いますよぉ」
「これに決めた。私はこの仕事を請ける」
フラムは、即座に言った。
「分かりました。期限は今月いっぱいです。あと2週間ありますので、がんばってくださいねぇ!」
受付嬢が言い終わらないうちに、フラムは酒場を後にした。
まるで一陣の黒い風が吹き抜けたかのようであった。
フラムが引き受けた仕事は、シバという人物を探し出す事であった。
普通ならば、王都の街で聞き込みを行うところであるが、フラムの足は迷わず西へと向かった。
王都の西は、草原が広がり、その先は森になっている。
森の入り口には、朽ちた家が何軒かあった。魔物が出るまでは、この付近でも人が生活をしていた事が分かる。
今では、人の気配はまるでなく、時々、森の奥から魔物の声が聞こえるのみである。
フラムは、腐った家の残骸を横目に、その森に足を踏み入れた。
フラムはかつては道だったと思しき所を歩く。鬱そうと茂った木々が日の光を遮り、夜のように真っ暗な獣道である。
道々には岩が転がり、折れた木が倒れこんでいる所もあり、思うように進めない。まるで人の侵入を拒んでいるかのようであった。
身につけた黒い皮の鎧が重く感じる。
フラムの体つきは細身で、およそ筋肉質とはいえない。力では他の冒険者には後れを取るだろう、とフラムは自分でも思う。
こうした悪路を歩くのもまた、苦手としていた。
「む!?」
フラムは不穏な気配を感じた。腰のサーベルの柄に手をかける。
魔物特有の殺気があたりに立ち込めているのが分かった。
(上か!?)
頭上から、巨大な影がフラムへ向かって落下してきた。
とっさにフラムは背後に飛びのき、その影が圧し掛かってくるのを避けた。
その影の正体は……巨大なヘビであった。
だが、ただのヘビではない。尾にも頭を持つ、『白双頭蛇』という魔物である。
その体長は、6メートルを越す。
白双頭蛇は、両方の鎌首を上げ、フラムを威嚇している。
その牙は強力な毒を持つため、噛まれれば命にかかわる。フラムは用心しながら、じりじりと間合いを取った。
一人でこの白双頭蛇と戦うのは難しい。一つの頭を狙うと、もう一つの頭が襲いかかってくるからであり、普通ならば二人で戦うのがセオリーである。
しかし、この場には、フラム一人しかいない。
フラムは、両足を少しずつ広げて、大きくスタンスを取った。
サーベルはまだ抜いていない。柄に手をかけ、低い体勢になる。
(一瞬で決める)
フラムはそう心でつぶやくと、斬り込む間を計った。白双頭蛇は、紫色の舌をチロチロと出しながら、フラムに今にも飛び掛ろうとしている。
フラムと、ヘビの四つの目がにらみ合う。
次の刹那。
シュっと風を切って、左のヘビの頭がフラムの喉元へ目掛けて飛んできた。
(ここだ!)
フラムは目にもとまらぬ速さで鞘からサーベルを抜きながら、自身は黒い影となって、敵へと向かった。そして飛び掛ってきたヘビの頭をかわして水平に斬り裂いた。ヘビの口元が大きく裂ける。
敵が襲い掛かってくる力を利用した戦い方である。
すかさず、右のヘビの首がフラムへと、ムチのような素早さで襲い掛かってきた。猛毒を持つ牙がキラリと光る。
フラムは瞬時に飛び上がり、ヘビの口を足元にかわした。そして、体重をかけてサーベルを振り下ろし、ヘビの頭を首から斬り離した。
シャアア……!!!
白双頭蛇の悲鳴のような鳴き声が響いたかと思うと、身を起こしていたその巨体が、ドスンと倒れる。
ヘビの後ろへ駆け抜けたフラムは、その音を背後に聞いた。振り向くと、まだ首と身体がうねっている。
フラムは、そんな姿を見て身震いすると、そそくさと先を急いだ。
すでに夕刻になっていた。
森が途切れ、フラムは湖に出た。澄んだ水をたたえた、大きな湖である。
その湖畔には、一軒の小さな家が見える。
そしてその側に、湖に向かって釣り糸を垂れている人影があった。
「マスター・シバ……。お久しぶりです」
フラムが話しかけた釣り人は、真っ白な頭髪が目立つ、華奢な老人であった。その頭髪の色に揃えたような真っ白なローブを身にまとっている。
髭もなく、血色の良い顔からは、白髪に反して若い印象を受けるだけに、容易には年齢はうかがい知る事ができない。
「フラム=ボアンか……。久しいな。まだ兵士をしておるのか」
マスター・シバと呼ばれた老人は、フラムをちらりと見ると、再び目線を湖面に移した。
その声もまた、見た目とは違う張りのある声である。
「いえ……兵士はやめました。……ところで、今日来たのは他でもありません。王国が先生を探しています」
「はてさて、探されるような心当たりはないがな……」
相変わらず、老人はフラムの方を見ようとはしない。釣竿から垂れる糸の先を見つめている。
「王国がどういうつもりかは分かりませんが、先生のお力を必要としている、という事は間違いありません。どうか一緒に王都までいらっしゃって頂けませんか?」
老人は眉ひとつ動かさず、相変わらず視線は釣り糸の先に注がれている。
フラムは続けた。
「今、王国は魔物の手から大陸を奪い返そうとしています。恐らく、今回のお召しも、それに類する事でしょう」
老人はその言葉を聞いて、ようやくフラムの顔を見た。
じっとフラムの目を見ている。老人の目は、深く、澄んだこの湖に似た色を帯びている。
「今になって魔王に立ち向かおうとするなど……。もう手遅れだよ」
ふっと老人は悲しげな表情になったように見えた。
「私を拾って剣を教えてくださったのは先生です。その時と同じように、王国も助けて頂けないでしょうか」
老人が遠い目をする。
「20年前……。この森に迷い込んだお前は、まだ小さな子供だった」
フラムも当時を思い出す。
「はい。3歳の私を、先生は我が子のように育てて下さいました」
「いや。ワシは剣しか教えなかった。そんなワシは、お前を普通の子供のようには育ててやれなかった、と今になって思っている」
老人の顔に刻まれた皺が深くなったのが分かった。
フラムはかぶりを振った。
「先生がいなければ、私は森の中で魔物に殺されていたでしょう。今、私がいるのも、先生のおかげです」
老人はまた黙りこくった。
フラムがまだ幼い頃。魔物から命を救ってくれたのが、この老人、つまりマスター・シバであった。
そして、それ以来、両親を亡くしたフラムを育ててくれたのも、このシバである。
フラムの剣は、魔物が出没する森の中で生き抜くため、シバから徹底的に教え込まれたものだった。
自然と、フラムの生きる道は剣によるものでしか無くなってしまったが、フラム自身はその事を不幸だとは思っていない。
「剣によって私は身を立てる事ができました。感謝しています」
「いや。やはり人の生きる本分は、剣ではない……とワシは思っておるよ。特にお前はな」
マスター・シバの乾いた声である。
「では、マスターは剣は捨てた、とおっしゃるのですか?」
フラムは詰め寄った。
シバの剣は、こんな所で埋もれていいものではない、とフラムは思っている。だからこそ、今回の仕事を真っ先に請けたのであった。
しかし、シバはフラムの問いに答えない。
「……もうすぐ日が暮れる。今日は久しぶりに泊まって行くがいい」
そう言うと、シバは釣具を片付け、さっさと家の中に入って行った。
湖畔の小さな家。
フラムにとっては、長らく育った家である。
中には粗末な暖炉とテーブルがあるだけで、殺風景なまでに何も置かれていない。それでも懐かしさがフラムの胸に広がった。
釣った魚を暖炉の火で焼きはじめるシバ。これも、昔フラムが何度も見た、日常の光景である。
フラムはかつて自分が使っていた椅子に腰掛ける。家を出て何年も経つが、フラム用の小さめな椅子はそのまま置いてある事が、フラムには嬉しかった。
「……それで、今は何をしておる?」
シバは魚の焼け具合を調節しながら、フラムに聞く。
兵士を辞めた話は先程した。
「今は……冒険者をしています」
「冒険者? なんだ、それは?」
世間から隔たった生活をしているシバである。王都では知らぬ者の無いパンダールの酒場の事を、シバが耳にしていないくても不思議はない。
「新しい女王が魔物と戦う仕事を斡旋するようになったのです。その仕事を引き受けているのが冒険者です」
「新しい女王……?王はレクスではないのか?」
レクスとは、キュビィの父親。つまり先代の王である。
「レクス王は退位なされ、今はその姫君だったキュビィ様が女王になられておいでです」
「何!? あのレクスが……。まさか死んだのか?」
シバは驚きとともにフラムを見た。
「いえ。ある日、突然退位を宣言なさったとか。今はご隠居なさっていると聞いています」
「ふむう。あのレクスがのう……。その娘が女王陛下とは、ワシも年を取るわけだ」
そう言ってまた遠い目をするシバ。
年を取った、というシバの言葉を聞いたフラムは、まじまじとシバの顔を見る。
幼少から育てられてきたフラムも、シバの年齢を正確には知らない。しかし、久しぶりに見たシバの顔は、小さい時からまるで変わっていない様に、フラムには見えた。
(一体いくつになるんだろう)
長年の謎であったが、フラムがいつ聞いても、シバは笑って誤魔化すのが常であった。
「で、お前は今、冒険者をしておる……とな?」
シバは急にフラムの方へ目線を移した。
「はい。今回お伺いしたのは、その冒険者の仕事でもあります。『マスター・シバを探せ』と」
それだけ聞くと、シバはうーんと唸って、考え込んだ。
暖炉の魚は、そろそろ火の当たる向きを変えないと焦げてしまいそうだ。
「あの……魚が……」
フラムが言う。
しかし、シバは上の空で、うむ、と唸ると、椅子に座った。何事かを考え込んでいるようだ。
見かねて、フラムが魚の向きを変える。いつの間にか、魚を焼く担当はフラムに交代になった。フラムは器用にくるくると魚に刺さった串を回す。
「フラム。お前はさっき、王国は魔物から大陸を奪い返すつもりだ、と言ったな」
シバは静かな声で聞いた。
「はい。それはまず間違いないと思います。今は冒険者に仕事を与えていますが、元々は魔王を倒す勇者を探していたのですから」
それを聞くと、シバは吹き出した。
「ははは。勇者、と来たか。なるほど、今の女王はなかなか面白い事を考えるようだな」
シバは珍しく声を出して笑った。言い終わった後も、肩をゆすって笑っている。
今まで、そんなシバを見ることはなかったフラムは驚いた。
「女王の年はいくつだ?20年前には、レクスに娘はいなかったと思うが」
「確か、13歳におなりだったと思います」
今度はシバが驚いた。
「13だと……!? そうか。それならワシが知らぬのも無理はないな。13歳の女王か。ますます面白い」
シバは、かつての王国について詳しい。そういえば、フラムはシバの過去について何も知らない。
フラムの胸に、ふと疑問がわいた。
「マスター。もしかして、以前、王国に仕えていらしたのではないですか?」
シバはフラムから目を逸らした。
「ん……。まあ……古い話だ……」
シバは曖昧な返事だ。
どうやら言いたくないのだろう。しかしフラムは気になって仕方が無い。
「もし良ければ、その時の事を教えて頂けませんか?」
シバは暖炉の火を見つめている。
「……もう、魚はいい頃だろう。熱いうちに食おう」
そう言ってシバはフラムの問いをはぐらかした。
これ以上聞き出すのを諦めたフラムは、小さなため息をつくと、魚の刺さった串をシバに渡した。
夜更け。
フラムは、人の気配に目を覚ました。
シバの寝床を見ると、そこに姿はない。部屋を見渡すも、その姿は認められなかった。
「マスター」
シバは家の外にでて、湖を眺めていた。
夜空には、満月が輝いている。
「起こしてしまったか……」
そう言うシバの手には、剣が握られている。
剣は月明かりに照らされ、眩い光を放っている。その光は湖面に映る月よりも眩しい。
「年甲斐もなく、昔を思い出してしまったよ……」
シバは手にした剣を鞘から抜いて、懐かしむように見ている。
細かい所までも銀細工が施されたその剣は、一目見て、ただの剣でない事が分かる。
その姿を、フラムは黙って見ていた。
「お前の言うとおり、ワシはかつて王国に仕えておった」
「え!?」
フラムは驚いた。しかし、同時にやはり、という思いもある。
シバは、ぽつりぽつりと話し始めた。
「随分昔の話だ。ワシは時の王、レクスに剣を教えておった」
平和な時代に剣は不要だとも言われたがな、とシバは笑顔を見せる。
「しかし、すぐに剣が必要な時が来た」
「魔王の侵攻ですね」
シバは無言でうなずく。
「ワシは戦った。それはもう、昼も夜も分からん程にな。散々に魔物を蹴散らしてやったもんだ」
シバは手にした剣を振った。
その太刀筋は、フラムも息を飲むほどの鋭さであった。
「だがな。振り向くと、いないんだ……味方が……誰も。皆死んでしまった」
シバの背中から、怒りと悲しみが混ざった様な圧力が発せられているのをフラムは感じた。息苦しいまでの気である。
フラムはかけるべき言葉も見つからず、ただ立ち尽くした。
「気付いたら、ワシが倒した魔物よりも、殺された仲間の方が多かった」
荒野を埋め尽くす魔物の群れ。山になった兵士の死体。そしてその中に一人立つシバの姿がフラムの目に浮かんだ。
その光景は、一言でいえば、絶望、である。
「ワシはそんな中でも生き残った。無我夢中だった。そして城に戻り、レクス王に徹底抗戦を主張した。だが……」
その話の続きは、フラムも知っている。
各地で抵抗はしたものの、次々に各地の城は陥落し、この辺境へ逃げ延びたのである。
「ワシはそれからも、一貫して反撃をするべきと言い続けてきた。だが、不思議とこの辺境には魔王は攻めてこなかった。ひとまずの平穏を取り戻すと、ワシと意見を同じにする者も次第に減っていった」
シバの声は無念さをにじませている。
そして、手にした剣を鞘に収めた。
「ついには、ワシ以外に魔王と戦おうという者はいなくなっていた。それでワシは城を出たのだ」
そして、それから間もなく、森でフラムに会ったのだ、という。
フラムは、今まで知らなかったシバの過去に言葉を失っていた。全身に衝撃が走ったようだった。
出会った頃の、シバの優しく微笑む顔がフラムの脳裏に蘇る。あの時のシバは、失意の底にあったのだろう。
「そんな事があっただなんて……」
シバは、フラムを見ると、ニコリと笑った。
「それまで剣しかなかったワシにとって、お前は新たな生きがいだった。お前のおかげで、人を恨まずに生きてこれたのだと思っている。ワシはお前に救われたのだ」
「マスター……」
いつの間にか、フラムの目には涙が溢れていた。月夜の湖が、育ててくれた恩人の姿が、ぼやけて良く見えない。
シバはフラムの肩に手を置いた。
「明日、ワシは王都へ行こうと思う」
「本当ですか!?」
フラムは涙を拭いて、シバを見た。
シバはゆっくりと頷く。
「できれば、新しい女王に会って話をしてみたい。どうだ、取り持てるか?」
一介の冒険者であるフラムには、直接女王へのパイプなどない。
だが、兵士時代の知己に頼めば、あるいは……と考える。
「分かりました。私が何とかしましょう」
「そうか……頼んだぞ」
シバは、そう言うと、身体をブルッと振るわせた。
「森の夜は冷える。……明日は早い。もう休もう」
その声に答えるように、フラムはくしゅん、とクシャミをした。