第69話:野戦
ササール城から南の位置にある平野で、ドルフィニアとパンダールの両軍は対峙した。
数に勝るドルフィニア軍は、左右に広い横長の陣形をとった。すなわち、前と左右から包囲するためである。
対するパンダールの軍は前後に長い中軍と、それを補佐するほうに付き従う左右の軍、という布陣のようである。ルーキンは偵察兵の報告を聞き終えると、特に表情を変えることなく、すぐに攻撃の命令をくだした。
――攻撃開始。
ルーキンの声を合図に、ドルフィニア軍は一斉に攻めかかった。やや遅れて、パンダールの軍も兵を進めた。
左右に広いドルフィニア軍の中央を率いているのは、総大将であるルーキンと魔王駐留軍司令のレアンである。この二将はパンダールの中軍に猛烈な勢いで突撃した。ルーキンのもとには魔導剣を携えた精鋭が集められている。彼らは槍をパンダール兵に突き立てて猛然と押し込み、相手がひるんだ隙に魔導剣を抜いて斬りこんだ。たちまちのうちに、パンダール兵は火に焼かれた。
また、レアンが率いる魔物も大暴れした。人型の狼たちは、ただでさえ巨躯であり、パンダール兵との体格差は大人と子供ほども違う。彼らは力任せに大刀を振り回し、寄せてくるパンダール兵を軽々とふきとばした。両将に率いられた兵らは、これまでの鬱憤を晴らすかのように奮戦した。
いきなり痛撃を受けたパンダールの中軍は、たまらず後退しはじめた。
この好機をルーキンは見逃さない。
「押しているぞ。攻めに攻めろ」
ルーキンは大声をあげ、兵をさらに前進させた。その勢いに、パンダール兵も負けじと応戦するものの、じりじりと下がらざるを得なくなっていった。
一方、ドルフィニアの右翼を任されたセシル=クロフォードは、ルーキンの優勢を横目で見ながら、パンダール軍の側面を叩くべく兵をまわした。が、これに立ちふさがったのが、パンダールの左軍である。
「敵は多くない。一気に踏み潰せ」
クロフォードはそう言って、パンダールの左軍を蹴散らそうとした。が、どうしたことか、なかなか崩せない。それどころか、自軍の一角を敵兵に突き破られた。見れば、突如としてあらわれたパンダールの騎兵が、縦横無尽にクロフォードの軍を切り裂いている。急にあらわれた、ということは、左軍の別動隊なのであろう。
――あれは奇襲を行っていた将か。
本陣を陥れられたときも、夜襲をかけられたときも、強力な騎兵部隊によってそれがなされていた。その進退のすばやさを考えると、いま戦っている騎兵部隊の将は、これまで奇襲を行っていた将と同一であるに違いない。そう考えたクロフォードは、
――あの将は強敵だ。
と、胸中で自らを戒めると、
「陣の間隙を埋めろ」
と言って、手元の兵を送り出し、騎兵によって破砕された陣形を修復した。続けざまに、クロフォードは兵たちの密集した隊形をとらせ、騎兵の突撃に備えさせた。
パンダールの左軍を指揮しているのは、ヒューバート=ヘイエルである。クロフォードの迅速な対応に、ヘイエルは思わず舌打ちした。
「手ごわいな」
ヘイエルは左軍から別動隊として騎兵を切り離すと、自ら率いて敵陣を分断しようした。が、それを見透かしたように、敵将はすかさず陣のほころびを埋めてきたのである。このままでは、別動隊による攻撃が思うようにいかないだけでなく、本隊すらじりじりと押しつぶされてしまうだろう。
――だが、必ずつけ入る隙はあるはずだ。
と、思っているヘイエルに焦りはない。事実、ドルフィニアの軍は密集隊形を維持するため、移動速度は目に見えて落ちている。ヘイエルは別動隊を急行させて左軍の本隊に戻ると、
「距離を保って矢を射かけろ」
と兵に命じた。たちまち無数の矢がクロフォードの軍に放たれた。
クロフォードの兵らは、飛来する矢を防ぐのに手一杯になり、さらに動きが鈍くなった。少しずつ前進するものの、進んだ分だけパンダールの左軍が下がって矢を放つため、いっこうに距離が縮まらない。その隙にヘイエルはふたたび騎兵を率いて本隊から分離し、動きの鈍重なドルフィニア右翼軍の後背にまわって、備えの弱いところを狙って突撃を繰り返した。
「ひるむな。矢を撃ちかえせ」
対するクロフォードはパンダール左軍へ向けて矢を応酬させ、一方で騎兵によって破られた陣列をふたたび補修した。当然、パンダール左軍も矢を放って応戦し、戦列を乱さない。
こうしてクロフォードとヘイエルの軍の戦闘は、ともに一進一退を繰り返す、膠着状態となった。
そのころ、ドルフィニア左翼を率いるミシェル=クロフォードも、対面するパンダールの右軍を崩せずにいた。もともとミシェルはササールへの出兵は反対であった。だが、武官である以上、命令には従わなければならない。この遠征の当初は気が進まなかったミシェルだったが、今は違った。
――何としても挽回しなければ。
という意識が強い。ミシェルが守備をしていた本陣を、敵の奇襲によって陥れられたことが、耐え難い屈辱として心に刻み込まれている。この野戦の左翼を任されたことは、その屈辱をはらす機会を与えられたのだ、とミシェルは思っている。そして、それと同時に、
――だからといって、功を焦ってはならない。
とも自らに言い聞かせた。
実際、ミシェルはむやみに敵に突っ込むのではなく、数的優位を活かすべく、緩やかにパンダールの右軍を包囲しようとした。そして、その試みは途中まではうまくいった。ところが、包囲が完成しかけたところで、敵の右軍は錐のような陣形に変化し、ドルフィニアの左翼の中央、つまりミシェルがいるところ目がけて猛然と突っ込んできたのである。ドルフィニアの陣形は横長であるため、包囲するには適しているが、一点を集中して攻められるとなると兵の厚みがない。パンダール右軍の将はその弱点を巧みに突いてきたのである。
「陣を破られるな」
ミシェルは女性ながら、もともと武勇に優れている。迫りくるパンダール兵に対し、槍をふるって応戦したが、さすがに持ちこたえられなくなった。将が敵の手に落ちるわけにはいかないため、退くしかない。ミシェルが下がったことで、ドルフィニアの左翼は中心から真っ二つに分断された。ちぎれたように分断された左翼の一部は、すかさず陣形を変えたパンダール右軍に包囲され、混乱に陥った。
この用兵を行ったパンダール右軍の将は、ササール候レイモンド=オルフェンである。レイモンドはドルフィニアの左翼の動きを見て、
――かなり慎重に進めようとしている。
と見抜き、敵の不意をつくように急襲したのである。
思わぬ打撃を受けたミシェルはわずかに後退し、すぐさま兵を立て直すと、分断された味方の兵を包囲しているレイモンドの軍に襲いかかろうとした。が、それを察知していたレイモンドの軍はすでに包囲を解いており、ふたたび錐のような陣形をとってミシェルに向かって突入した。
――同じ手を何度も食うものか。
ミシェルは声を放って忙しく兵に命じた。敵の攻撃を受けると同時に軍を左右に分かれさせ、後方へと受け流そうとしたのである。が、複雑な命令に対応できるほど兵の練度は高くなく、どうしてよいか分からない兵たちは無防備になってしまい、まともにレイモンド軍の攻撃を受けた。
「仕方ない」
大損害を出したミシェルは、血がにじむほど唇をかみしめると、兵の混乱を収めるべく左翼を後退させた。すかさずレイモンド軍が追い打ちをかけてくる気配を見せたので、ミシェルは包囲するための横長の陣形を捨て、守備的な陣に切り替えた。
――このまま攻めると、こちらも被害が出る。
そう見たレイモンドは、用心して追撃の姿勢をゆるめると、ミシェルの軍から距離をとり、同じく守備隊形に切り替えた。パンダールの左右の軍の役割は、ドルフィニアから包囲されないようにすることである。ひとまずドルフィニアの左翼の自由を奪えば、上首尾といえる。
「敵の左翼は抑えた。あとは中軍だが……」
そうつぶやいて、レイモンドはさきほどまで苦戦を強いられていた中軍の方を眺めた。この戦いの鍵は中軍が握っているのである。