第67話:不落
ドルフィニア軍が自陣に戻っていく様子を見て、ササール城内は安堵の声とともに活気づいた。くりかえし猛攻を試みたルーキンだったが、率いていた兵が、二重となった土塁にすっかり戦意をくじかれてしまい、引かざるを得なくなったのである。
「このまま撤退してくれたらいいんだが……」
レイモンドは、退いていくドルフィニア軍を見送ってから大きく息をつくと、つぶやくようにそう言った。被害状況を報せにきたヘイエルは、そんなため息を聞いて苦笑した顔を向けた。
「候はお優しい。ですが、戦場での優しさは時として命とりとなります」
「わかっている……つもりだけどね」
そう言ってレイモンドも苦笑いを返した。
ここまでのレイモンドの戦いかたは、標的を魔物に絞り込み、できるだけドルフィニア兵を傷つけないようにしている、というふうにヘイエルには見えた。
――魔物だけを狙いたい。
と、直接レイモンドが言ったわけではないが、作戦の端々にそうした意向が見え隠れしている。たとえば、はじめにササール城を手放したのは、追ってくるであろう魔物を迎え撃つためであった。また、実現こそしなかったが、ドルフィニアが占領したササール城に結界術を施そうとしたのも、まさに魔物を討ち果たすことで、ドルフィニア軍を混乱に陥れるのが目的であった。
こうした策は、ヘイエルにとってみれば、
――回りくどい。
と思ってしまう。
結局、こうして城を防衛するのであれば、放棄などせず、最初からしっかり守っていればよい。が、そうしないところに、レイモンドの性格が表れていると言えるのだろう。実際、激闘を繰り返してはいるものの、両軍とも決定的な打撃はなく、互いに兵の数をそれほど減らしていない。まるで粘りに粘って、相手があきらめるのを待つようなレイモンドの戦いかたであった。
そのレイモンドは、自軍の被害が軽微であった、というヘイエルの報告を聞き終えると、ほっとしたように表情を和らげた。
「いやあ、土塁があってよかった。さすがはヘイエル将軍だ」
レイモンドはそう言ってヘイエルを称賛した。ドルフィニアの猛攻をしのいだ土塁は、兵たちの手によって、すかさず補修が加えられている。
褒められたヘイエルは、
「いえ、土塁を二重の構えにしたのは候です」
と、謙遜でなく素直に言った。そもそも、あまりにも無防備だったササール城に、
――土塁くらいは築いておくべきだ。
と、しつこく提言したのはヘイエルである。だが、レイモンドはそこから、内側にさらに土塁を築くということを考え出した。ササール城を奪還してからすぐに造りあげることができたのには、もちろん工夫がある。それは、いまササール城には食糧が充分に存在することと無関係ではない。
奪還したササール城の食糧庫にあった兵糧は、すべてドルフィニアによって奪われていたが、それがササール城にある食糧のすべてではなかったのである。
レイモンドは兵に命じて、あらかじめ食糧を半分に分け、一方を食糧庫に、そしてもう一方を城内に堀った巨大な穴の中に入れた。そして、堀った際に生じた土を袋につめて、大量の土嚢にしておいてから、その土嚢で穴をふさぎ、さらに念入りに土をかぶせて食糧を隠したのである。さすがにドルフィニアの兵たちは、その隠された食糧の存在には気付かなかった。
あとはドルフィニアに放棄されたササール城に悠々と入城してから、穴から食糧を掘り起こし、土嚢はすでにある土塁の内側にならべて、二重の防壁にした、という寸法である。
こうしたレイモンドの策謀に、ヘイエルは驚嘆した。
「ようやく塁を越えたと思ったところに、さらに土塁があれば、敵兵はたまらないでしょう」
ヘイエルに言われたレイモンドは、照れくさそうに頭を掻いてから、話題を変えた。
「ところで、今日の夜襲はとりやめにしようと思うんだ」
連夜にわたるドルフィニア本陣の襲撃は、ヘイエルの率いる騎兵によって行われている。
なぜですか、とヘイエルは聞かなかった。すぐにその意中に気づいたのである。
「そろそろ敵が反撃に出る頃だ、ということですね」
「うん、さすがに敵も対抗策を考えるだろう」
毎夜のように夜襲をかけられれば、ドルフィニア軍は疲弊する。が、夜襲がかならずある、と認識されれば、それを逆手に取る、という戦術もなりたちやすい。いま苦境に立たされているドルフィニア陣営であれば、起死回生のために大胆な策を用いるということも充分に考えられる、ということである。
満足げにうなずくレイモンドに対し、ヘイエルは口元に微笑をたたえると、
「では、夜襲ではなく、城の防衛に専念するとしましょう」
と言って、自軍に戻った。
陽は間もなく落ちようとしていた。
意気軒昂なササール城内とは対照的に、ドルフィニア陣内は沈鬱な空気が充満していた。そうした悪い雰囲気を振り払うかのように、陣にもどったルーキンはさっそく軍議をひらき、
「パンダールの夜襲に対し、伏兵を用いようと思うが、どうか」
と意見を求めた。
すなわち、ひそかに陣を抜け出して、周囲に伏兵として潜んでおく。陣が空になっていることを知らずに敵が襲撃してきたら、一気に包囲して攻撃する、という作戦である。
が、これにクロフォードは難色を示した。
「我われが敵の夜襲に苦しんでいるのは間違いありませんが、夜襲を仕掛けてくる兵の規模は小さく、俊敏です。伏兵はすぐに気付かれ、逃げ去られてしまうでしょう」
「ではどうする」
ルーキンは、まさか撤退するべきだ、というのではあるまいな、と思ったものの、それは顔に出さずに聞いた。が、クロフォードの意見は意外なものだった。
「敵の砦に、こちらから夜襲をかけるのです。夜襲に対し、敵が撃って出ることはありません。ただし、こちらの夜襲は、攻める姿勢だけでいい。これで少なくとも我われが敵の夜襲におびえる必要はなくなります」
つまりは、昼夜を分かたず城攻めを行う、ということである。攻められるパンダールの兵たちは安心して眠ることもできず、いまのドルフィニア軍の苦しみを、そっくりそのまま味わうこととなる。さらにドルフィニアは昼夜で攻める兵を交替させることで、兵の疲労も軽減されるであろう。
「ですが、これだけでは勝てません」
と、クロフォードは自らの案が不完全である、と言った。問題は夜襲の脅威を去らせることではなく、パンダール軍をいかに殲滅するか、にある。
「敵を叩くには、野戦しかないと思います」
「野戦か……」
うなるように言ったルーキンも、それを考えなかったわけではない。攻城戦では守る側が圧倒的に有利であるが、野戦に持ち込めばその差はなくなる。問題は、パンダールがわざわざ有利を捨てて迎撃に出るはずがない、ということであり、そのことがよく分かっているルーキンの表情は晴れない。
クロフォードは目の前にあるササール周辺の地図を指差した。
「我われの陣を、大きく南に退かせるのです。やがてパンダールは援軍が到着し、兵力が増強される。それを待って再び攻め上がれば、敵は兵力にまかせて迎撃に出るに違いありません。そこで決戦を行うのです」
このまま砦を攻め続けていても、陥落には時間がかかり過ぎる。そのうえ、砦を攻めている最中にパンダールの援軍が到着すれば、前後から挟撃される形となってしまうだろう。それならば、いっそ援軍の到着を待ってから、野戦で一気に決戦を挑もう、というのがクロフォードの考えである。
ここでクロフォードの案を静かに聞いていた魔王軍司令のレアンが口を開いた。
「白兵戦であれば、われら魔物であっても働きはできる」
砦が魔物を寄せ付けないため、ここしばらくレアンたちは陣の防衛にあたっている。もともと攻撃力に優れた魔物の軍勢が砦攻めに参加できていないことが、攻略がはかどらない大きな理由のひとつになっている。白兵戦であれば、魔物も大いに暴れることができるであろう。さらにレアンは、
「あの剣を使うこともできるな」
とも付け加えた。
あの剣、とは魔導剣のことである。砦攻めでは、魔導剣を装備した兵は執拗な矢の攻撃にさらされ、その真価を発揮できないままでいる。これも、白兵戦であれば、敵と直接切り結ぶことになるため、魔導剣にとっては好都合であろう。
ところで、こんなときに真っ先に魔導剣を誇るであろう魔鼠属のムーリムは、どこへ行ったのか、この軍議には参加していなかった。
ともあれ、ルーキンは諸将の顔を見回してから、反対意見がないことを確かめると、
「よし、ではクロフォード殿の案を採用する」
と厳然と言って、軍議を終わらせた。
その夜、クロフォードは手勢を率いて砦に夜襲を行った。クロフォードが驚いたのは、パンダール側に混乱の色が見えないことであった。あたかもこの急襲を予想していたかのような的確な防衛を見せている。
――こちらの行動を読んでいたというのか。
クロフォードは、裏をかいたつもりが、逆に裏をかかれたような気分になった。が、攻めている限り、パンダールは砦から出ることはない。その間に、本陣は陣を南へ移すのである。クロフォードは気を取り直して、敵を足止めするように、ゆるゆると砦攻めを続けた。
やがて夜半を過ぎたところで、ルーキンの使者がやってきた。本隊は順調に南下し、すでにパンダールの追手を警戒しなければならない範囲からは脱している、という。
「よし、本陣に合流する」
クロフォードは攻撃を終了させると、すばやく部隊を下げながら、ふり返って土塁に囲まれた砦を眺めた。結局、ドルフィニア軍はこの砦をまともに落とすことができなかった。小さなはずの砦が、クロフォードの目には巨大な要塞に見えた。それはそのまま、パンダールの指揮官の大きさであるともいえる。
――私の本当の使命を果たすときは近いかも知れない。
闇の中、クロフォードは胸中で小さくつぶやいた。