第66話:攻防
夜が明けると、ドルフィニア軍は占拠したササール城から出て、全軍を西へと移動させた。偵察兵からその報告を聞いたレイモンドは思わず苦笑した。
「こちらの狙いに気づかれたらしい」
レイモンドは、ササール城をドルフィニア軍に占領させてから、城全体に結界術を発生させるつもりであった。いきなり魔物の動きが止まれば、ドルフィニアの兵は間違いなく浮き足立つ。ひそかに用意してあった抜け穴を使って城内に兵を送り込めば、混乱した敵を崩壊させるのはたやすい。
ドルフィニアがせっかく攻め取ったはずの城を放棄した、ということは、城に何かしらの策が施されている、という危険に勘付いたからに違いない。
「ドルフィニアはまた陣を張るのでしょう。そこを狙いますか」
レイモンドの傍らで、将であるヒューバート=ヘイエルが聞いた。
設営の際は無防備となりやすい。そこを急襲しようか、という提案だが、レイモンドは笑って首を振った。
「敵も備えているだろう。こっちも本陣を据えなおすのを先にしよう」
「では、ササール城を取り返すとしましょうか」
ヘイエルも快活に笑った。
パンダール全軍は野営を払うと、無人となったササール城にふたたび入った。あっけない奪還である。
この動きは、当然ながらすぐにドルフィニア軍の知るところとなった。陣の設営を指揮していた総大将ウォルス=ルーキンは報告を聞くと、副将であるセシル=クロフォードの元へ向かった。クロフォードは敵の襲撃に備えて守備にあたっていた。
「またも砦攻めになった」
ルーキンは苦々しげに言った。もちろん、敵拠点を手放した時点でこうなることは予想できていた。一度は落とした拠点ではあるが、はじめに落としたときと今では状況が違いすぎる。
「今度はパンダールも必死に守るでしょう。力攻めとなると、こちらも被害を覚悟しなくてはなりません」
ルーキンはそうだな、と唸った。
クロフォードもルーキンも、兵糧攻めは頭にない。ドルフィニア軍はパンダールの拠点から、すべての食糧を運び出したため、砦の食糧庫は空っぽのはずである。それにも関わらずパンダール兵が拠点に戻った、ということは、まだ城内に充分な食糧が隠されていた、ということであろう。つまり、相手が飢えるのを待つ戦い方は、効果が薄い、とみるべきである。
さらに言えば、兵糧攻めには時間がかかる。
「パンダールの援軍が来るのは五日後くらいか」
出兵の準備も含め、そのくらいであろう、とルーキンは自らの試算を口にした。援軍は間違いなく兵糧を運んでくるだろう。仮にササールの拠点に兵糧が隠されていなくても、五日ていどであれば、充分しのがれてしまう。
「五日のうちに砦を落とせなければ、援軍で力を増したパンダール軍と戦うことになります」
しかも、ドルフィニア軍は兵の数を減らしている。本陣を焼かれ、魔物の兵はほぼ壊滅したいま、全軍の士気もふるっていない。
ルーキンはクロフォードの言いたいことが分かっていた。
――撤退すべし。
ということである。
魔王駐留軍司令のレアンは、自らが招いた敗戦ののち、口を閉ざしている。本来であれば、レアンが真っ先に撤退に反対するはずであるが、おそらく今は何も口を挟まないであろう。
レアンのかわりに、これまでどこにいたのか、魔鼠族のムーリムが近づいてきた。
「恐れながら、諸兄は重大なことをお忘れではありますまいか」
ムーリムは持って回ったような言い方をし、鼻のあたりの髭をうごめかせた。クロフォードは、お前には聞いていない、というような顔をしたが、ムーリムは構わず話を続けた。
「報告によりますと、ミシェル殿が奇襲を受けた際、魔導剣を用いて敵を退けたとか。これは、パンダールに対して魔導剣は非常に有効である、ということの証左でございましょう」
つまり、まだ勝機は充分にある、とムーリムは言いたいらしい。
ルーキンは、その言葉に乗せられることはないが、もとより撤退するつもりはなかった。何の成果もないまま、まだ多くの兵を保持している状況で退くなど、考えられることではない。何より、本国で待つ宰相バグアーノの立場を危うくしてしまう。それだけは避けねばならなかった。
「今のパンダール軍が援軍を加えたとしても、われらはまだそれに対抗できるだけの兵力を充分に備えている。一度は落とした敵拠点だ、ふたたび堂々と正面から攻め取ればいい」
ルーキンは不安を払うように言い切った。ムーリムは満足そうに、また鼻を動かした。クロフォードはうなずいたものの、その顔は無表情そのものであった。
ドルフィニアは陣の設営を終えると、兵を再編成し、すぐに出撃した。今度は奇襲に備え、本隊であるルーキンと、数を減らしたレアンの魔王軍が本陣に残ることとなった。すなわち、クロフォードとミシェルが攻撃部隊である。
クロフォードは砦へ接近し、パンダールが出撃してこないと見るや、砦の周囲を取り囲んで一斉に攻撃した。クロフォードが思ったとおり、敵の抵抗は前回よりも激しかった。
――敵に奇策はもうない。
クロフォードは胸の内でつぶやいた。
パンダールは策が多いという印象だが、ここにきて堅実に砦を守っている。もしまた防衛が緩慢であれば、敵の策略を警戒するところであるが、クロフォードが感じる手ごたえは、策を腹に呑んだままの相手には思われなかった。むしろ、
――落とせるものならば、落としてみよ。
と言われているような腰の据わった頑強さであった。
クロフォードは焦りを感じていた。余裕があるのは間違いなくパンダールの方である。ドルフィニアは停滞した戦況を打開することができず、攻めあぐねた。
ムーリムが言っていた魔導剣も打開策にはならなかった。クロフォードは魔導剣を携えた部隊を編制し、一点を集中的に攻めさせようとした。が、パンダール軍はそれを見透かしたかのように魔導剣部隊に矢の雨を降らせ、土塁に近づけさせようとしない。
――奇妙な剣を持つものがいれば、集中的に矢を浴びせろ。
とでも、パンダール兵は命じられているのであろう。
はかばかしい戦果を残せないまま、クロフォードはいったん兵を下げた。兵たちの足取りは、目に見えて重くなっていた。
兵を整え、二回、三回と土塁を攻めさせたが、状況は相変わらず一進一退を繰り返し、四回目の攻勢が徒労に終わったところで陽が落ちてしまったため、クロフォードはその日の攻撃を終了させた。
ところが、ドルフィニア軍が苦しんだのは、ここからであった。陣に夜襲をかけられたのである。夜襲を仕掛けてきたパンダール兵の数は多くなく、さしたる被害もなかったのだが、おかげでドルフィニア兵は夜のあいだ、ずっと敵の襲撃に警戒したまま過ごさなくてはならなかった。夜が明けるまで敵の襲来に備えていたドルフィニア兵であったが、結局、夜襲があったのはその一度だけであった。
夜明けとともに、クロフォードは疲れ果てた兵を率いて、陣を出ると、拠点へと攻撃を加えた。士気があがらない以上、攻撃は迫力を失い、攻めれば攻めるほど味方の被害ばかりが増えていった。クロフォードは三回の攻撃を終えると、やむなく兵を陣へと戻した。
当然のように、その夜も陣が攻撃にさらされた。待ち構えていたドルフィニア軍はすぐさま応戦したが、わずかに剣を交えただけで、パンダール兵は蜘蛛の子を散らすように逃げ去って行った。当然ながら、暗闇の中を追撃できない。またもドルフィニアは眠れない夜を過ごすこととなった。
兵は疲労の極みに至った。
「攻撃は、私の部隊が行う」
翌朝、ルーキンはそう言って、クロフォードとミシェルの兵を陣にとどめ、自ら拠点へと兵を進めた。比較的ルーキンの部隊は損耗がすくない。クロフォードのときと違い、砦を一点集中して猛攻を加えた。力に任せて攻めに攻めたため、死傷する兵の数は拡大したが、先陣がついに土塁の一角を越えた。
――しめた。
ルーキンはこぶしを高く突き上げた。ぞくぞくと配下の兵が土塁を越えていく姿を見て、ようやく勝てた、とルーキンが思ったところで、左右の兵から、
「妙です」
という声があがった。土塁を越えた兵の一部が、何かを叫びながら戻ってくるのである。兵は自然と土塁から離れ、逆流をはじめた。しかたなく、ルーキンは軍を下げざるを得なくなった。
砦から離れたところで兵をまとめたルーキンは、信じられない報告を聞いた。
「あの土塁の内側に、さらに土塁がめぐらされている」
というのである。
つまり、いまルーキンたちが見ている土塁を越えると、さらに土塁がある二重の構えになっている、ということである。
まさか、とルーキンは耳を疑った。先に占領したときには、そんなものは存在しなかった。となれば、この短期間のうちに作った、ということであろう。
ルーキンは思わず唸った。たしかに、内側は、より狭い半径で土塁をめぐらせることができるため、短時間のうちに作ることができるかも知れない。パンダールは防衛しながらも、同時に内側の土塁を作り上げたのだ。そのための準備も、当然してあったに違いない。
ルーキンは遠く土塁を眺めた。砦はしん、と静まり返っている。
――撤退するべきです。
クロフォードの声が聞こえてきそうであった。