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第65話:追撃

 ササールの砦を攻撃する際、ミシェルは防衛のため本陣に残ることとなった。ところがその本陣は、ルーキンらが出撃したのとほぼ同時に、パンダールの別動隊による強襲にさらされた。

 陣を襲ったのは、レイモンド配下のヒューバート=ヘイエルであった。

 騎兵をそろえたヘイエルは、あらかじめ離れた森に潜んでおき、ドルフィニア本陣が手薄になるのを見計らって一気に猛攻を加えたのである。

 パンダールが防戦するものと思い込んでいた兵は、予期せぬ攻撃に大いに乱れた。ミシェルは兵を鎮めて陣を守ろうとしたが、パンダール軍の猛攻の前に、ほとんど戦うこともできずに蹴散らされた。やがて陣のあちこちから火の手があがり、消火できないほどに燃え広がると、陣を守るのが不可能であると判断したミシェルは、できる限りの兵をまとめて、ルーキンらの本隊に合流するべく北へ逃げた。

 ヘイエルはすばやく騎兵の向きを変えると、猛追した。

 あっという間にミシェルはパンダールの騎兵に肉薄された。逃げながら戦うのは極めて難しい。


「ここで防ぐ」


 と、強い決意で言い切ったミシェルは、手勢の大半を北へ逃れさせ、わずかな精鋭とともに追手を食い止めるべく剣を抜いた。

 魔導剣である。

 ミシェルは魔導剣の威力にさほど期待していなかったが、意外にも効果は絶大であった。ミシェルが振りかざすと、剣を交えるまでもなく騎兵はつぎつぎに火だるまになったのである。

 ミシェルの奮戦に勇気づけられた精鋭の兵たちも、死力を尽くして戦った。気迫がパンダール兵を押し返しだした、と言っていい。

 こうなると、うろたえたのはヘイエル隊のほうである。思いがけず被害を出したヘイエルは、すでに大勝と言っていい勝ちかたをしているため、深追いは無益と判断し、すみやかに兵を退いた。このあたりの進退の速さはさすが、と言っていいだろう。

 ミシェルは去っていく騎兵を茫然とながめていた。助かった、とは思わなかった。あずかっている兵を大きく減らしてしまった。そのうえ、陣を焼かれた、ということは、全軍の兵糧をも失ったことになる。ミシェルは失意を引きずりながら、ひとまず兄のいる本隊へと向かったのだった。

 報告を聞き終えたルーキンは、うなだれているミシェルに、


「よく戻ってきてくれた」


 と、ねぎらい、敗走したことを追及せず、


「敵の奇襲を想定しなかったのは大将である私の責任だ。ミシェル殿はよく戦ってくれた」


 と言ってミシェルを励ました。いや、ミシェルを、と言うより、全軍を励ましたと言ってよく、ここで兵の士気をくじかれる訳にはいかないルーキンの励声であった。だが、ミシェルは絶望に沈みきった顔のままである。


「兵糧は陣とともにすべて焼かれてしまいました」


 敵地の真ん中で兵糧を失えば、敵兵と戦う前に飢えと戦わなくてはならなくなり、全滅の恐れすらある。

 だが、ルーキンは笑って首をふった。


「報告によると、この砦には食糧がたっぷりと残されているという。その心配は無用だ」


 事実、砦には兵糧がふんだんにあった。

 それを聞いて、ミシェルはようやく救われたような表情をのぞかせたものの、兵の多くを失った事実は変えようがなく、ミシェルは重い足取りでルーキンの前から下がった。

 騒ぎを聞いて駆けつけたクロフォードは、そうしたやり取りを見て、妹の無事を喜びつつ、同時に別のことを考えていた。しだいに曇っていくクロフォードの表情に、ルーキンは気づいた。


「妹殿のことは気にしないほうがいい」


 そう声をかけたのはルーキンの気遣いであったが、クロフォードは、そうではないのです、と不安を宿した目を向けた。


「陣を襲って食糧を焼くのであれば、なぜこの砦に食糧を残しておくのでしょうか」


 ルーキンは、あ、とかすかに声をあげた。

 陣を焼いたパンダールの狙いは、ドルフィニア軍を兵糧不足にすることだ、と普通は考える。ところが、あえて砦を手放したであろうパンダールが、食糧をそのまま放置している、ということは、別の目的があるはずである。


「つまり、我われをこの砦にとどめさせよう、ということか」


 目をむいたルーキンに、クロフォードはうなずいた。だが、疑問も残る。そうまでしてドルフィニア軍を砦にとどめさせたい目的とは何であるのか。


「これは想像の域を出ませんが、この砦に、何かしらの仕掛けがしてあるのではないか、と思うのです」


 クロフォードの予想を聞いてルーキンの脳裏に浮かんだのは、レアンが率いているおおかみが土塁に跳ね返される姿であった。陥落と同時にその仕掛けは破壊された、と思っていたが、そうではなく、パンダールが意図的に解除したのではないか。そう考えると、すべてのつじつまが合うように、ルーキンには思えた。


「砦を出たほうが良さそうだな」


 そう言うとルーキンは、砦に残されていた大量の兵糧を運び出す準備を兵に命じた。レアンが追撃から戻りしだい、別の場所に本陣を設営するためである。クロフォードは砦の内部の安全を確認しつつ、念のため夜襲に備えて兵を配置した。

 ところが、レアンがなかなか戻ってこない。ドルフィニア軍は不吉を覚えたまま、ついに夜半近くなった。砦の外の闇は、不気味なほどに静かであった。




 レイモンドはササール城から脱出すると、追撃してくる敵の狙いを絞らせないために、兵をいくつもの部隊に分け、散り散りに逃げさせた。逃走するための経路もあらかじめ伝えられており、兵たちは道に迷うことなく、逃げることだけに専念することができた。目的地には、当然ながら兵が伏せてある。

 レイモンドは、敵に追いつかれることなく合流地点にたどり着くと、ぞくぞくと逃げおおせてきた兵たちを迎えた。さいわい、追撃をうけた兵はいなかった。それでも、


「かならず敵は来る。油断しないように」


 と、レイモンドは厳命し、大量の偵察兵を出して敵の出現を待った。やがて周囲が闇に沈んだため、レイモンドは敵を誘うかのように、多くの火をかせた。

 偵察兵はすぐに戻ってきて、口ぐちに報告した。


――敵襲あり。


 聞けば、追ってきたのは狼の魔物であり、猛烈な速度で迫ってきている、という。レイモンドは、かたわらのアルバートに目でうなずいた。それを受け、アルバートは左右の兵に、


「できる限り引きつけます」


 と、宣言するように伝えた。やがて、遠くから低い地響きが聞こえてきた。魔物が疾駆する音である。みな、一様に息をのんだ。


「まだです」


 気がはやる兵らに言い聞かせ、アルバートは地鳴りのする暗闇に目を凝らした。

 すでに魔物は至近である。

 レイモンドの兵は一斉に剣を抜いた。が、アルバートと彼の兵はまだ動かない。すぐに魔物の激しい息づかいが迫り、闇に無数の目が爛爛らんらんと浮かび上がってきた。耳をふさぎたくなるような地響きが、壁のようなかたまりとなって兵たちを圧迫した。


「今です」


 アルバートの声を合図に、彼の左右の兵が勢いよく足元に鉄杭を打ち込んだ。

 言わずと知れた結界術である。目に見えない結界が、闇の先へと伸びていったのが、魔物の気配がとたんに弱くなったことでわかる。


「放て」


 レイモンドは声を張り上げた。と同時に、一斉に火矢が魔物めがけて降りそそいだ。火矢は魔物に突き刺さり、また、地面に落ちて、にわかに闇に穴があいたかのように炎があがった。火矢は続けざまに放たれた。

 一方でレイモンドは、結界から漏れた魔物の襲来にも備えさせた。剣を構えた兵たちが、夜空を焼くような炎の先を凝視した。


――来たぞ。


 炎の壁を突きやぶり、数頭の狼が飛び出してきた。兵たちは狼を一頭一頭を取り囲むと、四方から斬り伏せた。結界を脱した魔物は多くはなかったが、これがしばらく続いた。さらに、後方では火矢が絶えず射ちだされ続けている。レイモンドたちはすでに勝ちの形を作っていると言ってよかった。

 魔物を誘い出し、結界術で動きを止めて殲滅する、という戦い方は、先に蜥蜴とかげ族の魔物ルドーを破った時とまったく同じ手法である。そのため、すでに魔物に対策されている可能性も考えられなくはなかったが、それでも成功させる自信がレイモンドにはあった。

 たしかに魔物は強敵である。が、これまで時に応じた戦い方をしたことはない。策を用いるのであれば、むしろ状況判断に優れた人間を相手にしたほうがやりにくく、相手を魔物にしぼってしまえば、罠にかけるのはさほど難しいことではない、とレイモンドは考えた。そこで、ドルフィニア軍と魔物を分断するために、敵の追撃が夜に行われるよう仕向けたのである。本来、夜に城を出て追撃を行うことは危険であり、よほどのことがない限り行わない。実際、ドルフィニア兵はこの追撃には加わっていない。


――だが、狼の魔物は違う。


 狼は鼻が利く。闇のなかでも獲物を狩る狼は、夜襲には最適である。狼の魔物はかならずや追撃のために砦を出る、というレイモンドの予測は確信に近いものがあった。

 問題はどうやってドルフィニアの追撃を夜間に行わせるか、であるが、そのための工夫もレイモンドは施している。ササール城の陥落を日没直後にするために、ドルフィニアへの降伏をほのめかし、彼らの出撃を遅らせたのである。


「まさか使者がササール候ご本人とは、ドルフィニアの将も気づかないでしょう」


 とは、策を聞かされた時のヘイエルの言葉である。つまり、ドルフィニアの陣を突如として訪れた使者は、司令官であるレイモンド本人だったのである。レイモンドはドルフィニアの陣容を見て魔物が狼であることを知り、この策を考えたのであった。ヘイエルがあきれたように笑ったのも無理からぬことであろう。

 ところで、そのヘイエルは、ドルフィニア本陣を一蹴したあと北上し、ササール城を通過して、レイモンドたちと合流するべく兵を動かした。やがて火矢によってあがった炎が遠目からでも見えた。まさにレイモンドらと魔物の交戦のまっただなかである。


――好機。


 魔物の群れに背後から接近するかたちとなったヘイエルは、迷わず魔物の群れへと突撃した。ほとんどの魔物は動けない状態であったが、騎兵たちは構わずに次つぎとやりを突き刺していった。前方から火矢はさかんに飛んでいるが、ヘイエルたちがいる後方までは届かないため、気にすることなく目の前の敵をほふった。多数の魔物たちが音もなく闇の底に沈んでいった。

 このとき、魔物を率いるレアンは、運良く結界術から逃れていた。レアンの周囲はレアンと同じく人のかたちをした狼族でかためた、いわば精鋭部隊であったが、狼の魔物ほど駆けるのが速くなく、軍の後方に位置していた。そのため、たまたま結界術の範囲から外れることができたのである。


「何が起きた」


 吠えるように言ったレアンは、それでも残った魔物をまとめて攻勢に出ようとした。が、そこでヘイエル隊の突入に遭遇した。圧倒的に形勢が不利だと悟ったレアンは、さすがにヘイエルと戦うことはせず、するどく遠吠えのように声を発すると、方向を変えて逃走した。遠吠えは魔物への合図であった。その声を聞いて、生き残った魔物たちは一斉に南へと駆け出し、闇の中に消え去っていった。


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