第8話:新たなる課題
パンダール王国。
その首都である王都の中央機関は、言うまでも無く、女王キュビィ=パンダールのいる王城である。
その王城に、最近、変化が起こった。
それは、毎朝の評議に、女王が顔を出すようになった事である。
評議とは、毎朝、各大臣達が集まって、政策について話し合う場である。
毎朝行われるので、朝議とも呼ばれる。
今までの女王は、宰相レイモンド=オルフェンを中心に、各大臣達に政務を任せていた。
13歳の幼い女王であるから、それは無理もない話として、誰もそれについて何も言わなかった。
しかし、レイモンドだけは、評議に出るよう何度も何度も女王に進言していた。
だが、その度に、キュビィの激しい抵抗にあい、その進言が聞き入れられることは無かった。
さすがのレイモンドも、半ば諦めかけていたが、どういう風の吹き回しか。この日、突然、評議に出るとキュビィが言い出したのである。
レイモンドは、なぜ突然? と不思議ではあったが、あえて波風を立てる事もないと思い、女王の自覚の表れだと納得することにした。
ところが、その初日。思わぬ被害をこうむった人物がいた。
軍務大臣のグゼット=オーアである。
「誠に、弁明の余地がありません。私の不徳と致すところでありまして……」
大臣達が見守っている。
キュビィに一段高い玉座から見下ろされる、オーアのたくましい身体が、小さく縮こまっていた。
王の謁見の間。辺境の城ながら、やはり荘厳な雰囲気に身が引きしまる。
その空気は、玉座にある女王から発せられている様に、レイモンドには感じられた。
「面を上げるが良い、オーアよ。すべてがそなたの責任と言うわけでもあるまい」
キュビィが優しく声をかける。
レイモンドといつも話す調子とは違い、気品に溢れる、女王らしい、『猫をかぶった』声である。
戴冠式以来のその様子に、レイモンドは思わず目を見張る。
オーアが追求されているのは、東の洞窟の監視員がすべて逃げ出してしまったという不祥事に対してである。
この件を声高に言うのは、東の洞窟の再開発を任された、商工大臣トッシュ=ヴァートである。
「恐れながら、陛下。本来なら、洞窟の安全を確認するために派遣された兵士が、真っ先に逃げ出すなど言語道断。その兵士を統括するオーア殿に責任がある事は明白です」
ヴァートがさらに畳み掛ける。
レイモンドは、それを苦々しく見ながら、同時に、しきりに恐縮するオーアを不安な気持ちで見守った。
何か援護をしなくては。
レイモンドは、咳払いをして周囲の注意を引き、口を開いた。
「商工大臣殿。兵士はこれまで魔物に対抗するための訓練を受けておりません。逃げ出した事は許される事ではありませんが、現状の監視員の制度自体に不備があったのです。それはこれから調整すれば良い事ではありませんか」
ヴァートは、レイモンドをチラリと見ると、冷笑を含ませ、強い口調で反論した。
「宰相殿。そんな悠長な事は言っていられません。今の好況を支えているのは、武具屋です。つまり、あの鉱山は王国の命運を握っているのですぞ」
武器や防具の需要は、パンダールの酒場の登録者が増えた事で一気に高まり、それによって慢性的な品薄状態になっていた。増産をかけようにも、原料となる鉱石までが不足する事態になっていた。
そこへ訪れた『東の洞窟』開放の吉報。
グレイとククリ、そしてヒューが開放した東の洞窟は、良質の鉱石を産出する鉱山である。
鉱山を再び掘れば、武器の不足が解消できるため、王国内でも東の洞窟は重要視されていた。
早速、再開発に乗り出そうとしたヴァートだったが、後に、監視員が途中で逃げ出した事が判明し、鉱山開放の真偽に疑問が持たれた結果、その開発計画は大きく遅れることになった。
確かに、ヴァートの言う様に、鉱山開発は王国にとっては重要な問題である。
ちなみに、東の洞窟を探索した者、グレイ、ククリ、ヒューへの賞金も、この時、未だに払われていないのだが、当然そうした小さな問題は、この朝議には上がっていない。
そして、中でも再開発の妨げになっているのが、内部にいたとされる、巨大モグラの存在である。
すなわち、『まだ中にいるかも知れない』以上、そんな危険な場所に行く者は、王城内にはいなかった。
こうして、東の鉱山の問題は、紛糾していた。その責を一身に受けているのが軍務大臣のオーアである。
そんな閉塞した雰囲気を破り、決意を含んだ声が謁見の間に響いた。
「分かりました。では、私が行って、洞窟の安全を確認します。それでよろしいか?」
そう言い放ったのは、渦中の人、グゼット=オーアである。
大臣達から、どよめきが起こった。
レイモンドも目を丸くした。
「私は魔物と対峙した事はありませんが、これでも武人の端くれです。何が出てこようと、恐れるものではありません」
そうキッパリと言うオーア。
その姿を見て、女王キュビィは優美に微笑む。
「良い。立派な覚悟だ。では、オーア。東の洞窟の再確認を命ずる。供は好きなだけ連れて行くが良い」
「はは!」
オーアはそう言って女王に礼を取ると、さっと身をひるがえして、謁見の間を出て行った。
レイモンドは、そんなオーアの後姿を、呆然と見守るしかなかった。
そして、女王は、ヴァートの方を見る。
「ヴァートよ。お前も開発の責任者として、オーアの同行を命ずる。鉱山の技師を連れて、視察に行くが良い」
また、大臣からざわめきが起こった。
ヴァートは思いもよらない女王の発言に固まっている。
「どうした、商工大臣トッシュ=ヴァート。わらわの声が聞こえぬのか?」
「い、いえ。わ、分かりました。私もオーア殿と東の鉱山へ向かいます」
「うむ。早速支度せよ。」
女王は満足そうに頷き、青ざめて退出するヴァートの後姿を見守った。
レイモンドは目の前の出来事が信じられなかった。
これが、いつものキュビィか?
呆気に取られていると、女王は今度はレイモンドへ視線を移した。
「オルフェンよ。お前には監視員制度の改善策を出すように命ずる。オーアが戻り次第、実行できるように、案を作成せよ」
「は、ははー!」
レイモンドは思わず跪いた。
それだけ、女王の言葉は重くレイモンドに響いたのである。
「では、次の議題だ」
女王は、悠然と大臣達を見回した。
昼下がり。王城の中庭。
最近は執務室よりも、この中庭でレイモンドはキュビィに会う事が多くなった。
二人は、お茶を飲みながら、朝議の話をしている。
キュビィは愉快そうに笑った。
「朝は驚いたか?」
「ええ。突然評議に出られたかと思えば、あの立派な立ち居振る舞い。レイモンドは嬉しくも驚きました」
それは、世辞を含まない、レイモンドの率直な感想であった。
「わらわもいつまでも子供ではない。日々成長しておるのだ。そろそろ女王らしい所を見せねばな」
そう言って、キュビィは薄い胸を張った。
「それは良い事です。ですが、オーア殿とトッシュの事が気になります。無事に戻ってくれば良いのですが……」
そう言って、レイモンドは顔を曇らせる。
キュビィはふふん、と鼻を鳴らした。
「オーアはこの城の中でもっとも強い男だ。簡単にはやられはすまい。ヴァートもオーアと一緒なら大丈夫だ。それに、オーアには監視員の件もあるし、魔物との戦いも経験しておいた方が良いだろう」
ははあ、とレイモンドは感心した。
「そこまでお考えだったのですね。恐れ入りました」
「まあ、兵士のトップが魔物と戦った事が無くては、部下にも何も言えんだろうしな」
確かに、キュビィの言う通りである。
キュビィの深い考えに、レイモンドはまた舌を巻いた。
レイモンドはキュビィが生まれてこの方、教育係として様々な事を教えてきた。
ワガママな所を除いては、キュビィは非常に優秀な生徒であった。
そんな素晴らしい素材を、女王としてどこに出しても恥ずかしくないように(性格は別にして)、レイモンドは育ててきたつもりである。
その才能がついに開花したのだ、とレイモンドの胸に熱いものがこみ上げてくる。
「ところで、今朝命じた、監視員制度の件だが、今の段階で何か案はあるのか?」
そう言って、好物の胡麻だんごをほおばるキュビィ。
今回のだんごは、レイモンドが城の料理係に作らせたものである。さすがに毎回、宰相補佐官ノウル=フェスに買いに行かせる訳にはいかない。
「ええ。詳細はオーア殿が戻られてから詰めますが、酒場の登録者と城の兵士の、合同の訓練所を作ろうかと思っています」
この案は、実は以前からレイモンドの頭にあった構想である。
王国の兵士と、酒場の登録者たちが、同時に訓練を行う事で、お互いが刺激になり、より戦力が高まるであろう、という目論見である。
酒場の登録者は、しっかりとした武術を身につけた者は少ない。反対に、城の兵士には実戦経験が少ないため、訓練を通じてお互いの足りない所を補う事ができるのでは、とレイモンドは期待している。
監視員は城の兵士から選ばれるため、兵士のレベルを引き上げれば、直接、監視員のレベルアップにつながる。強い監視員を育てれば、今回のような不祥事も起こらなくなるであろう、と考えたのである。
「なるほど。それは面白い。その線で進めてくれ」
「はい」
すっかり女王の顔になっているキュビィに、レイモンドは嬉しくもあるが、少し寂しい気持ちも覚える。
レイモンドも、よくオーアから『お前は変わった』と言われるが、自分ではその意識はない。きっと、キュビィもレイモンドと同じように、女王として変わりつつあるのであろう。
そして、きっと本人は、その変化には気付かない。そういうものなのかも知れない。
「後は、南の砦の奪回だな」
キュビィは遠い目をしながら言った。
南の砦は、山に囲まれた王都と他の地域を結ぶ、交通の要所である。
そこを奪還すれば、王都以外へも進出する事ができるようになるため、まさに王国復興の足がかりと言えた。
だが、肝心の砦は、魔王の配下によって占領されたままである。
「あの砦は、魔物の中でも、幹部クラスが守っていると言います。攻め取るにはかなりの人数が必要になってくるでしょう」
レイモンドは、そう言って、グレイとククリの顔を思い浮かべた。
東の洞窟の解放は、彼らの手柄だ、という事はレイモンドも聞き及んでいた。
だが、いかに優れた武勇を持つ者でも、個人個人では、やはり砦の攻略は不可能である。
「うむ。ある程度はこちらも人数をそろえる必要がある、と言う訳だな」
難しい顔をしてキュビィはうなずく。
「はい。酒場で仕事を斡旋する今のやり方ですと、まとまった人数を集めるのは難しいかも知れません。別途に人数を集めるキャンペーンを張る必要があるでしょう」
「ならば、レイの言う合同訓練所から選抜すればよかろう。これは、と思う者を集めれば、砦の魔物に対抗できるやも知れぬ」
なるほど!とレイモンドは目を見開いた。
キュビィはどうだ、という風に得意げだ。
「それは良いお考えです。いやあ、陛下は人が変わったように政務に打ち込んで頂いて、嬉しい限りです」
レイモンドは嬉々として言った。
「んん?では今まではどうだったと言うのだ?」
そんなレイモンドを、キュビィは可愛らしくにらむのだった。
一週間後。
レイモンドの心配を他所に、軍務大臣オーアと商工大臣ヴァートは兵士を引き連れて、無事に王都に帰還した。
城門まで迎えに出たレイモンドが、二人の労をねぎらう。
「ご無事で何よりです。東の鉱山は如何でしたか?」
オーアはニッと笑って、レイモンドに拳を突き出した。
「五日間もすみずみまで見て回ったが、中はもぬけのカラだったわ。しかし、道中に魔物が出てきおったから、退屈はせんかったがな」
そう言って、魔物の血を吸ったであろう槍をレイモンドに見せ、さらに豪快に笑った。
身体のあちこちに、魔物との戦闘で受けたと見られる傷があった。しかし、オーアはそれを一向に気にかける様子はない。
さすがは軍人、とレイモンドは改めて感服した。
対するヴァートはげっそりとやつれていた。
「まあ、これで東の洞窟を開発できる事はハッキリした。私はこれで失礼させてもらう」
商工大臣トッシュ=ヴァートは、いつもの高飛車な態度は微塵も見せず、言葉少なに立ち去った。
ヴァートを見送りながら、オーアはレイモンドに耳打ちする。
「奴の魔物に怯えた顔、お前にも見せてやりたかったわ」
そう言って、オーアは楽しそうに笑った。
レイモンドも釣られて笑ったが、体力には自信のない彼は少しだけヴァートに同情した。
もし、自分がオーアに同行していたら……、そう考えると、とても笑えなかった。
「ところで、オーア殿。戻ったばかりで申し訳ないのですが、後でちょっと相談があります。私の部屋まで来てください」
「わかった。だが、湯浴みをする時間はくれよな」
ご機嫌なオーアは、そう言って片目をつぶった。
宰相の執務室に、レイモンドは軍務大臣オーアと、財務大臣ハロルド=ギュールズを呼んでいた。
レイモンドは、数少ない勇者計画の賛同者二人に、合同訓練所の構想を説明した。
「なるほど。それはいい考えですね。今ある施設に少し手を加えればいいだけですから、費用もそんなに掛からないでしょう」
ギュールズは手元の紙で何事かを計算しながら、すぐさま同意した。
対するオーアは少し引っ掛かっている様子だ。
「オレも賛成だ。だが、肝心の師範代を誰にするか、が問題だな」
オーアはたくましい腕を組んで考え込んだ。
「今の師範役はいかがですか?」
ギュールズが聞いた。
「あいつらは魔物と戦った経験はありません。それではあまり意味がない事が、実際に魔物と戦ってみて良く分かりました」
そう聞いて、レイモンドもギュールズも黙り込む。
二人とも軍事に関しては、素人であるから、オーアにそう言われると、代案はすぐには浮かんでこない。
オーアはさらに続けた。
「それに、王都の兵は実戦経験がない。それは師範も同じ事だ。技術はあっても、実戦で鳴らしている登録者と戦って勝てるかといえば、必ずしもそうとは言い切れないな」
「例えば、登録者の中に、元兵士だった者はいないのですか?」
ギュールズがたずねる。
オーアは少し考えてから答えた。
「一人、心当たりがあります……。フラム=ボアンという者ですが、奴は駄目です」
オーアは渋い表情である。
「それはなぜです? まさか、からっきし弱いとか?」
今度はレイモンドが聞いた。
オーアはため息まじりに話す。
「いや、腕は立つ。恐らく、オレを凌ぐ程だ。だが、あいつは以前、ちょっと問題を起こしてな……。オレとしても、奴を採用する訳にはいかんのだ」
オーアは珍しく歯切れが悪い。
レイモンドは少し気になったが、オーアの気が進まない以上、他の候補を探すより他にない。
三人に沈黙が流れる。
「あ!」
突然、ギュールズが声をあげた。
レイモンドとオーアはその声に驚く。
「ど、どうしたんですか?」
「あ、いや……。随分昔の話なので、あんまり参考にならんかも知れませんが……」
ギュールズは神経質な顔を恐縮させて言う。
しかしここは、どんな些細なヒントでも欲しいところである。
レイモンドは続きを促した。
「私の父親に聞いた事があるのですが、昔、天才的な剣術家がいた、という……名前は確か……」
そう言って、ギュールズは頭をコツコツと指先で叩いた。
少し滑稽に映る仕草に、レイモンドは少しだけ笑いがこみ上げてくるが、そのために貴重な名前が出てこなくなってはいけないので、その失礼な衝動を飲み込み、答えを待つ。
「ええと、ええと……」
と考えるギュールズ。喉まで出掛かっているんだが……という仕草である。
「……マスター・シバ」
オーアがポツリとつぶやく。
たちまち、ギュールズの目が大きく見開いた。
「そう! マスター・シバ! 彼がまだ生きていれば、まさにうってつけでしょう」
マスター・シバ。
その名前はレイモンドも聞いた事がある。
だが、それはレイモンドが子供の頃に耳にしたきりで、はっきりと記憶には残っていない。さらに、そのおぼろげな記憶ではかなりの高齢だったはずである。
本当に存在しているのだろうか。もし存在したとして、今も生きているのだろうか。
「なんだか、雲を掴むような話ですね……」
レイモンドが言うと、ギュールズは、申し訳ない、と言って縮こまってしまった。
思わず出てしまった本音に、すみません、とレイモンドは謝る。ギュールズは繊細なのだ。
オーアは、そんなやり取りを眺めつつ、口を開く。
「シバは実在する。オレはガキの頃に会った事があるから、それは間違いない。……が、生きていてもかなりの年寄りのはずだ。果たして師範が務まるかどうか……」
「会った事があるんですか!?」
レイモンドとギュールズは同時に驚きの声をあげた。
「ああ。でも、それももう20年近くも前の話だ。今どうしているか、どこに住んでいるかまでは分からん」
「でも、他にいい人材はいない訳ですよね? なら、とりあえず探し出して、生きていれば、会ってみませんか? それから判断すればいい」
レイモンドはそうまとめた。
探す手立ては、もちろんパンダールの酒場である。人探しなら人海戦術に勝るものはない。
「……そうだな。まずはそれで行こうか」
眉間に皺をよせたまま、オーアは頷いた。