第61話:政変③
意識を取り戻したドルフィニア王ヴィクトールは、横たわったまま、目だけをクロフォードへと向けた。
クロフォードは慌てて立ち上がると、となりで転寝をしている医者を起こそうとしたが、それをヴィクトールは、そのままにしておけ、と制した。
「お前と二人で話したい」
そう言われたクロフォードはふたたび座りなおすと、喜色に満ちた顔をヴィクトールに向けた。安堵の声が自然と漏れる。
「心配しました」
ヴィクトールはそれには答えず、まっすぐに天井へと視線を移すと、自らが倒れてからの経緯をクロフォードに聞いた。
クロフォードはありのままを説明した。明日、王子アランは正式な後継者として立つことになる。
「お前さんの事だ、後継者争いにならないように、急いだんだろ」
ヴィクトールは責めるような言い方はせず、どちらかと言えば平坦にそう言った。急いで後継者を立てる、という事は、ヴィクトールの死が喫緊であると臣下が思っていたことの裏返しでもある。
「その通りです。申し訳ありません」
クロフォードは頭を垂れたが、ヴィクトールは、
「いや、お前さんは正しいよ。俺はもうじき死ぬ」
と思いがけないことを言った。
「気弱なことを……」
言わないで欲しい、といったことをクロフォードは続けようとしたが、ヴィクトールはその言葉をさえぎった。
「俺の身体のことだ。自分が良く分かってるさ」
そう言うヴィクトールの声には、やはり悲壮感や、いつもの冗談めかしたような響きはなかった。それだけに、強力な呪詛というべきか、予言というべきか、そうした確実に訪れる未来を聞いたようにクロフォードには思われ、さきほど光明を見たはずのクロフォードの胸は、ふたたび暗雲で塗り固められた。
「そんな顔をするな」
乾いた笑い声とともにヴィクトールはそう言った。
クロフォードは自分がいまどんな顔をしているのか、見当もつかなかった。
しかし次の瞬間にはヴィクトールは笑いをおさめ急に険しい表情をつくると、驚くべきことを言った。
「だがな、アランはパンダールを攻めるぞ」
「まさか」
クロフォードには信じがたい話である。アランは人当たりが良いことで知られた王子である。それがパンダールを攻めるとは考えにくい。
「アランは俺に似ず、おとなしい奴だ。あいつ自身はそれほど本気じゃないだろう。誰にだって一時の気の迷いってもんがある」
ヴィクトールは独り言のように呟いた。無論、アランがパンダール攻めをヴィクトールに進言したことを言っているのだが、その事情をクロフォードは知らない。
「問題はな、バグアーノの奴だ」
「バグアーノ殿が?」
クロフォードはそれほどバグアーノの人となりを知っている訳ではなかった。クロフォードは宰相としての日はまだ浅く、バグアーノ自身もずっと南方にいるため、顔を合わせる機会も滅多になかった。だが、南方と言えば、まずバグアーノの名が挙がるほどに知れ渡った存在であった。
「奴は危険なところがある。南方に行かせたのも、それが原因だからな」
かねてからバグアーノは周囲からの信望があつく、また政治手腕も申し分なかった。本来ならば中央にあって王ヴィクトールの補佐を行うべきところであるが、ひとつだけ瑕があった。
「あいつは昔からパンダールを攻めるべきだと主張していた」
この言葉にクロフォードは驚いた。
パンダールが北の辺境の地にその命脈を保っている、という話は、以前から魔物ずてにドルフィニアでも聞かれていた。だが、それでもドルフィニアの民はそれを気に掛ける余裕などなかった。常に魔王側といかに向き合うか、それだけに頭を悩ませ続けてきたのである。
そんな中で、パンダールを攻める、というバグアーノの視点は目新しいと言えなくもない、とクロフォードは思わず感心したが、当時、このバグアーノの主張に、ヴィクトールはおおいに反対した。
「奴は欲が深すぎる。欲は新たな欲を生むだけだ」
そのため、やむなくバグアーノを南方へと遠ざけた。
それを聞いた瞬間、クロフォードはハッとした。欲深い男を左遷したとき、何が起こるのか。
――謀反。
クロフォードの思考を読み取ったように、ヴィクトールは頷いた。
「だからアランを行かせた」
バグアーノの補佐役として遣わされたアランは、同時に監視の役目も負っていた。わざわざ王子を送ったのは、ヴィクトールがバグアーノを疑っていないように信じ込ませるためと、逐一の報告をさせても不自然に見せないためであった。だが、アランは素直すぎるところがある。
「アランはことのほかバグアーノと上手くいった。だが、上手く行き過ぎたのだな。奴はすっかりバグアーノに心酔して、監視どころの話ではなくなった」
そう言ってヴィクトールは苦笑した。
クロフォードは、むしろバグアーノがアランの真の役目を見抜いていたのではないか、というようにも思えた。アランはものの見事にバグアーノに懐柔されたのでは、と。
「いずれにせよ、アランが王となればバグアーノが実権を握るようになるのは間違いあるまい。だが、それではやがてドルフィニアは乱れる」
ヴィクトールがそう言い切るからには、よほどの確信があるのであろう。もしかしたら、フルック=フラッド評議長がことさらに反対したのは、自らの利権を保とうとするからだけではなかったのかも知れない、とクロフォードには思われた。
ヴィクトールはそれまで中空を向いていた視線を移し、クロフォードの目を見た。病床にありながらも、その目は力強い光を放っている。
「クロフォードよ、お前さんに頼みがある」
「パンダールと戦にならぬよう、主権をバグアーノ殿と争え、ということですか」
クロフォードの答えに、ヴィクトールは、にやりと歯を見せ、それは少し違う、と言った。
「わしは後悔しているのだ。魔王と手を組んだことをな」
「それは……」
仕方のないことだ、とクロフォードは思っている。いや、クロフォードだけではない。ドルフィニアに住まうすべての人間が思っていることであろう。それは生き抜いていくために必要な選択であり、犠牲であったはずである。そして、重要なのは魔王の支配から脱却するため、これからどうするのか、ということだ。そのためにパンダールとの協約を結ぼうとしたのである。
「わしに策がある。残念ながら、もう、わしにはそれを行うことはできん。それをお前さんに頼めねえかなって話だ」
相変わらずの気楽な口ぶりだが、クロフォードは普段の調子を保とうとするヴィクトールの意地のようなものを見た気がした。
クロフォードはヴィクトールの策を静かに聞いた。ヴィクトールは言い終わったあと、
「お前さんはわしを軽蔑するか」
と聞いた。クロフォードは首を横に振った。
「恐らく、これを考えたのは陛下ではありますまい」
ヴィクトールは顔を歪めながら、くつくつと笑い声を立てた。
「その通りだ。これはな、ドーファンが考えた」
――やはりドーファン殿か。
クロフォードは心のうちに頷いた。それほどにヴィクトールの気質とはかけ離れた策だったのである。
「ドーファンはわしの要望にそった案を提示したに過ぎん。奴を悪く思うな」
ヴィクトールは諭すようにそう言ったが、もとよりクロフォードにはドーファンへの悪印象はない。むしろ、その策を採ったヴィクトールの決意のほどを知った思いであった。
「ドルフィニアの民をお前さんとドーファンに託す。よろしくな」
今生の別れのような言い方をヴィクトールはしたあと、静かに目を閉じた。息はあるが、おそらくヴィクトール自身が言ったように、もう目を覚ますことはないのであろう。
「承りました」
クロフォードは自らの主君に向け、小さく呟いた。ヴィクトールは王国を頼む、とは言わず、民を頼む、と言った。そこに、王の覚悟がある。つまりは、クロス家の王朝、もっと言えばドルフィニア王国としての国体にこだわってはいない、という事であった。そして、それが自らの遺志であり、その志を現実のものとするのが、クロフォードとドーファンの使命だ、ということである。
クロフォードはどんな顔をして良いのか分からないまま、もう目を覚まさない主君を見つめていた。だが今までと決定的に違うのは、その胸に確固たる決意が存在することである。
ふいに、クロフォードの背後から物音が響いた。振り返ると、そこには肩で息をしているドーファンの姿であった。
「陛下は!?」
叫びにも似たドーファンの声である。ようやく南方から戻ってきたのであろう。
「眠っておられる」
そう聞いて、ドーファンはその場にへたり込んだかと思うと、深く頭をうなだれた。肩が震えている。
「何かの間違いだと思ったが、よもや……」
悔恨を絞り出すように言うドーファンのもとに、クロフォードは近づき手を差し伸べた。
「泣いている場合ではない。陛下の志は、私と貴殿で継ぐのだ」
そう言ったクロフォードの両目からも、大粒の涙があふれ出ていた。




