第61話:政変②
「旦那なら居ないよ」
盗賊のような顔立ちの若い使用人が、主であるドーファンの不在をぶっきらぼうに伝えた。この使用人も、幾度か尋ねるうちにクロフォードが怪しい者で無いことは理解したようで、敵意に似たまなざしを向けなくはなってきていたが、それでも常に警戒を怠らない様子はクロフォードにもありありと分かった。
番犬、という言葉がクロフォードの頭に浮かび、思わず頬が緩みそうになった。
「何がおかしい」
とは使用人は言わなかったが、いぶかしそうに眉をゆがめた。顔立ちこそ粗野だが、言い知れない愛嬌がある。
クロフォードはドーファンがいつ戻るのかを聞いたが、使用人は分からない、という。分かるのは南方の鉱山の視察からはいまだ戻っていない、ということだけだった。
――なるほど、だから評議長は私を頼ったのだ。
クロフォードは心のうちに頷いた。
もともとドーファンは商人勢力とつながりがあり、さらに王にもっとも近い者のうちの一人であるのは疑いようがない。バグアーノの対抗馬としてフラッドが支援するのであれば、クロフォードよりも、まずはドーファンに声をかけるはずである。つまりフラッドはドーファンの所在がつかめず、探し出す時間もないため、仕方なくクロフォードを頼ってきたというところであろう。ドーファンが王の側近となった経緯が商人らの推挙にあることから、ドーファンがフラッドの依頼を断った可能性はない、とみていいだろう。
クロフォードの想像の通りだとすると、この使用人がドーファンの居所を知らないというのは嘘ではあるまい。
クロフォードの顔に落胆が出たのだろう、使用人がわざわざ、
「旦那が戻ったら知らせてやろうか」
と、言ってきた。彼には珍しく笑顔であった。その気安さからクロフォードは使用人の名を聞いたが、使用人は不思議なことを言った。
「こちとら、ただの冒険者だ。宰相様に名乗るような名はないさ」
このとき、クロフォードはその不思議さを気にもかけず、使用人の好意を丁重に断った。ドーファンが城に戻れば、間違いなくすぐに会えるはずだからである。
あてが外れたクロフォードは、ドーファン邸から自宅へは戻らず、その足で再び城へと向かった。特に残した業務があった訳ではなく、自然と足が向いた、というのが正直なところであった。
夜の街を城へと歩きながら、クロフォードはなぜ自分が突然ドーファンに会いたくなったのかを考えた。無論、付き合い自体は極めて短く、立場上でいえば二人は政敵である。クロフォードはすべての臣下の筆頭として王ヴィクトールに仕え、ドーファンは商人勢力から王のもとへ補佐役として送り込まれている。
それでも、クロフォードはドーファンに対して悪い印象を持っておらず、むしろ敬意さえ抱いていた。王佐の才はドーファンに遠く及ばないであろうとさえ思っている。それでも、そんな自分をヴィクトール王は必要としてくれた。
――私のことをもっとも評価してくれたのは王だ。
そうだと分かっていても、いや、良く分かっているからこそ、王が倒れた状況に対して鈍感であり続ける自分の精神が嫌であった。
その一方で、ドーファンと共にパンダールとの協約の成立を図ったときを思うと、純粋に、
――楽しかった。
と思えるのだ。ドーファンに会いたいと思うのは、そのあたりに理由があるのかも知れない。当然、ドーファンからしてみればいい迷惑であろう。そういう風に思考を巡らせたとき、クロフォードの口から小さく苦笑が漏れた。
王が倒れてから、初めて声を出して笑ったかも知れない。だが、そのことにクロフォードは気付かなかった。
すでに夜半に近づいている。この日クロフォードは既に一度城から退いており、登城するのは二度目となるため、門番は少し驚いたように何か言いたげな顔をしてか らクロフォードを通した。
城に人は少なかった。これというあてもなく、クロフォードは自らの執務室へと向かった。
夜が明ければアランが正式な後継者として立つことになる。そうなれば、アランを中心とした新たなドルフィニアが生まれることとなる。群臣はいま、どんな思いでいるのだろうか。
ふと、クロフォードはこのままヴィクトールが人々から忘れ去られるのではないか、という思いがよぎった。アランが王としての輝きを放ちはじめるのと同時に、ヴィクトールは真夜中に枯れていく花のように、誰にも気づかれずに消え去っていくような気がした。宰相の執務室へと向かっていたはずのクロフォードの足は、思い出したかのように、くるりと方向を変えた。
ヴィクトールが眠っているのは王の寝室である。そこへ立ち入れる者はごく限定されているが、宰相たるクロフォードはその限られた者の一人である。寝室へと続く廊下を守る兵士の前を目礼して通り過ぎると、クロフォードは規則的に並ぶいくつもの燭台の小さな火をたよりに長い長い廊下を渡り、ようやく王の寝室へとたどり着いた。
木製の扉を小さく叩いても返事がなかったため、クロフォードはそのまま部屋へと入った。中を見ると、横たわるヴィクトール王と、その側で年配の医者が椅子に座ったまま眠りこけているだけであった。年老いた医者は連日となる付っきりの看病に疲れ果てているのだろう。
クロフォードは医者を起こさぬようにヴィクトールの傍らに椅子を持っていき、そこに腰をおろした。依然としてヴィクトールは死んだように眠っている。
――このまま目を開けないのか。
そう意識してみても、やはり感情に変化は生じなかった。いや、厳密には、感情が消えうせた、といったほうが正しいかも知れない。ドルフィニアを魔物の支配下から解き放つ、という使命感に似た情熱はクロフォードの胸のうちから消失してしまっている。そして、アランのもとに仕える自らの姿も想像できなかった。
――つまりは、ヴィクトール王への忠誠がすべてだった、ということか。
そして、王の命が今にも潰えてしまいそうだ、という事実を、いまだに自分は受け入れられないでいるのではないか。そう考えれば、現在のクロフォードの心情は一応の説明がつくように思えた。
まだヴィクトールは死んだ訳ではない。クロフォード含め、周囲がもう死んだものと勝手に思い込んでいるだけなのである。
自らの心情を整理して、一筋の光明を見た思いがしたクロフォードの視線の先で、ゆっくりとヴィクトールが目を開けた。
「おう、お疲れさん」
突然の出来事に、クロフォードは自分の五感のすべてを疑った。




