表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
71/85

第59話:ササールの夜


 ドルフィニアに使者を送り出したササール候レイモンド=オルフェンだが、当然、そののちもササールにおける復興の手を休める訳にはいかない。

 兵舎を完成させたのち、次にレイモンドが着手しようとしたのは、酒場の建設であった。だが、その計画を聞かされたササール候の臣、将軍ヒューバート=ヘイエルは思わず首を傾げた。


「酒場よりも優先すべきことがあるのではありませんか」


 例えば、レイモンドの住まいである。将兵ばかりか、捕虜であるドルフィニア王と魔王の王女アンジェリカにまで宿舎が与えられているというのに、レイモンド自身はいまだに幕舎暮らしを続けていた。


「候といえば一国の君主です。それ相応の住まいというものがあるでしょう」


 ヘイエルはそう言うのだが、


「いやあ、すっかり野営暮らしに慣れてしまってね。当分は今のままでいいよ」


 と、当のレイモンドは遠慮しているのか、とぼけているのか、まったく意に介さない。


「フラム殿からもひと言お願いします」


 困ったヘイエルは、同じく将であるフラム=ボアンに援護を頼むのだが、頼んだ相手が悪かった。


「候には深いお考えがあるのです」


 と澄ましたものである。もしヘイエルが、


「候の安全のためですよ」


 などとフラムを焚きつければ、たちまち味方に転じたかも知れない。が、残念ながら、そうした器用さをヘイエルは持ち合わせていない。

 やれやれ、という風にヘイエルは首をすくめた。


「……候のお住まいは、まあいいでしょう。ですが、城壁はどうです。敵の侵入を防ぐため、これは必要でしょう」


 新ササール城の建設地には、その周囲に防壁はおろか、堀すらめぐらされておらず、ただ結界術のための丸太が彼方までずらりと打ち込まれているに過ぎない。城というからには、外敵から守るための防壁をそなえているのが普通である。

 だが、そう主張するヘイエルの前に、思いがけない強敵が現れた。


「敵、と言えばすなわち魔物のことです。その魔物を防ぐために、結界術ほど頼りになるものはありませんよ」


 屈託のない笑顔で言う宰相アルバートの前では、さすがにヘイエルは二の句が告げられなかった。

 しかし、ヘイエルが問題にしているのは建設の後先、つまり優先順位のことだけであって、必ずしも酒場を作ること自体に反対な訳ではない。常に死地におかれているような兵たちにとって、酒場の存在はこの上ない憩いの場となるであろうし、それは士気の向上にもつながる。それに、王都にあるパンダールの酒場のような機能を持たせれば、仕事を求める冒険者を呼び込むことができる。彼らは魔物を駆逐する兵士となるであろうし、また、ササールの住民ともなりうるであろう。

 それが分かるだけに、ヘイエルは、


「多勢に無勢では降参するより仕方ありませんね」


 と、苦笑して、ついにレイモンドへの説得をあきらめた。

 だから、という訳ではないだろうが、酒場の建設は実に円滑にすすみ、たちまちのうちに完成を見た。作業にあたった兵士たちも、酒場ができることがよほど嬉しかったのだろう。

 落成の初日の夜には、量はけして多くないものの、王都から運んできた酒のすべてが兵士に振舞われた。当然、哨戒に出る兵もいるため、そうした者たちは交代制、ということになる。

 しかしながら、兵たちは酒が飲めることを喜ぶより、まずは吃驚することになった。というのも、酒宴は酒場の試用を兼ねているため、酒はすべて酒場から提供されたのだが、それを手渡していたのが誰あろう、ササール候レイモンドだったからである。

 レイモンドからしてみれば、兵たちに気兼ねなく酒を飲んでもらいたい、という心からの行為だったのだが、かえって兵たちは恐縮してしまうため、さすがに諸将から諌められた。張り切っていたレイモンドは、しゅんとして、しぶしぶ引き下がるのであった。

 ともあれ、王都を出てからはじめてとなる酒宴は、自然、実に盛大なものになった。

 レイモンドに付き従ってきた者たちにとって、思えば過酷な日々であった。延々と続く街道への結界の敷設、そして魔物の軍勢との戦闘。そうした困難を潜り抜けた先に、ようやくたどり着いたササールの地でも、まだその復興ははじまったばかりである。そして、これからもそうした苦難はずっと続いていく。それでも下を向いている者は一人としていなかった。誰もが希望に顔を上げ、先の戦闘で命を落とした者を悼み、そしてこの場で酒を飲めることに感謝し、また大いに笑った。

 そんななか、フラムは配下の兵と共に、静かに杯を傾けていたのだが、ふいにレイモンドが隣にやってきた。


「な、なんでしょうか」


 驚いて立ち上がったフラムの問いかけにも、レイモンドにしては珍しく、やけにもじもじとしている。


「その、お願いがあって……。言いにくいことなんだが……」


「い、言いにくいお願い……ですか」


 何を言われるのか、まったく予想がつかない。フラムにとって、良いことなのか、それとも悪いことなのか。なぜだか分からないが、フラムは自分の顔がにわかに熱くなるのを感じた。おそらく酒のせいではない。

 レイモンドはさんざん逡巡しきったあげく、ようやく思い切ったように口を開いた。


「もう一度、あの剣舞を見せてくれないか」


「剣舞をですか?」


 フラムの脳裏に、レイモンドと共に乗り込んだジェイルズ=ピケの屋敷での戦いが思い浮かんだ。血生臭い策謀のための剣舞ではあったが、フラムにとっては忘れらないレイモンドとの思い出である。だが、今や将として立つフラム=ボアンが兵のために剣舞を舞うというのは、やや抵抗がある。いや、もっと正しく言うなれば、


――もの凄く恥ずかしい……。


 というのが正直なところである。が、レイモンドが兵を慰撫するために余興を行おうとする気持ちは分かる。それだけに、できればレイモンドの役に立ちたいところだった。

 フラムは勢いをつけるために手にした杯の中身を一気に飲み干すと、大きく息を吐き、暗闇の中いたずらっぽい笑顔を浮かべた。


「分かりました。ですが、ひとつだけ条件があります」


「条件?」


 フラムはレイモンドの耳のそばに顔を寄せると、小さい声で耳打ちした。


「ええ!?」


 それを聞いて、レイモンドは身体をのけぞらせて驚いた。が、真剣な表情で見つめるフラムの視線に負けたかのように、やがて小さくうなずいた。


「……私はやったことがないが、いいのか?」


「候は私に合わせて下されば良いのです。さあ、いきましょう」


 酒の力もあったかも知れない。フラムは大胆にもレイモンドの手を引くと、中央で大きな炎をあげている火のそばまで進み出た。煌煌こうこうとした明かりに二人が照らし出される。

 異変に気づいた兵たちはにわかに談笑をやめ、一斉にレイモンドとフラムへと視線をそそいだ。


「戦鼓を」 


 フラムは戦に使う太鼓、すなわち戦鼓の係を呼ばわった。係の者は、突然のことに事態がまるで飲み込めずに呆然としていたが、そこに助け舟を出すように近づいて来る者があった。


「鈍い奴だな。こういうことさ」


 次の瞬間、高らかに笛の音が鳴り響いた。吹いている主は将軍ヘイエルであった。

 ヘイエルの短い笛は、鋭い高音を発し、それは激しい調子の旋律となって夜空の下に広がった。そこでようやく合点がいった戦鼓の係の者は、ヘイエルの笛に合わせ、激しく太鼓を打ち鳴らした。

 レイモンドをいざなうかのように、フラムが微笑んだ。かがり火がその笑顔を妖艶に見せている。


「さあ、オルフェン様」


「あ、ああ」


 向かい合ったフラムとレイモンドは剣を抜くと、笛と戦鼓に合わせ、ゆっくりと舞いはじめた。


 


 笛と戦鼓の音は、やや離れた位置にあるアンジェリカの宿舎にも、当然のように流れてきた。アンジェリカはその音を聞くとはなく聞いていて、やがて小さくため息をついた。人知れず漏れたはずの、その小さな吐息。だが、それを見つけた者がいた。


「いかがなさいました?」


 言われたアンジェリカは、少し驚いた顔を見せたが、すねたようにしてまた冷やかな表情をつくると、声のする方をにらんだ。


「……のぞき見なんて悪趣味だわ、王子様」


 アンジェリカの冷たい視線の先にいたのは、アルバートだった。にこやかな表情で宿舎の入り口にたたずんでいるアルバートの手には、食事がもられた木の器がある。


「今夜の酒宴のおすそ分けを、食いしん坊の姫にも、と思いまして」


「失礼ね。食いしん坊じゃないもん」


 むくれたようにそっぽを向くアンジェリカだったが、アルバートが目の前に置いた器から立ち上る香気に、思わず腹の虫を鳴らした。


「あっ……」


 くう、という、子犬が鳴いたような、かわいらしい音がアルバートの耳にも届いた。


「なかなかに正直ですね」


 たまらずアルバートがふき出す。アンジェリカは恥ずかしさあまり、口がきけないほどに真っ赤になってうつむいてしまった。そんなアンジェリカにアルバートは優しく声をかける。


「どうぞ召し上がってください。冷めないうちに」


「……いやしいとか、思わない?」


「まさか。誰だってお腹くらい鳴りますよ。それに、こんなお肉、なかなか口にできませんから」


 アルバートが持ってきた食事とは、鳥の肉だった。陣中とさほど変わらないササールでは、新鮮な肉を口にできる機会はなかなかに少ない。酒場の落成を祝う夜だからこそ供される、まさしくご馳走だった。そう考えれば、アンジェリカが腹の虫を鳴らすのは無理もない。何より、アンジェリカは年端もいかぬ少女なのである。

 アンジェリカはアルバートに慰められて少しだけ気を持ち直したのか、ようやく少しだけ顔をあげた。


「食べていい?」


「もちろんです。さきほど私も頂きましたが、とても美味しかったですよ。かの有名なササールソースがまた絶品です」


「ササールソース……」


 そう聞いてたまらなくなったのか、アンジェリカは食器をつかむと一切れを切り出し、口に入れた。目を閉じてしばらくその味わいに集中していたかと思うと、驚いたように目を見開いた。


「おいしいわ。とっても」


「そうでしょう」


 アルバートは満足そうにうなずいた。

 ちなみに、ササールソースの特徴は、肉汁に果実を煮詰めたものをくわえることによって、旨味を引き出しつつ後味をさっぱりとさせるところにある。このソースはパンダール大陸全土に広まったが、いまやその発祥の地は滅び去り、こうしてソースに名を留めるのみになった。ある意味において、ササールの復興を目指すレイモンドらの宴にはふさわしい料理と言えるかも知れない。

 アンジェリカはすっかり機嫌を直して、鳥のササールソースを堪能している。


「ところで、遊びに来てくれるのは嬉しいけど、王子様はみんなと一緒にお酒飲まなくてもいいのかしら」


「私はお酒が飲めないのですよ。一滴もね」


 それよりも、とアルバートは少し改まった。


「姫、そろそろここを離れて、王都へ行かれませんか? こちらでは何かと不都合でしょう」


「不都合? こんな家まで用意してもらった上に、こんなご馳走を頂いて。これで文句を言ったら、罰があたってしまうわ」


貴女あなたは他国からお預かりしている大切な姫君です。このあたりには魔物だって多い。安全のため、ぜひ王都へお移り下さい」


 アルバートにしては珍しく、やや熱っぽい語り口であった。アンジェリカは、少し考えるような顔をしたが、


「嫌よ」


 と、にべもなく答えた直後、皿の上をきれいに平らげた。彼女がご機嫌だった最大の要因、鳥のササールソースの効果は、どうやらここで切れてしまったらしい。なぜ、と理由を問うアルバートにも、アンジェリカはまったく答えようとしない。


「嫌なものは嫌」


 の一点張りで、取り付く島もなかった。


「奇特な方だ」


 と苦笑してアルバートがさじを投げようとしたとき、アンジェリカは思い出したように手を合わせた。


「そうだわ。ひとつお願いがあったんだわ」


「なんでしょう? 私にできることでしたら、ご協力しますよ」


 その願いを聞けば、アンジェリカはササールから王都へ移ってくれるかも知れない。そんな期待もあって、アルバートの声は明るくなった。


「一度だけ、遠出をしてみたいの」


「それは……」


 さすがにアルバートは即断できない。パンダールとしては、できうる限りアンジェリカを丁重に扱っているのだが、いかに見張りをつけたとしても、捕虜を自由に行動させるわけにはいかない。それに、遠出というからには、辺りに施した結界の範囲から外れることになるだろう。それはあまりにも危険である。


「王都までの道のり、ということでは駄目なんでしょうね、もちろん」


「当たり前じゃない。私が行きたいのは……」


「行きたいのは?」


 アルバートはアンジェリカの言葉の続きを待ったが、


「まあ、いいわ。今は」


 と、無感情に言って、また横を向いてしまった。アンジェリカの沈黙は、外から相変わらず響いてくる笛と戦鼓をより明瞭にした。この日のアンジェリカの説得は無理だろう、とアルバートは潔く諦めることにした。


「外は楽しそうですよ。良かったら一緒に見に行きませんか?」


 そう言ってアルバートはアンジェリカを誘った。アンジェリカは少し迷うような素振りを見せたが、


「じゃあ、案内してもらえるかしら」


 と言って席を立った。

 レイモンドとフラム=ボアンの舞いはまだ続いている。かがり火に照らされ、兵らが大喜びで見ている様子が、アンジェリカとアルバートが並んで立っている遠くからでもよく分かった。


「踊っているのはササール候と、まさか、あのフラム将軍?」


「それに、この笛はヘイエル将軍のようです。素晴らしいですね」


「将軍ふたりが素晴らしい、というのには同感ね」


「これは手厳しい」


 アルバートは苦笑いした。将軍ふたりが見事だというのは、裏返して言えば、レイモンドの舞いが不出来であるということである。

 アルバートに言わせれば、味のある舞いだと言えなくもない。華麗にして豪快という洗練されたフラムの舞いと、ぎこちないレイモンドの舞いは、ある意味で調和が取れている。その証拠に、兵たちの反応も、フラムの舞いに魅入られたようになるかと思えば、レイモンドの動きでは笑いが起こるのだった。美しくも、楽しい舞いである。

 アンジェリカは、まるで吸い込まれるように剣舞を見つめていた。普段は冷たいその瞳に、遠くのかがり火が映り、温かい光がともっているようである。


「不思議な気持ち……」


 アンジェリカは、ぽつり、と言った。アルバートはうなずく。


「その気持ち、よく分かりますよ」


「本当?」


「それはきっと、幸せ、という気持ちです。私もはじめは戸惑いました。こんな気持ちになっていいのか、とね」


 さあっ、と二人の間を風が吹き抜けた。温かい風に撫でられたかのようだった。しばらく静かにその風に長い髪をなびかせていたアンジェリカは、つぶやくように口を開いた。


「実を言うとね、もうひとつお願いがあったの」


「まあ、聞くだけは聞きましょうか」


「もしパンダールの王都に行くのなら、アルバート王子、あなたと一緒でないと嫌」


「ご冗談を」 


 やがて、戦鼓と笛の音がやみ、兵たちの拍手喝采が起こった。レイモンドとフラムの舞いが終わったのである。

 アルバートとアンジェリカのふたりは、言葉を発することなく、しばらくの間、ただ何となくその場にたたずんでいた。


 ところで、フラム=ボアンがレイモンドを誘って剣舞を舞ったことを、本人がまるきり覚えていない、ということが分かったのは、翌朝のことであった。フラムは酒宴の夜、すっかり酩酊してしまっていたのだった。主君であるレイモンドに、フラムが何度も何度も詫びたのは言うまでもない。

 また、大部分が飲みつくされたササール城の酒だったが、哨戒のために酒宴で酒にありつけなかった兵が一時休暇を許され、その兵と共に追加の発注書が王都へと向かうこととなった。この後しばらくは、王都とササールを結ぶ街道は、酒の道と呼ばれるようになった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ