第58話:南に結ぶ
ドルフィニア王の特別顧問とでもいうべき男ドーファンは、王ヴィクトール=クロスと宰相セシル=クロフォードを前にして、静かに語りだした。
「パンダールと結び、魔王との盟を破棄するのは現実的ではありません。失礼ながら、それはクロフォード殿もお分かりのはず」
クロフォードは言い返せなかった。ドルフィニアを危険にさらすということが良く分かっているからである。では、それを回避するための具体的な策を持っているか、と問われても残念ながらその答えは持っていない。
「ではどうすればいい」
ヴィクトールが太い眉をまげ、そうたずねた。その声に暗さはなく、どこか楽しそうでさえある。
「そうですね。魔王との同盟を保ったままで、パンダールとも誼を通わせる……というのはどうでしょうか」
「不可能だ」
クロフォードは吐き捨てるように言った。敵対するふたつの勢力と同時に友好関係を保つ、すなわち両面外交など、上手くいくはずがないし、そもそもやりたくはない。
否定されたドーファンは、しかし表情を変えることなく言った。
「たとえば、パンダールとの協力関係を、ごく狭い範囲にとどめるのです」
「狭い範囲……」
クロフォードは短くつぶやく。
「たとえば、交易においてのみ限定的に国交を結ぶのです。ドルフィニアとパンダールの中間にあるササールがちょうど良いでしょう。そこを特別区域にして、互いの生産物を持ち寄って交易するのです」
ヴィクトールとクロフォードは、ぱちくりとまばたきを繰り返すと、互いの顔を見合わせ、
「それで?」
と、ふだん心が通じ合っているとは言い難い主従が、このときは声をそろえて聞いた。ドーファンの真意がもうひとつ理解できなかったのである。
そんな二人に、ドーファンはにこりと笑顔をつくった。
「ドルフィニアは魔王に多くの物資を貢いでいます。いかに豊かなドルフィニアとはいえ、この負担は非常に大きく、毎年の生産分の多くをそれにあてている。足りない部分は商人から借り入れたりして工面していますが、借金は膨らむ一方で、いずれ成り立たなくなってしまうでしょう」
「確かに」
またしてもヴィクトールとクロフォードが同時にうなずいた。商人からの借り入れがかさんでいるという問題も、商人たちの発言力を強める一因になっている。
ドーファンは続ける。
「パンダールとの交易で利益を得れば、それを貢物にあてることができます。これはドルフィニアに益があるだけでなく、貢物が潤沢になれば魔王にとっても利があることでしょう。さらには、情報を得てパンダールの動向をうかがうこともできる」
「なるほど、それなら魔王側からの理解を得られるかも知れない……」
クロフォードはつぶやくようにそう言い、ヴィクトールは愉快そうにひざを叩く。
「妙案だ。パンダールも必ず受けるはずだ。よし、これでいこう」
賛同を得たドーファンはヴィクトールに対して慇懃に礼をとると、
「では、クロフォード殿、謁見のご準備を」
と言い残し、さっと退出した。
その後姿を見送ったクロフォードは、パンダールとの協力関係が前進した安堵感を覚えるのと同時に、ドーファンとの力の差をまざまざと思い知らされた。
――オーア殿に手紙をつかわしたのは、やはりドーファンなのではないか……。
一時は否定したその考えが、クロフォードのなかで、にわかに確信の色を強めた。パンダールとの協約の主眼に交易をおくという考えは、いかにも商人勢力の考えそうなことである。だとすると、ドーファンは事前にパンダールの使節がやってくるのをつかんだ上で、速やかにその対応策を講じたということになる。クロフォードは、完全にドーファンの手の上にあったということだ。
そこまで考えたとき、クロフォードは衝動的に声を発していた。
「陛下、私の宰相の任を解いて頂けないでしょうか」
ヴィクトールは聞き違ったかというように、しばらくクロフォードの顔を見つめてから、
「ドーファンを宰相にしろ、ということか」
と言って、苦笑した。
「御意にございます」
クロフォードは真剣に言った。冗談でないことが分かったはずのヴィクトールは、しかし、苦笑いをやめない。
「馬鹿を言うな。こんなややこしい国をまとめるにはな、何事もほどほどがいいんだ。お前さんは俺と一緒に、ほどほどにやっていけばいい。それで周りが好き勝手言うことを、角が立たないようにやんわりと形にする。それでいい」
ヴィクトールはそう言い終わると、笑い声を大きくした。クロフォードの発言を冗談だと受け取ろうという彼なりの気遣いである。
ドーファンとクロフォードでは、求められる役割が違う。そして、ドルフィニアにとってクロフォードは必要なのだ。ヴィクトールが言いたいのは、そういうことであろう。
クロフォードは、これまで遠くに感じていた主君との距離が、急に縮まったように思われた。
「……では、ドーファン殿の案を主要な方々に根回ししてきます」
「うん、頼む」
ヴィクトールの声に背中を押されたように、クロフォードは揚揚として王の執務室を出た。
クロフォードはドルフィニアの政治に関わる主要な面々をまわって、パンダールの使者の謁見の連絡と、パンダールとの交易に関する事前整合を行った。驚いたことに、交易に限定して国交を結ぶ、というドーファンの案は、比較的すんなりと受け入れられた。特に喜んだのは商人勢力の筆頭であるフルック=フラッド評議長だった。
フラッドは、この案がいかにドルフィニアにとって歓迎すべきことなのかを、話を持っていたはずのクロフォードにひとしきり力説してから、
「パンダール領内の商いを独占してくれる」
などと、並々ならぬ意欲を見せた。フラッドに言わせれば、クロフォードも含めドルフィニアの政務に関わる人間は、商売の重要性をまるで分かっていないのだという。そのあたりをようやく語り尽くしたフラッドは最後に、
「パンダール王はなかなかに度量がある。ドルフィニアを独立国として認めたということだからな」
と、大いに感心してしめくくった。フラッドは古い人間であると共に、ドルフィニア王の擁立に携わった一員である。それだけに、ドルフィニアに王を立てたのが、厳密にはパンダールへの造反にあたる、ということをかえって良く分かっているのだろう。
それより、クロフォードがもっとも危惧していたのは、魔王駐留軍のレアン司令官の反応だった。
城外に、古い家屋を改築した駐留軍の本部が設けられている。そこで話を聞いたレアンは、さすがにフラッド評議長のように手放しで賛成はしなかったが、
「どうせまた魔王陛下がパンダールを攻める。そうなれば、この話はどうせ立ち消えるだろう。それまで好きにすればいい」
と、歯牙にもかけない様子であった。レアンがこの話を重視していないのは、結局のところ、駐留軍は魔王の命に従うまでであり、魔王はパンダールへの攻撃の手を休めないだろう、とレアンが予想しているからである。だが、クロフォードの見解は少し違った。
「先の敗戦、不可解とは思いませんか?」
「不可解?」
クロフォードに聞かれ、レアンはごろごろと鳴る声をいっそう低くした。先の敗戦とは、言うまでもなくササールにおいて迎撃軍が全滅した戦いのことである。
「いかにパンダールが強兵だったとして、あれだけの魔物の大軍を相手に、容易に完勝できるとお思いですか」
「確かにおかしいとは思っている」
「ならば何か仕掛けがあると考えるのが当然でしょう」
「仕掛け――だと?」
むろん、それが何かは知るよしもない。仮に使者としてやってきたパンダール王国軍務大臣グゼット=オーアに問いただしたところで、その秘密を明かすはずがない。拷問、という残忍な手段をもって聞き出す方法も、魔物ならばあるいは採用するかも知れないが、オーアの気骨にわずかながらも触れたクロフォードからすれば、恐らくオーアは命に代えて秘密を守り抜くだろう、と簡単に想像がつく。
「つまりは、同じように魔王軍を出したところで、また同じような目にあう可能性が高い。となれば、魔王陛下といえど、軽々しく兵を動かせないのではありませんか」
クロフォードの話を聞き、レアンは不機嫌そうにうなった。
「今はパンダールを探るために交易をしたほうがいい、という訳か」
「交易が盛んになって貢物が増えれば、魔王陛下もお喜びになりましょう。なにしろ、商いに関して言えば古くからドルフィニアは大陸随一です」
「わかった、わかった。好きにするがいい」
煩わしいと言わんばかりに、レアンは顔を横に向け、追い払うように手を振った。
レアンは同胞をパンダールとの戦いで失って以来、パンダールへの復讐の炎を絶やさずにいる。限定的とはいえ、パンダールと結ぶことに内心では抵抗があるのだろう。
「レアン司令、あらぬ誤解を招かぬよう、魔王陛下へこのことをお報せ頂けませんか。ドルフィニアは魔王陛下との同盟に背くつもりはない、と」
――今はまだ、な。
クロフォードは最後のひと言を、心のうちに呟いた。クロフォードはまだ、魔王からの独立という希望を捨てた訳ではない。
そんな胸の内を知るよしもないレアンはまた、
「わかった、もういい」
と、面倒そうに言ってクロフォードを追い出した。
こうしたクロフォードの働きかけもあって、ドルフィニア王とパンダールの使者グゼット=オーアとの接見は実現した。なお、オーアの使者、グレイとククリは控えの間で待たされることとなった。
ドルフィニア王ヴィクトールは玉座の高みにあって使者を迎え、その左右に宰相クロフォードをはじめとした重臣が並んだ。その次席に目を移せば、フルック=フラッドら評議会の面々がずらりと顔をそろえている。また、そこには魔王駐留軍レアン司令官の姿もあったため、オーアはさぞかし肝をつぶしたことだろう。少なくともクロフォードにはそう見えた。
ところで、謁見がはじまる直前、クロフォードは、おや、と思うことがあった。居並ぶ臣下の中に、ふだん見かけない顔を見つけたのだ。それは、ドルフィニア王の第二王子アランであった。彼は、いつもはドルフィニアの南方に常駐しているはずなので、おそらく父ヴィクトールに呼ばれた、ということなのだろう。それだけ、後継者として期待しているというヴィクトールの意思の表れと言っていいかも知れない。
さて、そのクロフォードに促され、パンダールの使者オーアは、ドルフィニア王の前まで進み出た。オーアが王の顔を見たとき、不思議と懐かしさに似た温かみを感じた。ヴィクトールは歳を取ってはいるが、頑強な体躯を保っており、太い眉も肉付きの良い鷲鼻も、彼の武門の出、という特性をよく物語っているように、オーアには思われた。
ヴィクトールは、オーアの名を聞いて、相好を崩した。
「ほう、あのオーア家の子か。大きくなったもんだ。……ふむ、顔もお父上に似ている。遠路ご苦労さんだったな」
もともとクロス家は、旧王都において有力な家柄ではなく、そのためオーアは彼らのことを知らない。が、逆にオーア家は代々軍務大臣を出してきた名門であるため、当然、ヴィクトールはオーア家のことを知っていた。ヴィクトールのオーアを見る目には、旧懐の光が沈んでいるようである。
オーアはヴィクトールに対し、粛々と祝詞をおくり、ついでパンダール女王キュビィ=パンダールの親書を奉じると、そこにドルフィニア王女アンジェリカ=クロスの親書を添えた。なお、これによってパンダール王国は、公式にドルフィニア王国を認めたことになる。
ヴィクトールは、先程のオーアの祝詞にこたえて、パンダールとドルフィニアの両国の繁栄の祝賀をのべると、キュビィとアンジェリカの親書に目を通した。
「パンダール王は我が国との友誼を望まれているとな。……そして、アンジェリカもそれに同意している、と」
と、さして緊張感のない声で言った。もちろん前もってクロフォードから内容を聞かされているため驚きの色はない。
「その通りにございます」
オーアの返答に、ふむ、とヴィクトールはうなずくと、
「我らはまだ出会って間もない。まずは交易から始めましょう」
と、まるで男女の仲のはじまりのようにあっさりと言うと、具体的なことは臣下と話を進めて欲しい、と結んだ。
オーアもこのドルフィニアの方針を事前にクロフォードから知らされているため、驚きはしない。共に魔王と戦うという同盟にまでは至らなかったが、まずは友好のきっかけができたということは、パンダールにとってまずまずの成果と言っていいだろう。無論、オーアに異存はなかった。
「よし、話は成った。さあさあ、歓迎の宴だ」
ヴィクトールは良く通る声でそう言って玉座から立ち上がると、大きく手を打った。たちまち、謁見の間に拍手の音が満ち満ちた。
こうして、ついにパンダールとドルフィニアの国交は結ばれることとなったのである。が、順調な滑り出しを見せるパンダール、ドルフィニア両国の運命に影が差すのは、間もなくのことであった。