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第57話:負け犬


 ドルフィニア宰相セシル=クロフォードは、目の前に座っている者たちの素性を聞くに及んで、文字通り絶句した。まさかパンダールの正式な使者、それも軍務大臣がやってくるなど、夢にも思わなかったのである。はじめ悪い冗談かと思ったのだが、パンダール女王の印が刻まれた親書を見せられた上、ドルフィニア王女アンジェリカの書状まで携えていることを知った以上、疑う余地は残っていないように思われる。

 軍務大臣グゼット=オーアは軽く咳払いをすると、その大丈夫たる体躯に似合わず、ごく丁重にドルフィニアへ来た理由を説明した。パンダールとしては、ドルフィニアと敵対するつもりはなく、共に魔王と戦いたい、というのが本意である。王女アンジェリカに関しても、外交のための条件にするつもりはないと前置きしたうえで、ドルフィニアへ返すことも考えている、と付け加えた。


「宰相殿に、ドルフィニア王への取次ぎをお願いしたい」


 オーアに頼まれたクロフォードは、難しい顔をしてしかめた目をおさえ、細く息を吐いて椅子の背もたれに身体をあずけた。


――どうするべきか。


 むろん、他国からの正使である以上、取り次がない訳にはいかない。だがドルフィニアは、断崖絶壁の上で綱渡りをしているがごとく、非常に不安定な均衡のなかで政治を運営している。この思いがけないパンダールからの接触は、その危うい均衡を崩壊させ、結果としてドルフィニアの政体を保てなくしてしまうのではないか。そうクロフォードは思わずにはいられない。なにしろ、魔王と共に戦おうと言われたところで、ドルフィニアの中枢には、その駐留軍の存在があるのだ。彼らの目の前で、魔王に立ち向かうことを約するなど、とても考えられることではない。


「ご存知ないかも知れませんが、我々ドルフィニアは、魔王と同盟関係にあります。もちろん、パンダールと積極的に争う意思はドルフィニアにはありませんが、かといって、即座に同盟を反故にする訳にはいかない事情もあるのです」


 そう言ったクロフォードの言葉は嘘を含んでいる。王をはじめとしたドルフィニアの政務に携わる面々は、魔王の意向に対し一応の協議こそすれ、結果的には盲目的に従っているに過ぎない。同盟と言えば聞こえは良いが、事実上、属国と何ら変わるところがないのである。

 そう考えていくと、ドルフィニアはパンダールに対して中立でもなんでもなく、はっきりと敵対関係にある。

 だが、そのあたりのことは、オーアにしても見え透いていた。

 

「という事は、ドルフィニアとしては、あくまで魔王との同盟を優先するということですか」


 やや眼差しを強くして言うオーアに対し、いや、とクロフォードは否定しようとして、とどまった。パンダールの使者にいい顔をしようと嘘を重ねたとして、それにはまったく意味がない。


「それを判断するのはドルフィニア王陛下でしょう。もちろん、陛下へのお取次ぎは致します。が、先程のように申し上げたのは、前もってドルフィニアが置かれている状況をご理解いただきたかったからです」


 クロフォードの返答は、両国が友誼を結ぶ難しさを正直に言っている。

 オーアからしてみても、強引に友好関係を結んだ所で、それが名ばかりのものであっては何の意味もない。仮に同盟を結ぶことができたとして、いつ裏切られるか分からない同盟などより、はっきりと敵だと分かっていた方が、はるかにましである。


――やはり難しいのか。


 オーアは低くうなった。実のところ、ドルフィニアが置かれているこうした難しい環境については、アンジェリカの口からそれとなく語られていた。しかし、実際にドルフィニアの中枢にあるクロフォードから聞かされるのとでは、その重みが違う。


「ちょっと待てよ、宰相さんよ」


 暗く濁りつつある空気を切り裂くように言ったのは、オーアの隣に座っているグレイである。不遜な物言いに、オーアは叱りつけようとした。が、クロフォードは、構いません、と言ってグレイの発言を促した。


「簡単な話だろ。魔王と俺たちパンダールと、どっちが強いかってことだ」


「それは……もちろん、魔王でしょう」


 当たり前のようにクロフォードは言う。そもそも、二十年前、魔王に対しパンダールがまったく歯が立たなかったがために、今の状況があるのだ。

 だが、それを聞いてグレイは眉を吊り上げた。


「これだから負け犬根性の奴は困るんだ。いいか。俺たちはな、王都の鉱山に巣食っていた魔物を倒し、南の砦を落とし、このあいだのササールじゃ完全勝利をおさめているんだ。分かるか、あんたたちがビビリまくっている魔物を相手に、連戦連勝なんだよ」


「グレイ、口を慎め」


 オーアは強い口調でたしなめたが、グレイは聞かない。


「もしドルフィニアが魔王と一緒に俺たちを滅ぼしたとして、その後はどうなる? 次に滅ぶのはドルフィニアだ。それを避けたいなら俺たちと組めばいい」


 そこまで言い切って、グレイは大きく息をついた。オーアは従者の非礼をわびたが、クロフォードは小さくかぶりを振った。


「いえ、グレイ殿のおっしゃることは分かるのです。確かにドルフィニアは国を守るために、魔王の下に屈服している。それで得た平穏というものが、かりそめのものだということは、よく分かっているのです」


「あなた方が強い、ということも。オーア殿と立ち会ってみて、その強さが分かりました。そのような方がいらっしゃるパンダールなら、間違いなく強いはずです」


 そう付け加えるミシェルに、クロフォードが驚きの目を向ける。


「お前、まさかオーア殿と立ち会ったのか?」


「け、剣を構えただけよ。兄上を探していたから、怪しい者かどうか確かめたかったから……」


 たじろいで言うミシェルに、ククリが不思議そうに首をかしげた。


「構えただけで悪いやつかどうか、分かるのか?」


「女の勘……ってやつね」


 ミシェルはそう言ってククリに片目を閉じて見せてから、オーアへと視線を戻した。


「と、話がそれました。実のところ、ドルフィニアは実質的に魔王の管理下におかれていて、魔王の軍も、常に駐留しているのです」


 オーアはまさか、という顔をした。


「しかし、少し街を歩いたが、魔物の一匹も見かけませんでしたが」


「それは、人と魔物で、街の区画を分けているからです」


 人の住まう区画は、ドルフィニアの街の中央から東側にかけてと定められており、魔物の軍が駐留するのは街の西側と決められている。また人の居住区も細かく分かれており、基本的に北には富裕層が住居を構え、中心を南北に貫く大通り付近には多くの商店が連なっている。そして東側には、人口の大多数を占める下層の生活者が押し込められていた。オーアらがミシェルと出くわした貧民街は、まさにその街の東側にあたる。


「そして我々のような古くにパンダールから派遣されてきた一族は、さらに東の外れに住んでいる訳です。大昔から商人とは折り合いが悪かった、ということですね」


 自治都市として栄えてきたドルフィニアの権力は、常に商人によって握られていた。そうした商人からすれば、かつての王都から派遣されてきた者はよそ者であり、決して歓迎されていなかったという事だろう。


「つまり、同じ街に人と魔物が同居しているということは、ドルフィニアは生殺与奪のすべて握られている、という事なのです」


 ひと通り話し終えたミシェルは、やや悲しげな表情を見せると、


「お分かり頂けましたか?」


 と小さく言った。不本意な選択なのだ、というのがその表情からにじみ出ている。


「魔物の軍と常に隣りあわせか……」


 オーアは腕組みをしてうなるような声をだした。確かにそういう状況下にあるドルフィニアは、うかつにパンダールとの同盟を言い出せない。その気になれば、ドルフィニアの街は瞬時に火の海と化すだろう。だが、だからと言って何もせず現状に甘んじていて良いものか。


「事情はよく分かりました。しかし、結局はドルフィニアがどうしたいのか、ということが重要なのではありませんか。このまま魔物に押しつぶされたままか、剣をとって我々と共に戦うか」


 そう言って、オーアはクロフォードの前に一枚の手紙を差し出した。


「これは?」


 その手紙は、オーアが先程商店で子供から手渡されたものである。クロフォードに会え、と書かれていたものだ。


「何者の手によるのかは分かりませんが、そのあたりにいた子供を使って、私に寄こしてきたのです。この国に私たちの存在を知っている者がいる。それも気になるところではありますが、その人物はあなたなら力になってくれると伝えたかったのでしょう。それでこうして頼ってきたのです」


――パンダールからの使者を知っていた者がいる?


 クロフォードは絶句した。オーアらが尋ねてくるまで、クロフォードはそのような事を予想だにしなかった。にも関わらず、その人物は手紙を使ってオーアに接触したのである。しかも、オーアらがドルフィニアに到着したばかりだというのだから、事前に察知していたと考えるのが普通だろう。そんなことができるものが、果たしてドルフィニアにいるのだろうか。

 真っ先に思い浮かぶのは、ドルフィニア王の特別補佐官というべきドーファンの存在である。


――しかし、彼は商人を後ろ盾にしている。


 魔王との同盟にもっともこだわっているのは商人勢力であるから、パンダールの使者であるオーアらとは利害が真っ向から対立するはずであり、そうすると、わざわざオーアに助言するとは考えにくい。つまりは、ドーファンという選択肢はそこでまず消える。


「お心当たりはありませんか」


「残念ながら」


 オーアの問いに、クロフォードは力なく首を振った。しかし、誰かは分からないが、少なくともドルフィニアとパンダールの友好を望み、そして、その橋渡し役をクロフォードに期待している者が確実に存在することになる。そうした者の存在が、政治の中枢にある者の誰よりも広い視野を持ち、真剣にドルフィニアを憂う者であるように、クロフォードには思われてならなかった。そう思ったとき、クロフォードは自身の暗さが痛いほど胸にしみた。


「クロフォード殿。貴殿は賢明なお方だ。このままではドルフィニアに未来はないことはお分かりのはず。是非に我らに協力していただきたい」


 オーアは居住まいを正し、改めて助力を請う。


「未来……」


 クロフォードの脳裏に、先程のオーアの言葉がこだまのように響く。


――要はドルフィニアがどうしたいかが問題、か。


 それはつまり、ドルフィニアに住まう者たちがどうしたいかということにつながっている。もちろんその中には、クロフォードも含まれている。

 果たして自分はどうしたいのか。まず先立つのはドルフィニアの安寧である。だが、これまでクロフォードは、その安寧の質にまで思い至ることはなかった。魔王の支配下という閉塞感の只中にあったとしても、少なくとも安寧は安寧であり得たのである。

 ところが、今、パンダールとの同盟という新たな選択肢が示されたことで、その安寧に見えたものは、はかない幻想だったいうことが白日の下にさらされた。

 パンダールを取ることは、すなわち魔王への宣戦といってもいい。ドルフィニア全土が魔王の支配下にある今、その選択は確実にドルフィニアに血という対価を要求するだろう。夢から覚めるまで、偽りの平穏のなかに生きるか。本当の平穏を得るために、ドルフィニアを危険にさらすか。


――考えるまでもない。


 しばらく黙考したクロフォードは、おもむろに目を上げた。


「私にできる限り陛下に口添えをしましょう」


 その目には、迷いから解放されたような、決然とした光が宿っていた。




 はじめドルフィニア宰相クロフォードは、ドルフィニア王とパンダールの使者だけをまみえさせ、そののち、評議会や駐留軍などの主だった者たちと、そこで出た課題をはかろうと考えていた。要するに、反対するのが目に見えている者をはじめから外した上で、直接、王に使者の話を聞かせたかったのである。


「後から他の連中にとやかく言われたら、余計に面倒なことになるだろうよ」


 ところが、執務室にあるドルフィニア王ヴィクトール=クロスは、そう言ってクロフォードの提案をあっさり却下した。


「パンダール王は陛下との友誼を望んでおられます。評議会やレアン司令が同席しては、前向きな話はできないかと存じます」


 クロフォードは食い下がったが、ヴィクトールの反応は薄い。


「結局はみんなで協議するんだろう? それならフラッドの爺さんやレアン司令が同席しても同じことだし、なにしろ話が早い」


 ですが、とさらに言おうとしたクロフォードに対し、ヴィクトールは品定めをするような目を向けた。


「それとも何か、お前さん、パンダールと裏取引でもしてるってか」


「陛下、それはあまりに言葉が過ぎましょう」


 気色をあらわしそうになったクロフォードの言葉を、ヴィクトールは大声で笑い飛ばした。


「冗談だよ、そう怒りなさんなって」


「私はパンダールと同盟すべきと考えます。魔王と結んで生き延びていても、それは不治の病に臥しているのと同じことです。先はありません」


 クロフォードの語気は強い。が、ヴィクトールには響かないようで、眠たげな目をこすっている。


「生きてるってのはな、それだけで幸せなことだよ。それに、変な話だが、長い付き合いだからな、魔王にも恩義みたいなものもある」


「恩義ですと?」


 負け犬根性――オーアの従者、グレイに言われた言葉が、クロフォードの胸に黒い影が差すように浮かび上がった。

 ドルフィニアは、根本的に病んでいる。じわじわと蝕むがゆえ、病人にはその痛みにすぐ気付かない。やがて死に至ると分かってから悔やんだところで、もう手遅れである。そうした病の毒に、とっぷりと頭の先まで満たされてしまっているのだ。だが、そういうクロフォード自身も、パンダールという光明を見ないうちは希望を抱かず、その毒に浸っていたのである。


――目を覚まさなければならない。


 使命感めいたものがクロフォードの胸の内ににわかに湧き上がってきた。

 だが、ヴィクトールの考えを聞くに、その道のりは険しく、あまりに遠い。ドルフィニアとパンダールの意識の遠さは、クロフォードが日ごろから感じる王ヴィクトールとの遠さに似ていた。

 クロフォードの落胆が顔に出ていたのか、ヴィクトールはふいに乾いた笑い声を上げた。


「そんな顔をするな。何も無下に使者を追い返そうというんじゃない。パンダールの言葉を、直接ドルフィニアの政治に携わる者に広く聞いてもらいたいだけだ。独断というのは、何事も危なっかしいものだからな」


「しかし……」


 しつこく粘ろうとするクロフォードの声を遮ったのは、意外な声だった。


「お話中失礼します」


 ヴィクトールの執務室に入ってきた黒髪に長髪の男。ドーファンである。


「おお、ドーファン」


 そう言ったヴィクトールの声がわずかに弾んだように、クロフォードには思えた。そして、それが嫉妬に似た感情がもたらすものだと気づくと、そう感じた自分をひそかに恥じた。

 ドーファンはクロフォードに小さく目で挨拶をすると、ヴィクトールに向かって、


「陛下、私はクロフォード殿のご意見には反対です」


 と、よどみなく言った。


――おいでなすったか。


 政敵ドーファンの思わぬ出現に、クロフォードは自然と固くこぶしを握りしめていた。

 

 


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