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第54話:宰相と蜥蜴と謎の男



 星もない夜であった。街はとうに寝静まっており、暗闇の中、ふたつの足音だけが響く。

 ドルフィニア王国宰相セシル=クロフォードと、魔物の将ゲオウ。クロフォードが先に立ち、ふたりはドルフィニア城下を北へと歩いていた。向かっている先にはドルフィニア城がある。

 

「心当たりとは城なのか」


 やや不安そうに聞くゲオウ。

 彼はパンダールとの戦の敗戦の責を負わされかねない状況にあるだけに、心細くなるのも無理はない。

 打開策がある、とクロフォードは言ったのだが、果たして目的はドルフィニア城なのか。そのクロフォードは意地悪そうに小さく笑うと、


「いずれ分かる」


 と言ったきり黙って歩き続けるので、ゲオウも仕方なくそれに続いている。

 石造りの道は、城に近づくにつれ次第に広くなっていく。それにともない、左右の建物も豪奢なものが目立つようになってきた。城の周辺に住む者は重臣や富豪が多い。

 ドルフィニアは、ササールよりさらに南にある半島、その東側の付け根に位置する。穏やかな湾に接し、旧王都とササールを結ぶ交通の要衝ということもあって、古くから商業都市として発展してきた。そして二十年前の魔王侵攻の災禍から免れた唯一の都市でもあった。それだけに、ドルフィニアは今でも豊かなままでいることができたのである。


「ここだ」


 大通りから狭い路地に入ってしばらく進んだ後、クロフォードは足を止めた。目でゲオウに示した屋敷は、造りは古いがなかなかに立派なものである。到底ただの庶民が住めるようなものではない。


「ここはお前……」


 ゲオウはその主を知っている。そしてクロフォードが先ほどから浮かべている、底意地の悪い含み笑みの理由も分かった。

 

「言ったはずだ。贅沢を言っている場合ではないとな」


 クロフォードは平然と扉の前に立つと、古めかしいノッカーを二度叩いた。周囲が静寂の中にあるだけに、やや大げさに音が響く。

 乾いた音がすべて闇に吸い込まれ、しばらく時間が経っても何の反応もない。


「もう寝てるんじゃないのか」


 時間が遅いだけに、ゲオウが心配そうに言う。


「なら起こすまでだ」


 クロフォードは鼻で笑いながらそう言うと、再びノッカーに手を伸ばし、もう一度扉を叩こうとしたその時、内側から声があがった。


――誰だ。


 使用人だろう。分厚い扉を隔てての声であるが、警戒している様子がありありと分かる。


「夜分遅くに申し訳ない。セシル=クロフォードが会いに来たと、ドーファン殿にお伝え頂きたい」


 ドーファン。

 それが目的の相手の呼び名である。

 扉の向こうの声は、しばらく考えるように間を空けてから、


――待っていろ


 と言った。取り次ごうとしているということは、まだ相手は起きているのだろう。

 扉の向こうの声が遠ざかると、ゲオウは居心地が悪そうに尻尾を左右に振りだした。それをまたクロフォードが見咎める。


「落ち着いていればいい」


「そうは言うがな、ドーファンと言えば、お前の政敵だろう。それを頼るなど……」


 ゲオウは苛立ちを隠さず言った。

 ドーファンというのは本当の名ではない。彼はもともとドルフィニア王の食客のような存在だったのが、王の信望を得て、半島の南端の地ドーファンの実質的な支配者となった。そこでその領地からドーファンと呼ばれるようになったのである。

 それだけならまだ良いのだが、問題はそのドーファンを推挙した者たちの存在だった。


「確かにドーファン殿の背後に商人勢力があることは間違いない」

 

 クロフォードは頷いた。

 古くからドルフィニアはパンダールのなかでも特殊な都市であった。商業が発展したがため有力な商人が発言力を強め、幾人かの豪商によって政治の実権が握られていった。そのため、ドルフィニアはパンダール王国領でありながら、実質的には自治都市の性格を有するようになったのだった。

 パンダール王国からすれば、わがもの顔で独自の統治をするドルフィニアの存在が面白いはずがない。だが、ドルフィニアの自治はあくまで商業に特化されたものであり、実際にパンダールがドルフィニアの行政に下手に口を出すと、かえって商業の振興に歯止めがかかって税収が減ってしまう、ということが分かってしまえば、暗黙のうちにその自治を認めるようになった。

 そうした商人勢力の存在は、魔王の統制下となった現在もしっかりと残っており、ドルフィニアの政局を分かりにくいものにしている。

 すなわちドルフィニア王家と魔王駐留軍、そして商人勢力の存在が、それぞれの主義主張をもって絡み合っているというのが現状である。

 では、それぞれの勢力が団結し、互いに反目をしているのかと言えば、必ずしもそうとも言いきれないのが複雑なところである。現に王家に仕えるクロフォードと、魔王の手の者であるゲオウとは人と魔物であるが仲が良い。

 だが、ゲオウがドーファンを政敵だときっぱりと言うのは、ドーファンもクロフォードも、どちらも直接、王に仕える役割を担っているからである。

 ドーファンは所領を得てからも、食客だった時と同じようにドルフィニア王の指南役として仕え続けている。ドーファンを王に推したのが商人勢力であるならば、ドーファンは商人勢力の意見を代弁していると考えるのが自然で、その時、クロフォードとは意見が真っ向から食い違うことがあるだろう。

 そういう意味でゲオウは政敵だと見定めているのである。

 

「実は、私はまだドーファン殿に会ったことがない。いい機会だ、どういう人物なのか見せてもらうとしよう」


 そう言って不敵に笑うクロフォード。ゲオウはハッと気付いたかのように、


「まさか、俺をダシにしてドーファンに会おうってんじゃないだろうな?」


 と目をむいた。

 残念ながらクロフォードが答える前に、ドーファンの使用人が扉まで戻ってきてしまった。


「通せ、とのことだ」


 扉から顔を出した使用人と思しき男はまだ歳若く、少年と言った方が相応しい。

 だが、眼光が鋭く、よく言えば精悍だが、悪く言えば粗野な顔立ちで、貴族風の上等な服装がまったく似合っていない。腰に差したなたのような蛮刀がやけにしっくりくるだけに、もともとは盗賊のようなことをやっていたのだろう。

 その若い使用人の男は、扉を大きく開けてクロフォードを中に招こうとしたが、その後ろにゲオウの姿を見つけると、唖然としたように驚き、立ち尽くした。


「私の連れだ」


 クロフォードは苦笑する。使用人の若者はそれで我に返ったように、


「ああ」


 と気の抜けた返事をすると、ようやくゲオウを入れた。どうやら若者は魔物に慣れていないらしい。ゲオウはと言えば、別段気を悪くする風でもなく、黙って玄関をくぐった。

 暗く狭い廊下を進んだ奥に、応接室があった。


「旦那」


 若者がぶっきらぼうに言いながら応接室の戸を叩くと、内側から返事があった。


「お通ししろ」


 こちらも若い声である。当然、ドーファンのものだろう。

 使用人が戸を開けると、部屋の内部で、机を前にした青年が姿をあらわした。

 

――やはり若い。


 クロフォードは内心で驚いた。

 年の頃は二十代の半ばといったところか、若く見えたとしても三十には届いていないだろう。長めの黒髪に、整った顔立ち。やや神経質そうな印象を受けるが、全体に品のよさが感じられる。


「はじめまして、宰相閣下。ようこそお越しくださいました」


「お目にかかれて光栄です、ドーファン殿」


 二人が型どおりに挨拶を済ますと、それを待っていたようにゲオウが一礼する。

 

「ゲオウと申す」


 短く言ったのみだったが、無頓着な彼なりに礼を尽くしたのだろう。

 ドーファンはそうしたゲオウの様子を興味深そうに見てから、


「あいにく、ゲオウ将軍にあう大きさの椅子を持ち合わせておりません。恐縮ながら、そのままでもよろしいか」


 と丁重に言った。

 

「構わぬ」


 ゲオウがまたも短く答えると、ドーファンは次にクロフォードのほうへ椅子を勧めた。こちらは身体に見合った椅子がある。

 クロフォードは椅子に腰掛けるや、ふっと表情を変えた。その様子に気づいたドーファンが、


「いかがなされました?」


 と問いかけたが、いや、とクロフォードはまた表情を戻し、話を切り出した。


「夜分に申し訳ありません。実はお願いがありまして突然お邪魔した次第です」


 ドーファンは軽く頷いた。


「ゲオウ殿がご一緒ということは、この度の敗戦のことでしょうか」


「ご存知でしたか」


 どうやって知ったのか、クロフォードは不思議に思わないでもなかったが、今はそんな事を詮索している場合ではない。


「それならば話は早い。実はここにいるゲオウ将軍が、そのためにいわれのない罪を着せられる恐れがあるのです」


 クロフォードは事情を説明した。

 いわれのない罪、とクロフォードは言ったが、ゲオウはドルフィニア駐留軍を率いる立場にいたことは確かであり、まったく責任がないかと言われれば微妙なところがある。さらには王女アンジェリカが囚われの身となっている事もある。


「そこで陛下に近しいドーファン殿に、口添えを願いたいのです」


 つまりは、ゲオウが罪に問われそうになったとき、クロフォードと一緒にかばってもらいたい、という事である。

 それを聞いたドーファンは、軽い笑い声をたてた。


「陛下に近いと言えば確かにそうですが、宰相であるクロフォード殿が私に及ばないとは思いませんな」


「ご謙遜でしょう」


 クロフォードは嫌味なく言ったが、ドーファンが宰相より王に近いところにいるのは間違いない。

 ドーファンが王の側に現れたのは、ほんの数ヶ月前に過ぎない。いきなり王の指南役のような立場におさまったかと思えば、ドルフィニア各地で休眠していた良質の鉱山の存在をいくつも指摘し、その開発を献策した。すぐさま実行に移された鉱山開発はやがて軌道にのり、その功があって鉱山地帯を預かることとなった。その鉱山地帯がドーファンであり、彼の呼び名はそれにちなんでいる。

 一方、クロフォードは宰相という臣下の最高位にあるとは言え、実際のところたいした権力を持っていない。それは、三十代の半ばというクロフォードの若さのせいでもあるだろうし、まだ任命されてからわずか半年足らずという経験のなさもあるだろうが、もっぱらドルフィニアの権力構造による所が大きい。


「ドーファン殿はお分かりだと思うが、この国において宰相など、取るに足らない存在なのですよ」


 クロフォードは静かにそう言った。

 ドルフィニアにおいて、大きな力を持っている者には、当然ながらドルフィニア王がいる。だが、もともとドルフィニアを王国にしたのは、初代のヴァーノンが独力で成したのではなく、当時からドルフィニアを牛耳っていた商人勢力の協力によるところが大きい。違う言い方をすれば、商人が自らの富を魔物から守るために王を立てたのである。魔王の侵攻によって交易ができなくなった商人らの勢いは往時ほどではないにせよ、いまだにその発言力を無視できるものではない。

 加えて、ゲオウも属する魔王の駐留軍の存在がある。駐留軍は常にドルフィニアを監視しており、当然のように政治にも口を出してくる。

 宰相はそうした三者のしがらみの中心に身を置くことになり、常にそれぞれの思惑に振り回される。

 結局のところ、何ひとつ決定権を持ち合わせていないのがドルフィニアの宰相なのである。そのため、クロフォード以前の宰相はいずれも身体を壊し、ごく短期間で任を辞していた。


「どうか、ドーファン殿のお力をお借りしたい」


 重ねてクロフォードは頼んだ。ゲオウも軽く頭を下げる。

 そんな二人を前に、ドーファンは首をすくめた。


「ゲオウ殿の処遇を決めるのは、ドルフィニア王陛下というよりも、駐留軍総指令官の役割でしょう」


「もちろんそうです。しかし――」


 答えようとしたクロフォードを遮って、ゲオウが答える。


「総指令は狼族だ。われわれ蜥蜴とかげ族とは仲が悪い」


 ドーファンは、ほう、と感心したように目を見張った。


「同じ魔物でも、そういうことがあるのですね」


 ゲオウとクロフォードは何となく顔を見合わせる。


「まあ、人と同じだ」


 今度はゲオウが首をすくめた。どうやらドーファンは、彼の使用人同様、魔物に詳しくないらしい。

 

「ということはゲオウ殿は、最悪の場合、ドルフィニア王陛下と、レアン殿から追及を受けることが考えられる訳ですね」


 ドーファンは腕組みをして顎の先を軽くつまむと、また頷く。

 レアンというのは、駐留軍の総司令官で、狼族の魔物である。狼族と蜥蜴族が反目しあっているからには、たとえば、狼のレアンが一方的にすべての罪をゲオウに押し付け、自らの保身を考えないとも限らない。


「これが本当の蜥蜴の尻尾切りだな」


 これを言ったのはゲオウだが、果たして冗談のつもりだろうか。クロフォードはくすりとも笑わないため、判断のつかないドーファンはひとしきり感心して見せたあと、

  

「まあいいでしょう。話を聞いても、もとよりゲオウ殿に責がないと私も思います。ご協力しましょう」


 と言って、あっさりと承諾した。

 

「感謝します」


 即座に謝すクロフォード。やや拍子抜けと言えなくもないほどドーファンは簡単に申し出を容れたが、クロフォードはそれにあっけにとられる風もない。


――問題はここからだ。


 内心でクロフォードは身構えた。

 ドーファンが協力を約することは予想通りであった。問題なのは、その交換条件として何を要求してくるか、である。その要求によって、ドーファンが政治的に何を目指しているのか、何を欲しているのかが分かる。すなわちドーファンの立ち位置をはかることができるのである。


――権力か。それとも金か。


 かならずドーファンは何かしらの要求をしてくる。クロフォードに応えられる要求かどうかは分からない。ただ、そうした心構えを、クロフォードはひそかに固めたのである。


「では、ご用件は終わりですな。遅い時間までご苦労様でした」


 そう言ってややホッとしたように、にこやかな笑顔を浮かべて立ち上がるドーファン。

 驚いたクロフォードはわずかに眉をよせた。


「……何か条件はないのですか」


「条件?」


 ドーファンはちょっと怪訝な顔を見せてから、すぐに合点がいったように小さく笑った。


「そんなものは無用です。同じドルフィニアに忠誠を誓う者どうし、そういう生臭いことはよしましょう」


「はあ」


 今度こそあっけにとられたように答えるクロフォード。

 しかし、ゲオウとクロフォードが屋敷を出る際、見送りに出たドーファンは思い出したかのように、


「ああ、そうだ。条件、というわけではありませんが、これからもお二人とは友誼を保ちたいものですな」


 と言ったため、さらにクロフォードはあっけにとられることとなった。







「信用していいのか」


 相変わらずの暗闇の中。ドーファンの元からの帰り道の途中で、ゲオウは並んで歩いているクロフォードに聞いた。むろん、信用できるのか、というのはドーファンのことである。


「どうかな」


 クロフォードの声はやけに小さい。


「歯切れが悪いな。もともとドーファンに頼ろうとしたのはお前じゃないか」


「それはそうなんだが、どうも私の見込み違いもあったみたいだ」


 クロフォードの答えに、ゲオウは不思議そうな声をあげた。


「奴は協力を約束したんだぞ。見込み違いどころか、見込み通りだろう」


「……そうだな」


 クロフォードは誤魔化したが、やはり釈然としなかった。

 思った以上にドーファンがどんな男なのかが掴めなかったのである。無条件に協力を約束するなど、あのしたたかな商人勢力の手のものらしくない。それどころか、欲を見せないとはなかなかの器量人であるようだ。

 それだけに言いようのない不気味さがあるような気が、クロフォードにはするのである。


――それに。


 勧められた椅子に腰を下ろしたときの違和感――それは、直前まで他の人間がその椅子に座っていたような感覚であった。

 もしそうだとすると、それは一体誰なのか。どうにも、あらかじめ敗戦を知っていたことと無関係ではないようにクロフォードには思われる。


「ドルフィニアへの忠誠……。それを誓う者だと言うのだから、信用に足るだろう」


 そう言い聞かせるように、クロフォードはつぶやくのだった。







「信用していいのかい、旦那」


 宰相と魔物という珍客を見送った若い男は、疑念を自らの主に投げかけた。が、主である黒い長髪の男はそれには答えず、


へびの次は蜥蜴とかげか」


 とひとりごち、小さい笑い声をたてながら、寝室へと歩き出した。



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