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第53話:密議

 突如として夜半の静寂を破ったのは、表から戸を叩く乱暴な音だった。二階に居てさえその音が聞こえるのだから、よほど無礼な客人であるに違いない。ややあってから、階下でばたばたと足音がし、それからようやく騒音はやんだ。使用人が客人を迎え入れたのだ。


――旦那様、お客様です。


 しばらくして、書斎の外から使用人の声が聞こえた。無礼な客の見当は、とっくについている。


「応接間に通せ」


 言い終わらないうちに、勢い良く書斎の扉が開いた。それと同時に、無遠慮な足音が響く。


「邪魔するぞ、クロフォード」


 クロフォードと呼ばれたこの館の主は、小さなため息とともに手にしていた本を閉じ、椅子をくるりと回して振り返った。


「君には礼儀というものがないのか、ゲオウ」


 ゲオウと呼ばれた者は、巨体を揺らして床の上にそのまま腰を下ろし、腰の剣を横に置いた。あまりの重量に床がゆがんだようでさえある。


「何せ、急ぎなもんでね」


 ゲオウは気にもせず、ぼりぼりとあごを掻いた。クロフォードは諦め顔で、書斎の入り口に立つ使用人を手で追いやる。使用人は申し訳なさそうに頭を下げると、音もなく戸を締めて退出した。


「こんな夜中にやってくるとは、よほどの事なんだろうな」


 言いながらクロフォードはグラスをゲオウに勧めたが、ゲオウは岩のような手を振ってそれを断る。クロフォードはそのグラスをしまうと、自らのグラスに酒を注ぎ足した。そうしてから、思い出したようにハッと顔色を変えた。


「待て、なぜ君がここにいる? 今頃は――」


「戦場にいるはず……と言いたいのだろう?」


「まさか、もう終わったのか? しかし勝報は聞いていないが……」


 クロフォードの声が曇った。ゲオウはいまいましげに頷く。


「戦は負けたらしい」


「――らしい?」


 クロフォードはいぶかしむように言った。


「将である君が、なぜ、らしい、などと曖昧な言い方をする」


「敗れたとき、俺は軍にいなかったんだ」


 ゲオウは軍内における戦略方針に対して意見が合わず、衝突を繰り返した結果、将を罷免され、戦陣を離れることとなった。帰還の途中でゲオウは敗戦を知らせる急使に偶然会い、そこで軍が敗北したことを始めて知ったのだった。


「で、その使者とともに、今しがた戻ったばかり、という訳だ」


 ゲオウはそこまで話すと、肩をいからせてから、息を大きくついた。話を聞きながら、次第にクロフォードは呆れるような表情になった。


「喧嘩別れするとは、どうしようもない奴だな」


「言っておくが、子供の喧嘩とは訳が違う」


 どん、とゲオウは床を叩いた。その振動で書斎の調度品がガタリと音をたてる。


「俺はな、敵に備えがある事を見抜いていたんだ。だから慎重にしろと言ったんだ。それを奴らめ、言うに事欠いて俺を臆病者などと罵りやがった」


「それで頭にきて出て行ったのか」


 クロフォードは無感情な風に言ってから、グラスに口をつけ、琥珀色の酒を飲み下した。


「聞いてなかったのか。罷免だ、罷免」


 ゲオウは声を荒げながら腕を組んだ。床の上を、太い尾が不機嫌に右へ左へと行ったりきたりしている。


「尻尾を揺らすのは蜥蜴とかげ族では無作法ではなかったか、ゲオウ」


 そんな魔物特有の礼儀作法を言いながら、クロフォードは憤懣やるかたない友人をまじまじと見た。巨大な体躯、腕も脚も、そして丸太のような尻尾まで、まさに強靭そのものである。そんな魔物の大軍を破る事が、果たして人間の軍勢に可能なのだろうか。


――まともに戦って勝てるはずがない。


 クロフォードには確信めいたものがある。いや、クロフォードだけではない。ゲオウを見れば、誰だってそう思うはずだ。それだけに、急使がゲオウに告げた内容はいかにも疑わしいと言わざるを得ない。

 それを見て取ったゲオウは、


「疑う気持ちは分かる。だが本当に使者はそう言った。あれだけの魔物を出したドルフィニア軍は、パンダールに負けたんだ」


 と、苦々しく言った。


「信じられん」


 クロフォードは呟くように言った。身体を満たしていたゆったりとした酔いが、一気に醒めるようだった。だがそれは、動揺ではなく、衝撃という刺激によってかえってクロフォードの頭を冷たく冴えさせた。


「まあいい。仔細は使者に聞く。しかし、君がここに来た理由は、それを報せにきただけではないだろう」


 ゲオウが報せにこなくても、明朝には誰もが知ることとなるはずである。わざわざやって来たのには、他の理由があるはずだ、とクロフォードには見当がついていた。


「実は頼みがある」


 ゲオウは言いながら立ち上がると、先ほどは断ったクロフォードの酒を瓶ごとひったくり、喉を鳴らして一気に飲み干してから、


「俺を救って欲しい」


 と、酒臭い息とともに言った。

 クロフォードは予想していたように態度も変えず、小さく首をすくめる。


「まあ、聞こう」


 ゲオウは手にした瓶を置くと、改まって話し始めた。


「知っての通り、今回の出兵はドルフィニアの魔王駐留軍が主体となっている。その指揮官が俺だ」


「――正確には、指揮官だった、と言うべきだがな」


 クロフォードの茶々に構わず、ゲオウはさらに続ける。


「俺たちだけで充分だった。だが、どういう訳か、魔王陛下は人質の小娘と、お目付け役のルドーを寄こして、指揮権を俺から奪い取ったんだ」


「口を慎め、アンジェリカ様だ。主君の姫君だぞ」


 そう言ってクロフォードは釘を刺した。

 それに、ゲオウは分かっていないようだが、わざわざ魔王の元にいる王女アンジェリカを派遣し、指揮官に据えたのには訳がある。

 そもそも、パンダールを攻めるのにドルフィニアにいる魔王の駐留軍を出す必要はなく、直接、魔王城から兵を出せばいい。わざわざドルフィニアに出兵させたのは、あくまでパンダールを攻めるのはドルフィニアだ、という、両者の敵対関係を決定的にさせたかったという魔王側の思惑によるものであろう。


――だとすると、本当に都合の良いのはドルフィニアの人間を兵として出すことだったはずだ。


 ところが、ドルフィニアは魔王の管理下にあり、それだけに人による兵力が充分ではない。

 だからと言って、単にドルフィニア駐留軍を出したとなれば、ドルフィニアが主体的に攻めるという印象は限りなく薄まり、ドルフィニアとパンダールとの対決という構図がぼやけてしまう。

 そこでドルフィニアにとって象徴的であり、かつ魔王にとって扱いやすい存在が駐留軍を率いる必要があったのだ。すなわち、それがドルフィニア王の娘であり、魔王の養女である王女アンジェリカだったのである。


「ゲオウ。君を追い出したのは、アンジェリカ様と、君と同じ蜥蜴族のルドー将軍ということか」


クロフォードの言葉に、ふん、とゲオウは鼻を鳴らした。


「姫というよりは、あのルドーだ。意見が合わんというだけで追放だぞ」


 そう考えてみれば、確かにゲオウは不憫である。

 クロフォードはルドーを知らないが、ゲオウとは余程の不仲なのだろう。同族であるがゆえの、互いの意地や譲れない誇りのようなものがあるのかも知れない。とすれば、端から人選……この場合は人ではなく魔物であるから、魔選というべきなのか、ともかく将の選定からして問題があったことになる。


「敗戦が事実だとして、それはそれで問題だが――まあ、少なくとも君のせいではない。」


 もしゲオウに統帥権があれば、戦はひっくり返っていたはずだからである。クロフォードはそう言って慰めたが、ゲオウは首を振る。


「いや、戦はやってみなくては分からない。魔物は皆、人を侮るが、俺はとてもそう思えない」


 無骨な見た目に似合わないことをゲオウは言った。こうした考え方をする魔物を、ゲオウの他に、クロフォードは見た事がない。ゲオウのそういう所が、クロフォードは嫌いではない。


「で、頼みとは一体なんだ」


 口の端をわずかにあげると、クロフォードは本題を切り出した。

 ゲオウは、やや言いにくそうに、頭のあたりを掻く。


「将を降ろされたとは言え、元々は俺が指揮官だったんだ。それが、こうして一敗地にまみれた。お前は俺のせいではないと言ってくれるが、姫を敵に捕らわれたからには、そうも言ってられん」


「何? 今、なんと言った。姫がどうした?」


 にわかにクロフォードは顔色を変えた。


「ドルフィニア軍は全滅したんだ。言わなかったか?」


「馬鹿、聞いてないぞ」


 一体、何が起きたというのか。さすがにクロフォードはうろたえた。完全に理解を超えている。


「俺もはじめ聞いた時は、何かの間違いだと思ったさ」


 ドルフィニア軍は将も含めすべてパンダールに捕らわれる所となったこと。そして、将兵はすべて解放されたものの、ただ一人アンジェリカだけは相手に捕虜として捕らわれたままであること。

 急使から聞いた話を、ゲオウはクロフォードに説明した。

 

「確かにアンジェリカ様が敵の手に渡ったとなれば、ゲオウ、君にどんな咎めがあるか分からん」


 さすがにクロフォードの口調から余裕は消えていた。

 王女アンジェリカは、ドルフィニアと魔王との両国間にとって象徴的な存在であると言える。魔王がパンダールへの出兵の司令官にあえて彼女を据えたことからも、それは良く分かる。それだけにゲオウの立場は微妙だといえる。

 罷免されて戦列を離れたゲオウに罪はない。そうクロフォードにも思えるし、力になりたいとも思う。


――だが、時として感情が優先され、道理が通らないこともある。


 どちらかと言えば政治的なことに無関心である武辺者のゲオウが、こうしてクロフォードのもとを訪ねてきたのも、自らが立たされるであろう理不尽な苦境がなんとなく見えていたからであろう。


「クロフォードよ。すまんが、俺に頼れるのはお前しかいない」


 ゲオウは言いながら床に手をつき、深く頭を下げた。先ほどまでの礼儀知らずとはまるで別人である。

 思わずクロフォードは苦笑した。


「顔を上げろ、ゲオウ。君らしくもない。それに――」


 頭を下げるならこの館に来た時から礼を尽くすものだろう。クロフォードは笑いながらそう言ってから、


「私に心当たりがある」


 と、力強く言った。口元にはやはり笑みが浮かんでいる。


「本当か?」


 自信ありげなクロフォードの様子に、救われたような声をゲオウは上げた。

 

「恩に着るよ、宰相さまさまだ」


「君は嫌がるかも知れないが、まあ手段を選ぶような贅沢は言ってられんからな」


 ドルフィニア王国宰相セシル=クロフォード。彼は種を超えた魔物の友人であるゲオウにそう言うと、


「さあ、さっそく出かけよう」


 と、椅子から立ち上がった。




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