第52話:使者②
アンジェリカの幕舎は、レイモンドのそれと程近い場所にある。
周囲を背の高い柵に囲まれ、常に数人の兵が見張りに立っており、物々しいだけに非常に目立つ。
アルバートは警備に立っている兵に軽く挨拶をして、幕舎の入り口をくぐった。アンジェリカは入り口に背を向け、中央に置かれた椅子に静かに座っていた。
「アルバート=パンダールです」
アルバートが名乗ると、アンジェリカはゆっくりと振り返り、にこりと笑顔をつくった。
「王子様ね。その節はありがとう」
アンジェリカが言うのは、レイモンドとの接見の場を設けるためアルバートが口利きをした時のことである。
いえ、とアルバートは軽くこたえると、アンジェリカの向かいに空いている椅子を持ってきて、そこに座った。アンジェリカは機嫌よく微笑んでいる。
「でも、誰が来たって私は何も話さないわ」
穏やかな表情とは裏腹に、アンジェリカの言い方ははっきりとしている。
アルバートは思わず苦笑した。
「話を聞き出そうというのとはちょっと違いますね。どちらかといえば、相談……といったほうが近いでしょうか」
「相談?」
アンジェリカは、ふうん、と意外そうな声をあげた。
「と、その前にどうです。お腹が空きませんか」
アルバートはアンジェリカが答える前に、外の警備兵に言って食事をふたり分準備させた。すぐに簡単な食事が運ばれてくる。パンとスープ、それとわずかだが果物も添えられていた。
「どうぞご遠慮なさらず」
言ってアルバートはパンをちぎり、口へと運んだ。
アンジェリカは少しためらったが、さじを取ると、スープをひとすくい口にした。
「お味はどうです」
「……悪くないわね」
その言葉に、アルバートは満足そうににっこりと笑った。続けて食べるようにアンジェリカに促し、ふたりは食事をしながら会話を続けた。
「魔王のもとでは、どんなものを食べていたのです?」
「別に、ここのものとそう変わらないわ」
ほう、と今度はアルバートが意外そうに言った。アンジェリカがそれを見咎めるような表情になる。
「虫とか、そういうのを食べてるとでも思った?」
まさか、とアルバートは首をすくめた。
「どんなものを口にするのか、想像もつきません」
「魔物もね、人と同じように家畜の肉や魚を食べるものが大半よ」
ふふ、とアンジェリカが愉快そうに笑う。
「魔物にもね、種類があるのよ」
「種類?」
そう、と言ってアンジェリカはパンに手を伸ばした。
「私と一緒にいたルドーがいるでしょう? ああいう言葉を話す魔物たちは、私たちと食べるものがあんまり変わらないのよ」
「とすると、こうしたパンも魔物が焼いて食べるのですか」
感心したように言うアルバートに、アンジェリカがふき出した。
「あなたって面白いのね」
「……はじめて言われました」
「パンはね、私が焼くのよ。自分が食べるためにね」
言ってから、アンジェリカはパンをひとつ平らげた。ここのパンの味も口に合うようだ。
「しかし、わざわざ窯まで用意してくれるなんて、なかなかに魔物たちは良くしてくれているようですね」
「人質とはいえ魔王の娘ですもの。でも、特にルドーは良くしてくれたかしら」
ルドーと言えば、二足歩行するトカゲの将軍の名である。接見や調印のときの様子から、ずいぶんとアンジェリカに心服しているようである。わざわざパンを焼くための窯まで用意するなど、アンジェリカが魔王のもとでも安寧に暮らせるように腐心していることがうかがえる。
「ドルフィニアに帰りたいですか?」
思い切って、アルバートは聞いてみた。
アンジェリカは表情を変えず、やや視線を下に落とした。
「そういうことは考えないようにしているの」
ぽつん、とそう言う。
「私が住みよいように、といつも考えてくれてるルドーたちに悪いじゃない?」
まるで意に介さないように言うアンジェリカだが、わざと明るい口調にしているようにも見える。果たして本心はどうであろうか。
「それに今はパンダールの人質だから、帰りたいかどうかは、これからのあなたたち次第ね」
アンジェリカは笑った。すうっと、消え入るような笑顔に見えた。そんな彼女をアルバートはじっと見ていた。その視線に気付いたアンジェリカは、
「なあに?」
と聞く。アルバートは頬をかいた。
「いえ、思ったより良く話してくれるものですから……」
フラムは情報を聞き出せず、彼女に手を焼いていたと聞いている。その割にはアンジェリカは良く話し、良く笑う。
「私、あの人は嫌いよ」
口をとがらせてアンジェリカは言う。
あの人とは、言うまでもなくフラムのことである。どうやら真面目なフラムと気の強いアンジェリカとはそりが合わないらしい。
アルバートはおや、と思った。
もともとフラムは女王護衛官であった。ということは、気の強さなら筋金入りの女王キュビィのそばにいたということである。それであるのに、フラムとキュビィの仲が良くないという話は聞かない。
キュビィとアンジェリカの気の強さは、よほど異質なものなのであろうか。
「そんなことより、相談ってなに?」
アンジェリカが聞いた。
いつしか手元のスープもパンも空になっている。もともと相談だと話を持ってきた格好のアルバートは、ええ、と言って布で口もとを拭った。
「簡単なことですよ。我々がどうやってあなた方に勝てたのか。なぜだか知りたくはありませんか?」
アルバートは何事もないような言い方をした。さっとアンジェリカの表情から笑みが消える。動きを封じる術のことだとすぐに思い至ったのだろう。何より、それによって自軍を壊滅させられている。彼女からしてみれば、何をされたのか訳が分からなかったはずだ。
「交換条件、という訳ね」
ほう、とアルバートは内心で小さく驚いた。アンジェリカは頭の回転がはやい。つまり、術の存在を教えるのと引き換えに情報を引き出そうとしている、と即座に理解したのであろう。
だが、アルバートの言いたいこととは少し違った。
「ドルフィニアでうまく活かせませんか」
「ドルフィニアで?」
さすがにアンジェリカはアルバートが何を言いたいのか分からないようだった。アルバートは微笑をかえす。
「パンダールではその術を使って農地を拡大させつつあります。同じことがドルフィニアでできないか、ということです」
なるほど、というふうにアンジェリカはうなずいた。
「それが餌……ということね」
結局は交換条件ではないか。そんな不満そうな顔をアンジェリカはした。だが、もとよりアルバートにそんなつもりはない。
「餌、というつもりはありません。ただ、パンダールとドルフィニアが手を結べば、それも可能だろうということです」
アンジェリカは首をすくめた。
捕らわれの身である自らに、それを決める権限などない――彼女がそこまで考えたであろう次の瞬間、すべてを納得したような光が目にやどった。
「同盟の使者を出すのね、父のところに」
やはり彼女は鋭い。だが厳密には使者となるオーアが、接見したドルフィニア王に対し、明確に同盟という言葉を口にするかは分からない。それは王の出方による。だがいまアンジェリカへの説明にそのあたりの細部は必要ない。
アルバートはゆっくりとうなずく。
「その通りです。ですから、そのための協力をしていただきたいのです」
アンジェリカはしばらく考えていたが、ややあって口をひらいた。
「少し、考えさせてもらえないかしら」
オーアは明日にでも出立するつもりでいる。時間はない。だが、ここで焦って何も得られなくなっては元も子もない。
「もちろんです。ごゆっくりとお考えください」
アルバートはそう言ってから懐からナイフを取り出し、卓上に置かれた果物の皮を器用にむきはじめた。そして、きれい切りそろえたみずみずしい果物をアンジェリカと二人で食べた。それは格別に美味であった。