第51話:勝報
女王キュビィ=パンダールのもとに届けられた勝報は、王城を揺るがすに充分であった。
ササール候レイモンド=オルフェンは、遭遇した魔物の大軍をそっくりそのまま捕縛することに成功し、その上、ササール軍の被害も多くはないという。そして、いよいよ新たなササール城の建設に着手しはじめたのである。
「ここまでは良いのです」
朝議の席。
丞相ハロルド=ギュールズは静かに言った。
確かにここまでは計画通りである。いや、むしろ上出来過ぎると言ってもいいだろう。魔物の抵抗が激しかった場合、新ササール城の建設予定地への到着はもっと遅くなることが予想されていた。勝報がやってくるのは早いくらいである。
「うむ。さすがはオルフェン候だな」
女王キュビィは玉座にあって、満足そうに幾度もうなずいた。
「しかし、問題はその後です」
ドルフィニア王国の存在と、その王女にして魔王の養女であるアンジェリカ。そして彼女と交わした不戦協定。王都の大臣らといえども、この事実に驚かない者はなかった。
「当然ですが、中央ササールの統治はオルフェン候に一任されておりますゆえ、魔物との交戦、そして停戦に関する協約など、異存はありません」
「うむ。当然だな」
ギュールズの言葉にキュビィは頷く。ギュールズは続けた。
「ですが、ドルフィニアに関しては別です。ササール候ではなく、王国として陛下が直接やり取りを行うべきでありましょう」
「つまり、使者を送れ、と」
「そうです。これはオルフェン候のご意向でもあります」
「むう……」
キュビィは形の良いあごに細い指をあて、考えるしぐさをした。
「ギュールズよ。使者を送るとして、何と言う」
「……問題はそこです」
ギュールズは難しい顔をした。
レイモンドからの報告によれば、ドルフィニア王はかつてパンダールの臣下であった将軍の息子であるという。つまり勝手に王を名乗っているに過ぎず、言ってみればパンダール王国への反逆だと受け取ることもできる。ただ、問題を難しくしているのは、いま、パンダール王国の支配が大陸全土に及んでいない、ということにある。すなわち、民心を安定させるため王を称したとして、それを強く非難してよいか、と言えば、ギュールズは応えに窮する。それは、レイモンドがササールの地で懸念した通りだった。
「本来ならば、王号をやめさせ、パンダールへの臣従を誓わせるようにするべきなのでしょう」
「素直にドルフィニアが従うか……だな」
「御意にございます」
魔王と戦っている今、人と人とが争うというのは是非とも避けたい所である。無駄にドルフィニアを刺激し、交戦状態となるのは無益である、とギュールズは思っている。
「あの……」
ここで手を挙げたのが最年少大臣であるノウル=フェスであった。
ギュールズが発言を促す。
「ドルフィニアが魔王と誼を通じているのであれば、我々と手を組むのは難しいのではありませんか」
「確かにそうも考えられるな」
ギュールズは深く頷いた。
一時的にレイモンドが魔王との不戦協定を結んだとは言え、それが本当に守られるか、と言えば、頭から信じるのは危険である。むしろ端から守られないものと思っておいたほうが無難であろう。
だが王国にとってもっとも恐ろしいのが、魔王とドルフィニアが手を組み、ササールに侵攻してくることであろう。果たしてその時、その侵攻を食い止めることができるのであろうか。
ここで、農務大臣アデュラ=パーピュアが口を開いた。
「その、アンジェリカという姫君から、ドルフィニアの情報は何か聞き出せていないのですか」
ギュールズは残念そうに首を振った。
「オルフェン候の報告書には何も書かれていない。恐らく、これから尋問するのだろう。ドルフィニアの状況が分かれば、もう少し手の打ちようもありそうなものだがな……」
――しかし。
ギュールズはいいながら考え込んだ。
アンジェリカからの情報を聞き出し、仮にドルフィニアが強硬な姿勢であると分かったとして、パンダール側は懐柔策に出なければならないのだろうか。ドルフィニアが敵対的であれば、まずは人質のようになっているアンジェリカの身柄の返還を求めてくるだろう。それを飲んだとして、果たしてドルフィニアがパンダールに対して恭順な姿勢を見せるだろうか、と言えば大いに疑わしい。
逡巡するギュールズを見て、キュビィは口の端をわずかに上げた。
「ドルフィニアがどういうつもりかは、我々には関係がなかろう。何もこちらから頭を下げる必要はない。向こうが王を名乗る以上、立場は対等だ。共に魔王を討つ気があるか、その一点のみ確認すればよい」
ギュールズは驚いた目をキュビィに向けた。
「では、ドルフィニア王をお認めになるので?」
キュビィは涼しい顔である。
「まあ、王を名乗りたければ、それくらい名乗らせてやろう。今は魔物をどうにかするほうが先決だ、と私は思う。それに、まだドルフィニアが非協力的だと決まった訳ではない」
「もし戦になったとしたら、なんとします」
ギュールズはあくまで慎重である。キュビィはにっこりと微笑んで見せた。
「オルフェン候が戦にはするまい」
あっさりと言ってのけるキュビィに、ギュールズは返す言葉なく、口をぱくぱくとさせた。キュビィはそんなギュールズを気にもかけない。
「ドルフィニア王への使者は……そうよな、オーアに任じよう。いまササールにおるから何かと都合がよかろう」
そう言うや、キュビィは玉座を立った。途端にギュールズの脳裏に嫌な予感が湧き上がった。早くも胃のあたりがきりきりと痛みだしている。
「ど、どちらに行かれるので?」
「決まっておろう。私がササールまで行って、オーアにこの事を伝えるのだ。ギュールズ、あとは頼んだぞ」
次の瞬間、大臣たちの心が一つになった。みな一斉に席を立つと、
「なりません!」
と口を揃えて言ったため、さすがの女王キュビィも叱られたような顔で、ふたたび玉座にぺたんと腰を下ろした。
「チッ! せっかくレイに会えるまたとない機会だったのに!」
「まあまあ、皆さん陛下の御身が心配なのですよ」
自らの執務室にあって、悔しそうに言うキュビィに、侍女であるサテュア=パイクは茶を注ぎながら、なだめるように言った。
さすがに女王自らがササールへ赴く、というのは全大臣の猛烈な反対にあって諦めざるを得なかった。だが、キュビィの腹立ちはまだおさまっていない。
「いや。奴ら、わらわがおらんと仕事が増えるから、それを嫌がっておるのだ」
もしギュールズが聞いたら胃痛のあまり気絶しただろう。ただでさえ宰相アルバート=パンダールがおらず、軍務大臣であり丞相でもあるグゼット=オーアも不在なのである。王都の重臣にかかる負担は、既にそれまでとは比べようもなかった。その上、女王までササールに行かれては、完全に機能不全となるところである。
言われたサテュアは苦笑いを浮かべるしかなかったが、ギュールズの、
――オルフェン殿がいなくなった途端にこれだ。
といういつもの愚痴が聞こえてきそうであった。
だが、そんなギュールズが、キュビィのいない時、いつもサテュアだけにこっそり言ってくることがある。
――オルフェン候がいなくなって、陛下はお寂しいはず。できるだけ、陛下の力になってやってくれ。
そう言われるたび、サテュアは神妙に頷くのである。
キュビィは文句を言っているが、ギュールズはキュビィのことを気にかけているのだとサテュアには分かる。それは、かつてレイモンドが死んだと思われていた頃の話と無関係ではないのかも知れない。南の砦でのキュビィとレイモンドとの再会の様子は、今もサテュアの心に深く刻まれている。
キュビィは茶の入ったカップを持ったまま、小さくため息をついた。
「レイに会いたいな……。ササールなどに、やらなければ良かった」
半分本心であり、半分は嘘であろう。ササールの運営を行えるのはレイモンドしかいない、と常々キュビィが口にしていることを、サテュアは知っている。
「いましばらくのご辛抱です。ササール城の建設が軌道に乗れば、候もこちらに顔を出せる、とギュールズ様がおっしゃっておりましたから」
「それは分かっておる……」
キュビィは頬を膨らませた。ことレイモンドの事となると、途端にキュビィは子供のようになる。
「ササール候さまはお幸せですね。陛下にこれほどまでに愛されているだなんて」
言ってから、サテュアはハッと口をおさえた。さすがに言葉が過ぎた、と青ざめながらキュビィを見やる。
「そうなのだ……レイは果報者よな」
当たり前、という表情のまま、キュビィは少し冷めたお茶を口に運んだ。それがあまりにも自然だったため、かえってサテュアの方が真っ赤になってしまった。
「やれやれ、陛下にも困ったものだ。何かと理由をつけてササールへ行きたがるのだから」
朝議の間。
ギュールズは朝議が終わったのちも場に残っていた。そこにはアデュラやフェスの顔も見える。
「今くらい分かりやすいほうが良いではありませんか。溜め込むのは健康に良くありませんもの」
アデュラが笑いながら言う。ギュールズは呑気な、と不機嫌な目をアデュラに向けた。
だが、フェスもアデュラの味方である。
「候が亡くなったと思われていたときは、随分とふさぎ込んでいらっしゃいましたから、それに比べたら今のほうが良いと思います」
「まあ、それはそうなのだが……」
ギュールズは痛い所を突かれたように眉をしかめると、軽く咳払いをして話を変えた。
「それより、新ササール城へ送る資材は抜かりないだろうな、フェスよ」
「はい、オルフェン候より仰せつかった分はすべて用意できております。が……」
フェスは言いよどんだ。
ギュールズは、フェスがなぜ言いにくそうにしているのか把握している。
「あまりに量が少ない、という事だろう。それは私も気になっていた」
レイモンドが王都から送るよう依頼した部材は、城を築くにしてはあまりに少なすぎた。その事は以前からギュールズもレイモンドに指摘していることであった。
「城を築くというのは、砦をひとつ作るのとは訳が違う。この程度の量で本当に大丈夫なのか。私も何度もオルフェン候には言ったのだがな」
ギュールズはフェスから資料を受け取りながら言った。
もちろん、城は何年もの長い時間をかけて造り上げるものである。レイモンドにしても、一度にすべての部材を依頼した訳ではあるまい。しかし、それを考えても、あまりにも少な過ぎるのである。
「この程度では、せいぜい兵舎を建てて終わりです。いったい、候はどのようなおつもりなのか」
フェスも首を捻らざるを得ない。
一方で、農務大臣であるアデュラに依頼された食料は、かなりの量にのぼっている。これにはアデュラも苦笑した。
「こっちには容赦なしね」
「食料はたっぷり必要、ということは資材のほうが計算間違いではない、ということになりますね」
フェスはますます分からない、という顔でギュールズを見た。
ギュールズも同じく答えは見つからないため、ひとまず自らにできることをやるしかない。
「まあ、足りなくなれば、また依頼が来るだろう。それまでにフェスはできるだけ資材を集めておいて欲しい」
「分かりました」
だが、正直なところ、王都の財務を預かるギュールズから言えば、ササールに回せる資材や資金の余裕は充分にあるとは言えない。
城を築くとなると、今後、膨大な資材が必要となる。もちろん、当初からの見積もりでは大いに不足する事態にはならないはずなのだが、この先のやりくりが厳しいという事実は変わらない。そういう意味でも、ドルフィニアとの争いは絶対に避けねばならない、という事情もあった。
ふと、アデュラが顔を上げた。
「ひょっとしたら、レイモンド君は自前で調達する気なんじゃないかしら」
まさか、とギュールズは言いたかったが、あのレイモンドならばあり得ない話ではない。
レイモンドはササール候となった際、王都の人材の不足を招かぬよう、ササールに連れて行く臣下も、武官のヒューバート=ヘイエル、それに女王護衛官のフラム=ボアンの二人しか選出しなかった。
王都の財政を逼迫させるのを嫌い、最低必要な資材以外は自前で用意するというのは、なんともレイモンドが考えそうなことのように思われてくる。
――だが……。
未開と言っていいササールの地で、そう都合よく必要な資材が調達できるものなのか。木材も樹を切り倒さねば手に入らず、石も山から切り出さなければならない。鉄などはどうやって入手するつもりなのか。そのすべてを率いていった兵たちにやらせるとでも言うのであろうか。
「不可能だ」
深く考えるまでもなく、一つの答えしかギュールズには導き出せず、小さく首を振り、それから迷いを振り切ったような顔つきをした。
「どうであっても、我々は全力でオルフェン候を支えるしかない」
ギュールズは力強くそう締めくくり、フェスもアデュラも大きく頷いたのだった。