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第50話:調印

 


 ササール候レイモンド=オルフェンと、魔王の姫アンジェリカとの接見から二日が経った。すなわち、魔物を解放する期限である。

 林立する魔物の群れを前に、レイモンドとアンジェリカが書面を交わした。互いの立会い人として、王国側からは宰相アルバート=パンダール、魔王側からは将軍ルドーがそれぞれ署名をする形となった。もっとも、巨大な体躯のルドーに合う筆がなかったため、結局はアンジェリカが代筆することにはなったのだが。

 それにしても、と将軍ヒューバート=ヘイエルはぐるりと周囲を見回した。

 調印をするレイモンドと、それに立ち会うアルバート。それから、二人の背後に軍務大臣グゼット=オーアが護衛する格好でひかえている。ヘイエル自身はと言えば、この三人のさらに後方でわずかな兵を従えているに過ぎない。


――随分と無用心なことだ。


 ヘイエルはそう思わざるを得ない。魔物側は、今は動きを封じられているとはいえ無数の兵がいるのである。

 調印が済み、いざ魔物を解放するとなった場合、仮に魔物が牙をむけばたちまちのうちに飲み込まれてしまうことは間違いなく、万一に備えてある程度の兵を用意しておくべきであろう。そうしないのは、むしろ無防備であることで相手を信用しているのだと知らしめるためなのであろうか、とヘイエルには思われてくる。

 だが同時に、すでに何らかの手は打ってあるのではないか、と考えられなくもない。こういう場合に何かしら意見をいいそうなオーアが、何食わぬ顔でレイモンドを見守っている、というのもそれを裏付ける要因であろう。


――それに……。


 将であるフラム=ボアンの姿がこの場に見えないのも気に掛かる。

 フラムは別命あって陣から出ている旨をレイモンドから聞かされてはいる。その事と、この盟約の場が手薄なのと、何か関係があるのだろうか。考えてみれば、解放までに二日の猶予を条件に出したことも、その意図が分からない。その二日間の猶予の間に、何かしらの策をフラムに授け、行動にあたらせている、ということなのだろうか。

 どうであれ、レイモンドが何を考えているのか、ヘイエルはまったく知らされていない。徹底した秘密主義なのか、それともヘイエルを軽んじているのか。いや、もしかしたら、オーアやアルバートでさえ、何も聞かされていないことも考えられる。具体的な説明なく、


――私に任せてください。策はあります。


 ということくらいは、いかにもレイモンドが言いそうなことだ。ヘイエルはそう考えてみてから、思わず吹き出しそうになった。が、何かあってからでは笑い事ではなくなってしまう。


――私もそこまで気になるなら、候に聞けば早いのだが。


 不思議と、ヘイエルにその気は起こらなかった。それは自らがいい加減なためなのか、それとも、主君であるレイモンドを信用しているからなのか。だが少なくとも、兵の命を預かる将軍の身である以上、この状況を軽くは見ていない。と、考えると、やはり無意識のうちにレイモンドならば何か策があるのだ、と信頼をしている事になる。


――正直、分からん。


 ヘイエルは思考の終着点を見出すのにさじを投げ、苦笑を飲み込んだ。とりあえずは、あの心配性のササール候が、まったくの無策で臨むはずがない、くらいのところで、一応自らを納得させることにした。

 さて、そうしたヘイエルの思いをよそに、調印は滞りなく終わった。いよいよ、魔物の兵が解放される。レイモンドたちの声は、少し距離を隔てたヘイエルの耳にも充分に届く。


「ではルドー将軍。これよりあなた方の兵を解放します。引き取られたら、速やかに魔王殿の元に戻り、仔細をご報告なさってください」


 くれぐれも妙な気を起こさぬように……と、ヘイエルは付け加えたかった。

 ルドーはふん、と鼻を鳴らすように言ったが、アンジェリカに睨まれたため、しぶしぶ、


「了解した」


 と短く答えた。

 このアンジェリカとルドーの関係も不思議と言えば不思議だ、とヘイエルは思う。

 これまでの様子を見るに、ルドーは人間を見下しているか、少なくとも好意は持っていない。にもかかわらず、アンジェリカにだけは心服しているようで、その身を案じたり、命令に素直に従ったりしている。いかにアンジェリカが魔王の養女であったとしても、もともとはドルフィニアから差し出された人質に過ぎない。そう考えれば、ルドーがアンジェリカにここまでの忠節を示す理由が、ヘイエルには見当たらないように思われる。

 魔王からアンジェリカに忠実であれと厳命をされているのか、もしくは、レイモンドが感じているらしい同情めいたものを、この将もアンジェリカに対して抱いているのか。ただ、そこまでの複雑な心情を魔物が持ち合わせているとは、にわかには信じがたい、とヘイエルは思う。

 やがて、レイモンドの合図によって、魔物を捕らえていた結界は消失した。むろん、結界術の本質が地面に突き立てられた杭であることを見透かされないよう、兵士の手によって、この場から離れた箇所の支柱が引き抜かれている。

 たちまち、それまで微動だにしていなかった魔物たちが蠢きはじめた。それと同時に、いいようのないうなり声のようなものが響いた。人におきかえれば、一種のざわめきのようなものであろう。


「妙な術だ」


 ルドーは吐き捨てるように言ってから、耳をつんざくような咆哮をあげた。それが魔物の兵への号令であるのだろう。ルドーを先頭に、地響きを立てて魔物たちが移動を開始した。

 途端に、ヘイエルの緊張が高まる。

 魔物がおかしな行動を起こすとしたら、今しかない。そして、兵を率いているのは、この場にヘイエルのみである。

 やがて、ルドーがヘイエルの眼前を横切った。ちら、とルドーと目が合う。が、ルドーはすぐに目線を前に戻し、何食わぬ顔で遠ざかっていく。それからすぐ、後を従う大量の魔物の姿にヘイエルの視界は塗りつぶされた。すべての魔物が去るまで、半刻ばかりはかかっただろうか。

 結局、素直に魔物の大軍は引き上げ、あとにはレイモンドらの面々と、アンジェリカだけが残された。


――生きた心地がしなかった。


 オーアと目が合ったヘイエルは、そう言わんばかりに肩をすくめて見せた。オーアも同じだったと見え、ヘイエルに苦笑をかえした。




 魔物がぞろぞろと長い隊列を組んで引いていく様子は、調印が行われた場所から遠く離れた小高い丘の上からでも見ることができた。間近であれば巨大な魔物なのであろうが、遠くから眺める様子は、さながら蟻の行列のようである。

 

「おとなしく帰ってくれたね」


 少女が安堵に弾む声を、傍らの長い黒髪の剣士に投げかける。うん、と短い声が返ってきた。


「あのなかに、レイがいるんだね」


 山のふもとのあたりに、人らしきかたまりが小さく見える。少女はそこを指差して言った。調印が行われたその場所には、間違いなくササール候レイモンド=オルフェンがいる。


「会いたい?」


 黒髪の剣士――フラム=ボアンの言葉に、少女は思わず目を見開いた。


「そりゃあ! ……でも、今は会えないんだよね」


「この子のことは、まだ言えないからね」


 フラムは、言いながら少女のかたわらにいる少年の頭を撫でた。少年は金髪の髪をくしゃくしゃにされながら、嬉しそうに笑っている。


「あとはライナスがどうするか、だね。土地を手放すのは、きっと多くの人に抵抗があるだろうから……」


 少女は猫のような目を、やや憂いに曇らせた。


「ルカ……」


 フラムは温かな眼差しを、少女に向けた。


「きっとライナスさんはササール城への移住を決めると思う。そのほうがずっと暮らしも楽になるだろうし、行こうと思えば王都にだって行けるようになるんだから」


 少女――ルカ=ルトリューの表情がぱっと明るくなった。


「王都!? 行ってみたい!」


 ルカは傍らの少年に、


「ルネも行ってみたいでしょ?」


 と言ったが、言われた少年――ルネは不思議そうに首をかしげている。その様子に、フラムは思わず目を細める。

 魔物を操る能力を持つこの無垢な少年。彼こそが、レイモンドの切り札であった。すなわち、アンジェリカとの協約を終え、魔物を野に放つ際に生じる危険を取り除くための、いわば保険である。

 レイモンドが新たなササール城の建設地として選んだ場所は、ライナス=ルトリューの村から程近く、馬ならば一日でたどり着ける位置にあった。当然、はじめからレイモンドはそれを織り込んだ上で、建設地を選んでいたのである。


――往復で二日。


 魔物解放までの猶予二日は、まさにルネを連れてくるための日数であった。

 フラムは当然ながらライナスと面識がある。それなりの手勢を引きつれ村へ至り、ライナスに事情を話してルネを借り受けた。率いていた兵は、そのままルネが不在となる村に防衛のため残している。


「それにしても驚いたよ。突然フラムさんがやってくるんだもの」


 ルカはその時の様子を思い出し、くすくすと笑った。村でフラムと再会したルカはもちろんのこと、ライナスの目も点になっていた。

 

「時間がなかったからね。前もって知らせられなかった」


「それは事情を聞いて分かったけど……。それにしても、あのレイがこのササールを治めるお偉いさんになったなんてね。で、フラムさんは将軍さん」


 ルカはそう言ってから急に声をひそめ、ためらいがちに続けた。


「……どうして男のふりをしているの?」


 当然の疑問だろう。

 フラムは村でライナスたちと再会したとき、ひととおりの用件を伝えてから、最後に、


――私が女であることは、他言されないようお願いします。


 と、言ってあった。

 兵士の目もある。その場ではライナスもルカも何も言わずに頷いていたのだが、やはりルカは気になって仕方がないのだろう。

 フラムは少し視線を下に落とした。


「いろいろとあるんだ。魔物と戦うためには」


「でも、それじゃあ……」


 言いかけて、ルカは口をつぐんだ。

 恐らくフラムがレイモンドへ抱く思いに、ルカは気付いているのだろう。その上で、レイモンドの前でさえ男として振舞わなければならないフラムの境遇が、フラムの望む未来へとは続かない、と言いたかったのかも知れない。

 

「そろそろ戻ろうか」


「うん」


 フラムは少年ルネの手を握ると、ルカと並んで小高い丘をおりはじめた。




 魔物の大軍を見送ったあと、レイモンドらも陣へ戻ることとなる。

 ふと、アンジェリカがレイモンドの側に寄ってきた。むろん、兵らに囲まれながら、である。


「あなた、とても面白いわ。そう、とても面白い」


 珍しくアンジェリカは、ふふ、と声を出して笑った。

 その言葉の意味がつかめないレイモンドは、ただ首を傾げるしかない。当然、アンジェリカの瞳に、はるか遠い小高い丘が映っているなどとは、思いもよらなかった。




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