第49話:アンジェリカ①
アンジェリカの話をまとめるとこうなる。
まず、二十年前の魔物の侵攻によって王都が陥落した際、将軍ヴァーノンが人々を率いて逃れ、ドルフィニアに落ち延びた。やがて実権がヴァーノンから息子に移ると、そのヴァーノンの息子が王を名乗り、本格的にドルフィニアの統治を始めた。
ドルフィニア王は魔王と結ぶことを決めると、王女であるアンジェリカを魔王へ送り、その養女とすることで服従の証とした。
そのアンジェリカがいま、魔物を率いてササールを攻め、その兵のことごとくを捕らわれてしまった。アンジェリカは兵の解放のため、ササール候レイモンド=オルフェンへの接触を試みた、ということである。
陣の前で事情を聴いた軍務大臣グゼット=オーアは、むう、と唸ったあと、後ろを振り返った。
「だとすれば、俺が連れてきた魔物の将と思しきやつは、なんなのだ」
オーアの背後には、幾重にも鎖を巻かれ、身体の自由を奪われたトカゲの魔物の姿がある。巨躯といい、凝った細工の鎧姿といい、確かに将らしき外見ではある。
ここに至るまでかなりの抵抗があったらしく、魔物の将の鎖を持つ兵らには疲労の色がはっきりと出ている。陣に戻るまで時間がかかったのも、それが理由なのだろう。
「ともあれ、ご苦労さまでした。ひとまず陣で疲れを癒してください……と言いたいところですが」
レイモンドがオーアらの労をねぎらおうとする。が、無論、オーアもそのまま陣で休息を、とは思っていない。
「そんな場合でないことは、出迎えの面々を見れば分かる」
そう言って苦笑するオーアの隣で、将のヒューバート=ヘイエルも首をすくめた。
「ササール候に、アルバート殿下。フラム=ボアン殿に……」
列挙するヘイエルの目線の先に、若い兵ふたり。ふたりを見つけたヘイエルは思わず絶句し、口をぱくぱくとさせた。言わずと知れたグレイとククリである。
彼らは正規兵ではなく、勝手に紛れ込んだ冒険者である。こっそり自分の部隊に潜ませていたつもりが、あろうことか軍の首脳の前に堂々と出ているではないか。対するグレイもククリも、悪びれる様子もなく、平然としたものである。
ヘイエルの様子から何かを察したのか、オーアは声をあげて笑った。
「久しいな、お前たち。やはり来ていたのか」
笑いながらグレイとククリに言うと、オーアは肘でヘイエルを小突いた。
ばつの悪くなったヘイエルは、あわてて話を元に戻す。
「それより、問題はそちらの姫君です」
オーアとヘイエルの出迎えには、アンジェリカの姿もあった。とはいえ、彼女は出迎えに出たのではなく、会談の場が移動したため連れられてきたに過ぎない。場所を移したのは、オーアとヘイエルもアンジェリカとの接見に加えるためと、オーアらが連れてきた魔物の将のためである。結界のため魔物は陣に入ることができない。
アンジェリカはじっとオーアらが連れてきた魔物の将を見ている。魔物の将は、鎖の端を持つ兵に囲まれながら、身じろぎひとつしない。
「こいつめ、あれだけ暴れておきながら、急におとなしくなりおって」
オーアが苦々しげに言った。
レイモンドはトカゲの魔物へ話しかけた。
「私は司令官のレイモンド=オルフェンという者です。このアンジェリカ殿があなた方の指揮官だとおっしゃるのですが、間違いありませんか」
丁重に話しかけるレイモンドの姿は、ひどく奇異に見えた。相手は宿敵である魔物なのである。
だが、情報を聞き出す相手が誰であろうと、裏付けは必要である。何よりアンジェリカはただの少女ではなく、魔王の娘を称しているのだから、慎重に過ぎることはない。
魔物は小さな目でちらりとレイモンドを見ると、すぐにぷいと横を向いた。表情などないトカゲの魔物ながら、話す気はない、という意思ははっきりと伝わる。
そんな魔物に、アンジェリカは、キッと強い眼差しを向けた。
「話しなさい、ルドー」
冷たいながら、底に凄みをもった言い方である。
ルドーと呼ばれた魔物は、仕方なさそうに口を開いた。
「我は蜥蜴族のルドー。アンジェリカ様の軍の将だ」
おそろしく低い声である。ルドーと名乗る魔物のまわりにいる兵らは、しゃべった、と驚きの声を上げている。なお、レイモンドらはみな魔物の言葉を聞いたことがあるため、驚かない。
レイモンドは平然としてルドーとの会話を試みる。
「では、ルドー将軍。アンジェリカ殿は将軍らの司令官ということをお認めになるのですね」
聞かれたルドーは、アンジェリカを見てから、ややあって憮然としたように、
「ああ」
と認めると、今度は言葉に殺気を込めて続けた。
「我は命など惜しくはない。いくらでも死んでやる。だがアンジェリカ様に指一本でも触れてみろ、お前らを皆殺しにしてくれる」
ルドーが本気であることは、誰もが分かった。肩が怒りに燃えているかのようである。
オーアは、ほう、と少し感心したように言うと、
「魔物のくせに、殊勝な心がけだな」
と大いにうなずいて見せた。武人らしいルドーに、通じるものがオーアにはあるのだろうか。ともあれ、これでアンジェリカの言うことが本当だという裏付けは、一応取れたことになる。
アンジェリカはレイモンドのほうへ向きなおると、
「これで信じたでしょう。さあ、早くみんなを解放するための条件を言って」
と語気を強めていった。
ルドーはアンジェリカの言葉を聞いて、うめくような声を出したが、アンジェリカの真剣な表情のためか、二の句を告げることはなかった。
レイモンドは軽く咳払いをした。
「条件は三つあります。一つは、解放するのは二日後にして欲しい、ということです」
「……いいわ」
二日間、魔物たちは飲み食いすることができないが、そのくらいで死ぬことはないのだろう。アンジェリカはあっさりとその条件をのんだ。むしろ、無数の兵を解放する条件としては拍子抜けするほど軽いものといえるだろう。
「二つ目は、今後三年間、王国に兵を入れない、という約束をして頂きたい」
「不戦協定というわけね。……たった三年でいいのかしら」
「充分です」
「……分かったわ。魔王に伝えることはできるはずよ」
レイモンドは頷いた。
実はアンジェリカは魔王に伝える、と言ったのみで、約束はしていない。当然、レイモンドもそれは分かっている。だが、条件の中にそれを入れることに意味があった。
「そして、条件の三つ目ですが、これは是非とも承諾いただきたい」
「何かしら」
「それは、アンジェリカ殿、あなたの身柄を預かる、ということです」
アンジェリカは、ふっと口元に笑みをたたえた。この条件を予想していたのだろう。
「いいわ。これで、取引成立ね」
――駄目だ!
地鳴りのような叫びをあげたのは、魔将ルドーであった。
「アンジェリカ様、それはなりません。またあなたは人質に……」
「ルドー、いいのよ」
アンジェリカは静かに、諭すように言う。感情の色の出にくいアンジェリカながら、表情には決然たるものがある。ただ、そこに悲しみの影が差しているように見えるのは、暗がりのせいであろうか。
一方で、本来、魔物の解放に対して反対だったオーアなどは、何も言えなくなってしまった。なにしろ、期限付きとはいえ、魔物との不戦協定を結べるのが大きい。当然、その協約が守られるか、と言えば、その可能性は極めて低いと言わざるを得ない。それでもレイモンドが条件にそれを加えたのには、重要な意味がある。
「では、二日後にあなたの兵は解放しましょう」
レイモンドはアンジェリカにそう告げ、彼女の身柄をアルバートに預けることに決めた。口にこそしなかったが、結界術の拘束性に期待しての人選であった。
こうして、レイモンドとアンジェリカの接見は終了した。
アンジェリカは特別な幕舎を与えられ、厳重な警備が配置された。ルドーは魔物であるため陣に入られず、鎖で縛られたまま、こちらも兵による見張りが立てられることとなった。
そして王都にいる女王キュビィ=パンダールへ、レイモンドの親書を携えた早馬が飛んだ。